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彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜  作者: 山本航


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『縫う者』

「嗚呼、悲しい。何故人は人と争うのか。私は争いが悲しい。人が悲しい」簡素な毛織物を纏う女が揺るぎない真実を語るようにか細い喉に絞られた高い声で呟く。「敵との戦いが終わらないばかりか、友との争いが始まってしまった。神は何を望んでおられるのか。私に何を求めておいでなのか。兆しを賜ったあの日から、我が信仰は陰りを知らない。しかし故に、故に迷うのだ。神を愛する魂は確かなれど、我が判断は常に不確かだ」


 女は両膝を抱えて座り、身を守るように丸まり、半ば微睡んだ眼を火に輝かせている。地面には金色の獣の毛皮の敷物が敷かれており、二枚三枚と色とりどりの毛氈を繋ぎ合わせた薄手の座布団(クッション)が折り重なっている。


 地上に夢を送り込む月も古き説話を語る星も厚い雲の緞帳の向こうに隠れた深い夜。溜息のように湿った風が南からやって来て、女の髪を弄ぶと北の地峡へと去って行く。女の目の前にはのたうつ蛇のように燃え盛る焚火があり、女の呟きに答えるようにぱちぱちと爆ぜた。焚火を挟んで向かいには積み重なった種々の毛皮が、まるで生きた人が纏っているかのように蠢いて、黄蘗色の毛織物を縫い合わせている。


「聞いているか? 縫う者(キュクラヴォン)よ」

「ええ、聞いておりますとも。太陽の如く輝く輝く落とし子(ケラヴネ)様の信仰には一点の曇りもないが、根の下(ネーゲム)の一族の旅路に迷っている、と」

「争いはまだ終わらぬか?」


 キュクラヴォンは伸びでもするように毛皮をもぞもぞとさせて、他所を見つめ、何事かを確認すると直ぐに仕事に戻る。


「ええ、まだ言い争っていますね。貴女を信じる者、貴女を疑う者。あるいは神を……。己が揺らぐならば、土台を疑うことです。聳え立つ大樹の如き信仰の根を顧みることです」

「根? 私という人間の、来歴ということか?」

「そう、たとえば、初めて兆しを賜った時はどうでしたか? 僕は一度として神を感じたことがありません。興味深いですね」


 まじないでもかけるように話しながら、様々な獣の毛皮の塊のキュクラヴォンはその毛皮の一部を人の手にも劣らぬ器用さで動かし続け、鋭い針と研ぎ澄まされた鋏を巧みに使い、脇に積まれた毛織物を縫い上げてゆく。

 ケラヴネは獲物を丸のみにする蛇の口の如く両の眼をかっと開き、僅かに身を乗り出す。


「最初の神託は、燃え尽きた古き大樹の洞の内にあった。火と煙に怯える私の前に炭と灰で示され、幼き私とネーゲムの一族に降りかかる受難を予言していたのだ。大雨と洪水によって多くの民が流され、しかし後には大地に力が蘇り、豊穣の時代がやって来る、と。初めは疑う者もあったが、多くの犠牲を生んだ後は我が言葉を拒む者はいなくなった。それより以後、私は巫女として生きることとなった。故に私が、天に轟く我らが神を疑う日は永遠に訪れず、我が愛は無限に溢れる。なれど一族皆がそうではない。一体何が気に食わぬのだ。嗚呼、悲しい、悲しい。人の心が悲しい。疑惑と憎悪が悲しい」


 キュクラヴォンは一着を縫い上げると次へと取り掛かる。積み重なった毛織物の反対側にはそうした装束が積み重なっていた。

 二人の焚火から離れた所に築かれたネーゲムの一族の野営では煙を上らせる多くの焚火と多くの人々が思い思いに過ごしている。毛皮の簡素な天幕には幼子たちが故郷の夢を見、大人たちは魂を沸かせる熱い酒に酔い、戦士と怒りの詩を謳う。炙られる兎の肉、滴る汁、香り立つ油の気が人々の鼻孔をくすぐり、ケラヴネとキュクラヴォンの所まで漂ってくるが二人はまるで意に介さない。


「神への愛をどのように成してきたのです? つまり行動として」


 ぶつぶつと呟くケラヴネにキュクラヴォンが問いかけた。


「望むままだ。望むままに身を捧げた。神はお喜びになり、時にお怒りになり、気まぐれに(さいわい)を授けてくださった。獣を遣わされ、実りを受け取った。皆が喜んだ。信仰こそが、弛まぬ、途絶えぬ信仰こそが神の喜びだ。そうだ。信仰を途絶えさせることほど悲しいことはない」


 時折、野営の方から男の怒鳴り声が聞こえ、老人の言い争いが聞こえる。赤子の鳴き声が聞こえ、女の金切り声が聞こえる。その度にケラヴネは両の耳を覆う。


「ならば何を迷うことがあるのでしょうね?」キュクラヴォンは迷いなく手仕事を続けて尋ねる。「僕には既に、巫女ケラヴネ、貴女の中では答えが決まっているように見える。迷っているというよりも、躊躇っていると言った方が正しいのではないですか?」




 ケラヴネとキュクラヴォンが語り合っている間、少し離れた場所にあるネーゲムの一族の野営は概ね楽し気に飲み食いをしているが、中には唾を飛ばして喧喧囂囂と言い争っている者たちもいる。そして長らく燃えて炭ばかりの焚火の明かりを頼りにお喋りを伴いつつ仕事をしている者たちもいた。


「一体この旅はいつまで続くのです?」


 兎の長毛を撚りながら女は呟く。若くも熟練の手先が梳かれた毛を糸にしていく。

 他にも数人の女たちが意味も知らないままに代わる代わる呪文と糸を伸ばし続けている。


「女神様を取り戻すまでさ」と別の女が答える。

「まだまだ南へ行くのかい?」また別の女が尋ねる。「どんどん温かくなってきてさ。あたしは不安だよ」

「温かくて何の問題があるの? 良いことよ」

「行き着く先は火のように暑い土地かもしれないじゃないか」

「まさか」

「火の番がいらなくて助かるね」


 女たちは大いに笑うが、呪文も糸も途切れない。


「そもそもここからは西へ向かうらしいよ」

「目指すは竜の棲む土地だって話さ」

「炭焼きの婆様がよく海の竜の話をしてたよねえ」

「婆様の婆様だよ」


「ともかくここは駄目だ。氷と雪ばかりの故郷より貧しい土地があるなんて思いもしなかった」

「どこもじめじめ湿っていて嫌な所ですね。獣も取れないらしいです」

「そうは言ってももはや北には戻れない」

「ここから東の土地は豊かだって聞いたよ。前に会った旅人の魔法使いが言ってたんだ」

「信じられるもんかね。ここみたいにずっと沼が広がっていてもおかしくないよ」


「それは西だってそうじゃない?」

「竜もいるし」


 女の輪に一人の若い男が入ってきた。


「竜などもういない。そんな所に人が住むものか」と男は少し強張った表情で威厳を見せるように窘める。


 若者は戦士らしく逞しく、凛々しい白皙の美男子で、布と膠の鎧を身に着け、妖しい輝きを帯びた剣を佩いている。


「奴らの住む土地は竜の地だって言ってたのは戦士連中じゃなかったっけ?」中でも年長の女が問いただす。「強大な竜が支配する魔の土地だってさ」

「昔の話だ」と白皙の若者はむきになって答える。「昔は竜が支配していた、という話だ」


「とても恐ろしい人食いの竜が、ね。竜はどこに行っちゃったの?」

「あたし旦那に聞いたよ。まさに女神様を奪っていった連中が竜を皆殺しにして、それでも血に飢えた連中があたしらの故郷までやって来たんだって」

「何にせよ、竜はいないということだ」と若者はそれ見たことかと女たちを睥睨して言う。

「じゃあ恐ろしい竜を殺した恐ろしい連中から女神様を取り戻そうというのですか?」


 女の一人に指摘され、喉元に剣を差し出されたかのように若者は怯む。


「だから反対する人が増えて、ああして西か東か言い争ってるんでしょ?」


 指し示された先で人々が口々に怒鳴っている。老いた神官、血気盛んな若者、呪術に通じる女、鋭い眼の狩人に沢山の旅慣れぬ者たち。掴みかかる一歩手前で争っている。


「突然考えを変えてネーゲムの一族を迷わせようとしている」と若者が目を細めて呟く。

「突然じゃあないよ」糸から手を放さずに女の一人が跳ね返るように反論する。「地峡を越えてから後、ずっと飲まず食わずじゃないか」

「女神を奪還する前に死んじまうよ」

「あんたたちもすっかり(やつ)れちゃって。そんなんで勝てるのかい?」

「女神を見捨てるのか? 信仰を捨てるのか? その方がずっと恐ろしいことになるだろう!」


 若者は凄んでみるが数に勝る女たちは少しも怯まない。


「もともと気まぐれなものよ。またいつかふらっと戻って来るんじゃないの?」

「離れていたって信仰できるよね」

「大体もう東の地へ行きたいって人の方が多いんじゃない?」

「巫女と戦士たちだけですよね。奪還を望んでいるのは」


 若者が堪えきれぬ様子で剣の柄に手をかけると女たちは顔を引きつらせ、小さな悲鳴をあげて仰け反り、糸を繰る手を止める。それを見て若者は恥じ入る様子で剣から手を放す。


「女神のためだ。我らの信仰を示すためだ。姉上のように身を捧げなくてはならない」


 そう言い残すと白皙の美丈夫は出来上がった青白い糸を抱え上げる。

 その時、さっきまで大人しかった夜の雲が地虫の腹のようににわかに蠢き始めた。頭上で二つ三つと稲光が走り、真下にあって轟きの届くよりも速く、夜を切り裂く雷がネーゲムの一族の野営地に下った。




「そういえば、神に身を捧げたと仰っていましたね。具体的にはどういうことです?」


 天幕で一人瞑想する巫女ケラヴネのそばでキュクラヴォンは尋ねた。

 ケラヴネは黙って裾をまくる。露になった白い細腕は樹上模様の火脹れに覆われていた。


「なるほど。それが貴女の捧げた身であり、貴女に授けられた(さいわい)ですか」

「この火脹れではなく、この模様に力が宿っている。つまり私にではなく、我が一族に授けられた(さいわい)だ」


「それを身内に振るう躊躇いは失せましたか?」

「いや、躊躇いはある。だが、迷いはない。抵抗せず、従うならば力を振るう必要もない。皆一丸となって困難に立ち向かわねばならないのだから」


 ケラヴネは立ち上がり、天幕を出る。真っ暗闇には松明の一つもない。

三つの夜が過ぎ、今宵は満月が輝いている。風は追い立てるように吹き付け、背後の夜の森が噂話を語り合うようにざわめいていた。


 そこに人々が待ち受けていた。キュクラヴォンの縫った毛織物を纏っている。月の光を受けて黄金に輝き、青白い樹状模様の刺繍は語り掛けてくるように煌めいている。手に手に握る得物はそれぞれにばらばらだ。短剣を握る者もいれば、槌を肩にかける者もいる。しかし一様に青白い電光を放っていた。


「これは何事ですか!? 姉上!」


 そう問いただしたのは白皙の若者だった。混乱した様子で、しかし若い戦士らしく剣の柄に手をかけている。


「我らは西へ向かうべきではない。東の地へ向かい、一族を再興すべきだ、と考えるに至った」とケラヴネは答える。「賛同せざる者は追放し、拒む者は打ち滅ぼす」


 その場に集まっていないのは、神の力の宿った装束を身に纏っていないのは神官たちと戦士たちだった。


「女神を裏切るのですか!?」

「私が? あり得ない。私は信仰を絶やすなと仰せつかっているのだ。民無くして信仰があろうものか」


 ケラヴネの露になった火脹れが青白く輝き、激しい電光を放つ。

 巫女の弟は躊躇いがちに剣を抜き放ち、姉に差し向ける。


「嗚呼、悲しい。血を分ける弟に背かれようとは」

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