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彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜  作者: 山本航


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『奪う者』

 それは奪う者(クレフディヤ)がこの世に自意識を得てから十二年目。吐息が白み、肝まで凍てつく冬の夜のこと。


「嗚呼、やめておくれ。私が何をしたというんだ」


 よく磨かれた窓から差し込む青白い月明りの下、品の良い調度品に囲まれた部屋の角に追い詰められた老いた女が粒の大きな涙を流し、慈悲なき王にするように跪いて乞い願う。零れ出る涙は深い皴をたどって流れ落ち、よく磨かれた床に滴る。


 不思議な札を核とする魔性クレフディヤは細面のすらりとした姿勢の良い若者の姿をしている。月の光を閃き返す鋭利な刃の柄を握り、こじんまりと丸まった老女を月光よりも冷たい眼差しで見下ろす。


「あんたの眼を奪いに来ました。さあ、観念して目を開いてください」

 無慈悲な宣告に老女は慈悲を乞う。「そんな! どうして!? 後生だから許しておくれ!」


 老女は身を、目を庇うように両手で顔を隠し、床に這いつくばった。

 クレフディヤは有無を言わさず老女に掴みかかり、顔を上げさせ、そして短剣で瞼をこじ開けた。

 枯れ木のような腕が抵抗するが、クレフディヤは意にも介さず仕事を終えると、今度は泣き喚きながら縋り付く老女を突き放した。

 クレフディヤは不思議な液体で満たした硝子の瓶に二つの眼球を入れると月の光に照らす。


「美しい瞳ですね。あんたには勿体ないですよ」

「嗚呼! 真っ暗だ! 何も見えない! どうして!? どうしてこんな!?」


 老女が最後の足掻きと色の無い暗闇に飛び掛かるが、もはやそこには他に誰もいなかった。ただ老女のすすり泣く声と床を力なく叩く音だけが富める部屋から漏れ出ている。




 それはクレフディヤがこの世に自意識を得てから十一年と半年目。茹だる意識か、陽炎か、視界の揺らめく夏の正午のこと。


 薄汚れた公衆宿屋の大部屋で、昼さなかからクレフディヤは麦酒(エール)を片手にし、窓に半身を乗り出し、街を眺めていた。傷痍軍人のように包帯を巻いて顔を隠した怪しげな姿ながら訝しむ者はいない。元より人の世の境をうろつく無頼漢のたまり場の如き安宿だった。


 (ひさし)の重なる裏通りにある窓から見える表の大通りは夏の日差しが砂に照り返して白く眩く輝いている。骨を軋ませて働き、生きるに足るも僅かな恵みを得、しおらしくも神に感謝する健全な人々の、隠された欲望のような濃く黒い影が行き交っている。時折慈悲深き神の死角を求める背信者のように暑さを逃れ、陰のある裏通りに飛び込んでくる者もいる。


 ふと甲高くて喧しい子供の集団の声が聞こえる。町中でなければ馬に悪戯する妖精かと思うような下卑た笑い声も聞こえた。大通りの方で生まれた喚き声が裏通りの奥にまで駆けてくる。

 どうやら乞食を罵倒しているらしいと気づき、耳を傾けていると「足萎え」という言葉が聞こえてきた。するとクレフディヤは飲みかけの麦酒(エール)を置いてすぐに宿を出て、子供たちの声の方へと急ぐ。


 確かに大通りに一人の女が座り込み、その周りで悪がきが囃し立てていた。ただし女は乞食ではなく竪琴弾きのようだ、見た目には粗末な安物のようだが。クレフディヤは子供たちを適当に追い払うと竪琴弾きの女と向かい合わせに立つ。


「あの、ありがとうございます。助かりました。情け深い方に神々の恵みがもたらされますように」と女は申し訳なさそうに頭を下げる。


 女は歩けないばかりか盲者でもあった。クレフディヤの濃い影の中で女は見上げるように顔を上げるが、瞼は閉じられている。


「気にしないでください。光の下を歩ける者なら当たり前のことをしたまでです。穏やか(セレカ)さん。実は貴女に返したいものがあります」

「どうして貴方が私の名を? 返したいもの? 何のことでしょう?」


 クレフディヤは膝を曲げて腰を屈め、答える代わりに更に問う。


「足に触ってもいいですか? すぐに済みます。お時間は取らせません」


 セレカは警戒し、身を強張らせる。人通りの多い大通りの真昼間とはいえ、つい先ほどまで見知らぬ子供にからかわれていたところだ。見知らぬ大人はより警戒しなくてはならないだろう。

 セレカが答えられずにいると、しかしクレフディヤは答えを聞く前に鞘付きの短剣を懐から取り出し、抜き放つ。刃は既に血に濡れていて、鞘からも零れていた。クレフディヤは許しもなくセレカの両膝に血を滴らせる。

 突然濡れた膝に驚いてセレカは飛び上がる。飛び上がれた。


「それでは」


 それきり言い残してクレフディヤは歩き去り、再び公衆宿屋に戻っていった。その背後では足の力が戻ってきたことに気づいたセレカが喜び勇んで立ち上がり、飛び跳ねて、もはや立ち去った見知らぬ恩人に必死に呼びかけていた。




 それはクレフディヤがこの世に自意識を得てから十年目。星天の輝きがいや増す、空気の澄み渡る夏の夜のこと。


 星に祈る者たちならば何をおいても仰ぎ見るべき夜の輝きの届かない森の奥深く、節くれだった古い樫の木の一本が身を捩らせて抗議する。


「何だって木なんかに貼り付けたんですか!? てっきり俺のことを助けてくれたのかと思ったんですが」


 樫の木のクレフディヤは不格好な人間の姿に変わるが、下半身から下が土に埋まっていて身動きが取れないでいる。

 クレフディヤを見下ろす女の方は一見ただの人間のようだ。夜明け前の色濃い青に染めたような装いは体にぴたりとしていて、金糸の刺繍に加え、飾り鋲や房飾りがあしらわれた派手な格好だ。


「助けたのに文句を言うの? 他に何に貼ればいいっていうの?」


 女は問いかけるように答えて、木々の他には何もない辺りを指し示す。

 クレフディヤも釣られて周囲を見渡すが、僅かに零れる星明かりと風に揺れる梢の他に動くものはない。恩知らずのクレフディヤを嘲笑うように木の葉がざわめいていた。改めて申し訳なさそうに頭を下げる。


「助けてくれたことには感謝しています。もう十年近くこき使われていましたから。でもどうして助けてくれたんですか? 貴女は一体何者ですか?」

「一つはお金目当てだよ。君のご主人様が君の力を使って稼いだものは銅貨一枚残らず全て私が貰った」多くの金貨と多くの宝石があったはずだが女は手ぶらだ。「もう一つは……」


 女は飾り気のない鹿革の手袋を外す。すると華奢な手の甲には三日月形の札が貼られていた。中央には目を覆う仮面をつけた雄鹿が描かれている。


「俺と同じ仲間なんですか? 俺のは雲形に蝙蝠です。俺たちは何者なんですか?」

「さあ。私も知らない。あと別に仲間でもないよ、奪う者(クレフディヤ)君。助けたのは君が何か私の知らないことを知っているか聞きたかっただけ。手を組むことも考えたけど……」


 女が言葉を区切り、残念そうに侮るように赤い唇を曲げ、白い歯の隙間から小さなため息を漏らす。


 クレフディヤは馬鹿にされているように思い、問いただす。「何ですか? はっきり言ってください」

「十年でこれっぽっちじゃあね。君の力は私の下位互換って感じだよ。私は五十年くらい盗んでるけど、あんたの百倍以上稼いでるよ」


 自慢げな言葉にクレフディヤは特に妬みも嫉みも感じなかった。奪う力を持って生まれたが、自分には向いていないのだとようやく気付いた。




 それはクレフディヤがこの世に自意識を得てから十一年目。白ずむ空から吹き降ろす色なき風が大地を黄金に、山稜を紅に染め上げた秋の朝のこと。


 処刑人の如き黒布だけを纏った奇妙な姿のクレフディヤは貧民窟を歩いていた。下層階級や裏社会の人間と言えど気味悪く感じる不吉な出で立ちのせいで、人々は遠巻きにクレフディヤを眺め、どうしてあれで前が見えるのだろう、と訝しんでいる。


 クレフディヤは視線を気にせず、貧民窟の道――建物と建物の隙間、もしくは扉を失った廃屋のこと――を慣れた様子で行き、迷うことなく目的地にたどり着く。


 ある通りにクレフディヤが入った途端、奇声をあげる男がいた。細面のすらりとした姿勢の良い男だ。男はすぐさま背を向けて駆け出す。クレフディヤは後を追う。

 男が両足でしっかりと地面を蹴って走るのに対し、クレフディヤはまるで風に吹かれる襤褸布のように狭い通りを吹き抜けていく。

 男の足も遅くはなかったが、とうとうクレフディヤが迫る。クレフディヤは短剣を抜き放つと、男の足を狙って切りつけた。しかし傷は浅く、傷ついたことに気づかないほどの些細な傷だ。たったそれだけで男は力が抜けたように倒れ込んだ。


「くそが! やっぱりお前か! クレフディヤ! よくもオレの足を!」

高殿(マタレオ)。足だけではありませんよ」クレフディヤは血に濡れたままの短剣を鞘に納める。「奪った物、特に俺の力でしか奪えない物は全部取り戻します」


 マタレオは這いずってでも逃げようとするがクレフディヤは歩いてついてくる。


「オレの金と宝石と足を奪ってまだ足りないか!? 次は何だ? 知性か?」

「あんたが持っている物を奪いますが、あんたの物は奪いませんよ。それに物以外、売り払った人体も奪い返します」

 マタレオは呻く。「何が目的だ!?」

「罪滅ぼしですよ。こっちの方が向いているんです」


 そう呟くとクレフディヤは布の体でマタレオの背中を踏み付ける。が、軽いのでマタレオは舗装のない屑だらけの地面を這い続ける。


「よくも! よくも! オレをまた這いつくばらせたな!?」

「また歩けますよ。あれから色々試したのですが、形さえあれば力が宿っていなくとも、歩かせることができます。次は俺の主導ですが。まずは歩く力を返しに行きましょう。その次は売り払った目玉を買い戻します。断られたなら無理にでも」


 クレフディヤはどこかから口を覆う蝙蝠の描かれた雲形の札を取り出し、マタレオの首筋に貼り付けた。

 貧民街のならず者たちが奇妙な追走劇の結末を見守る中、黒布は己を支える力を失い、逆にマタレオは立ち上がると黒布を纏ってその場を後にした。




 それはクレフディヤがこの世に自意識を得てから十二年と三か月目。装いを新たにした妖精たちが微睡む野原に現れ、固く閉じた蕾に目覚めを促す春の夜明けのこと。


 数か月前と同じ場所に朝早くからセレカがいた。今は竪琴を演奏している。足を止めて聞く者はいないが、美しい音色に支えられて紡がれる朗読は目覚めたばかりの街に活力を与え、クレフディヤのあるか分からない心に響く。

 英雄や神々には縁のない俗世を生きる人々の営みと喜び、そしてそのような人々の中にも潜んでいる聖人の如き善性の輝きを称えている。


 クレフディヤが近づくとセレカは僅かに歯を覗かせて迎える。


「おはようございます。良い朝ですね」

「ええ、おはようございます」クレフディヤは懐から硝子瓶を取り出す。「貴女の眼球を取り戻しました。義眼を外してください」


「え? え? あ! もしかして前に私の足に力を取り戻してくださった方ですか? でも声が違うような」

「まあ、そんなようなものです。さあ、次は目です」

「ありがとうございます! 私、本当にうれしくて。まさかまた歩ける日が来るなんて思わなくて……」セレカはクレフディヤが黙っていることに気づく。「嗚呼、目ですね。今度は目まで! 貴方と、善き方を遣わせてくださった神々に感謝を。待ってください、今外しますね」


 セレカが義眼を外すとクレフディヤは眼球の浮かぶ硝子瓶を眼もとに近づけて蓋を取る。すると視神経の方から自ら泳ぎ、セレカの眼窩に収まった。

 セレカは眩し気に眇め、徐々に瞼を開く。


「見えます! 光が! それに……」


 セレカがはっと息を呑む。視力を失っておよそ十年経ってもなお、セレカは自身の視力と歩く力を奪った相手をよく覚えていた。

 クレフディヤもまたこの世界に生まれて最初の悪事をよく覚えていた。非情で自己中心的なマタレオも忘れてはいないだろう。


「謝ってすむことではありません。許しを得られるとも思っていません。ただ、すみませんでした」


 実のところマタレオ(・・・・)には謝る資格さえない。クレフディヤに抑え込まれたマタレオの精神は舌を出して罵倒していた。

 セレカは竪琴を抱え直し、躊躇いを残しながらも背中を向けて走り去った。見違えるほどに力強くなった両足をクレフディヤは見送った。

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