8、イレナド砦
森から南西に五キロほど抜けた所にディアス達の詰め所であるイレナド砦はあった。
時は夕刻。空が暗くなりかけている。カラスのような鳥が鳴き始めていた。
瑞穂を後部に括り付けたディアスが御する馬を筆頭に、仲間の騎士と思しき男性五名の馬が前列を形成して進んでいる。中列には彼らが捕らえた虜囚を送致する為の馬車が揺れており、それらを取り囲むように監視の騎士が数名馬に乗りながら並走。後列はさらに数名の騎士達が馬に乗りながら守りを固めていた。どうやら馬、馬、馬……な、結構な大所帯だったと、瑞穂は一団を目の前にした時は思ったものだ。
そして、瑞穂当人といえば、この異世界へ飛ばされてからずっと休めていない状態が続いていたわけで、身体の調子はもはや限界を突破していた。
そんな最中、ひとまずまともそうな人間に出会えたことで安堵感を得ることが出来たのが良かったのだろう。どのような経緯であれ、馬の上に括り付けられていようが何だろうが構わず思いっきり寝て現在に至ってしまっていた。
ディアスの仲間達に馬上から引いた目で見られていたが、瑞穂当人は知らぬ話である。
人間の三大欲求の一つ、睡眠欲の前に勝てる者などいない。
やがていよいよ砦が間近に見えてくる。小さな湖と木々に囲まれた場所にそびえ立っている様は、むしろ砦というよりは、別荘の館と言った方がふさわしいような気さえしてくる。ただ、石造りの建造物がポツンとあるだけなので、妙な侘しさを感じさせてはいた。外観も手入れが雑で飾り気がないためか、殺風景の一言に尽きる。
砦が眼前に姿を現した頃、瑞穂はようやく目を覚ました。少し眠気は飛んでくれたが、正直まだ辛い。
(ああ、眠い。その上、寝心地が最悪だわ。馬の上がベッドなんて素敵ね♪なんてたわけたことを言える程、私は女子力高くないのだよ……)
欠伸をかみ殺しながら、瑞穂は異世界の風景を全身で感じていくことにする。……一つ一つに世界の事情を掴むヒントが隠されているはずだと思いながら。
=イレナド砦=
馬に乗せられたままの瑞穂は、立て札を体勢をよじってなんとか読み上げた。
(不思議なことに読むことも書くことも出来るんだよね)
縛られてはいたが、手先は動かせる。思いつきで手でペンを持つ形で宙に文字を書く動作をしてみたが、この世界の文字を書けると実感できた。
何語かは分からないが、明らかに日本語とは違う感覚がある。これはいよいよ通訳魔術の存在が真実味を帯びてきたかもしれない。もし本当に、先だってこの絡繰りを用意してくれた者がいたとしたら感謝の念に堪えない。
そんなどうでも良いことを考えていると、砦入り口付近から元気な声が駆け寄って来た。
「ディアス!お疲れ様!」
「げっ!ユースロッテ!おまえ、バーダフェーダへ戻ったんじゃないのか?」
「近隣でやることがあるって言ってただけでしょ。都市へ戻るとは言ってないよ」
「帰ってくれても良かったんだぞ」
「まったまたぁ。僕がいないと寂しいく・せ・に。それと、僕のことは親しみを込めてユースって呼んでくれっていってるじゃないか」
「……」
ディアスの今まで見せていた鋭い相貌が、途端に肩を落とした疲れた雰囲気へと変わる。よく見れば口元が引きつっている。もしかしたら帰って来て欲しくなかった相手なのかもしれない。
声の主は男性声とはいえ、透き通るような綺麗な声で瑞穂は思わず聞き入ってしまった。ぜひ日本で声優をして欲しいと瑞穂の脳裏を非現実的な考えが過ぎってしまうのは、まだ残っている疲れのせいだと思われる。
身長はやや低め、一六五センチぐらいで金の髪を無造作に散らしている。どちらかといえば童顔であろう顔からして、引っかき回す三男坊のような印象を与える。身に纏う灰色のローブは動きやすいように丈が短めで、それが彼の気性を現しているようにも思えた。
(しかし、まだ砦からはそこそこ距離があるのに、気づいて屋内から出てくるなんて……。彼が気配を察知出来る手練れには見えないし……。あ!なるほど、近くに結界を張っているわけか)
瑞穂は馬上から砦入り口の門の両脇に、とある三角錐形状の石が設置されているのを目で確認した。簡素な作りだが、充分な魔道具の役割を担った石だ。
ユースと呼ばれた青年は体術ではなく、魔術の専門家である可能性が高いようだ。結界に使用している石と同じ石の板を彼がポケットに収めるのが見えたからである。魔力の残り香が石版と結界双方から流れ落ちるのがわずかだが感じ取れる。術の主でほぼ確定だろう。
どうやらこの世界には瑞穂と同じ『魔術士』が存在しているようだ。彼らがどの程度のレベルまで魔術に精通しているのか、また、この世界の魔術にどのようなものがあるのか、瑞穂は湧き出る好奇心を無理矢理押し込めた。魔術士は基本、誰でも探求者だ。自覚はあるから始末に悪いといつも瑞穂は思っている。
こちらのことなどお構いなしに、新緑の瞳を輝かしながら好奇心満々にしてディアスに語りかけるユースロッテの姿を見ているうちに瑞穂ははた、と思い出した。この青年は瑞穂が捕まった時にディアスの背後から出現した人物であった。
彼は瑞穂が捕まった後、やる事があると言い残して早々にあの場を離脱してしまったのだ。
だからまさかディアスもユースロッテこんなに早く戻ってくるとは思わなかったはずだ。予想外の早期の出戻りで、せっかくウザい"ユース"から解放されたのにどうして、と顔に書いてあるようだと瑞穂は察した。
さらにめげずに話しかけて反応を楽しんでいるユースロッテもユースロッテで、何となく二人の関係性が読めそうな風景ではある。
(あ、こけた)
口だけでは飽き足らず、ついには抱きつこうとしたユースロッテは、ディアスに見事にかわされた。そして、その勢いのまま蹴躓いて地面に突っ伏してしまう。
ディアスは抱え起こしたりなどせずに、冷たい視線を寄越すのみだ。
ユースロッテはニヘラぁと笑いつつ、立ち上がって泥を落とし、どうってことないという顔を見せた。
「おまえの運動音痴はどこまで酷いんだ」
「ひ、酷くなんかないよぅううううっ」
「懐かしいな、学生時代の徒競走……」
「ああ!その話だけはやめて!僕の黒歴史だから!後生だよ!!」
それから延々と二人の掛け合いは続いた。どれくらい続いたかというと、一緒に帰ってきた騎士の方々全員が、捕らえた者達を砦の中へ引っ立てて消えてしまうのに要した時間くらいである。
気がつけば砦の入り口にはディアスとユースロッテ、そして馬に括り付けられた瑞穂の三人と一匹のみしかいなくなっていた。
そして、彼らの中での漫才が一段落して、ようやくユースロッテは瑞穂へ反応を示した。
(いや、存在把握してて今まで無視してたんだよね?コイツ相当性格悪いよね!?)
「彼女もやっぱり連れてきたんだ?」
「当たり前だ。現行犯だからな。後ほど砦で聴取する」
「んー、あれねぇ。僕も遠目ながら成り行きを見てたけど、もうほとんど事故だったよね?元はと言えばディアス、君がか弱い女性を追い詰めたのが悪いんじゃない?」
「……か弱さを装っている可能性もある」
――この男は昔、余程女性に痛い目にでも遭わせられたんじゃなかろうか。
瑞穂の苛立ちを感じ取ったのか、ユースロッテは目線を合わせて優雅に一礼してくる。
猿ぐつわをされて苦しいので、余計に腹が立った。
「おっと、ごめんねぇ。僕はユースロッテ。さっきも言ったけど、みんなは親しみを込めてユースと呼ぶよ」
よろしくね、とにっこり悪意を感じさせず微笑んだ。
この笑みこそ狸の証である。こういった人物に前世でも何度煮え湯を飲まされたことか。
言いたいことは山ほどあるが、口元に噛まされた布のせいで瑞穂はウーウー唸ることしが出来ない。
仕方ないので、心の中で言わせて貰うことにした。
(どうでも良いから馬にふんじばったまま放置はやめてくれませんかね?)