序章
編集者の序文。
読者よ、私がこの原稿を手に入れたのは、親戚の風変わりな叔父がなくなって、
おそらく唯一の血縁である、私のところに、ある日、その遺品整理のために、叔父の田舎の別荘に来てくれないかと連絡があって出かけて遺品整理の中から見つけたのです。それは柳行李の中に他のいくつかの日記や書付とともに綴じられた原稿用紙として残っていた、
私は何の気なしにぱらぱらと読みふけってこれは出版すべきなのではないかという思いに駆ら得たのです。というのも風変わりな叔父は唯一私だけには好意ある態度で「俺がなくなったら遺品整理は頼むよな」などとぼかしめいて生前から依頼されていたからだった、
読者よ、この小説にはおそらく叔父の青春が閉じ込められておりそして叔父のおそらくはトラウマとなった少女の思い出が老年になるまで封印された秘密がうかがい知れるのではないだろうか?
誰にも封印したい思い出がある。それはそうして心の傷をいやす唯一の方法なのだから。
しかし叔父が亡くなったい今となっては、この原稿を焼却するよりも出版して好意ある読者の共感が得られるなら天国の叔父もさぞ喜ぶに違いないだろう。
読者よ、私ははそう思ってこれを出版したいのです。
それでは
発見された叔父の遺稿より。
青春の肖像、、、、、、、、。
序章
遠い思い出の彼方にかすむ1人の少女の原像、あれは本当の事だったのだろうか?
それとも青春のカーオスがつむぎだした私の幻覚だったのだろうか?
あの光り輝いていた遠い日々をふと思い出すたび、私はこうして白髪となった今でも言いようのない郷愁と憧憬にかられずには居られない。
その頃私は、東京の大学はでたものの、これといって就職活動をするでもなく、何気なく入った丸の内の真和海運会社にも実が入らず、一月足らずで辞めてしまい、4畳半の下宿をたたみ、実家へとで戻ってしまっていた。
そこで、父の家業を手伝ったり、短期のアルバイトをして実に優雅な暮らしをしていたのだが、
ふと、そうだ、自分は教員免許を持っていたのだと、思いつき、ここでこうしているよりもどこか田舎の教員にでもなって、隠者のように暮らしたいな、などと、夢のように描き出したのだった。その頃私は、都会での暮らしに疲れ果てて、そんな思いを抱いたのだろう。
早速勉強を始めて、その年、山里県の教員採用試験を受ける事になった。
1次試験は私の知っている問題ばかりで、何とほとんど正解、
案の定1次合格で2時の面接へとこぎつけた。
2次で何を喋ったか今ではもう覚えても居ないが、とにかく2次も合格。
とんとん拍子に進んでいったのだ。
そしてある日、私の元に1本の電話が、
「岡下複合学校の校長の有田と言うものですが、3月6日の13時に当校まで来てください。
採用の面接を行います。」
何と私は、教員として採用される事になったのだ。
その日、私は1時間も電車に乗り、着いた岡下駅から、さらにバスに1時間も乗り、
山あいの小さな学校に着いた。
そこは山間へき地に属する、
山奥で、谷川のその先に掛かった、つり橋を渡っていくというその先に開けた岡にたつ学校だった。
谷川の清流を下に見ながら、長いつり橋を渡り、
白い木造の平屋建ての学校に着いた。
古びた木の階段を上がり、ドアを押し開け、むくいたのろうかを辿り、事務室と書かれた
部屋に入った。
若い女の事務員が居て、
「ああ、山之内先生ですね。校長がお待ちです、どうぞ、」と
招じ入れてくれた。
校長はでっぷりと太った方で、
「やあ、遠いところごくろうさん、で、下宿はどうしますか?」
と聞いてきた。
もとより、こんな見ず知らずの片田舎に知り合いもなく、
まして滞在先など決まっているはずもなかった。
「いえ、どこかよろしくお願いします」
「そうですか、じゃあ、但馬先生を呼んでくれないかね、」と
女の事務員に命ずると暫くして中年のちょっと怖そうな、女教師が現れた。
このときまさか、このことがあんな、大問題になるとは私は知る由もなかった。
思えば、この女教師が私にとって悲劇の始まりだったのだ。
付記
この小説は全くのフィクションであり、現実の一切の事実とは全く無関係です。また、、名前。場所、人物等、現実とは全く無関係のフィクションです。
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