49、あさぎ亭
「私はあさぎ亭の看板娘、イリサよ。よろしくね!」
「よろしくお願いします。私の名前はミズホです」
「うんうん、よろしくー!」
あさぎ亭は木造三階建ての趣ある民宿である。一階が酒場と受付、二階より上が客室となる。広さに違いはあるが、全十室で構成されていて瑞穂の分を含めた全ての客室が埋まっているとのことだ。なんでも近々、有名な祭が開催されるとかで賑わっているらしい。
客層はさすが紳士な騎士団が押さえてくれた所だけあって、荒くれ者などはいない。冒険者も複数利用しているようだが、カイケロ街に泊まるタイプよりかは幾分穏やかな性格が多いようにも見える。ようやく想像していたファンタジー世界=中世のイメージの酒場兼宿屋に出会えたわけで、瑞穂は少し感慨深いものを感じた。
イリサといえば、ユースロッテとは出身が同じ王都で旧知の仲という。
気心の知れた者同士というわけだ。
彼女は自他共に認めるあさぎ亭の看板娘で、毎日酒場の切り盛りから宿の受付嬢まで何でもこなしている快活な少女だ。捲し上げた白の長袖とデニム生地のキュロットの上からさっぱりしたデザインのエプロンを着こなしていた。他の従業員と入り交じって、今は夜の酒場の切り盛りをしている最中だ。無造作にポニーテールで纏められた髪が彼女のきびきびとした動きと合わせて動くのが可愛らしい。
客対応や自らに向けられる表情などから、一目で裏表のない性格だと分かる。
席に着いた瑞穂達を確認したイリサは伝票を片手にやって来た。
「イリサ、今日のお勧めは?」
「ザイデン山から仕入れた豚の丸焼き定食かなー。単品でも受け付けるけど、定食の方が早いよ」
「じゃ、それで」
「はいはいー、承知致しましたー。ミズホさん、あなたはどうする?」
「私も同じもので」
「お酒はどう?ユースはいつものライオル酒でいい?」
「うん、任せるよ」
「あ、私はお酒はちょっと……」
(お酒は昨日十分"あの姿"で味わえたし、この姿は未成年だしね。いくらなんでも気が引けるわー)
こう見えても高校では真面目で地味系優等生を貫いていたのである。
現世の信条はできるだけ守りたい。
「じゃあ、フルーツジュースはいかが?バーダフェーダ特産品のナップの果実ジュースがお勧めなんだ」
「うわあ!おいしそうですね。ぜひ、それをお願いします」
イリサは注文を取ると、機嫌良く厨房へと引っ込んで行った。
酒場客足の伸びは良く、ほぼ満席状態だ。そこかしこからとても良い匂いが漂ってくる。
猛烈に食欲が湧いてくるが、子供ではないのだからここは我慢である。育ち盛りの瑞穂にとっては一番に辛い時間かもしれない。飢えた獣状態である。先に飲み物が運ばれて来たので、思い思いに口に流し込んだのだった。
そんな彼女にユースロッテは悠々とバーダフェーダの街事情を語って聞かせてくれた。空腹感とうざったいウンチクに辟易とされられ、情報の大半が右から左の耳へと通り抜けていくが瑞穂は気にしなかった。だがあまりにも聞き流していると怪訝に思われるから、途中で相の手を入れることも忘れてはならない。
「なるほど。ということは、このバーダフェーダはルバニア王国の守りの障壁でもあるわけですね」
「そゆこと。ルバニア王国はその地理と歴史上、敵が多いからね。特にこのバーダフェーダは国境に近い。となれば他国との小競り合いも往々にしてある。守りに関しては一切手を抜けないんだ」
「街に入場する時も、都市をぐるっと囲んだ防壁が立派でしたもんね。あれ、何メートルくらいあるんですかねー」
「正確には二十メートルかな」
「に、にじゅう!?凄いですね!」
ざっと眺めただけでは実感出来なかったが、なかなかの建築技術である。
それでも地球の技術に比べればまだまだ差はあるようには見えるが。
「完成には何十年と掛かったらしいと記録されているよ」
「でしょうね。そうそう、国境といえばイレナド砦ですよ!あそこも国境に近いですよね?」
イレナド砦で読んだ騎士団の手引き書やら蔵書やらで得た知識で答え合わせをするように聞いてみる。
「そうだね。まず、国境の関所、『ケルゲン関所』というんだけど、これがイレナド砦から東に行ったところにある。で、あそこが突破されれば次に相手になるのがイレナド砦ってわけだ。ケルゲン関所はそんなに軍備を固められていないわけだから、実質えげつない戦があるとしたらイレナド砦で行われるだろうね」
「うわっ。じゃあ、先のイレナド砦襲撃事件と似たようなことも結構頻繁にあるもんなんですか?」
「ううん。あんな襲撃、数十年ぶりじゃない?少なくとも、僕が知る限りでは初めてだよ。ここ最近は平和なもんだったからねー。野盗が周辺をうろつくレベルならあっただろうけど、すぐに討伐されていたし」
「そしてディアス隊長の名声が轟くことになるわけだねー!イレナド砦周辺の安全はディアス隊長の采配で保たれてるって有名だよー?はいっ、おまちどう!豚の丸焼き定食でーす♪」
ユースロッテと瑞穂の間に割り込む形でお待ちかねの定食が届けられた。瑞穂が想像していた豚の定義より二分の一サイズの豚が、文字通り丸焼きにされて皿に乗せられていた。茶色の甘辛い照り焼きソースが全身に絡めて塗られていて、食欲を多いにそそってくれた。定食と称するだけあって、小鉢がなんと二つも付いており、野菜の煮物などが添えられている。カップスープからはコンソメに近い匂いがしてくる。主食は焼きたてパンで触ると温かかった。
やはり白米は登場しませんよねと若干残念に思ったが、食べ出すとそんな思いはすぐに吹き飛んだ。
あさぎ亭の食事は非常に旨かったのだ。




