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彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜  作者: 山本航


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『殴る者』

 星も月もこれが最後と燃え尽きんばかりに輝く夏の夜。昼間の熱気は陽炎とともに立ち去るも、僅かな余熱は地上を離れないでいる。


 とある都の貧民窟(スラム)では気だるげな昼の雰囲気を吹き飛ばすような熱狂が渦巻いていた。篝火の灯影に照らされ、民衆は目を輝かせて語り合い、日々の営みと重税を忘れ、この夜ばかりはと財布の紐を緩めて酒を飲みかわす。その興奮ぶり勝ち戦の凱旋にも負けず、劣らない。


 その渦の中心には闘技場がある。瓦礫を寄せ集めた貧民街の中心にあって、欲望を形にしたような派手で華やかな装飾の施された建造物だ。豪奢ながら王の認めた正式な施設ではなく、闇賭博と残虐行為が横行し、後ろ暗い人生を背負った拳闘士たちの集う裏社会の社交場だ。とはいえ、この都に今夜の一戦(マッチ)を知らぬ者はまずいない。


 かたやこの数か月で名乗りを上げ、瞬く間に名のある男たちを試合場(リング)に沈め、流罪の真白き狩人(ルーホヴ)神にも譬えられる挑戦者(チャレンジャー)支柱(ストーグ)

 かたや女だてらに百戦無敗。その常人と変わらぬ体格からは想像もできない非情な拳とまで謳われる強烈な一撃で挑戦者たちを(ことごと)く粉砕してきた裏闘技場の危険な花、王者(チャンピオン)贈り物(シュリーガルト)


 彼らの熱狂的支持者(ファン)は何も下流階級だけではない。何も滞りなく今夜この決戦に至ったことが何よりの証左だ。




 過去最高の動員に主催者と胴元にねぎらいの言葉をかけられたが、挑戦者ストーグにはほとんど聞こえていなかった。

 ストーグは土壁と小さな窓しかない控室で一人、精神を集中させるように瞑想するように逸る心を抑え込むように両の手に革紐を巻き、呪文を唱えていた。革紐にもまた力ある文字が刻み込まれ、その革になった牛は闘士に力を貸す。群衆の熱狂は聞こえているが、魂は凪いだ湖のように平静であり、しかしながら熱湯のように滾っていた。


 長い間つまらない人生を生きていたが心機一転、今夜の勝利のために鍛え上げ、戦い抜き、勝ち進んできた。

 しかし全身が震えていることに気づく。緊張しているが、それは戦いに対する緊張ではないことをストーグは自覚している。むしろこの高鳴りこそが後ろ暗い人生を生きてきたストーグを前に進めたのだ。


 ふとストーグは思い立つ。王者として敗者に、ではなく、挑戦者として王者に言わなくてはならないことがあった。


 闘技場を挟んで反対側にある王者の控室へと向かう。途中何人かとすれ違うが、ストーグの様子を見て声をかける者はいなかった。

 扉のない控室だ。覗き込む前に声をかけようとしたが話し声が聞こえた。弟子も付き人もいないはずの王者シュリーガルトの声が聞こえる。


「あんた、緊張してんのか?」とシュリーガルトが訊いた。「馬鹿だな。心配しなくてもあたしは負けたりしねえぞ」

「そんな心配してないよ。とうとうこの日が来たんだと思ってね」とシュリーガルトが答える。


 盗み聞きなどすべきでないと思いつつ、独り言にしては奇妙なその会話(・・)が気になってストーグはその場を離れられなかった。


「奴を買ってるんだな。ここまで上り詰めただけのことはあるだろうけど、他の連中と大して変わりゃあしねえぜ」

「ただ強いだけじゃない。自分自身に立ち向かえる人。何より、変われる人なんだ」


「変われる? 変わる前を知ってるのか?」

「貴女も知ってるはずだけど」

「うーん。覚えてねえなあ。まあ、どんだけ強くなろうと昔は弱かろうと、今戦うのはあたしなんだし、奴の応援でもしてなよ。負けやしないけど」


 控室からため息が聞こえる。とても深く、重い不安が吐き出されている。


「勝ったら、嫌われないかな」

「言っておくけど、あんたの頼みでも、わざと負けたりはしないからな」

「分かってるよ。分かってるけど……」

「あんたのために色々と貸してきたんだぜ。まあ、お互い様、一心同体ではあるが、この関係をやめたかったなら試合前に言うべきだったな。もしくは試合後にもう一度言ってくれ。それともあんたがやましく感じている秘密を……」


 ストーグは好奇心を恥じて秘密を心に隠し、自分が言うつもりだった言葉と共に控室に帰る。




 好奇と期待の眼差し、溢れ返る声援、突き上げられる拳、小さな試合場(リング)を囲むように高く積み上げられた仮設の観客席には数千人の人々が集まっていた。

 ただでさえ頂点に達した観客の昂りをさらに高調させようと司会者が言葉巧みに盛り上げ、夜は深まるばかりだが昼間のうだるような暑さにも負けない熱狂が都の一角に迸る。


 拳闘の試合にも細かい決まり事はあるが気にする者はいない。勝利条件は戦闘不能(ノックアウト)降参(ギブアップ)のみ。それだけ知っていれば十分だ。拳でのみ闘いさえすれば、身体を強化する魔術でさえ容認されている。


 試合開始が迫り、最後の余興(パフォーマンス)が拳闘士たちに委ねられる。

 挑戦者ストーグがまず試合場(リング)の中央に立つ。並みいる拳闘士たちの中でも一際張り詰めた肉体を誇る野獣のような男だ。挑戦者ながら獲物を逃がさぬようにと王者をじっと見つめている。


「決めた。もうこの場で言っちまうぞ、王者(チャンピオン)!」ストーグは決死の覚悟を決めるように戦いの始まる前から息を整える。「俺が勝ったら俺と結婚してくれ!」


 その吼えるような叫びに反して、試合会場は鼓膜が破れたかのような静けさに一瞬包まれた。しかし引いた波が戻るように、より大きな波になって返ってくるように群衆の声が爆発し、会場の興奮は最高潮に達する。その全てが応援や勇み足の祝福、享楽的な声援だったわけではない。拳闘士の両者ともに熱心なおっかけ(ファン)がおり、彼らの心持ちはとても穏やかではいられない。嘆く声、悲鳴、罵詈雑言までもが飛び交い、戦場の如く殺気立つ。


 ストーグが試合場(リング)の外に出ると代わるようにシュリーガルトがその中心に立つ。年のころはストーグと変わらない若者だが同世代と比較しても小柄な体格だ。しかし鋭い眼光は飢えた獣そのもので挑戦者への眼差しは値踏みに過ぎない。


「あたしも大好きだぜ。あんたみたいな馬鹿野郎を叩きのめすのがな!」王者の一言一言で会場は揺さぶられる。「だが興行を盛り上げるのには丁度いい。それに賭ける物がある戦いは大好物だ!」


 大衆の昂りは破裂せんばかりに極まる。

 その中でストーグにだけシュリーガルトの独り言(・・・)が聞こえた。


「何を勝手に盛り上がってるの?」

「別にいいだろ。結果は変わらないんだから」


「だって、そもそも」そう呟くとシュリーガルトはストーグの方を向く。「私のどこを好きになったんですか?」

「戦いぶりに惚れた」とストーグは率直に答える。


「へえ、いつの? 誰との試合だ?」

「試合じゃない。ちんぴらに絡まれている女をあんたが助けたところだ」


 シュリーガルトが嘲る。「あんたは助けに入らなかったのか? 情けねえな」

「ああ、だがあんたに叩きのめされて心機一転した。そして今ここにいる」

「あんたがちんぴらかよ! ああ、そういうことか」ストーグには筒抜けだが、シュリーガルドは声を潜める。「あんたは何か言ってやらないの? なあ、聞いてる?」次第に観客も二人が会話していることに気づき静まる。「まあ、いいや。あんたがただのちんぴらからどう変わったのか、教えてくれ。そうだ、忘れてた。あんたは何を賭けるんだ? 挑戦者(チャレンジャー)


「何が欲しい?」

「金!」

「これまでの賞金でどうだ?」

「乗った!」シュリーガルトが司会に合図する。「さあ! (かた)り合おうぜ!」


 試合開始の銅鑼(ゴング)が高らかに響く。


 体格差は大きい。男女の差ばかりではなく、ストーグは並の男よりも大柄だった。それでも王者シュリーガルドはまるで子供を出迎えるように両腕を広げて挑発する。

 一方でストーグは慎重な歩みながら威嚇する野牛の両角のように拳を構えてシュリーガルトに近寄る。硬く拳を握りしめ、猛牛の如き力を全身に漲らせる。


 射程距離の差もまた比較にならない。王者の二倍はあろうかという挑戦者の腕が鞭のようにしなり、射程外から突き(ジャブ)を放つ。連打に次ぐ連打が篠突く雨のようにシュリーガルトに降り注ぐ。

 しかし王者は舞い踊るように足を運び、その柔らかな皮膚に触れるか触れないかの差で拳をかわし、ストーグの懐に潜り込むと強烈な一撃を腹に見舞う。まるで杭を打ち込んだかのように細腕を捩じり込み、しかし数瞬で、ストーグの反撃を避けるべく退く。


 王者の不敵な笑みは語る。驚きと賞賛、そして更に燃え上がる闘志。

 王者の苛烈な拳は語る。まるで負ける気がしない。仮に負けたって惚れやしない。お前は無様に這いつくばる。相応しい人生に逆戻りだ。


 重く鋭い王者の拳を見舞われ、挑戦者は腕で防ぎながらもなお血を流す。


 挑戦者の消えぬ闘志を宿した瞳は語る。敬意と感謝、より静まる不倒の精神。

 挑戦者の拳は語る。俺を叩きのめしたのはあんただ。泥沼から引き揚げたのもあんただ。ただ一つの望みさえ叶えてくれたなら俺の人生を捧げよう。


 熱を発する体に反して、ストーグの心は冷静さを保っている。しかし闘争心は牙を剥き、喉元に食い込む瞬間を待っている。好機は手繰り寄せなくてはならない。当たりさえしたなら軽い体は吹き飛ぶだろう。浮いた体ではその神速の足運びも意味をなさない。


 王者の決め手はいつもそう変わらない。体格差で不利な戦いしかない以上、シュリーガルトの腹部への打撃(ボディーブロー)を挑戦者が耐え凌いだなら、最後に見舞う拳は常に突き上げる拳(アッパーカット)だ。体格差は王者の踵を上げさせ、平衡を危うくする。


 その時に備え、その時が来る。そして見極める。王者の振り上げる突き上げる拳(アッパーカット)をストーグは避けきれないが、しかしその力の充溢した芯をかわす。間を置かず放たれたストーグの拳は、しかしシュリーガルトの顎を外し、しかし狙い通りだった。首筋に、髪の中に隠された札を指で剥がし、革紐(グローブ)の中に包む。


「知ってたのか、てめえ」


 再び放たれた王者の拳が挑戦者の顎を打ち据え、ストーグは昏倒する。揺らぐ視界の向こうで王者が嘲笑している。


「惜しかったな。まあ、そいつがいなくてもあたしは強いんだが」


 ストーグは何とか立ち上がろうと地面に手をつく。


「馬鹿だな。無理すんな。膝が震えてるぜ」


 ストーグは何とか立ち上がるが、猛牛どころか仔山羊にも劣る哀れな姿だった。視線は焦点が合わず、両腕はだらりと垂れ下がり、王者の言ったように足ががくがくと震えている。


 会場からは絶望と共に嘆息が漏れ、未練がましい有様に野次(ブーイング)が飛び交う。しかし誰も戦闘不能(ノックアウト)しておらず、降参(ギブアップ)もない以上、試合終了の銅鑼(ゴング)は鳴らない。


 会場の不満に抗うようにストーグは両腕をあげる。角は未だ折れていないことを示す野牛のように、未だ戦えると示す。そして前に構えるのではなく、左右に広げて見せた。


 唖然とする会場の誰かが何かを言う前に、放たれた矢の如くシュリーガルトは突進する。

 が、王者の拳が届く前にストーグの体は勢いよく倒れ掛かる。

 が、それは前のめり、王者の突進をすら利用した捨て身の、最後の一撃を放つ。

 が、まるで矢を放った弓の如くシュリーガルトは反り返り、挑戦者ストーグの拳は空を切る。


 王者の不敵な笑みは語る。驚きと賞賛、そして斃れ行く者への弔辞に似た哀惜。


 が、ほんの少し、ストーグの拳が、拳を覆う革紐(グローブ)が、指の先ぎりぎりまで離れ、杭を打ち込むように放たれ、王者の顎を強かに打ち据えるとひとりでに元に戻った。


 両者倒れ込み、会場の気勢が絶頂する。決着をつけるべく二人の拳闘士はあがき、立ち上がろうとする。


「てめえ、そりゃ、反則だろうが、殴る者(クァドラ)」とシュリーガルトは目を回す。

「そんなことない。私、魔法だし」とストーグの革紐(グローブ)が答える。「大体これが反則だったら貴女は初めから反則でしょ」

「うるせえ、馬鹿。あたしはまだまだ稼ぐんだ。こんな奴と結婚してたまるか」


 シュリーガルトは何とか立ち上がろうと地面を探る。


 ストーグもまた肘を突っ張り、膝を曲げ、肩を使って身悶えしながらもはっきりと告げる。「あの時俺をぶちのめしたのはクァドラだろう? なら俺が惚れたのはクァドラだ」

「そうかよ、馬鹿野郎」


 シュリーガルトは意識を失い、ストーグは立ち上がった。


 歓声の嵐の中、ストーグは申し込む。「返事を聞かせてくれ」

「言うまでもありません。あなたが勝者です」

 クァドラは勝利を掴み取った拳を労わりつつも高々と掲げた。

 二つの勝利に歓声が沸き上がる。

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