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彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜  作者: 山本航


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『侍る者』

 今や地下道としては使われることがなくなった薄暗い貧民窟(スラム)の中でも特に人の通らない黴臭い一角で、一人の女が壁にもたれて、左耳を丁寧に触りながら左足を丹念に眺めて、ぶつぶつと呟いている。


「お召し物もそうですが、お履き物も仕立てなくてはなりませんね。姫様の硝子細工の如きおみ足に相応しい可憐な靴を。気が早いかもしれませんが。いずれは必要になるものですし」


 女は異様な風体だ。召使いのような、清潔だが質素な麻布の装束はまともだが、露になっている手足は無数の百足が這っているような切り傷の縫合跡に覆われている。ただ左耳と左足の膝から下だけが無傷だ。路傍の花のように微かな品のある笑みを口元に浮かべてはいるが、眼差しは真冬の薄氷の如く凍て付いている。腰には飾り気のない鞘に納まった片刃の湾刀を下げ、両手を武骨な手甲で覆っていた。


 そこへ一人の男が近づいてくる。こちらは見る限りでは堅気の男だ。とはいえそれ故に貧民窟(スラム)には相応しくない出で立ちだ。


「待たせた。今回はお前にとっては良い仕事だ、侍る者(ヨバラ)」と男はぶっきらぼうに伝える。

「良い仕事?」ヨバラは目を細めて、探るように、詐欺師を相手取るように男を見つめる。「あなた方の荒事を肩代わりするのは姫様の情報と交換するためです。良い情報ならば歓迎ですが、仕事の内容などどうでもいいことです」


 男は人生全ての不幸を吐き出すような重々しいため息をつく。


「まあ、聞け。今回の標的は特に大物だ。バイナ海の海賊対策として新たに設立を認められた海軍は知っているな? その提督水陰(ウェドーズ)だ。下級貴族の出だが類まれな魔術師でもあり、今の地位まで上り詰めた男だ。表向きはな。裏では海賊とつるみ、トーキ大陸向けの密輸入、人身売買を繰り返している」


 ヨバラははっと息を呑み、殺意の籠った声色で呟く。「まさかそこに姫様が?」

「そういうことだ。ついでに奴を殺してくれればいい」




 古王国の偉大さを今に知らしめる、山麓と見紛う巨大な遺跡群に寄生するようにその沿岸城塞都市半島(アデロ)は繁栄していた。強大な外敵を失った堅牢な砦は無様に増改築されて面影を失い、かつては禁域とされた聖なる空間も地衣類の如く家々に覆われ、古い祈りは海の彼方に押し流されて、今では客を呼び込む威勢の良い声がこだましている。英雄たちの剣が競うように響いたかつての練兵場には裏社会の凶漢が跋扈し、周囲に広がっていた大半の建築物は解体されて建材として再利用されている。


 そして今も昔も変わらず、権力者は権勢を誇るように高所に君臨している。バイナ海を臨む古砦から突き出した広場の如き露台(テラス)にウェドーズ提督の居城があった。


 今、ヨバラは物見櫓を兼ねた灯台に立ち、狩りの前の《死》の如くウェドーズの居城を見下ろしていた。冴え冴えしい月光を鈍く照り返す銅板葺きの屋根を睨みつけると数歩下がり、全力で駆け出し、飛び立つ。空中でその傷だらけの肉体が蠢き、姿は禍々しく変容し、両腕は(かもめ)のような大刀の如き翼に、下半身は蛸の艶めかしい八本足に変身し、頭は凶兆を運ぶ流星の如き青白い炎で燃え上がる。八つの脚がすらりと剣を抜き放つと得物を狙うように切っ先を真下に向け、星々を隠す翼は羽ばたくのをやめ、落下する。


 天から降った怪物と剣は破城槍の如く屋根を一撃で貫き、ヨバラと共に砦の内へと崩壊した。たちまちにあちこちで怒鳴るような叫び声が上がる。


 屋根瓦と砕かれた梁が降り注ぎ、天井が剥がれ落ちる。混沌とした騒々しい音が止み、湧き立つ塵芥の中に人影を認めるとその場にいた兵士たちは息を潜め、一斉に剣を抜く。混乱と様子見。


 立ち込める塵埃と静寂を切り裂くように人間の姿をしたヨバラが片刃を振るって現れると、誰何の問いかけにも答えず、無数の兵士たちに斬り込んだ。


 ヨバラの振るう剣は素早く力強く流麗にして苛烈、剣も鎧も切り裂き、一息を挟むことなく海の戦士たちを血の海に沈める。悲鳴と咆哮がこだまするも、声は次々に途絶えていく。いくらかの兵士たちも後れを取るまいと剣を振り上げるが、振り下ろされることはなかった。ついには一太刀を浴びることもなく、しかし血の池に飛び込んだかのように赤に塗れ、剣を握っていたのはヨバラだけだった。


 ただし、その場で息をしている者はまだ二人いた。一人はウェドーズ。魚のような顔の細身の男で銀の長衣(ローブ)を纏っている。依頼者の標的であり、ヨバラの怨敵だ。もう一人はヨバラの倍はあろうかという背丈の巨大な女だ。禿頭に灰色の肌で魔術めいた紋様の刺青を施している。剣も鎧も身に着けず、召使いのような質素な装束ではあるが、ウェドーズを庇うように前に出てきた。不敵な笑みを浮かべて、まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。


「貴様どこの差し金だ!」とウェドーズが怒鳴る。


 ヨバラは微笑みを浮かべて剣を鞘に納める。


「有能な侍女をお求めではありませんか? 掃除が得意です」と答えて死屍累々を指し示す。


 灰色の女が測るような眼でヨバラを見据えながら近づいてくる。そしてとうとう互いに触れあえる距離まで近づくがヨバラは一歩も引かずに待ち受けた。


「わたくしは無垢なる者の保護者(エルゲディ)。……侍女ですが、確かに募集しています、でも……。ああ、申し訳ございません」巨大な召使いの女が嘲るように笑みを浮かべる。「ご主人様は器量好みなもので醜婦(ぶす)はご採用になられませんわ」

 ヨバラは笑みを崩さずに答える。「落ち込まないでください。貴女を採用なさる方もおられるでしょう」

「てめえのことを言ってるんですわ」と返す灰色の巨女エルゲディの唇の端がひきつる。

「どの面下げて仰っているのですか?」

「この美貌(つら)だよ!」


 エルゲディの刺青が仄かに光ったかと思うと、灰色の額が真っすぐに振り下ろされ、見上げていたヨバラの額を打ち据える。まるで金鎚で金床を打ち据えたような激しい音が稲光のように響く。

 それでもヨバラは微動だにせず、真っすぐにエルゲディを見上げたまま変わらず微笑みを浮かべていた。


「どうして立っていられる!?」


 ヨバラは答える代わりに飛び掛かり、片刃の剣で灰色の首を切り裂かんと振るうが、やはり金属を打ち据えたように弾かれる。


 エルゲディが再び刺青に光を灯し、槍の穂先のように指を束ねた手を突き出すとヨバラは剣で弾いて受け流す。劈くような摩擦音が走り、連なり、途切れることなく重なる。一進一退の攻防の外でウェドーズが何やら叫んでいるが、趨勢には影響しない。


 二本の腕と足のどれもが金属の塊のような重さでヨバラを打ち据え、片刃使いの侵入者は防戦一方となる。火花が弾け散り、再び塵芥が舞い散る中でエルゲディが煽る。


「剣も人並みにお上手ですわね」


 しかしヨバラは耳を貸さず、突き出された手刀を弾く。が、エルゲディは掌を開き、剣を掴んだ。


「わたくしの手は剣ではなくってよ」


 エルゲディが剣を奪おうと振り上げるが、ヨバラは手を放さず、体ごと持ち上げられる。


「強情な女ですわね」エルゲディの刺青が光る喉にヨバラは足蹴を見舞うが、まともに喰らったその灰色の巨女のお喋りは止まらない。「まあ、ご安心なさい。この程度の被害であればご主人様はご温情をくださいますわ。何らかの形で生きていけるでしょう」


「いや、殺せ」と背後からウェドーズが命じる。「ただの人間じゃないぞ、その女は。ならば死体からでも分かることがあるはずだ」

「だそうですわ」エルゲディのもう一つの腕がヨバラの心臓を貫き、鮮血が迸る。ヨバラの全身から力が抜けたように腕も足も垂れ下がる、が剣は頑なに握りしめたままだった。「まあ、死んでなお。本当に強情ですこと。さあ、放しなさいな」


 剣を奪い取ろうとエルゲディが刃を持ち換えようとしたその時、ヨバラは剣を振り上げてエルゲディの口に真っすぐ差し込んだ。エルゲディは悲鳴をあげることもできずに、血を噴き出しながら倒れる。


「体の内側にも刺青を彫るべきでしたね」ヨバラはウェドーズと向き直る。「さて、あなたを殺しますが、その前に一つ聞きたいことがあります。わたくしの姫様について――」


 ウェドーズはいつの間にかどこからか現れた女の頬に短剣を押し当てている。短剣は赤熱し、禍々しい悪霊のように渦巻く白い煙を吐いている。


「顔色が変わったな」ウェドーズは下卑た笑みを浮かべている。「まずその剣を捨てろ。この女を殺されたくなかったらな」


「絵に描いたような悪党ですね」ヨバラは素直に剣を投げ捨て、ウェドーズを睨みつける。「本当に商品を傷つけるんですか?」

「命には代えられねえのよ」


「その方は貴方の命より価値がありますよ」

「黙れ!」ウェドーズの唾が散る。「許可なく喋るな。まずお前の強さの秘密を話せ。どんな魔術を使ってる?」

 ヨバラは小さく首を振って否定する。「強さに秘密などありません。私が唯一得意とするのは貴人に伺候することです。戦いは単純な努力の賜物ですよ」

「嘘をつくんじゃねえ。心臓貫かれておいて魔法を使ってないわけがあるか」ウェドーズはヨバラを観察しつつも恐怖からか近づけずにいる。しかし何かを見つけて目を見開く。「それは何だ? 胸の風穴の脇に何かあるな。良く見せろ」


 ヨバラは血に濡れた麻布の服の穴を広げる。そこには鴎の描かれた三日月形の札が貼りつけられていた。


「刺青? じゃないな。それを剥がせ。早くしろ」

 ヨバラは一息に札を剥がし、天井の穴から差し込む月明りに照らすようにして見せる。「もういいですか?」

「いいわけないだろ。戻すな。それを床に置いて離れろ」

「……床に置けば良いんですね」

「そう言ってるだろ」


 ヨバラは楚々とした佇まいで屈み、札を床に置く。そして途端に力を失ったようにその場に倒れた。


「……操り人形だったか?」ウェドーズはなお疑う様子で嫋やかに(くずお)れるヨバラを睨みつけ、赤熱した短剣を投擲する。ヨバラの縫合跡だらけの体は燃え上がり、煙を吐き出し、燻り、黒ずんでいく。「見たことのない魔術だ。札は力の源か、支配の媒介か」


 ウェドーズは人質の女を盾にして黒焦げのヨバラをなお警戒しながらゆっくりと近づき、札に手を伸ばす。が、突如石の床が変形し、石の拳をウェドーズに見舞い、臆病な悪党は鼻血を噴いて吹き飛んだ。人質の女は悲鳴を上げて転がるように離れる。


「邪魔ですのでお逃げください」と石の体のヨバラが淡々と伝えると人質の女は這うように逃げていく。ヨバラは労わるように再び、やって来た時の、しかし黒焦げになった体に札を張り直して宿る。「操り人形という発想までは良かったのに、気づかないものですかね……」


 何かに気づいた様子でヨバラは目を見開き、血の溢れる鼻を抑えるウェドーズに近づくとその右耳にぶら下がる耳飾りを引き千切る。痛みに呻く男をよそにヨバラは炭化した手の中の耳飾りを見つめる。それは紺碧の瞳の眼球だった。


「これで全部ですか?」ウェドーズは呻き声で答える。「まあ、いいです。自分で探すことにします。一瞬でも長くあなたが生き永らえるのは耐え難い」


 ヨバラが剣を振り上げると、振り下ろされる一瞬早くウェドーズの呪文を帯びた二本目の短剣が腹に突き刺さり、暗殺者の全身を燃え上がらせた。


「死ね死ね死ね」とウェドーズは最期に言い残した。


 炎に構わずウェドーズを切り殺したヨバラはその場を後にする。




 麗らかな日差しの中、世に罪も悪もないかのように緑に輝く野原で全身黒焦げたヨバラは木陰に座っていた。ただ紺碧の瞳と左耳、右肘から先と左膝から先は生き生きとして、陽光に金色の産毛を輝かせている。


「最高にお美しいですわ、姫様」ヨバラは血の通った新鮮な右手の五つの爪に小さな筆で色を塗り終え、陽光にかざす。「わたくしに与えられた体は無様な有様ですが、これからもっと強くなって、どれだけかかってもきっと取り戻して差し上げます。時間だけは沢山ありますから。私にも、姫様にも」

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