62、一日一善
一年の中でも特に気候が良いとされる新緑の季節がルバニア王国にも訪れている。
騎士団の雑用として働き始めて一週間。
騎士団支部二班ことディアス隊のメンバーは任務で遠出していて、顔を合わせることをまだしていない。瑞穂といえばディアスではなく、騎士団事務職員のお使いをするという、実に雑用に相応しい業務をこなしていた。
そんな中、ディアス隊の副隊長を務めるジョーという人間(彼とは顔を合わせ済)から手紙が届いた。内容は新入隊員(瑞穂)の歓迎会をするから本日の十三時にあさぎ亭に来るようにというものだった。
そのはずだったのだが……。
(どうしてこうなった!?)
皿と皿が飛び交っている。
瑞穂は両手で頭を守りながらテーブルの中に入り込んで様子を伺う。
事の発端は約束の時間少し前に瑞穂があさぎ亭に入り、予約席に腰を落ち着けて数分後のことだった。
瑞穂のいるテーブルを挟む形で、左右のテーブルに規模の大きい団体が一グループずつ布陣していた。
どちらも昼間から酒を飲んで多いに盛り上がっているようだ。
近々メリディシア遺跡発掘が一般人にも解禁されるという情報を瑞穂は耳にしていた。そんなわけで、以前にも増して冒険者がここ最近増えてきている。彼らもその類かもしれない。
もはや常連客と化している瑞穂を見つけた従業員のイリサはすぐに注文を取りに来てくれた。しかし、当の先輩方が来ていないので、瑞穂は紅茶だけ頼んで下がってもらっていた。
なんとなく気になって瑞穂は両者を盗み見るが、内輪で五月蠅くしているだけのようだ。やれ前の冒険は自分の一太刀で魔物をなぎ払っただの、宝箱の鍵を見事開けたのは俺だのと言い張っている
これなら大丈夫だろうと、伏せたままだったメニューを先輩方が来るまで再確認していようとした時だった。瑞穂の視点からして右隣りに布陣する男達が大声で言ったのだ。
「来週の解禁が楽しみだなァ。遺物は俺達のパーティー情熱の発掘魂旅団『アークスレイ』が一番手に入れてやるぜ!ガハハハハッ」
それを聞いた左隣りに布陣する男達がざわめく。
瑞穂はというと、口にした紅茶を吹き出しそうになった。
(プッ。ちょっ、待って。やめて!ちょっとそのネーミングは何?腹筋がゾワゾワするんですけど!)
「ああん?ちょっと待てや。遺物入手数最多王であり、東の迅雷と呼ばれた『イースト・サンダー』になるに決まってんだろーが!?」
「んだと?俺達パーティーに喧嘩売ろうってんのか?」
「ああ!?」
瑞穂のテーブルを挟んで十数名ずつの男達がにらみ合う。
嫌な予感がして、瞬時に奥のカウンター近くに待避した瑞穂は、彼らのネーミングにトドメをさされて背を向けて身体を震わせていた。
瑞穂が横隔膜と腹筋の制御に集中している間も、背後で男達の雰囲気は悪化していき、ついには皿が飛び交う喧嘩になってしまったというわけである。
瑞穂が振り向いた時には、至極しょーもない理由でぐちゃぐちゃになった店内の光景が広がっていた。
(どうしてこうなった?くだらな過ぎるでしょ……!)
これが良い年した大人の喧嘩だと言われれば泣けてくる。
次第に投げるものも無くなったようで、両者はついに素手で喧嘩を始めてしまった。まあ、それだけなら可愛いものだと思えた。
(最近、テロに遭遇したりして危機感の感知レベルが下がっているかもしれない)
しかし、いよいよ刃物を持ち出した者が現れた。
(これはマズイな。ちょっと本格的になりそうだわ)
気付けば店員も他の客もほとんどが外へ逃げるかして待避している。終わりそうに無い修羅場状況で、さすがにお世話になっているあさぎ亭のみなさんが気の毒になってきた。
こんなに荒らされては損害額も馬鹿にならない。
ウエイターの一人、二十代後半くらいの青年がイリサにぼやいている。なんとかならないのかと眉を下げて、床に散らばったミートパイの残骸を拭き上げた。
イリサに危ないから下がりましょうと言って青年は引っ張って行かれるが、潔癖性の僕は耐えられないと言って再度作業を始めようとしたところ、厨房の貫禄ある巨体シェフに引き摺られて引っ込められてしまう。
……とまぁ、個性豊かな面々がいる職場のようだが、そんな彼らも荒れる冒険者には手出し出来ないらしく、もどかしい状況はそのままである。
平民勢と冒険者多数じゃ力で単純に敵わないのが目に見えている。どうしたものかと皆頭を抱えているようだ。
「仕方ないなぁ」
目立ちたくなかったのだが、せっかくお世話になった人達が悲しむ顔も見たくない。というか、ここで見捨てたら後味が悪い。
瑞穂はウエストポーチから一枚術符を取り出して大きく息を吸い込んだ。
「スリープ!」
術の発言語は重ねる魔力構築理論が合っていれば、何語を使っても構わない。日本語だろうが英語だろうが異世界語だろうがOKなのだ。睡眠作用のある術なら英語でスリープといえば格好いいだろう。瑞穂の思考はそんな程度である。
お気楽に唱えた魔術ではあったが、反して効果は抜群だった。
昔、近所のおばちゃんによく通る声ね、と褒められたことを思い出す。魔術を唱える上で発音は意外と重要だったから妙に嬉しかったのだ。
店内くまなく行き渡った術の効力は次第に標的を床に沈めていく。対象は騒動を起こした冒険者達だ。急激な眠気に襲われてノックダウンしていくので、露骨に頭を打ち付ける音も聞こえてくる。
(一切同情しないけどね)
「わわわわ!凄い!ミズホって凄かったのね!!」
厨房奥から覗き込んでいたイリサが飛び出してきて、瑞穂に抱きついた。
従業員の皆にも囲まれて労いの言葉を受けていると、唯一顔を知っている先輩の声が割り込んできた。
「何か大変なことになってるなー?」
「ジョー先輩!」
軽薄でやる気の無い赤毛と泣きぼくろがチャームポイントの青年はいきなり瑞穂の頭をワシャワシャと手で撫でてきた。
「ちょっ!止めて下さいよ。子供じゃないんですから」
「ジョー、その子がミズホか?」
「そうだ。おい、ミズホちゃんよ、コイツが俺らと同じ隊になる先輩だ」
「ミズホです、よろしくお願いします」
「ケイ・グレイダーだ。これからよろしく。それにしても……凄い場に居合わせたな。何が原因でこうなったんだ?」
ここは初顔合わせの飲み会の場だったはずだが、もはや楽しく呑めるような面積は残されていなかった。
瑞穂は軽く経緯を話すと、二人は互いに苦笑いして状況を受け入れた。
「災難だったな。しかし、もう少し早く俺達がここに着いていれば、騒ぎが大きくなる前に対処して警備隊にこいつらを引き渡せたんだけどなぁ。君達運が悪かったな」
「ジョーが寝坊したから遅れたんだろーが。しかも寝坊の原因が朝帰り……」
「あ、何?嫉妬?男の嫉妬ってやつですか?やめてくんない?見苦しいからさぁ」
「違うわボケ!」
(何となく、二人の関係が読めた気がする……)
要するに、二人はとても仲が良いんだろう。なんだか生暖かい気持ちになってしまう。
「あの~先輩方」
「あー、悪い悪い。酒場の収拾はつけないとな」
ほどなくして、先輩騎士の手配が済み、眠り込んで潰れた冒険者達は警備隊に引き取られて行った。恐らく彼らは豚箱で一昼夜明かすことになるだろう。
騒動の後、瑞穂達は再びあさぎ亭にいた。
また、結局瑞穂の前に現れたのはジョーとケイだけでそれ以上増える事も無かった。
どうやら二班のメンバーは忙しいらしく、全員との顔合わせは実際の任務時に直接顔合わせとなるようだ。
別の店に遅めのランチ取りに行こうとなっていた瑞穂達だったが、イリサがあさぎ亭としてぜひお礼のランチをご馳走したいと言ってきた。せっかく無料で食事にありつけるということで、瑞穂達は空腹の絶頂を過ぎても我慢して、準備が整うのを待つことにしたのである。
結果としては待って良かったのだろう。普通のランチよりはワンランク上の料理にお目にかかれたのだから。
「美味しかったわ!一日一善はするものねぇ」
すっかり満足した胃をさすりながら、食後の紅茶をすすっているとデザートのケーキをイリサが運んできてくれた。
「うちのケーキは女将さんの肝いりレシピだからぜひ味わってちょうだいね」
「ありがとう!」
彼女の言うとおり、極普通の苺のショートケーキはシンプルながらにして甘すぎない絶妙なクリームと新鮮な苺の組み合わせだ。瑞穂が感動して舌鼓を打っていると、
「あんなに頼りになるんだったら瑞穂を私のパーティーに誘ったのになぁ……」
と、イリサが言ってきた。
「残念だが、ミズホは騎士団に所属したからな」
「分かってますとも。でも、出会いがあと少しだけ私の方が早ければなぁ、と考えちゃうんですよね」
「ちょっと待った」
「どうしたの?」
「イリサって冒険者だったわけ?」
これは話が長くなりそうだ。そういう予感がしたジョーとケイは長話が続きそうな会話を中断して席を立つ。
当初の目的である歓迎会という名の顔合わせもこの食事で済んだ。
後はご自由にという配慮(女子の終わりのない会話に付き合うのが嫌)で先輩騎士二人はその場を後にしたのであった。




