第21話「開幕」
溝の手前まで走りながら結局飛ばなかった者達は、外周上に残っていた。
頭を抱え込んで叫ぶ者、地面にへたり込んで泣く者、すっきりした表情を浮かべる者と様々だった。
旭日の命令に従い、彼等はぞろぞろと引き返して来た。
「これは酷い結果と言わざるを得ない。まさか〈神の庭〉に集いし者達の実に過半数が棄権するとはな。しかも残留者においても、単に自らの意志で選択を実行できなかったが故に、結果として残っただけの者が多くいる。嘆かわしいことだ」
溝の前で項垂れた奴等が、恨めしげに旭日を睨む。
こんな糞野郎の肩を持つのは癪だが、言い分自体は正論だと思ってしまった。
逃亡を認められ、実行可能だったにもかかわらず、奴等はそれをしなかった。
そんなものは甘えだ。怠けだ。自業自得だ。お前らはそうやって自分では何もせずに、被害者面をすることで得られる安っぽい陶酔に浸ってろ。
「とはいえ、過ぎたことを冗長に語ることに意味はあるまい。ここに残った者達、総勢四八三六名皆にその資格はある。――さあ、諸君。存分に自らの存在をぶつけ合うがいい。想定以上に数は減ったが、とはいえ物事少しづつでも前進し続けることが重要だ。手始めに今日はこんなところで行くとしよう」
旭日が言うと同時、再び二つの数字が浮かび上がる。
一つは一桁の数字、一つは時間だった。時間の方は、現れた瞬間からみるみる減っていく。
「要するに、今から五十秒くらいで三人殺せと? そういうことですか?」
「然様。無論今回の数字は、今日がこの殺し合い――(審問の篩)の概要説明に多くの時間を割いたことと棄権者が想定以上に多かったことに由来する。明日以降は制限時間もノルマの数字も遥かに大きくなる故、心配には及ばぬ。さあ、始めたまえ」
旭日が手を叩くと、参加者達は、付近の者同士一斉に睨み合う。
残り時間は既に約三十秒。
僅か三十秒では方針など固まる訳も無い。
加えて、たった三人なら誰かがやるだろうという他人任せの意識が働く。
結果として、膠着状態は制限時間が残り五秒となっても、ピクリとも動かない。
「あああああああああああああ!!!!!!!」
女子の奇声染みた甲高い声が響く。
それに触発されるかのように、今更になって参加者達が動き出す。
だが既に遅い。
「残念だ。初日にしていきなりペナルティが発生するとは」
既に制限時間の数字は消失し、ノルマの「1」の数字のみが掲げられていた。
あの僅かものの二、三秒のうちに二人もの人間の命が奪われたことも恐ろしい。
だがそれ以上に恐ろしいのは、数が減ったという事実だ。
これは、始まってしまったことを意味する。誰かがついに人殺しをしたのだ。
一旦動き出したら後はもう止まらない。
明日以降は滞り無く奴の期待する殺し合いが始まるだろう。
「今しがた説明したとおりだ。ノルマ達成まで一人足りなかった。故にペナルティとして、そうだな――これから余は貴様等のうちの十人を殺さねばならない」
残念と言いながらも、奴の表情には些かの翳りも見られない。
「手早く済ませよう」
旭日が短くそう宣言した瞬間、一斉にドスっという何かが突き刺さる音が聞こえた気がした。
如何な所業によるものか、どさっと音を立てて数人が倒れる。
俺の三十メートル程先でも、一人の男子が倒れるのを目視した。
彼の腹部からは、杭のようなものが生えていた。
一瞬にして、全てが終わっていた。
――はずだった。
「ほう、まさかこんなことが起き得るとはな。まずは賛辞を贈ろう」
旭日が見据える先には一人の女――それも俺がよく知る顔があった。
「私も驚いたよ。こんなあっさり抵抗されるって、お前案外大したことないんじゃないの? ひょっとして、全員で一斉に殴り掛かったらあっさり殺せたりして」
場内全体を恐怖と悲壮感が支配している中にあって、仰木の声はあまりにも力強かった。
それはまるで、不甲斐ない場内全ての者達を鼓舞するようでもあった。
「貴様、名を何と申す?」
「仰木流瑠香。あーそういう訳だから。皆さん殺し合うのは勝手だけどさ、間違っても私には喧嘩売らない方がいいよ? 容赦無く殺すし?」
参加者達が仰木を見る目は尊敬や歓喜よりも、むしろ畏怖の念が強かった。
奴に対抗できる者が現れたと喜ぶのではなく、むしろ旭日程ではないにしろ似たような化物がここにもいたと絶望しているかのようだった。
「ほう、まさかこの僅か一分で既に〈宿業〉を意のままに操るか。余の放った杭を視認できたことも驚愕だ。これは恐れ入った」
仰木の手には妖しい朱色に輝く刀のようなものが握られていた。
傍らには、果たして全長一メートル程の杭が落ちていた。根元から真二つに両断された状態で。
まさか、あの刀で飛んできた杭を叩き斬ったとでもいうのか。
「別に。視えてた訳じゃないよ。ただ来ると思ったから迎え撃っただけ」
「闇雲な迎撃で防げるものではないはずなのだがな。まあ良い。貴様は今の一撃に免じて生存を許そう」
「あっ……!」
全く別の方角から呻き声が上がる。果たして次の瞬間には、外れ指名の貧乏籤を引いた犠牲者が倒れていた。
「これで十人だ。十人目の彼女の反応も見るにつけても、やはり君が特別なようだ。今後の活躍大いに期待するとしよう」
紅い空が描かれた天井の輪郭が、次第に不明瞭になっていく。
偽りの空に蟠った旋風は、気付くと巨大な大渦を形成していた。
「おい、何じゃこりゃ! 俺達今日の脱落者は足りてるんじゃなかったのかよ!」
誰かが震えた声でそう叫ぶが、これが俺達を害するためのものではないことは直感的に分かった。
程無くしてうねりは世界全体を呑み込んでいく。
俺の精神は混沌へと堕ちて行った。




