天孫族とコーカソイド
天孫族について、異説のようなものも書いておこうと思う。仮に天皇が出雲海人連合に属していた場合になる。この出雲にある新羅的つながりとは何なのか?
それについては沃沮がキーになるかと。半島を東西に分けてツングース的色が濃いかモンゴルトルコ系の色が濃いか?と分けられる。それは単純にC2CとC2Bじゃない。Y染色体ハプロに分けられない独特のクラスターの違いが半島東海岸から沿海州までにはある。これはとても重要。これは日本人にも深く関わってくる。
近畿勢力とは違う。周辺部での独特の遺伝子は大陸系からすでに違うからとなる。それが東北北陸に跨る縄文から続く沿海州との交流になる。本来ならこれがC2Bによって表されればわかりやすいのだが、半島ではC2Bはほとんど出ない。ネットで朝鮮人はエヴェンキがルーツだとあるがそんな単純なものじゃない。半島ではツングース系C2Bはほとんど出ない。日本も同様だ。
だが日本も半島もそういった分かり易い指標じゃないツングース系が入っている。それがこの半島東海岸から沿海州に繋がる部分。朝鮮人にとっては中国系の遼河人も大事だが、このロシアに繋がる遼河人もとても重要。
同じ遼河人なのに何故違うのか?これについては良く分からないが、多分西遼河人が別の系統の遺伝子の流入で変化したからだと思われる。むしろ東遼河人が古い遼河人の血を色濃く残してる可能性がある。後はC2BがC2Cで塗り換わってしまったか?または、O1系で上書きされた可能性がある。C2Bの原シベリア系遺伝子の影響が色濃い可能性がある。
それと言うのも韓国人のルーツでロシア悪魔の門という洞窟の人骨がある。これが地元の少数民族と韓国人に繋がってるとの分析が出ている。東と西の遼河人、C2系がぶつかったのが朝鮮半島だと見れる。そしてこの関係がそのまま日本でも日本海側で現れる。出雲と言うのはそういう背景がある。出雲から東北に逃げたという話しもあるが、そもそも縄文時代から沿海州のN系が入ってきた可能性がとても高い。
それを考えると東北と出雲の遺伝子と言語が似てるのは当たり前の事なんだ。間の北陸だけが機内勢力にかなりしっかり制圧されたのが原因だと思われる。これは出雲が例外視されて手を出さなかったためだと考えればすっきりする。それだけヤマト王朝は出雲に気を使っていた証しとなる。
さてじゃ天孫族は沿海州のツングース系なのか?
それがだそれだけなら前書いた。今回は以前書いた満州にあるR1Bについてになる。これがR1Aならモンゴル系を疑えば良い。新モンゴロイド系では高いR系が出る民族になる。彼らは間違いなくスキタイの後継者だから。ただそれはR1Aと言う特徴的なインドイランロシア系遺伝子があるので分かり易い。
これはR1Bの話しだ。ウイグルに最初に入ったトカラ語を使うグループで月氏と呼ばれるグループがこの中でR1Bのスキタイのメンバーだったグループになる。彼らはR1Aスキタイとともにバイカル湖を起源に東方に広がったグループで今はウイグルに末裔を残してる。このグループR1Aスキタイより先に東方に青銅器文化を伝えている、
何故タイムラグがあるか?と言うとスキタイといわれるグループじゃなかったからになる。馬を扱う遊牧民=スキタイではない。騎乗戦闘こそがスキタイのスキタイたらしめるもので、当時戦車や放牧のために馬を使っていたグループはスキタイじゃない。スキタイの先祖とも言えるグループになる。
彼らは騎乗戦闘の前に金属加工の優れた集団として東方にやってきた。彼らがシベリアルートを使って沿海州を回って韓国に流れたとの話がある。
馬鹿馬鹿しいとなるだろう。だが満州ではなぜか謎のR1Bが出て、韓国でもごくごく僅かだがR1Bが出る。しかも過去に人骨も見つかったとの話がある。眉唾ものだが。もちろん過去任那の后がインド人だったとの話があるが、それとはまったく別の話しだ。
実に馬鹿馬鹿しい話だと思うが、胡散臭いソースだが、韓国人のルーツにこの沿海州ルートのコーカソイドを入れている話もある。どこまで本気なのか?分からない。韓国は研究じゃなくて、研究者が馬鹿な適当な発言をする事が多い。民族的な妙な癖がある。もちろん論文じゃない。軽い思いつきの様な話しだ。
そういったものが集合して論だとしてネットで拡散する事が多々ある。
だが天孫族で何故出雲とヤマト両方なのか?それを考えた時新羅系の沿海州ルートの騎馬民族の流れを考えてしまった。そして東北の秋田美人伝説に繋がる。何度も書くが、JCV分析は過去の、アメリカ先住民と混血したシベリア人が持っていた遺伝子で、細石器が伴った古いコーカソイドの祖先集団が日本人の祖先になったのを示してるだけでコーカソイドとは全く関係が無い。
扶余族だとした場合の欠点として、これはダウール東胡もつなげて良い。そもそも匈奴による東湖壊滅による鮮卑族の移動が東北部の南下に繋がってるから。そのまま東湖集団が南下した可能性だってある。ちょうどこの間がダウール族の居住区になる。モンゴル系の騎馬民族と接していたので何かしらのそこに意味があるだろうと見ている。
扶余は国自体は農業国でモンゴル系の遊牧民と異なる部分がある。この辺りツングースに近づくほど事情が複雑になっていく。こてこてのモンゴル高原騎馬民族と違う。言語が違う問題があるが、ダウール族と絡んでいた可能性がある。遊牧民にとって血族集団はあまり重要じゃない。
血族集団のまとまりがまずあり、次に1つの大集団としての戦闘集団がある。だからそこにダウール族が混じっているなんてざらにある。それこそまさに金氏が匈奴の末裔がありうる話かもってなる。匈奴が大きくなる時に当然モンゴル族も吸収しただろうし、そもそも貴族階級以外なら匈奴帝国の遺跡でC2Cが出ている。
さて、問題はそこじゃない。卵生だ。天皇家には卵生が全く無い。秦も卵から生まれるわけじゃない。鳥の卵を食べたら身ごもったという山東省ではベタベタな鳥をモチーフにしたものだが、卵が密接に関係している。すきたいとの類似性を書いた。とても胡散臭い話ではあるが、コーカソイド金属加工、騎馬民族集団が、流れ流れてシベリアルートで新羅まで来て、これが天孫族の元になったんじゃないか?
その割にはハプロは一切でないが?まあそれはその別に良いかと思う。ありえないような長い旅路の果てにやってきた。これが大事で、いかもそれが天孫降臨に繋がる話しになる。
もちろん私はこれを主とする天孫族の正体だとはいわない。だが日ユ同祖説とか、秦氏=ユダヤ人とかのアホ話よりはましだと思ってる。秦氏をひょっとしたら魯の親戚筋が日本に来たかもとくらべると本当に不誠実な話しだと思う。謎のコーカソイド集団の方がよっぽどマシ。
弓月君ってのが弓月国って中央アジアにある国からやってきたって話がある。実際秦氏は新羅出身で、新羅ルートとコーカソイドに繋がる部分になる。もちろん秦氏は数少ないデータだが始皇帝系のハプロだと分かっている。R系ではない。だが新羅について回るコーカソイド関係の話しまんざら出鱈目すぎると言えない部分がある。当時のあの辺のR1Bはトカラ人と分かりきってるのでユダヤ人ではないが…。
思わず笑ってしまったが、新羅馬と書いて、新ローマと読むなんて話もある。んまーこの辺りは笑って流してくれても良い。
追記:これ元ネタ見つけたけど、うーん、例のアメリカ先住民がシベリア集団としてC2と混血して南下した?程度の話の可能性。何故なら7000年前の人骨だから。それコーカソイドと呼ばれる人種居ないから…。当然金属加工も騎馬民族も居ない。
アメリカ先住民で欧州移民と区別が付かないけど、R1Bが先住民からも数多く出る。混血だと片付けられてきたが、当時バイカル湖で見つかったハプロはQとRだが、このR、アメリカの状況からR1Bである可能性が高い。
ただし、ここで一ひねり、実はこれmtDNAで、ハプロはHになる。バイカル湖集団のハプロはUだと分かってる。古い欧州血統になる。これがUとXが検出された。Hは出てない。
そうなるとよりバイカル湖集団とは違う可能性が出る。
ただし、騎馬民族では無いし、金属加工も多分違う。過去に西方からの農業集団があった可能性は言われていたのでそれかと。後馬自体がまだ家畜化されてないと思う。




