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彷徨える一〇一物語 〜魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。外伝〜  作者: 山本航


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『吟じる者』

 吟じる者(ノノーミ)は寒くて湿った暗がりでうたっている。


 子供しか通れない家と家の隙間、下層市民が行き来する涸れた暗渠、日暮れと夜明けのちょうど中間の大通り。限られた特権階級の前にしか魔法使いの現れない土地、魔法と無縁の土地では怪奇や不思議、人間を出し抜くことが生きがいの魔性は姿を見せない。あるいは誰も見ようとしない。


 得てしてそのような土地に住む者はノノーミのような存在を酷く恐れ、太陽の下で出遭えば石を投げ、月の下で出遭えば呪いを寄越す。何より、その言葉や歌に耳を傾けたりなどしない。だからノノーミのうたう物語を聞く者は薄汚れた犬か髭の捻じれた猫か親のいない子供ばかりだった。


 まだ黄昏の残滓が西の空を染めていたが、太陽節を迎える明日に備えて人々は帰路を急いでおり、街の陰に潜む者やどこかから聞こえる正体の分からない詩歌のために彼らが立ち止まることはなかった。これ幸いとノノーミは街角で数々の物語を唄って聞かせる。たとえ耳朶の端に引っかかる程度でも、誰かに物語を唄って聞かせたいという思いがノノーミの内に猛り狂う嵐のように力強く渦巻いているからだ。


 今日の家路を急ぐ子供たちの何人かが暗がりでうたう木の人形のようなものを見つける。それは古い木桶に憑りついて、できる限り人の形に近づこうと変身したノノーミの姿だ。子供の頃ならば誰もが持っている見い出す力はノノーミにも及んだのだ。



 知らぬ者なき、名高き女傑。其の名を誰も知らぬ頃、

 顧みる者さえおらず、称える者などありもせず。

 然れど女傑は勇を成す。人跡未踏の千の丘陵(ミーチオン)

 人の潜むは丘の陰。丘の表に人は無し。

 不思議と神秘が戯れば、人の眼は眩み閉づ。

 空手で丘行く彼の女傑、唯一声に帳を開く。

 妖精怒りて魔を呼ぶも、女傑の魂翻り、

 唯一刀に斬り伏せて、妖共は平伏せて、

 忠義と共に、問いかける。妖よりも不思議なる

 剣を何処に隠し持つ。答えて曰く、魂と

 名にし負うは切り開く者の剣(レブニオン)。何れ知らぬ者なき名なり。



 子供たちはノノーミに小さくて不作法な拍手を浴びせ、次々に口々に言いたいことを言う。


「綺麗な声ね」「何の歌?」「誰の歌?」「どこから来たの?」「妖精さん?」

「木の人形が喋ってる」


 最後の言葉に、その声にノノーミは驚いて飛び上がる。もしもその札の魔性の魂に心臓があったならば、雷に打たれたような衝撃を受け、焼き焦げながらも早鐘を打ったことだろう。


 それほどに美しい声だった。まだ幼い子供の、思いを伝えるのも上手くやれない年代の少女の声ではなかった。凄惨な戦の始まりを告げる銀の角笛のように遥か後の世の暖炉の傍にまで響き渡る声だ。高い山の奥の隠された寺院に響く、経典よりも多くを語る鐘の音のように深い声だ。


「忌み子だ!」「逃げろ!」「殺されるぞ!」


 無邪気に物騒な言葉を投げつけて子供たちは散り散りになって新たな夜の向こうへと逃げていく。


 ノノーミは忌み子と呼ばれた少女を見つめ、痺れたように動けなくなり、力なく呆けていた。もしもノノーミが普通の人間ならば涎を垂らしていたことだろう。


 それほどに美しい娘だった。夜の街の暗がりにあって太陽のように美貌が輝いている。もしも自分が魔性でなければ、もしも去って行った子供たちが美の霊験をよく知っていれば、あるいは両の眼が焼き爛れていたかもしれない。ノノーミがそう考えるほどの美だった。その眉は太陽を射たという神弓獣追い(イズヌエ)の如く撓り、その鼻はまだ傲りを知らぬ月の如く形良く、その頬は熟した無花果か柘榴石のように赤く、また唇は鮮血の如し。


 たっぷり見つめて、その美しさに慣れた頃、ようやくノノーミは口をきく。「あんた、何者?」

「あいつらが言ってたでしょ。ただの忌み子。名前はあったような気もするけど、私より先に捨てられちゃったんだわ」


「あんたみたいな器量があって、捨てられっぱなしなんてことある?」

「あるじゃない」そう言って忌み子の少女は自分を示す。「女は私を拾ったりしないわ。ただ石を投げるの。男は我先にと私を拾おうとするけど、結局殺し合いになるの。人攫いに攫われた先で別の人攫いに攫われたこともあるわ。そういうものなの」


 ノノーミは腐りかけた木と錆びた(たが)の首を軋ませて頷く。


「なるほどね。まあ、そういうこともあるのかもね。私みたいな特異な存在でもあんたに見惚れっ放しだもの。まるで瞳に磁力が宿ったみたい」


 ふとノノーミの中に一つの考えが浮かぶ。この少女の体を借りれば、誰もが吟遊詩人ノノーミの歌に耳を傾けるだろう。その名は諸国に知れ渡り、栄光の御旗と共に永遠に翻ることだろう。

 忌み子の少女の腹が朝まだきの小鳥のように囀る。すかさずノノーミは誘いかける。


「ねえ、あたし、良いことを思いついたんだけど。協力してくれるなら、きっとあんたは今よりましな生活ができるよ。腹も膨れる。膨れっぱなし」

 そうすると少女は笑うのだった。「今より下の生活ってあるのかなあ」

「あるよ。あるさ。いくらでも。何もしなければ、歩みを進めなければ人は流れ去っていき、最後に流れ着くのは皆同じ場所だよ」

「でも、私は不幸で不運だよ? 良いことなんて一つもなかった。私の幸運も幸福もきっと私より先に捨てられたに違いないわ」

「探し出す手伝いもしようじゃない、あんたの幸運をね。あと幸福。私と組めばきっと上手くいくよ」


「それなら代わりに一つお願いしても良い?」少女は少し申し訳なさそうに問う。

「お願いなんてのは思いつく端から言えば良いよ。どんな願いであれ、叶うかどうかはあんた次第さ」

「でも、名前をつけて欲しいっていうのは誰かがいないとできないことでしょ?」

「そうだよ。でもあんたが誰かにそう言わなければ叶いもしないでしょ? 幸せ者(ビドレー)




 ビドレーの美は声や顔貌に留まらなかった。唾や汗は蜂蜜よりも甘く、少しでも味わえば負の感情が吹き飛ぶ。その吐息は竜涎香の如く、嗅いだ者を幸福に満ちた夢へと誘う。しなやかな手足を少し動かす様さえも天上の踊り子への賛辞を奪い、ふくよかな脹脛の造形は石膏に写し取ることもできない神の手業だった。


 ノノーミの目論見は概ね上手くいった。竪琴を持つ蜻蛉が描かれた菱形の札はビドレーの背中に隠し、その美しい少女を操って行われた道端の興行は初日から大盛況だった。誰もがその声を聞いて足を止め、歌う者の姿を探し、群れ集った。男も女も子供も老人もビドレーの姿を聖人でも拝むように見つめ、一字一句聞き漏らさないように耳を傾けた。



 妖精率いし、レブニオン。数数え切れぬ丘を越え、

 魔性の褥に押し入りて、人の住む地を広げ行く。

 千の丘を平らげて、美名は千里に知れ渡る。

 谷の魔女も例外なく、名誉と栄光、耳にして、

 妬みに嫉み、燃え上がり、やっかみ、憎しみ、煮え上がり、

 女傑に放つは邪な心に焚べる魔女の呪い。

 人の心は荒れ荒み、妖精たちは狂乱し、

 手に手に反旗を翻し、女傑を谷に追い立てる。

 待ち構えるは谷の魔女。血傷に塗れた女傑を迎え、

 待ちに待ったとほくそ笑む。しかして魔女は驚愕し、

 レブニオンを問い質す。何故剣を抜かぬのか。



 眦を吊り上げる女がいないわけではない。鼻の下を伸ばす男がいないわけではない。それでもビドレーには慣れたもので今更何とも思わず、ノノーミは栄光の第一歩に酔いしれて気づかなかった。


 二人はその詩歌と美声と美貌をもって諸国を巡った。華々しい栄光は山と海の美味珍味をもたらし、東西から宝玉と(あやぎぬ)の衣をもたらし、屋根と壁のある深く心地よい夢をもたらした。時には王宮に招かれ、時には去り行くことを惜しまれたが後ろ髪を引かれることはなかった。ノノーミはその名を世に知らしめるために歩みを止めるわけにはいかなかったのだ。そしてビドレーはノノーミが足を動かし続けるのであれば、天上の世界のような衣食住も惜しくなかった。


 愛を知らないビドレーにとって、ノノーミは母であり、姉であり、師であり、自分自身だった。ノノーミがもたらす様々な幸福に感謝し、その高き教えを授かった。

 詩曲をビドレーに教えることはノノーミにとっても喜びだった。その生まれもっての美に反して、才覚と呼べるものの何もない平凡な少女ではあったが、人並みに学び、人並みに覚え、人並み優れた美少女へと成長すると誇らしく思った。




 栄光褪せぬ旅路のある朝のことだ。ノノーミが宿で目を覚ますとビドレーがいなかった。稼いだ金でビドレーによく似た、しかし決して勝ることのない人形を手に入れてから、ノノーミは仕事の時以外にその本体を貼りかえることはなかった。しかしそれでもノノーミとビドレーは常に共にいた。今では世間に姉妹ということで通っているが、ビドレーにとっては変わらず母であり、姉であり、師でもあり、自分自身でもあったからだ。そしてノノーミにとっては、美しいビドレーを危険に晒すわけにはいかなかったからだ。


 ノノーミは焦燥感の突き動かすに従って部屋を飛び出し、宿を飛び出し、ビドレーの行方を尋ねてまわる。太陽も昇らない早朝だがビドレーを見た者は何人もいた。見逃す者などいなかった。

 ビドレーは一人、朝早い誰もいない時間帯に広場で詩曲の練習を、しようとしていたのだった。



 レブニオンは微笑みて、答えて曰く、友の背を

 刺す剣など持ち合わせぬ。我が魂が切り裂くは、

 邪念に満ちた行いなり。然らば問おうぞ、谷の魔女。

 何故民の魂に、邪心の薪を焚べたのか。

 何故我の魂に、邪神の薪を焚べぬのか。

 邪な魔女は押し黙り、見破られまいと口噤む。

 レブニオンは立ち上がり、谷の魔女に微笑みかける。

 妬みと嫉みの行く先に欲するものがあるならば、

 其を己の指針とし、歩み進むが良かろうぞ。

 我と指針を同じくし、共に歩みを進めよう。

 女傑と魔女は手を取りて、妖精率いて丘を去る。



 その歌は相変わらず平凡そのものだ。詩の表す情景に対する想像力に欠け、曲に籠る情念の欠片も感じさせない。下手ではないし声質は極上の美だが、やはりノノーミの織り成す魔法の調べにはまるで届かない。

 だが、人々が群れ集っていた。早朝にもかかわらず、多くの男女がその歌に聞き惚れたかのように目を蕩けさせ、痺れたように動かなくなっていた。


 その有様を見て、ノノーミの人形の体は動かなかった。ビドレーのもとに行くことも、宿に帰ることもできなかった。ノノーミの美を妬んだことはなかったが、ノノーミの栄光を妬んだ。

 その時、若い男の一人が獣のような声を上げてビドレーに抱きつこうとした。しかし別の男によって男は引き倒された。引き倒した男もまたビドレーの手を取ろうとしたが、やはり別の男に殴り倒された。どこかから石が飛んで来て、ビドレーの頬を掠めたが、その美が損なわれることはなかった。 


 その有様を見ても、ノノーミの人形の体は動かなかった。




 ノノーミの心の内に薄暗い感情が芽生えた。徐々に膨らむ邪念はいつの間にかある薬を手に入れていた。それは死なせることなく心を失わせる力を持っていた。

 いつもの通り、宿の部屋に食事を持って来させ、ノノーミは隙を見て葡萄酒に薬を仕込んだ。

 食事を前にして、二人は見様見真似で神に祈りを捧げる。


「私、本当に幸せだわ。最近、それを日増しに実感するのよ」


 ビドレーは酒を飲む前から恍惚とした表情でノノーミを見つめる。


「突然どうしたの?」とノノーミは訝しむ。

 ビドレーは少し照れ臭そうに、少し気後れした様子で言う。「前に一度だけ、一人で歌の練習をしに行ったことがあるの。話してなかったわよね?」

「聞いてなかったけど、朝からいなかった日があったね」

「そう、その日。その日、酷い目に遭ったわ。ずっと忘れていた。あの不幸の連鎖の日々。まあ、なぜか私の周りでは不幸と不幸が相殺し合うことも多いけど、不幸中の幸いと言うには、私自身も順調に落ちぶれて行った、あの日々」


 ノノーミは相槌だけ打つ。葡萄酒の方を見ないように努める。ビドレーは汁物(スープ)に匙を浸す。


「ずっとだらしない顔の男と妬みに燃える女の顔しか見たことなかったわ。だけどノノーミに体を貸している時は違う。皆、私の顔を観るのではなく、歌を聞いてる。聞き惚れてる。私の歌じゃなくて、ノノーミの歌を。皆、決してノノーミの歌を邪魔したりしない。それに私はそれを特等席で聞ける。こんなに幸せなこと、他にあるとは思えない」

「他にいくらでもあるよ。幸せなことなんて。あんたが知らないだけさ」


 ノノーミの硝子玉の目をビドレーが見つめ返す。「あんた(・・・)なんてノノーミの口からきいたの、久しぶり。怒ってるの? 私が勝手なことをして」

「怒っちゃいないよ。いつかは一人立ちすると思ってたからね」

「話聞いてた? ノノーミがいなくちゃ、私、幸せになんてなれないわ」

「そう? そうかもね」


 ノノーミの言葉に怪訝そうな表情を浮かべ、ビドレーは毒杯を握る。

 その時、突然扉が開き、男が押し入ってきた。ノノーミもビドレーも驚いて跳び上がる。男は千鳥足で、部屋はすぐに酒気に満たされた。酔っ払いだ。


「一体何? 誰?」とビドレーが怒鳴る。

「やっぱり。ここにいたんだね。僕の女神様。僕を置いてどこに行くというんだい? また僕のために、僕のためにうたっておくれよ」


 男は何事かをぶつぶつと呟きながら近づいてくると、ビドレーから毒杯を奪って一息に呷ってしまった。その瞬間、男は奇声と共に震え、力を失ったように倒れた。その瞳は開かれていたが、何も見ていなかった。


「そんな……これは、毒?」ビドレーはそう言って助けを求めるようにノノーミに目を向ける。


 ビドレーの目には菱形の札を持って、ビドレーの背中に忍び寄ろうとしていたノノーミの姿が映った。そんな風に許しを得ずに札を貼ったことなど今まで一度もなかった。また目が合った。

 ビドレーは全てを察したようだった。すぐさま飛び退き、立ち上がって部屋を飛び出す。宿を飛び出し、裏通りの暗がりに飛び込んだ。

 ノノーミは決して離されることなく、ビドレーを追い続ける。もはや名付けようにも名付けられない様々な感情がない交ぜになってノノーミを突き動かしている。


「誰か! 助けて!」


 ビドレーの悲鳴は絶大な効力を発揮した。すぐさま家々から男たちが飛び出してくる。だがその力が必ずしもビドレーを味方するとは限らないことを二人はよく知っていた。ノノーミに躍りかかる者もいれば、ビドレーに襲い掛かる者もいた。そしていつも通り男たちの乱闘が始まるのだった。

 ビドレーは何とか裏通りに逃げ込むが、既に人が溢れている。


 ノノーミはビドレーを見失って怒鳴る。「どこに行った!? ビドレー!」

「あっちよ!」窓から顔を出して指し示す女はノノーミとビドレーのどちらの知人でもなかった。


 揉みくちゃになりつつも、それこそビドレーが近くにいる証だ。


「ねえ! 私が何か悪いことをした!? 何でこんな目に遭わなくちゃいけないの!?」


 ビドレーの美しく劇的な叫び声が聞こえるがノノーミは答えない。その心の内には言葉が浮かび上がらず、ただ衝動だけがノノーミを鞭打っていた。

 長い追跡劇は家と家の隙間を通った先で唐突に終わりを迎える。行き止まりだ。月明りの射す寒々しい漆喰の壁に子供たちの落書きが溢れている。ビドレーはその奥で五つの顔を持つ小さな神の図像を見つめて何事かを呟いている。


「不幸って何なの? 幸福って何なの? 私はノノーミといられるだけで幸せだったのに、それすら望んではいけないの? どうして? どうして? 私が悪いの?」

「あんたは何も悪くないよ」とノノーミはビドレーの背中に言う。「ただ運が悪かっただけ」


 ビドレーは振り返り、眩い美貌を美しく歪める。


「ノノーミといれば不運も不幸も乗り越えられたのに。乗り越えた先には確かに幸福があったのに。私、間違ってたの?」

「仮にこの不幸を乗り越えたとしても、あんたは独りぼっちじゃないか」


 ビドレーは赤い唇を噛み締め、更に赤く染めた。


「私が独りぼっちなら、ノノーミは、あんたはその他大勢の不幸の一つに過ぎないわ」

「そうかもね。だからあんたが欲しいんだよ。その美しさを世のため人のために役立たせてやる」


 その時、月明りに人影が現れ、二人は屋根を見上げる。


「一体どんな状況? おじさんも混ぜてよ」


 軽薄そうな男が屋根の縁に座って二人を見下ろしている。剣を佩いていて、均斉の取れた肉体。今も裏路地で暴れている連中と違い、堅気でないのは確かだ。


 ビドレーが微笑んで言う。「あんたがノノーミと相殺するために現れた不幸?」

「え? 何? 何の話?」男は困惑しつつビドレーとノノーミを交互に眺める。

「どこかへ行きな。あんたの手には負えないよ」とノノーミが警告する。


 男は無視して屋根から飛び降り、二人の間に立つ。


「そういう訳にもいかない。実はビドレーって子に興味があってね。どっちか、は一目で分かるね。こりゃすごい」そう言って男は懐から取り出した麻布でビドレーの顔を隠すようにかぶせる。「君を攫わせてもらうよ」

「あんたについて行けば幸せになれる?」とビドレーは抵抗もせずに尋ねる。

 男は可笑しそうに笑う。「なれるわけないだろ? おじさんはただの人攫いだぜ? それに楽しめるかどうかは君次第ってもんさ」

「不幸を? 変なの」そう言ってビドレーはくすりと笑う。


 ビドレーが男の手を取るとノノーミが壁に札を貼りつけた。屋根と梁が割れて折れる激しい音と共に漆喰の壁が人型に変身し、男につかみかかる。

 しかし男は容易く漆喰の手指の隙間をすり抜けて屋根へと上がり、一目散に走り去った。


「今までありがとう、ノノーミ。幸せだったよ」とビドレーは言い遺す。


 ノノーミもまた叫んでいたが、その声は誰の耳にも届かなかった。

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