69、お使いで
「ありがとうございました―― 」
にこやかに店員に見送られて、瑞穂はラッチェ広場荷受局を後にした。ディアスは相変わらず帰ってこず、瑞穂は騎士団の仕事を今日も今日とてこなしている。
物語の場合、ヒーロー不在が長らく続くのはいかがなものかと思うが、いやはや現実はそうはいかないものである。
バーダフェーダといえば、小さな事件は起きるものの、聖女が襲われた事件以降、大きな事件は起きていない。商業都市・観光都市で賑わっているバーダフェーダは経済状況も良い。先日のメリディシア遺跡解禁で冒険者も集いつつあり、さらなる賑わいを伺わせている。余程のタブーが無い限り、元来活気ある平和な街なのかもしれない――と瑞穂は肌で感じていた……。
「次は南の騎士団詰め所へ荷物を届ければお終いね」
簡易マップを広げて道を確認する。まだまだ、街には不慣れなので致し方ない。
(カマラバ橋を通っていこう)
この橋を通った先にはカフェが多数あるおしゃれな広場が広がっている。
仕事の合間に寄り道しようと瑞穂は心のメモ帳に深く書き留めてあるスポットだった。
どうせ非日常の世界に放り込まれたのだ。しかもそう簡単には帰れない。長丁場になる可能性も出てきた。ならば、この際この世界を楽しんでやるのだ。
ラッチェ広場に着くと、早速良さそうな店を物色し始めた。ポケットに忍ばせた分厚い冊子の観光ガイドをめくる。
「……」
(ラッチェ広場の一押しは『ハティ』というお菓子か。挿絵からして、地球のチュロスによく似ているなぁ。よし、それをまず買おう!)
悲しいかな、乙女の心はいつの時代も甘い物に弱いのである。
瑞穂はハティ屋を目指してずんずん突き進んだ。
いくつかのカフェは中央の噴水を取り囲むように野外席を設けている。皆思い思いに談笑していて、麗らかな午後の一時を満喫しているようだ。
その前を空気を楽しむようにして、歩き抜けて行く。
(イタリア旅行に行ったときもこんな感じだったわね)
去年、家族旅行でイタリアに行った時、母親とカフェめぐりしたのは良い思い出だった。
「和真はどうしてるかな……」
両親は絶賛長期出張中だから、気がかりなのは弟だけだ。
トライディアという異世界と地球の時間の流れの差は分からない。
だが、さすがに、瑞穂が消えて結構な時間が地球でも経っているのではないかという予感がする。
とはいえ、今の瑞穂に打つ手は無いのだが。
(いかんいかん。変なホームシックになりかけているわ)
ハティ屋はいくつかあったので、雰囲気の良さそうな店を選び、瑞穂はハティと紅茶を注文した。
しばらくするとウェイトレスが注文の品を持ってきてくれた。
せっかくなので他愛ない会話を挟みながらバーダフェーダという街についていろいろ聞いてみる。
ガイドブックも良いが、現地の人に聞いてみるとまた違った一面を知ることができる。
観光客相手にこの手の話は慣れているらしく、ウェイトレスは屈託のない笑顔で快く話してくれた。
「へぇ~、ということはバーダフェーダって結構歴史があるんですね」
「その評価は人によって違うのよね。私は地元だから学校で歴史とか習ってね。街自体は五十年ほど前にできたと言われてるんだけど……。先住民の定義を入れるとまた話が変わってくるっていうか」
「先住民?」
「ここだけの話……」
そっと彼女は耳に顔を持ってくる。そして、小さな声色でささやいた。
「あまり大きな声では言えないんだけど、バーダフェーダのあるこの土地には先住民がもともと住んでいたの。それが魔族だったんだ」
「それは……」
「国は先住民の存在を認めてない。だから教科書にも載ってない。魔族が巣くっていた土地を我々ルバニア王国民が浄化して住めるようにした……とか曰ってたわ。でも本当は魔族から土地を奪ったのは皆分かってる。それこそ、街に代々住む家系の人達は開拓者だった先祖を持つ人も多いし」
思いの外、このバーダフェーダという地は複雑な歴史を刻んでいるらしい。
しかし、先住民たるこの地の魔族が人間に住処を追われるとは、同じ魔族として嘆かわしいものである。
(魔族って、一般に人間より強いイメージがあったんだけど、その定義は世界で違うのかもしれない)
そして、人間に負けた魔族の行方は……どうなったのか。
「バーダフェーダを追われた魔族はその後どうしたんですか?」
「それは――」
答えようとして、さすがに語りにくいことだったか盆で口元を隠してしまった。それから明らかに話を世間話に剃らした後、ウエイトレスは仕事に戻って行ってしまった。
(どうして黙る必要があったの?魔族を追い出したという事実以上に気まずいことってあるのかしらね?)
瑞穂の疑問は第三者の新参者であれば極普通に抱く疑問のはずだ。
そして、この回答は思わぬ方向から転がりこんで来てくれたのである。