4、彼女の事情
突然現れた異世界人に世界の危機を救ってくれと言われたり、問答無用でトリップするという話は山ほどある。かくいう瑞穂も現代っ子なので、その手の話は大好きだ。彼女自身、一般女子ではいられない事情をいくつか抱えてはいたが、それはそれこれはこれ、別腹というやつである。事実、自室にはその手の小説が山ほどあった。
けれども、己が当事者となれば話は別だ。異世界に行くなら行くで、できれば十分な装備を整えてから行きたい。例えばRPGで言うならレベル99にして、最強の装備で出かけたい。着の身着のままなんて御免被る。
ましてや、低レベルの魔力しか持たない魔術士が異世界に放り込まれるなど、言語同断である。せめて、神様からチート能力を付与してもらってからにして欲しい。
弱小ステータスから始めたがるプレーヤーなど誰がいるものか!
――いや、そうじゃない。
問題はそこではない。
瑞穂はそもそも別世界の事件に巻き込まれるほど人生に余裕は無い。こちらはこちらで面倒な事情を抱えているので、これ以上問題を広げたくないというのが本音であった。
安芸瑞穂は現代日本在住の女子高生であり、副業で魔術士稼業を営んでいる。
そして、それに加えて転生者で、ある。
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白濁する意識の中で私に微笑む少女がいた。何か声を掛けてくれているが、何故か聞こえない。
手を差し出すと可憐な笑みのまま、そっと彼女の手が重なる。
ふと気付けば信頼を寄せている友人が私を小突いてくる。せっかく彼女との二人っきりの甘ったるい空気もどこかへ、そのまま友人同士のしがないじゃれ合いに発展してしまった。
そんな私達を彼女は心底可笑しそうにして、笑う。
陽光が差す、光に包まれた白き世界。
だが、突如舞台は暗転する。
気付けば先程までいた場所は全て朽ち果て、世界は黄昏色に染まっている。私を取り囲んでくれていた二人も姿を消していた。
私はただ呆然と世界を見つめるしかなかった。
不意に、背後に違和感を感じる。
ずるり、と嫌な音が身体中に響く。
気づけば自らの腹が剣で貫かれていた。
自身の血が滴る剣を私は震える手で掴んだ。
その瞬間、静止していた空気が動き始めるのを感じた。
「滅べ!魔王の右腕リヒター・アスガルドよ!」
私は為す術もなく、膝から崩れ落ちた。
剣の主は深い金の目と黒髪で、全身黒の衣で身を固めた男だった。
血溜りの中に伏した私を一瞥すると、私を斬った男はその場から去っていく。
私の意識はしばらくしてから途切れ、やがて白濁とした世界に呑み込まれた。
私はあの男の金の目を忘れない。
深淵を湛えた全てを呑みこむ金の目を。
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(ああ、そうだった。私はまだやらねばならないことがある)
――魔王の右腕として。
そう、瑞穂は前世『魔王の右腕』と呼ばれた凄腕魔族であった。
記憶が蘇ったのは小学生の頃だ。
現代地球に転生しても前世の記憶を引き継いだのは、前世の壮絶な最期を迎えた時の怨嗟の念と、魔族であったことが原因であると瑞穂は思っている。
次の生で平穏に暮らすには心残りがあり過ぎたのだ。
前世で死ぬ直前、大事な仲間が次々と倒れていった。
中でも盟友であった魔王と最愛の姫の身に起きた出来事は瑞穂の前世、リヒター・アスガルドという青年の心に酷く傷を残した。
最愛の姫アウローラはその場にいるだけで人間達を死へと追いやる特殊な魔力持ちで人間に恐れられていた。彼女は人間の国と勇者一行が攻めて来た時、捕らえられて最終的に凍り付けに封印されて連れ去られてしまった。
そして、魔王は勇者一行との戦いで壮絶な戦いの後、死亡した。
魔王は死の直前、勇者の剣により魂を傷つけられた。勇者の剣は聖剣と呼ばれる類のもので、魔王の魂はその剣の術に冒された。それは死してなお相手を束縛し続ける恐ろしい効果を持つという。
彼は最期を迎えつつある身を引き摺って、また死につつあるリヒターのもとへと辿り着いた。
そして、自らに起きた状況を事細かに説明しながら、自身とリヒターに転生の術を掛けた。
瀕死だったリヒターはその時は声をあげることも動くこともできなかったが、魂そのものが魔王の干渉を感じており、彼が話している事情と自身に転生の術を掛けていることだけは薄れる意識の中で理解することができたのだ。
魔王は友である唯一の生き残り(とはいってももう死にかけだが)に慈悲を与えてくれたのだろう。
――リヒターとしては、複雑な心境だったが。
魔王はここでは終われないというようなことを最後に独白していた。
リヒターが死んだ後、続いて、自分は腐っても魔王で、自力で復活してやるからと不敵に笑って彼は目を閉じた。
「おまえはおまえの道を生きろ。過去に囚われるなよ」
だが、リヒターには選択肢を与えた。
例え自分が死んで転生しても魂の行方を追うな、と魂に語りかけていたのだ。
最上位魔族であるリヒターは魂の行方を追うことが出来る能力を持ち得ていたことを知っていて、それを懸念しての魔王の言葉だった。友であるからこそ、救える道は示したいが、自分の復讐に付き合わせたくはない。そんな思いがあったのだろう。
というわけで、結末としては、リヒターは勇者一行に敗れて、その命を散らしたというのがオチである。
そうして、その後は転生して日本で女子高生をやっているわけだが…。
――友と姫を捜し出したい。今も尚苦しんでいるのなら、助けたい。そして、いずれ勇者を討つ!
魔王の気持ちはよく分かっていたが、転生してもその思いは変わらなかった。
(これは私の勝手な贖罪なのかもしれないけれど)
記憶が蘇って喜んだのも束の間で、リヒター=瑞穂は次の問題にすぐ直面したのだ。
彼女自身も勇者の聖剣に魂を蝕まれていたのだ。
瑞穂は本来の魔力や能力が軒並み封じられしまっていた。
つまり、転生しても下っ端魔術士程度の魔力しか持つことが出来なかったのである。
修行をしても、何を試してもステータスは変わることは無かった。努力した過程で得ることができたのは、運動能力の高さだけである。もちろん、無いよりもあった方が良かったが、それだけでは勇者は倒せない。
その上、捜し人達を見つけることも難しかった。
やはり解呪するしかないという結論だった。
しかし、このような低スペック状態では捜し人を見つけるどころか、仇討ちもままならない。
何らかの方法で封印の呪を解くか、自然と呪が弱まるまで気の遠くなるような時間をただ待つか。待つとなれば、今生の時間を費やすだけでは足りないだろう。一体、どれだけの転生を繰り返せばよいのか分からない。
瑞穂は考えた。
とことん考えた。
どうやって解呪するか考えすぎて知恵熱で三日間寝込んだのは笑い話かもしれない。
散々考えて、結果……瑞穂は問題を『先送り』にすることにした。