71、教会で感謝されるの巻
バーダフェーダの南に位置する旧市街はどちらかといえば治安が悪い。それは新市街に再開発を行った時、転居する余裕の無い事情の者達ばかりが残ることになったからだろう。余裕がない=金が無いというのは明白である。
となれば自然と物騒にもなるわけで。しかしながら、そんな貧民街とも言える場所から志を持って移らなかった者もいる。それが教会である。
ルバニア王国の国教教会の信念は生きとし生ける者への無償の愛。慈悲を持って貧しい者達にも救いの手を差し伸べるという。そして、そんな立派な慈悲の象徴といえるバーダフェーダ南教会の建物前で瑞穂は子供達に囲まれていた。
先程の一件で、事情聴取する為に場所を移そうと提案すると、彼らに手を引っ張って連れられて来てしまったのである。あの騒動では見せなかった気を許した表情を無碍にも出来ず、なし崩し的に来る羽目になったのだ。
落ち着いて話せる場所とは言ったがまさか教会とは思いもしなかった。だが、彼らの境遇を推察するに教会が唯一、安全に過ごせる場所というのも納得した。
教会は孤児院も兼ねている。彼らは皆ここで保護されているのだ。
(その割にはみんなイイ性格してみるみたいだけどね)
「参ったよ姉ちゃん。アンタ強いんだな……。おっと、自己紹介が遅れたな。俺はイアンって言うんだ。見ての通り、教会に世話になってる孤児さ」
「私は下っ端騎士団員のミズホよ。よろしくね」
「自分で言うかぁ?」
「姉ちゃんおもしれぇ~!」
子供達は言いたい放題だ。
「今、仲間のミーシェが先生呼びに行ってるからしばらく待ってくれよな」
「教会前のお庭で十分話は聞けそうだし、この場所でいいのに」
「そういうわけにもいかねーよ」
何せ俺達の危機を救った大魔術士様だとイアンは茶目っ気たっぷりにウインクしてくれた。
しばらく子供達と談笑していると、教会の入り口の扉が開き、中から三つ編みの少女が元気いっぱいに声を上げて来た。
「イアンー!準備出来たから上がってもらってー!」
「了解ー!」
かくして瑞穂達は教会へと入場することと相成った。仕事は一通り終わってはいるが、退勤カードを騎士団事務室へ提出していない。後でどういう言い訳をすれば直帰扱いにしてもらえるかを考えながら、瑞穂は扉を越えたのであった。
「ほら、お姉ちゃん、入って入って!」
子供達に引っ張られながら、教会に入るとそこには静謐で清らかな世界が広がっていた。年季は入っているが磨き抜かれた大理石に似た石床を歩くと、コツコツと靴音が響いた。
礼拝場とされるこの室内だけは、他と比べても豪華に手を入れて作られているらしい。
バーダフェーダ南教会は旧市街が街の中心であった頃に建てられた。当時の富裕層も利用することを前提として作られたのだから、そこそこ立派な建物になったわけだ。だがその質の良さが治安悪化の一途を辿る旧市街になってからは悪目立ちする部分もあったらしく、外装はすべて質素な作りにリフォームしたという。以上の解説を瑞穂は拝聴人よろしく子供達から聞かされたのだった。
「貴方達、よく知っているわねぇ」
「自分達の置かれている状況を認識するには、国や街の歴史を紐解いて知ることこそ重要だと先生に言われたの」
なるほど、先生と呼ばれる人物は中々に冷静で真っ当な御方らしい。
子供達の声がさらに騒がしくなった。どうやらお待ちかねの人物が登場したようだ。
ミーシェに手を引かれて一人の女性が奥の扉から現れたのである。
「……っ」
瑞穂は彼女の顔を見て思わず目を見開く。何故ならその女性を、瑞穂は印象深く覚えていたからだ。
流れる金糸の髪。水色の瞳、白磁の肌。年相応の瑞々しさを醸しだしつつも、上品さは損なわない雰囲気の美女。修道服に身を包んだシスターが向かってくる。
「(聖女エフィア……)」
瑞穂は消え入る声で呟いた。
(果たしてどちらだ?)
馬車襲撃事件の時の聖女か、カイケロ街の夜に出会って襲ってきた危ない少女か。
どちらも同じ顔をしていたが、アレはまるで違う別人だと言えた。
馬車襲撃事件の時の聖女であれば、確か、ディアスにご執心だったはずだ。
けれども今日はあの時のような熱っぽい目はしていない。どちらかといえば慈愛にみちた落ち着いた瞳である。
懐いてくる子供達に手際よく相手しながら、瑞穂の前まで歩いてくる姿はこれぞ聖女であろう、と思わせしめてくれた。きっと彼女の元来の姿はこちらなのだと思うと、何故かとても安心してしまった。
でもディアスの前だと年相応の女性の行動をしてしまうのだろう。それだけ必死ともいえる。
なんとなく、瑞穂は納得してしまった。
――彼女は馬車襲撃事件に居合わせた"まともな方の聖女"だ。
それならばと、瑞穂はカイケロ街の危険女である記憶は一旦棚上げとした。
「初めまして、ミズホと申します。騎士団の文官をしております」
「こちらこそ、ご挨拶が遅れてすみません。私はこの旧市街の教会に勤めているシスターの一人、エフィアと申します。こちらのミーシェから聞きました。子供達をトラブルから救ってくださったそうで。本当に心からお礼申し上げます。ありがとうございます」
深々と頭を下げてくるエフィアに瑞穂も思わず恐縮して頭を下げてしまう。赤く光る首元のペンダントが質素な修道着だからこそ映えていた。決して、ペンダントがちょうど豊満な胸あたりで光り輝いていたから余計セクシーに見えただなんて瑞穂は露とも思っていない。……思っていないのである。
そして気付いた。彼女はシスターとは言ったが、『聖女』とは言っていない。例え有名人であろうと、相手が気付き言及してこない限り、聖女という面をアピールはするつもりはないのだろう。
ならば瑞穂の彼女の意向に付き合うべきだろう。瑞穂自身がエフィア=聖女と知っていたとしても、知らなかったとしても、どちらでも取れる応対をしようと決める。
「いえいえ、私は行きがかり上、彼らと関わっただけですので。もし、最悪、私抜きでもどうにか出来る算段はあったのでしょう。彼らはとても賢いようですし」
イアンはフフンとちょっと偉そうに鼻をこすった。その天狗の鼻をへし折るように、エフィアはイアンの頭に小気味良い音を立ててげんこつを下した。痛ってーという声が響くのも、無視してエフィアはニコニコと瑞穂に笑顔を向けた。
エフィアはただの上品なお嬢さんではないようで、活発な面もあるようだ。
「手癖も悪いと付け加えて下さって結構ですよ。私も彼らの性格には手を焼いているのです。でも中々聞いてくれなくて……。今後は強く言って聞かせておくので今日のことは……」
「分かっております。騎士団には子供達の悪さについてまでは報告するつもりはありません。ただ、相手(標的)にする大人と場所は選ぶようにして下さい。犯罪を推奨するわけではありませんが、せめて、それだけでも、と思います。今日のことも、今後のことも含めて、私もこれ以上騒ぎを大きくするのは本意ではありませんし」
「本当に感謝します。ありがとうございます」
エフィアは再び頭を下げた。
エフィアと瑞穂の間にとても暖かな空気が流れた。瑞穂もこの雰囲気は嫌いでは無い。
「それにしても、またしても騎士団の方に助けて頂いてしまいましたわね。いえ、いつもと言うべきかしら。教会側としてはそれに報いることが中々できず申し訳ないです」
「騎士団といえども私は下っ端ですんで、お気になさらず」
「いえ、騎士の方々のそのお志が素晴らしいのです。そこに階級は関係ありませんわ」
(純粋なんだな……)
聖女である前に、教会の信念と理想、気高き精神を持ってシスターという職業を勤めているのが良く分かる。
だが、
「ぜひディアス様のお力にもなってあげて下さいませ」
紡がれた言葉が、気高きシスターから恋する乙女の顔へと変貌させた。ついでに瑞穂の心からも尊敬という念も霧散した。
瑞穂は死んだ魚の目になった。
そういえば魔族による馬車襲撃事件では確かにいかにも知り合い――いや、それ以上を漂わせる雰囲気だった。ただの恋する乙女が遠巻きに恋情を送っているのではない。エフィアとディアスの距離は近い。騎士と聖女ならなおさら関わりもあるのだろう。
(め、面倒くさい~)
これがなければ、エフィアという女性は完璧なんじゃなかろうか。
「すみません、ディアス隊長とは懇意だったんですね。私は地方から来た新人なので、バーダフェーダの騎士団事情に詳しくないのです」
瑞穂の面を喰らった表情に、エフィアはしまったという表情を隠しきれない。
「え、ええ…。教会は騎士団と懇意にさせていただいておりますから。ディアス様とも、面識があるのですわ。それにディアス様は非常に優れたお方で、有名でしょう?私も大変お世話になりましたから」
「まあったまたぁ!エフィアねーちゃんも白々しいぜ」
話に割り込んで来たのは聡い少年ことイアンであった。大人の挨拶が始まると、離れて子供達は遊び始めていたのだが、色濃い沙汰の話題になると、耳聡く近寄ってきたのである。
「どういうこと?」
得意気な顔で彼は語る。
「ねーちゃんはなあ、ディアスに女神の祝福を与えた仲なんだぜ?」
「あ、い、イアン!そういうと誤解が生まれますでしょう?それにディアス様って言いなさい!」
「やーだよ。あんな澄し顔男!ぜったいムッツリスケベなんだぜー!同性だから分かるんだよ。男の第六感!」
はわはわしている様はまさに恋する美少女。どの漫画やゲームに出しても一番人気を勝ち取れるだろう。
まんざらでもなさそうな顔からして、恐らくエフィアはディアスのことが好きなのは間違いない。というかもはや好きオーラ全開である。しかし、イアンは面白いだろうが、それこそ瑞穂にとって他人の色濃い沙汰なんて今はどうでも良い。それよりも気になるのは――。
「女神の祝福って何ですか?いやはや、新人だもんで、その辺の事情も疎くて。女神だなんて、素敵な響きですよねぇ」
(自然な流れだ)
これで、瑞穂がエフィアのことを聖女と知っていようが、知ってなかろうが、彼女が説明する運びとなってくれる。
瑞穂の問いに顔を赤らめながらエフィアは順を追って答えてくれた。
「お気づきかもしれませんんが、私は聖女と呼ばれております。聖女は治癒の力に特に優れた女性を指すのですが、私が光栄にも神の啓示を受け、その任に現在就かせて頂いております」
そして、とエフィアは続ける。
バーダフェーダには武道大会が年に一度ある。勝ち抜いた王者は褒美として、報償金と、大会の女神の役どころについた女性から祝福が与えられるらしい。
ただし、その大会に聖女が居合わせれば、その任は聖女に回ってくる。その方が余興も盛り上がるからだ。この辺りは、主催者と教会の相互便益を兼ねている事情もあるらしい。
過去、大会にディアスは二度出場したことがあるらしく、その二度目に優勝した。その時、この街に赴任したばかりのエフィアが祝福を与える役目を賜り、彼女がディアスに祝福を送ったという。
ちなみに武道大会の女神役は、聖女が居合わせない時は、毎年選出されるそうである。
価値は日本で言うところの『福娘』ぐらいの扱いのようだ。昔は由緒正しい謂われのある選定魔術儀式をもって、女神役の選出を行ってたそうだ。だが、近年は対象年齢の女性で且つ、その年の女神役の試練で一番となった者が女神役となる方式に変更された。
その女神役の女性はこの地域の七月の『聖魂祭』で儀式も執り行う。むしろこちらが肝となる役目だろう。ただし、それ以外にも仕事は付加されているようで、その一つが武道大会優勝者に与える『祝福』だという。
「あの、祝福って具体的には何をするんですか?」
「決まってるじゃーん!」
「ちょっとイアン!」
口を塞ごうとエフィアが手を向けるも、イアンはするりと抜けて教会の壇上へと駆け上がった。子供とは身軽なものだ。
「つまりー、エフィアねーちゃんがディアスの野郎にキスしたってーわけ!」
「いやぁ~!やめなさいって言っているでしょう!イアン!!頬です!頬だけですよっ、ミズホさんっ」
顔を真っ赤にしたエフィアは礼拝場から走って出て行ってしまった。
最大の乙女の甘い思い出を暴露されてしまってはさすがの聖女もたまったもんじゃなかったらしい。
同じ乙女として微妙な気分で同情した瑞穂は、イアンに軽く拳骨をくれてやった。
――年頃の女性の心はかくも繊細なのである。
エフィアが聖女なのに一人でうろついている理由は後ほど書きます~。