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彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜  作者: 山本航


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『運ぶ者』

 底冷えする石の床のせいで、ごく狭い棺のような牢の中に閉じ込められた男、早馬(ポードン)は寒気に身を震わせる。理と知で以って古の険しき山々(ガレイン)を拓いた賢者たちと同じ瞳の輝きを持つ男だ。耳まで覆う髪は夜を溶かしたように黒々として、皴の一つもない鞣したばかりの新しい革のような若さだが、若者というには年経た老木の如き落ち着きと威厳を備えている。


 ポードンは周囲の鉄格子や錠前に指先で微かに触れ、唇と舌を弾ませるように呪文を唱える。東西に名高い格言から、史書の裏地に隠された密語までありとあらゆる呪文を紡ぐ。囁きから放たれる魔術はどれも破壊的で、攻撃的な魔術だ。群れ集う全ての獣が恐れる四つの文字、猛り狂う雷や逆巻き荒れる嵐を兄弟とする古い呪文、竜の目の届かない場所に隠されたる力の言葉。手を変え品を変え、韻律と対句を組み替え、意訳と誤訳と解釈を弄して牢の破壊を試みる。


 若き魔法使いは凪いだ泉のように冷静に一つの失敗もなく破滅的な魔術を行使したが、一つとして良き結果はもたらさなかった。若者らしく焦ってはいないが、魔法使いらしく屈辱を感じている。諦観と共に一つため息をつき、降参するように両手を挙げた。


「先生、高き峰(ガンザー)先生、降参です。まさか、これほどとは。侮ったつもりはありませんが、私の自信は投げ捨てた硝子細工のように粉々ですよ。まったく」


 ガンザーと呼ばれた男は牢の外にいる。怜悧な頭脳は稲妻で鍛えられた剣にも譬えられる賢者だ。こちらは髪も眉も髭も雪の如く真っ白な老境の魔法使いで、簡素な麻布の長衣(ローブ)を身に纏い、握った櫛で髭を梳いている。


「君に悪い知らせがある。ポードン君」

「先生の知らせは悪いものばかりですね。取り敢えず出してもらえますか?」


 体が冷えたせいかポードンは催してきていた(・・・・・・・)。長居はできない。師と仰ぐ者の前で醜態を晒すのは人生で二番目に辛い出来事だ。


「これを聞くと君は吾輩への敬意を失ってしまうかもしれない」

「先生への敬意は砂漠の水くらい溢れてますよ」

 構わずガンザーは報せる。「実はその牢の開け方を用意していない」

「またですか、先生。錠だけ作って鍵を作らない者がどこにいるんですか。不注意にもほどがあります」

「失礼な。想定通りだよ」

「悪意と言い換えた方が良さそうですね」

「そうではない。牢の強力さに関してだけ想定外だったのだ。シュジュニカの棺牢を参考にしたのが功を奏してしまった」

「成功を喜ぶのは弟子を助けてからにしてもらえますか」


 ここは魔法使いの工房だ。脳を絞る研鑽と魂を砕く修練とくだらない思い付きの殿堂だ。王宮の晩餐会でも開けそうな円柱状の広い空間は壁の半分が古びた書物の詰まった歪んだ書棚で、半分が多様な形と色と臭いの実験器具を収めた棚、残りは書物でも実験器具でもある形容しがたい道具の棚だ。工房の床には奇妙奇天烈な物品が散らばっているが、全て一定の間隔を保っている。そして中心にはポードンの入った棺の如く狭い牢があり、少し離れた場所には机に広げた黄色味を帯びた羊皮紙を眺める魔法使いガンザーがいる。


「しかしこれほど強力とはなあ。君なら紙屑のように吹き飛ばせる想定だったのだが。そうか、君がなあ。意外だなあ」


 にやにやと笑みを浮かべるガンザーとは対照的にポードンは不機嫌さを表し、侮蔑の眼差しを送る。


「先生の想定していた檻の使い道が分からないのですが」


 ポードンは悟られないように長衣(ローブ)の中で内股になる。決壊を防ぐためだ。師への敬意の前に自尊心を失ってしまいそうだ。

 ガンザーは沈思黙考する時はいつもそうするように長い白髭を櫛で梳く。そうすることで多くの知識の渦巻く混沌とした頭の中が整理され、他の魔法使いには及びもつかない画期的な天啓を閃き、迷惑な着想を創出するのだ。


「とりあえず昼食にするか」と呟いてガンザーは腹を鳴らす。

「危機感のすり合わせを先にしませんか?」と弟子ポードンは乞うように頼む。

「何とかなるだろう」

「せめて何とかする素振りだけでも見せてください」

「そうだな。うむ。であれば吾輩が何とかするしかあるまいな」


 弟子ポードンに頼まれ、師ガンザーは次々に呪文を唱えた。ポードンの行使した魔術とほぼ同じだが、そのどれもがより以上に強力で素早かった。ただし外から内に向けられたそれは鉄格子の間を擦り抜けてポードンの長衣(ローブ)を焦がし、脇腹を打ち据えた。


「貴方を先生と呼ぶ最後の一人に対する仕打ちがこれですか」


 看守ガンザーによる外からの干渉でも結果は変わらなかった。虜囚ポードンを囚える檻はびくともしない。


「ううむ。我ながら情けない」とガンザーは呟く。「君も失望したことだろう?」

「働き者の徴税官と同じくらい期待してますよ」

「いや! 我が愛弟子はまだまだ吾輩を尊敬しておる!」

「もう先生と呼ぶのをやめたいくらいですがね」


 その時、工房の入り口の重い扉が勢いよく開く。


「おまたせしましたっす!」と大きな挨拶で飛び込んできたのはガンザーの拵えた自律人形運ぶ者(メナメナ)だ。


 メナメナは粘土と戸塗木(とねりこ)の芯で作られたありふれた自律人形のように見えるが、ガンザーの弟子にさえ明かさない秘術によって尋常ではない対応能力を有している。こと運搬においては他に類を見ない能力を誇る。が、使いっ走りとしてしか使われていない。


 そのメナメナが運んできたのは昼食だった。大量の皿と椀と杯を頭と肩と膝と脇と腰と脹脛と踵に乗せて片足飛びで戻ってきたらしい。それでいて少しも零していない。


麺麭(パン)と牛肉の焼いたやつと羊と豆の肉菜汁(スープ)と鱒と竜髭菜(アスパラガス)の茹でたやつと茸の吸い物(スープ)と海老の(スープ)と燕麦の粥と菠薐草の汁物(スープ)っす」

水分(スープ)が多すぎる」ポードンは猛獣のように鉄格子にしがみつく。「砂漠の僅かな緑地(オアシス)で懸命に生きる植物でも根腐れするぞ」

「いつもこんなもんじゃないっすか?」メナメナは机に大量の料理と水飲みを置く。「ポードンさんは飲まないっすか?」

「ほぼ液体だと自覚してるじゃないか。見ての通り今はお腹が空いていないのでね」とポードンは皮肉る。

「あたし、てっきりポードンさんは檻に閉じ込められていて出てこられないのかと思いましったす」

「分かっているならそれを踏まえてくれ」


 メナメナはポードンの皿を持ってきて鉄格子の間から料理を突っ込む。大皿の料理は縦にしても零れることなくポードンの手に渡った。地味だが便利な魔術だ。


「私を外に運び出す魔術は使えるか?」とポードンは少し冷めた昼食の水分を絞り出してから摂り、メナメナに尋ねる。

「生きたままでってことじゃないなら――」

「生きているのは大前提だ」

「最低限生きている必要があるっすね? それなら――」

「やっぱり大丈夫だ。たぶん大丈夫じゃない案に違いない」

「ところで水は飲まないっすか?」とメナメナが尋ねる。

「ああ、喉が渇いてないからね。お陰様で」


 どころか溢れそうなのだ。


「あたしがわざわざ清流から汲んできた水飲まないんすね」と呟くメナメナの表情は自律人形ながら豊かな感情の起伏を伝える。悲しみと戸惑い。今にも涙が零れそうだ。「あたし、せっかく、ポードンさんに喜んで貰おうと思って……」

「やっぱり喉が乾いていたから飲むよ」


 今にも何かが零れそうなのはポードンも同じだったが、何とか水を飲み干す。メナメナを悲しませたくない理由は、メナメナの目の前で粗相をしたくない理由でもある。ポードンは色々なものがはちきれそうだった。


「メナメナ」とガンザーが呼び、使いっ走りに覚え書きを手渡す。「これを頼む。夕食と酒と(インク)、修理に出していた鍋と洗い物に出していた服、あと檻を壊すための魔術に使う素材だ」

「優先順位を間違っていませんか?」ポードンは鉄格子の間から不平をぶつける。

「ポードンさんは何か欲しい飲み物あるっすか?」

「何でそんなに飲ませようとするの?」

「飲み物以外でも大丈夫っす」


 忍耐、不屈の意志、御襁褓(おむつ)。欲しいものはいくらでもあるがどれも頼めない。口にするのもはばかれる。


「とにかく檻から出たい。それだけだよ」と脂汗を流しつつポードンはぎこちなく微笑んだ。

「分かりましたっす。あたしも色々考えてみるっす」自信ありげにそう宣うとメナメナは軽やかな足取りで工房を出て行った。




 程なくしてメナメナは戻ってくる。ガンザーに頼まれた物と沢山の優秀な魔法使いを引き連れて。普通は弟子でもない魔法使いを工房に招くことは稀だが、今日に限ってガンザーはそれを許した。許してしまった。


「どうして?」ポードンは話すのさえ辛くなってきていた。

「相談したんす」とメナメナは無邪気な笑みで答える。「ポードンさんを助ける魔術が他にないかな、と思って。駄目でしたっすか?」

「全然駄目じゃないけどね」とポードンは強がる。


 魔法使いたちは代わる代わる檻に魔術をぶつける。檻が大きな音を立て、赤く変色し、変な匂いを醸し出し、煙を立ち昇らせ、さらに冷たくなったが、しかし壊れなかった。ポードンは死なないことと漏らさないことだけを考えていた。頑丈さに関しては類を見ない魔法の檻に魔法使いたちは次々に挑む。ポードンを助けることより腕試しが目的になっている者が大半だ。ポードンもまた師匠に与えられたどのような試練よりも己を試されていた。

 しかしそのどれもが上手くいかない。結局ガンザーがメナメナに持ってこさせた魔法さえ何一つ効果はなかった。


「今度こそがっかりしただろう?」とガンザーが哀愁を漂わせてポードンに訊く。

「檻の強力さに関しては素晴らしいと思いますけどね」と、ポードンはつい褒めてしまった。


 敬意がなければ弟子などしてはいないとはいえ、とても師を褒められるべき状況でもない、と自分に言い聞かせる。


「でもさすがに敬意を失っただろう? いや、きっとそうに違いない。そろそろしてもらわないと困る」とガンザーは変なところで食い下がる。

「いえ、全然、です」


 ポードンはもはや会話も困難な危機的状況だ。


「そんなことないだろう。吾輩への敬意なんてすっからかんになったはずだ」

「何をこだわっているんですか。分かりましたよ、分かりました。がっかりしました」


 一体何の喧嘩をしているのかポードンにはまるで分からない。


 ガンザーはじっとポードンを見つめ、そして大きな溜息をつく。「逆に怖くなってきたぞ、吾輩。君の敬意は底なしか」

「とにかく先生! もう皆さんには出ていってもらっても良いんじゃないですかね!?」

「ああ、それはそうだな」


 ある者はガンザーを褒め称え、ある者は捨て台詞を残して工房を去っていった。そしてメナメナが見送り、戻ってくる。


「ガンザー先生、とても褒められてたっす。さすが結界魔術の泰斗、古霊の封印者、全天六十一星座の掌握者っす。先生に並び立つ者――」

「褒めなくていい、褒めなくて」とガンザーは慌てて制止する。「尊敬されてしまうではないか」


 夕食時になり、何とか三人になるまでポードンは耐えきったが、むしろ自身の無様な姿を最も見られたくない二人が残ってしまった。


「お二人は先に食堂へ行かれてはどうでしょう」とポードンは提案する。

「いや、それは悪いよ、君。昼食と同じくメナメナに持ってこさせようじゃないか」


 一人でも減らすに越したことはない。


「分かりました。そうしてください。とにかく急いで」ポードンは息も絶え絶えだ。

「よし。メナメナ。夕食を持ってきてくれ」

「任せるっす。本気出すっす」そう宣言したメナメナは扉から出ていった瞬間に入ってきた。


 巨大な鍋に具沢山の温かな液体(スープ)が湯気を出している。


「早すぎる……」


 ポードンは膝から崩れて、しかし何とか堪える。


「ガンザー先生」メナメナは昼食と同じように給する。「もう本当のことを話しても良いんじゃないっすか? もはや正直に話したほうが敬意を失うと思うっす」


 何か大事な事を話しているはずだがポードンの頭に言葉の意味が入ってこない。


「そうかね? うむ、なるほど。試してみるか。すまない、ポードンよ。実はその檻の頑強さは閉じ込められた者の閉じ込めた者に対する敬意に比例するのだ。試すようなことをしてすまなかった」


 次の瞬間、檻はポードンが鉄格子に預けた体重だけで瓦解した。


「これほど敬われていたとは思わず、悪いことをした。それも今や失われてしまったが……。メナメナ、ポードン君の着替えを持ってきてくれ」

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