51、朝
ガタンッと盛大な音が鳴り響く。
「痛――っ」
どうやらベッドの柵に頭をぶつけたようだ。頭上の左側に小さなたんこぶが出来てしまった。
あさぎ亭で宿を取ってから、ユースロッテと別れ、その日から一週間、瑞穂は騎士団寮の通知が来るのに備えていた。
これからしばらくは否が応でもバーダフェーダに腰を据えることになりそうだ。
となれば、日用品から戦闘用装備品の買い出しまで揃えておいた方が良い。
悠長な休みも今後はいつ取れるかも分からないのだから。
そういうわけで、街を散策して情報を集めたり、買い出ししたりしてこの一週間を有意義に過ごした。
七日目の夕方、宿に戻るとイリサから一通の手紙を手渡された。
差出人はバーダフェーダ騎士団支部からで、明日から女性用騎士団寮が使用可能となるので、移動するようにとのお達しであった。
しばしのあさぎ亭での滞在で、イリサとも仲良くなれたため、彼女には残念がられた。
だが、これからもちょくちょく昼食などでお世話になりそうだと伝えると、笑って抱きついてくれたのは良い思い出となった。
そうして準備万端で寝床についた宿での最終日、久々に前世の夢を見た。
母国で勇者と対峙した時の記憶である。
瑞穂にとっては非常に苦い記憶でもある。
最愛にして、魔王の妻となるはずだった女性――アウローラ。
リヒターが密かに心を寄せていた姫君。
彼女は目の前で喪われた。
屈辱と怨嗟の念が心を奔る。
――正直夢見の良い朝とはいえなかった。
朝といっても早朝といえる時間帯に目覚めてしまった瑞穂は、鬱屈とした気持ちを晴らすために軽いジョギングに出た。
これから目覚めていく街を見ながら、走るのは気持ちが良い。
現代っ子なので、音楽を聴きながら動ければ尚良しなのだが、スマホの電池は切れたままだったので諦めた。
今日の予定は何だったか。
そうだ、まずは騎士団の事務方に顔を出して、それから物を寮へと移動させる。
午後からは瑞穂の境遇決定の子細について伝えられると通達にはあった。
(一体、私に何をさせる気なんだか……。私をディアスの班に入れて騎士団の仕事をさせても客観的に見て何の利もないじゃない。それこそ下働きでもさせておいた方が、騎士団にも負担がなくて余程合理的だと思うんだけどね)
気がつくと肩に力が入っているようだ。やはり、新しい環境に身を置くことになると緊張してしまう。
それは誰にでもあることだ。
けれど、瑞穂は異世界に来てからその連続だった。
(ちょっと心が疲弊してるのは感じるなぁ)
だからとは思いたくないが、久々に前世の夢を見てしまった。
(アウローラ……)
前世で瑞穂は勇者に敗れ、アウローラのその後は知れなかった。
転生して力が格段に落ちた瑞穂にアウローラの痕跡を辿ることは難しい。
「アイツなら、分かりそうなもんなんだけど」
力を勇者に封印された今、自らの力でアウローラを探し出すことは不可能だ。だが、自分ではなくとも、頼れる人物が一人いた。
「魔王」
かつての世界で伝説級の強さを持つとされた男。言うまでもなく、瑞穂の前世の上司であり、魔王の異名を持っている唯一の主であった。
「ゼナン、どうして……負けたんだ」
それは生まれ変わってから幾度も持ち続けた疑問。
彼(魔王)が、何故、どうして敗けたのか?
あの勇者がゼナンよりも強かったのだろうか?いや、まさか!
地球でも異世界でもこの疑問に正解を示してくれる者は現れていない。
「求めよ、されば与えられん――だなんて、簡単に言わないで欲しいわ。でも、求め続ける限り可能性は消えない、か」
瑞穂は走りを強めて、その感情を振り切ることに注力するのだった。