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彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜  作者: 山本航


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『仕える者』

 僅かな欠片の雲もない晴れ渡る無垢な青空が広がっている。その中天には真夏の太陽が惜しむことなくその力を分け与えるかのように照り輝き、山や木々や人々の足元に濃い影を作っている。忌まわしき古い記憶によって忌避される荒野に古い街道が伸びている。竜の爪にも耐えたというそれは、しかし時と風雨の執念深い襲撃に荒れ果てている。元は旅人が休む日陰のために植えられた樹木の根で石畳が下から持ち上げられて破壊され、ひび割れた隙間から繁茂した下草に隠され、刻一刻と大地に還りつつある。そのような道の骸ともいうべき荒れ道を駆け抜ける者が一騎。栗毛の駿馬に跨る女は日除けの羊毛外衣(マント)を勝軍の軍旗の如くたなびかせる。


「見えてきたわ。仕える者(セーヴラ)鱗雨(ルマ)の避竜宮よ」と乗り手が呟くと、馬は歩を緩め、襲歩(ギャロップ)から速足(トロット)へ。

「潮の匂いも強くなってきましたね」と馬が人の言葉で応じる。


 道とも呼べない難路の先、園丁の支配から解放された木立の向こうにルマの避竜宮が聳え立っている。古く忌まわしき時代に建てられた厳かな宮殿だ。翼ある者の目を眩ます土地の力を利用した魔術で、竜に目を付けられた貴き乙女を隠したと伝えられている。茜塚(ヴィリーハント)の山々に積もる新雪よりも白い石灰石の壁を纏い、ノルビウスの大洋よりも青い屋根瓦をかぶっている。当時の美しさは目に浮かぶが、今や樹木と蔓と草に占拠された廃墟になっており、遠目に眺める限りは峨々たる稜線を引く山麓のようだ。


 乗り手が馬を下りると馬は人の形に変身する。大きさは馬のままに巨大だが、服装は召使いのような質素な衣を纏う。


「どうですか? かなり人の形に近くなってきたと思いませんか? 奥様」

「そうね、でも大きすぎるわ」奥様と呼ばれた騎手は変身した馬を見上げる。「それと、二人きりの時は雫の響き(スペーリエ)と呼んでと言っているでしょ」とスペーリエがセーヴラに注意する。


 スペーリエは避竜宮を見上げながら息をつく。傾いた柱、柱身にはひび、鳥の糞に塗れた軒、使い捨てられた巣だらけの装飾帯。もはやかつての隠匿の力は失われ、世の涯を見通す竜の眼にも映ることだろう。


 セーヴラはスペーリエの外衣(マント)を脱がし、玉の汗を清潔な布で拭きとる。スペーリエは齢五十を迎えた女だ。胸元に使い込まれた革の胸当てを、腰に飾りではない剣を帯びている。衣服は動きやすい素朴なものだが、高級な生地と丁寧な仕事が位の高さをうかがわせる。


「お疲れですか、少し休みましょう」とセーヴラが労わる。「セーヴラが今すぐに一瞬の内にお茶の用意をします」

「いらない」とスペーリエは断る。「これくらいなんでもない」と強がる。


「無理をなさらないでください。若い頃とは違うんです」

「貴女だって息を切らしているじゃない」

速い(ロウェス)号が疲れてるんです。セーヴラはまだまだ働けます」

「それはそれで酷い話ね。わたくしの愛馬よ。少しは労わってあげて」

「スペーリエ様こそご自愛ください。昔から限界まで無理をして酷い目にあうのですから」


 心配そうに顔を覗き込むセーヴラを手で払いつつセーヴラは拒む。


「幼馴染の貴女はわたくしのことを何でも分かっているわね。でもわたくしほどには分かっていない。わたくしはこれ以上衰えるつもりはないの。だからこうして冒険に挑もうというのよ。きっと偉業を成し遂げて、わたくしは更なる成長を遂げる。生まれてから老いて死ぬまで英雄であり続けた鷹の雛鳥(マルカティシア)のように。さあ、行くわよ」


「娘さんもお弟子さんもご心配なさってましたよ!」とセーヴラは引き留めるが、スペーリエは止まらない。

「あの子たちに心配されるだなんて。母として師として焼きが回ったというものよ。きっと見返すわ。魔導書を持ち帰って、ね」


 セーヴラはたまらずスペーリエを追って、ルマの避竜宮へと同行する。




「屈従時代の建築にしては大きな建物ですね。スペーリエ様」

「そう? うちよりは小さいわ」


 あちこちがたが来ている避竜宮の廃墟は隙間だらけで侵入は容易かった。それ故、いつ崩れてもおかしくない古びた遺跡をスペーリエとセーヴラは用心しながら探索する。


「どこを目指しているんです?」と馬娘が尋ねる。「食堂でもあると良いんですけど。そしたらわたしお昼を作りますよ」

「図書室よ。食堂に用はない。伝説によると大きな図書室があるらしいわね」


 スペーリエは古びた羊皮紙を指さす。それはこの宮殿の建築図面のようだった。


「図書室は飲食厳禁ですものね。そこに魔導書があるんですか?」

「そうよ。魔導書だもの。本なんだから図書室にあるでしょ。もしも服だったなら箪笥の中を探すけど、魔導書が服なわけないものね」


「それはそうかもしれませんが。古い伝説ですからね。どこまで信じて良いものか。小腹は空いていないんですか?」

「空いてないってば」スペーリエはセーヴラを睨みつける。「まだね」


 羊皮紙とにらめっこしながらスペーリエはずんずんと突き進む。穹窿の連なる広々とした回廊を巡り、天井や壁の崩落のために迂回し、壁龕に据えられた魔除けの竜像を観察し、目的ではない部屋へ入り、樹木にこじ開けられた壁を抜ける。


「おそらくこの壁の向こうね。入り口は向こう、中庭に面している、のかしら。この角を……」


 スペーリエは出した首を引っ込めて、セーヴラを制止する。二人で慎重に角から覗き込む。

 中庭も樹木が自由を謳歌して古の時代よりも大いに繁栄しているが、日向ぼっこできる程度には日が差していて、草いきれと獣臭の暑苦しい空気が澱んでいる。天水桶か屋根裏にでも溜まっていたのだろう雨水がぼたぼたと零れている。


 そして図書室の巨大な扉の前でスペーリエの警戒する鎧を着こんだ怪物が寝息を立てて日向ぼっこしている。見たところ馬の優に三倍はあろうかという巨大な犬だ。長い鼻面に垂れた耳、狼狩りの猟犬のように足が長く、毛の手入れはされていないはずだが刈り込まれたかのように短く、筋肉隆々の体つきがよく分かる。言い伝えられてはいないが番犬だろうと当たりをつける。古い時代の青錆の浮いた鎧を着こんでおり、顎に連動して開閉する兜には牙より鋭い刃が並んでおり、手甲にも爪の代わりの鋭い刃が次の獲物を待ち侘びて鈍く光っている。寝息の合間にねっとりとした油のような涎を垂らしている。獣の臭いの源だ。


 スペーリエは息を潜めて、静かに剣を抜き放つ。


「ちょ、ちょ、ちょ、待ってください」と引き留めるセーヴラ。

「何? 臆したの? そんな図体して」と嘲るスペーリエ。

「セーヴラよりずっと大きいですし、何よりセーヴラは犬が苦手なんです」

「犬が苦手とか、そういう問題なの?」スペーリエは図面を覗き込み、首を横に振る。「入り口はあそこしかないわ。怪物退治、するしかないね」


「待ってください、スペーリエ様。よくよく見ると扉自体も封印されていますよ」


 セーヴラの言う通り、呪文の刻み込まれた青銅の板が打ち付けられている。そう簡単には解放できそうにない。


「つまり怪物を退治してゆっくりじっくりと解放するしか……静かに」


 怪物番犬が何かに気づいた様子で起き上がる。兜に空いた穴から鼻をひくひくさせ、耳をぴくぴくさせている。スペーリエとセーヴラも耳を澄ますと何やら人の気配がある。怪物の存在などに気づいていない暢気な声と不用心な足音だ。誰か先客がいたのかもしれない。

 怪物番犬は鎧を擦り合わせる騒々しい音を立てながら中庭の向こうに走り去った。


「助かったわね。行きましょ、セーヴラ」


 セーヴラを置いてスペーリエは番犬が陣取っていた扉の前にやってくるが、まるで知識にない封印の魔術だった。スペーリエには人並み以上の魔術の心得がある。しかし封印はかなり古いもので、簡単には解けそうにない。セーヴラに助けてもらおうと思い振り返るがまだ陰に隠れて、怪物犬の去った方を恐々と見つめている。幼馴染がそれほどの犬嫌いだったとは知らなかった。


 そしてスペーリエは呪いの如く好き放題に伸びた大樹の枝の一つが、図書室二階の窓を突き破っていることに気づく。




 図書室は天井まで届く書棚が並び、古びた書物に溢れている。解れた冊子、広がった巻物。薄汚れた草漉紙(パピルス)、色褪せた羊皮紙。古い字形で記されたものばかりで一朝一夕には解読できない。


 スペーリエは咳き込み、口を手で覆う。黴臭い臭いに鼻を、埃に喉をやられる。埃は長年降り積もって絨毯みたいな厚さになっている。二人の侵入者のせいで舞い上がり、差し込む光の中で祝福のように煌めいていた。


「やっぱり冒険は物語で聞くに限ります」と文句を言うセーヴラを気に掛けずスペーリエは図書室を探る。「魔導書探求の物語なんてありふれていますもの。わざわざご自分でやらなくたって」

「わたくしの目的を履き違えていない? わたくしは老いのもたらす衰えに抗い、自らの肉体と魂を更なる高みに押し上げるためにここへやってきたのです。物語を聞いたって意味無いわ」

「そうですけど……。あの犬! 見ましたか? 濁った目玉。汚れた毛。古の魔術師の代物でしょうか。ずっと生きていたのでしょうか。……ああ、酷い埃。どうせ宮殿に残しておくなら召使いをおけばいいのに……」


 セーヴラの文句を聞き流してスペーリエは適当に取った書物をざっと眺めるが、まるで読めない。知っている文字と知らない文字と知るべきでない文字が並んでいる。


「全部魔導書だったりして」とスペーリエが冗談を言う。

「恐ろしいことを言わないでください」

「王家にだって勝てちゃうかも」

「恐ろしいことを言わないでください!」


 二階を見て回り、一階へと降りてくる。一巻の巻物が目に付く。目に付かないはずがない。閲覧用の机が並んでおり、その机の一つに置かれたその巻物は光り輝いていた。


「きっとあれに違いないわ」

「どう見ても罠ですよ! スペーリエ!」


 喜び飛び上がってスペーリエが巻物を取り上げると、ほぼ同時に怪物番犬が扉を破って飛び込んで来る。セーヴラはどちらが怪物か分からない悲鳴をあげて逃げ惑うが、スペーリエは分かっていたかのように素早く剣を抜く。


「落ち着きなさい、セーヴラ。縦穴(アヴォル)窟の長虫退治に比べれば何ほどでもないわ」

「せ、セーヴラは何をすれば」

「小腹が空いたわ。お茶でも淹れて頂戴」

「すぐに!」


 スペーリエは椅子から机へと蹴立てて跳躍し、鎧の番犬より先に飛び掛かる。眼球を狙った正確無比な突きだがかわされ、兜に弾かれる。返す手甲刃を退いてかわし、兜刃を剣でいなす。


「お茶とお菓子です」

「早いわね」


 犬の刃は錆びているせいかスペーリエの剣に易々と砕かれる。しかし犬の怪物は少しも怯えることなくスペーリエに飛び掛かり、絶え間なく牙と爪の猛襲を浴びせる。


「袖の解れも直しておきました」

「助かるわ」


 舞い散る書物、渦巻く埃、飛び散る涎に迸る火花。

 二度、三度と剣を浴びせるが犬は左右に素早く跳び、慣れた様子で鎧をそらし、巧みに刃を弾く。スペーリエは書棚を盾にし、足場にし、番犬の猛攻をかわしつつ、鎧の隙間に剣を差し込もうと狙いすます。


 その時、飛んできた書物に驚いたセーヴラの悲鳴で気を反らし、隙を突かれて横ざまに吹き飛んだ。セーヴラが受け止め、スペーリエが額の傷に気づく前に止血を施す。


「痛みますか?」

「大丈夫よ。ありがとう」スペーリエは幼馴染の召使いに感謝しつつ、目の前の敵に悪態をつく。「こんな犬っころ如きに」


 立て直そうと立ち上がろうとしたその時、大量の矢が番犬に射かけられる。ほとんどの矢は鎧兜に阻まれたが、幾つかが隙間を縫って刺さり、番犬は鋭く短く悲鳴を上げた。番犬が破って飛び込んできた扉のそばで数人の射手が弓弦を更に引き絞っている。が、番犬も痛みなどもう忘れたかのようにすぐさま立ち直って新たな敵に飛び掛かる。


 射手に代わって今度は剣を握った戦士たちが野太い鯨波の声と共に図書室へとなだれ込んで来た。

 その内の一人の女がスペーリエとセーヴラの方へ駆け寄ってくる。似た意匠だが、より洗練されたより頑丈な鎧を身に纏っている。


「御師様! 良かったです。ご無事ですね」

林泉(デザリー)。貴方、何しに来たの?」

「手伝いに来ました。どうして一番弟子の私を連れてくれなかったのですか?」とスペーリエの一番弟子が不平を漏らした。


「これはわたくしの問題だもの」

「そのようです」デザリーは素直に頷く。「であれば師匠としてかかる問題にどう取り組んでいるのか弟子に教授して欲しいものです」


「わたくしとて全てを知っているわけではないわ。だからこそ衰えを凌ぐためにありとあらゆることを試すつもりなのよ」

「なるほどです。御師様はご自身が衰えているとお考えでしたね。しかし私はそうは思いません」弟子はきっぱりと否定した。「貴女は戦士たちの教導者として日々力をつけておいでです。我らこそが御師様の力です!」弟子は剣を掲げ、番犬に指し示す。「そうですね!? 貴方たち!」


 デザリーの問いかけにスペーリエの一門は雄叫びで応えた。


「生意気ね。貴女たちなんてまだまだよ」


 スペーリエも立ち上がり、剣を構える。


 無数の剣に囲まれ、それでも番犬は目玉を血走らせ。常人であれば腰を抜かしそうな唸り声を漏らして戦士たちを睥睨している。


 続く戦いは怪物の頑強さを示した。鎧をほとんど打ち砕かれ、長い毛を血に染めて、もはや虫の息の番犬だが、それでもまだ闘志を失っていない。外敵を食い千切るべく剥き出した牙に犠牲者の血肉と鋼が挟まっている。一方でスペーリエとその弟子たちの疲労は極限に達していた。

 既に番犬は理解していた。この場で最も強力な存在、スペーリエに勝たなくては勝ち目はない。そしてその女こそが守るべき物を握っていることをも。


 番犬が自身の牙を剥いてスペーリエに飛び掛かる。スペーリエは柄と刃の腹で剣を支え、怪物を押し留める。


「やれ!」


 スペーリエの弟子たちは息を合わせて飛び掛かり、四方八方から一斉に番犬の怪物を刺し貫いた。

 番犬はとうとう巨体を支える力を失って倒れ、スペーリエと戦士たちは勝利を手にした。


「スペーリエ様!」馬の娘セーヴラが嘶きながらスペーリエに抱き着く。

「二人きりの時以外は奥様と呼んでと言っているでしょ」とスペーリエがセーヴラに注意する。

「ごめんなさいぃ」


 セーヴラの涙と鼻水から逃げてスペーリエは弟子たちの奮闘を労う。


「それで御師様。ここには一体何をしに来たのです?」とデザリーが尋ねる。

「これよ。魔導書よ」


 スペーリエは握りしめていた光り輝く巻物を見せつける。それは戦いの最中どこかに引っかけたのか破れてしまっている。


「御師様。僭越ながら申し上げますと……」デザリーは唇がひっついたかのように言いにくそうに口を開く。「噂によると魔導書は決して破壊されることがないそうです」


 スペーリエは破れてなお光り輝く巻物を無言で捨てた。そして代わりに古い羊皮紙を拾い上げる。古い地図だ。


「魔導書の在処を示しているに違いないわ! 行くわよ! セーヴラ!」

「待ってくださいぃ」


 少しも意気の衰えないスペーリエは涙と洟に濡れたセーヴラを伴い、デザリーと弟子たちを振り切って新たな旅に出る。

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