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『拵える者』

 神々が未だ霊峰の頂に微睡んでいた頃から、馨しい木々(マロウル)の森には大樹楽土(メルベング)があった。(つるばみ)の眷属でありながら神代より天高く伸び、五つの玉座と四つの美玉を実らせた後、首盗り王(ビスール)神の外戚に収まり、栄華の果てにはその身の内を刳り抜かれ、西国には知らぬ者のいない大樹の洞の王国となった。


 その第一王子すばしっこい(ビッツェ)が長い長い螺旋の(きざはし)、『勝利と栄光の階』を上りながら一つため息をつく。かつては千古の英雄にも劣らぬ類稀な肉体を誇り、牙折りとあだ名されたビッツェだが、もはや見る影もなく細木のように痩せて、かつては三日三晩のあいだ野を駆け、轟雷の如く高鳴った心臓も今は小さく脈打っている。落ちくぼんだ瞳をぎょろつかせ、階段の先に目をやり、なけなしの気力を振り絞る。


 その血の源たる父祖の掘り削った誉れ高き階を進む。巨木を刳り抜き、穿たれた螺旋の階は長い歴史に幾度も重要な舞台となったこの王国の象徴だ。繁茂する枝葉に細工し、硬い樹皮に彫刻して神々を寿いだ古の手業はとうの昔に失われ、同様の巨樹があったとしても同じ物は造れない。


 幼い頃はその階を上り下りする己を誇らしく思い、王国の更なる繁栄を誓ったものだが、もはや風前の灯火の王国を守り切れないかもしれないと思うとビッツェは恥じ入るばかりだった。


 ビッツェは長い耳を澄ます。階を風の吹き抜ける雄々しい声が今は嘆きのように聞こえる。階を行き交う(うから)の者どもは日に日に目の輝きを失い、幽霊のように痩せ細っていく。虫のように木の根を齧り、樹液を舐めて空腹を紛らわすが、そのようなものは腹の足しにならない。


 とうとう王国の中心部、最大の洞、玉座の間までやってくる。ビッツェは身だしなみを整え、己が父にして王国の主、飛び跳ね(サディス)(まみ)える。そのそばにはビッツェの次に逞しいと讃えられる戦士の長や預言者が侍っている。戦士の長はビッツェを慕う若人たちのなかでも指折りの雄であり、預言者は御言葉を預かるばかりか過去と未来を知り尽くした賢者だ。


「よくぞ参った。我が第一の子ビッツェよ」


 洞の奥の大鋸屑(おがくず)の玉座に衰えた栗鼠(りす)(うから)の長が横たわっていた。黄金に喩えられたぴかぴかの体毛は抜け落ち、霊感を称えられたつやつやの鼻は乾き、名高きもふもふ尻尾は魂が抜けた毛虫のようだ。


「お労しや、父上」ビッツェは父親譲りの鋭敏な鼻先をひくひくさせて長に寄り添う死の匂いを嗅ぐ。「蓄えの多くを失ったとはいえ、民草に分け与えなどしなければ、そのような姿にはなりますまいに」

 サディスは咳混じりに子を咎める。きいきい声で咎める。「愚かなことを申すな、ビッツェよ。長はお前が代わればよかろうが、民に代わるものはない。いや、しかしお前は我ほどの愚行はすまいな。冬を前にして蓄えのほとんどを鬼畜どもに奪われるなど。それも二度にわたって。このままでは我々は彼奴等の腹のために働かされる奴隷だ」


 栗鼠(りす)(うから)の長サディスは目に涙を浮かべ、幼い頃はビッツェを力強く導いたその小さな前足で衰えた尻尾を抱きかかえる。そしてぷるぷると震えている。


「諦めてはなりません。我らが王国の永続を願うならば手段はいくらかありましょう。隣国から奪うなり、口減らしをするなり、あるいは共――」

「それはならん! 心得違いをするでない!」子ビッツェの言葉を遮って、サディスは長として父として威厳に満ちた声色で諫める。大鋸屑(おがくず)まみれで諫める。「貧すれど卑しむべからず。王の子なればなおのこと。……いや、すまん。我が偉そうに言えることではないが、だがそれらは最後の手段だ。民あっての国、国あっての民よ」


 王国の若人の首領たるビッツェは腑に落ちない様子で落ち着きなさげに右往左往する。もふもふ尻尾がゆらゆら揺れる。とうとう決断の時がやってきたのだと覚悟してこの場へ馳せ参じたのだ。

 戦士の長も預言者も長とその子のやり取りを緊張感に満ちた表情で見守っている。


 ビッツェは父に詰め寄って言う。「では何用で私をお呼びに? 如何様になさるおつもりで?」

「残酷な手段に出る前にもう一つ可能性があると我は考えている」諸木の長たるサディスは己自身を押さえつけているかのように震え、目を瞑って涙を絞り出す。「吊るし絵の魔性だ」


 ビッツェは父の丸い背を見つめ、毛に覆われた長い耳を疑う。それは伝説に悪名刻む災厄だ。幾人もの英雄たちが長い年月をかけて封印した存在だ。伝説の通りならば、戦や口減らしよりもまし(・・)な結果になるとは思えない。父は狂ってしまったのだろうか。

 ビッツェは父の正面に回り込んで顔を覗き込む。毛深い顔の中の宝石のような円らな瞳が潤んでいる。


「果たして我々に彼奴を手懐けられましょうか? 手懐けられたとして王国が救えましょうか?」ビッツェは答えられるはずのない問いを投げた。

「魔性について語り伝える歌物語は数多くあります」と預言者が長の代わりに答える。「中には魔性を意のままに操ったとされる物語もあり、私はその手段を探り当てました」

「断言して良いのか?」と戦士の長が預言者に問う。「まだ試してすらいないというのに」


 預言者が答えるのを王が手振りで制止する。


「事ここに至った以上、すぐにでも試すほかあるまい」王は覚悟を決め、覚悟を誘う眼差しをビッツェに向ける。「このままではいずれ滅びる。伝説にはこうもある。魔性の力を得た者は国の興亡を左右する力を得ると」

「危ない賭けです」ビッツェもまた王の覚悟を測るように言葉を向ける。

「だが上手くいけば失うものはない。お前となら出来ると信じている。我が息子よ」


 果たして名君とは斯様な博打をする者のことを言うのだろうか、とビッツェは己に問う。勝った時に得るものは大きいが、負けた時に何を失うのかすら分からない。

 君主たる在り方に迷うビッツェは、しかしサディスの瞳の奥に誇りと信頼の輝きを見つけ、しかと頷く。


「心得ましてございます。そも吊るし絵の魔性はどこに封印されているのですか?」

「うむ。今こそ語ろうぞ。本来譲位の折に伝えるものだが」


 サディスは寝転がっていた大鋸屑(おがくず)を掘る。尻尾を振りながら一生懸命に掘る。

 すると壁際に隠されていた穴が明かされた。その先には王国の誰も知らない、古より隠匿されていたもう一つの螺旋、『甘美なる誘惑の階』がある。大木の表面近くを大回りに降っており、地の底深くまで続いている。名高き螺旋の階のすぐそばに名の伝わらぬ螺旋の階が隠れていたのだった。


「さあ、行こう。ビッツェ。王国の地下深くにそれは封印されている」




 戦士の長と預言者を玉座の間で待たせ、長とその長子は埃の厚く積もった螺旋の階を深く深く降りていく。壁と床が意味ありげな模様を描く木目から、黴臭い土に変わっても階はずっと下へと伸びている。空気はよどみ、音は何も聞こえない。土の匂いと黴臭さに包まれ、ビッツェは圧迫感に苛まれる。全身の毛が逆立つ。

 地獄にまで通じていそうだとビッツェが考えた頃、とうとう父子は最下層の洞室へとやってきた。濡れた土に覆われていて、不思議な金緑(エメラルド)色の光に覆われている。どうやら不思議な苔が光っているらしい。


「我も我が父に教わった時以来だ、ここへやってくるのは」サディスもまた初めて来たかのように不安げに辺りを見渡す。


 王国の誰より冷静だと自負するビッツェは、しかし目を奪われていた。洞室を横切るように一本の細い根が伸びていて、その根から一枚の絵が垂れている。

 ビッツェの見たこともない奇態な生物が描かれている。橙色の縞模様で、細長い団子虫のようだ。数えきれないほどの足、硬質の髭、尾は丸まり鰭のようになっている。そして奇妙な存在は奇妙な道具を持っている。一見棍棒のようだが、中身が詰まっているべき場所は空っぽで、まるで細長い花弁の蕾のようだ。


「これこそが魔性の封じられている絵なのですね。して、これをどうするのです?」ビッツェは吊るし絵をじっと見つめたまま尋ねる。

「この絵を貼られたものに魔性が憑りつくとされている。貼るものは何でも良いと聞いている。裏を返せば何であれ魔性には抵抗できぬということだ」


 サディスは描かれた生物の黒い眼を見られないでいる。その力のあり方を知る者など王国には一人とていないが、当代に伝わるその恐怖を知らぬ者はいない。だが、その実、本当の恐怖を知っている者はいないのだ。


「分かりました。では」そう言ってビッツェは躊躇なく絵を剥がす。


 絵の裏は樹液のようなべとべとした感触で、その粘りによって貼り付けるらしい。

 ビッツェは絵を持って父サディスに迫る。


「わ、我に貼るというのか!?」サディスは恐れ戦き、数歩下がる。

「力を得るというのならば長の他にいますまい。どうか御覚悟を」

「ええい! ままよ!」そう叫んでサディスは小さな瞳をぎゅっと閉じた。


 ビッツェは魔性の絵を父サディスの背中に貼り付ける。




 再び大鋸屑(おがくず)溢れる玉座の間に戻ってきたビッツェは父サディスを、その身の内に入った魔性である拵える者(キュリーヴ)を見つめる。


「つまり貴様ができることはお菓子(・・・)なるものを作ること。それだけだと?」

「殿下、お父上に向かってそのような口は」と戦士の長が苦言を呈する。

「お控えなさい。陛下は今、その身を魔性に委ねているのですよ」と預言者は言い当てた。

「仰る通りにございます! 嗚呼! 己が矮小さに心苦しいばかりです!」サディスの中のキュリーヴは父の嗄れた鳴き声と細い毛の逆立つ総身で表現する。「私とて皆々様の笑顔が見たいのです! 私の作るお菓子で心躍らせたい気持ちなのです! しかし! 嗚呼! 何たる不幸! 何たる不運! 馨しい堅果(ナッツ)も甘やかな液果(ベリー)も底を尽きているとは!」


「そもそも蓄えを失った問題を何とかしてもらいたかったのだ」とサディスはため息をつく。苛立たし気に尻尾で床を叩く姿も可愛らしい。「食料がなければ何もできんとはな」

「申し訳もございません!」キュリーヴはぽろぽろと涙を零す。「このままでは臣民は飢え死に! 栄光ある王国は没落! それを止める手立てがあるならばこの老骨に鞭を打って働くのですが!」

他者(ひと)の老骨に鞭を打つな」ビッツェは大鋸屑(おがくず)の玉座に腰かけて難しい顔をする。「しかし、そうだな。お菓子なるものが何なのかよく分からんが、魔性の持つ力だ。確かなのだろう。なんとか活かしたいものだが」


 お菓子を知らないのは戦士の長も預言者も同様だった。


「何と!? お菓子を知らないですって!?」キュリーヴは両腕を拡げ、床に屈し、天を仰ぐ。「お菓子を知らないことほどの不幸を私は知りません! 手元に僅かでもどんな食材でもあれば、すぐにでも作って差し上げるのに、嗚呼! 何という運命の悪戯! 不幸の気まぐれが憎らしい!」

「僅かくらいはあるさ」そう言ってビッツェは大鋸屑(おがくず)の中を探る。すると団栗の欠片と乾いた野苺が見つかった。それらをキュリーヴに投げて寄越す。「これで足りるか?」

「ええ! ええ! もちろん! ビッツェ様を満足させる程度ならば私にもできましょう! いえ、私の他に誰ができましょうか!」


 そう言うとキュリーヴは途端に押し黙り、探る様に呪文を唱える。どれも栗鼠(りす)(うから)には知りえない力ある言葉だ。雪国の女が娘にだけ伝えるおまじない。果樹に溢れた南方の島々に伝わる神への感謝の歌。古の道具には必ず彫り刻まれたという聖句。それらが混然一体となって魔法を起こし、堅果(ナッツ)液果(ベリー)に作用する。

 目に見えない道具が椎の実を切り刻み、薔薇苺を押し潰し、水に溶かし、混ぜ合わせ、熱を加えて、出来上がり。キュリーヴの前足の上には小さなお菓子(ケーキ)が乗っていた。


 栗鼠(りす)の身には夢にも見ない強烈な馨しい香りが辺りを漂い、ビッツェはもはや枯れ果てたと思っていた涎を溢れさせた。王国の誰より我慢強いと噂されるビッツェをして堪らず飛び掛かり、奪い取るようにして(むさぼ)る。まるで幸福が結晶化し、咀嚼と共に全身に迸り、心臓を流れ、脳裏を満たすようだった。まるで足りないが、ビッツェは満ち足りた気持ちになってしまった。


 手に付いた凝乳(クリーム)を舐め取り、あるはずもないお菓子(ケーキ)を探して辺りを見回す姿も愛らしい。キュリーヴの満足げな微笑みが目に入り、戦士の長と預言者の呆れたような表情に気づき、ようやくビッツェは冷静さを取り戻した。


「なるほど。確かに」ビッツェは恐ろしい気持ちを押し込めるように頷く。「場合によっては争いを生みかねない力だ。貴様が封印された理由の一端を垣間見たようだ」

「恐れ入ります」

「とはいえどうにもならない」

「嗚呼!」


 その時突然、王国全体が揺れた。さほどの衝撃ではないが、断続的に揺れが続く。


「何事だ!?」とビッツェは怒鳴るように問いつつも、自ら洞を出て枝を駆け上がり、衝撃の招待を探る。


 それは三人の人間だった。まだ幼体のようだが邪な笑みを浮かべながら甲高い鳴き声をあげ、王国に向けて何かを投げつけている。


「ええい! 人間どもめ!」次代の長たるビッツェは王国を育んできた枝に必死につかまりながら人間を睨みつける。「我らの(かて)を奪ったばかりか、何もかもを失った故国を攻撃してこようとは!」


 ビッツェの声が聞こえたのか、人間たちは王国の第一王子の姿に気づき、そちらへ標的を変えた。次々に飛来する投擲物を必死にかわし続けたが、とうとう一発を貰ってしまう。だが、勇ましき長の子ビッツェは投擲物を受け止めた。


「なんということだ」とビッツェはわななき、人間どもに投げ返してやろうと受け止めた投擲物を抱えて見つめる。


 それは艶めく栗の実だった。黄金と紅に染まった秋の美しさを愛でる時間もとらず、高き空の心地よい涼風を浴びながらも手を止めず、全ての臣民が苦労して集めた冬越えの糧食だ。それを奪っておきながら食べもせず、(いたずら)に偉大な王国と堅実な臣民へ投げつけて楽しんでいたのだ。なんと邪悪で卑劣なことだろう。


 第一王子ビッツェは邪な人間の行いと己の無力さに身を震わせた。樹上を仰いでにやにやと笑みを浮かべている人間を睨みつける。

 怒りに囚われたビッツェは覚悟を決めて人間に挑みかかろうとした。しかし父サディスの体を操る吊るし絵の魔性キュリーヴがビッツェの尻尾をつかまえて引きずり上げ、玉座の洞へと連れ戻される。


 ビッツェは父の顔を見て少し臆するが中身は魔性だということを思い出して叱責する。「貴様! 何のつもりだ! 役に立たぬなら大人しく見ていろ!」

「駄目ですよ! その勇敢さはもちろん称賛に値しますが、一瞬の内に八つ裂きにされて丸呑みになるのがおちです! 嗚呼! 恐ろしい! この笑い声が聞こえますか? 血と死を尊ぶ者どもの底知れぬ邪心の響きです!」

(うから)の血筋が絶えなければ何とでもなる」とビッツェは自分自身を勇気づけるように言う。

「なればこそ貴方様は彼らをしっかりと導かねばなりますまい」


 いつの間にか洞には戦士の長や預言者以外にも家臣たちが集まっている。どの栗鼠(りす)も王国を支えるひとかどの人物(・・)であり、とても愛くるしい。彼らは勇敢な第一王子の危険を顧みない行動を諫言する者と称賛する者に分かれていた。

 しかしビッツェは諫言も称賛も耳に入れず、たった一粒奪い返した栗の実を見つめる。鼻をひくひくさせてその香りを嗅ぐ。

 家臣たちも投げつけられているのが肥え太った栗の実や甘やかな楢の実、紫に熟した野葡萄だと気づき、ビッツェと同じように怒りに震えていた。


「陛下! 奴らを思い知らせてやりましょう!」と第一の家臣が言った。

「我らの怒りを、我らの誇りを知らしめるのです!」と第二の家臣が言った。

「我ら、この身を投げ打つ覚悟はできております!」と第三の家臣が言った。

「そんなことより投げ返してくれるのだから回収すれば良いのでは?」とキュリーヴは言った。


 そのらしからぬ振る舞いや言葉遣いに首を傾げるも、その背に貼られている絵とそこに封じられた魔性を知る教養深き幾人かが叫び声をあげる。


「陛下! それは伝説の吊るし絵ではありませんか!? なぜそのようなものを!?」と家臣一同声を揃えて問いただした。

「待て。後にしろ」とビッツェが騒動になる前に制する。「キュリーヴ、いや、父の言う通りだ。奴らが投げて寄越した食料の回収を急げ!」


 家臣の幾人かが早速仕事に取り掛かろうと玉座の間を出ていく。

 ビッツェははたと気づく。王国の振動が止まっている。再び枝の方へ戻ると人間たちは攻撃をやめて、王国の周りを巡って観察している様子だった。仕留め損ねたビッツェの姿を探しているのだろう。


 ビッツェはさらに頭を回転させ、呟く。「冬越えにはとても足らない。何とか奴らから蓄えを奪い取らなくてはならん。しかし如何様にしたものか」

「我らがこの身に変えても取り戻して参ります1」と長の右前肢たる戦士の長が勇んで言った。「奴らを地に這いつくばらせ、奪われた物の全てを奪還せしめてみせましょうぞ!」

「おお。よくぞ言ってくれた」とビッツェはその意気に喜んで言う。


「殿下。進言申し上げとうございます」と長の左前肢たる預言者が言った。

「申せ」とビッツェは言う。

「我ら束になっても奴らの一人すら落とせますまい。幼体とて侮りなさいますな。少しでも歯を食いこませれば奴らは世界の果てまでも響き渡るという恐ろしい声を発し、成体を呼び寄せると伝えられておりますゆえ」預言者は言い淀むこともなくつらつらと具申した。


「貴様! 臆病風を!」と戦士の長が差し挟む。

「しかし、殿下同様に皆で勇気を振り絞れば食料は取り戻せましょう」預言者は確信に輝く瞳でビッツェを見つめる。「奴らの前に罷り出るだけで良うございます。さすれば奴らは再び食料を投げつけてくるはずです。それを回収するだけで良いのです。難行ではありましょうが、無謀ではございませぬ」

「ふむ。たしかに。その方が確実かもしれんな」とビッツェは呟き、ぴんと尖った耳の下で進言を検討する。

「確実とおっしゃるなら奴らの腹を引き裂いて、奪われた蓄えを取り戻す方がより確実! 殿下! 我らにお任せください!」


 ビッツェはぼうっと成り行きを見つめるキュリーヴに気づく。「おい。貴様には何か案は無いのか?」

「と仰いましても」キュリーヴは困った様子で尻尾をぱたぱたと振る。「私、お菓子しか作れませんので」


 あの菓子の蠱惑的な味、甘美な香り、魅了される食感を思い出しただけで、再びビッツェの口から涎が溢れ出た。


「その手があったか!」そう言ってビッツェは魔性の憑りついた父の手を取り、王国の螺旋の階を駆け降りてゆく。そして根の近くでキュリーヴを待たせ、出入り口から一人飛び出し、帰ろうとしている人間たちに叫び立てる。「どこへ行く! 我らは一匹たりとも欠けてはいないぞ! 栄誉を知らぬ野蛮な人間どもめ!」


 人間の一人がその勇敢な呼び声に気づいて振り返り、懐から取り出した樫の実をビッツェに向けて投げつけた。しかしビッツェはひらりとかわし、樫の実を回収すると王国へと引っ込む。が、すぐに戻ってくるとその手に持った樫菓子を木の根の上にそっと置いて、再び根の奥へと戻る。


「奴らの卑しさであれば必ずや口にするだろうが、果たして奴らに味というものが分かるかどうか。全てはそこにかかっている」とビッツェは出入り口から外を覗きながら呟く。

「それについては私が保証しましょう!」とキュリーヴが胸を張って請け合う。「我が菓子を味わって喜ばぬ者はおりませぬ。舌を持つ者の内、我が菓子に惹かれぬ者は二人とおりませぬ!」


 人間の一人が王国へと近づいてくる。樫の実を投げた者だ。菓子に興味を惹かれ、根の上に置いてある薄黄色の宝石を手に取ると躊躇うことなくひょいと口の中に放り込んだ。途端に咆哮をあげる。美味かったのだ。すぐに二人の人間も走って戻ってきて何やら言葉を交わす。そして樫菓子を食べた人間は持っていた全ての堅果(ナッツ)液果(ベリー)を木の洞に放り込んだ。いつの間にかビッツェとキュリーヴの周囲に集まっていた臣民たちが一斉に歓声を上げる。


 しかしビッツェは臣民たちを黙らせ、キュリーヴを促す。更なる魅惑の菓子が生み出されるとビッツェはそれらを人間たちに提供した。人間たちは甘みの宝石を食すと歓喜に包まれる。


 臣民たちは不平をあげる。「殿下! なぜ人間たちに返してやるのですか!?」「しかもわざわざそのような、美味しそうな物を拵えてまで!」

「黙って見ていろ。直に分かる」とビッツェが言うので臣民たちはあちこちの穴から人間たちの様子を窺う。


 三人の人間の子供は菓子を食べ終えてなお、目をぎらぎらと光らせ、新たな菓子を待っていた。しかし待てど暮らせど新たな菓子は出て来ない。しばらくして一人の人間が団栗を拾ってきて、放り込むと、すかさずキュリーヴがその半分ほどの大きさの団栗で菓子を拵え、ビッツェが人間に提供する。

 ようやく人間たちも理解する。菓子が欲しければ栗の実を、橡の実を、木苺を木の洞に放り込まなくてはならないのだ。

 こうして人間の子供たちは秋の間中、菓子を求めて懸命に働き、可愛い栗鼠(りす)の王国は余裕をもって冬を越える蓄えを手に入れた。

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