24、都市の幻影
ルバニア王国の地方都市が一つ、バーダフェーダ。遺跡発掘と研究・観光が主産業であるこの都市は王都から一番遠く、政治的干渉も少ない自由な気風の都市である。都市の成り立ちについてのガイドブックを、馬車の中で腐る程時間があった瑞穂は既に三回は読み直していた。おかげで、異世界の――それこそ何の因縁も無い――都市背景について、軽く反芻出来るほど頭の中に焼き付けてしまった。また一つ余計な知識が増えてしまったわけである。
バーダフェーダの街並みはざっくり言うとオーソドックスな中世ヨーロッパファンタジー風だ。瑞穂は数年前にアマルフィを舞台にした映画を見たが、どことなくその情景に近いのではないかと感じていた。
大陸内部にある街だが、内海に接しており研究・観光に加えて海洋貿易の拠点としても栄えていて、人の往来は多い。何より船を使用出来るからこそ、王都からかなり離れていても、情報の伝達が早いのはバーダフェーダの良い所だろう。
行き交う人々もどこか縛られることのない気楽さ・楽観的な雰囲気を持っているようだ。ちなみに、人工ではなく明らかに地毛なのに水色やピンク、エメラルドグリーンといった髪の色を持つ人々がいたことに瑞穂は衝撃を受けていた。イレナド砦の面々は偶然にもそこまで派手な色彩を持つ人間が居なかったが、いよいよ異世界に来ているという生々しさを感じられるというものである。
人々の階級や職業は衣服で自然と察することが出来そうだ。後で詳しく見聞きすれば、この街の人々の関係性も頭に入れることが可能かもしれない。その点は今後の瑞穂の努力次第だった。
さて、バーダフェーダの門を無事くぐった後、ウェイドとディアスは二人して騎士団支部に用があると言い、去ってしまった。
そんなわけでユースロッテが監視者として残り、今は馬車の中で二人きりという非常に微妙な空間が出来上がってしまっている。
別段、束縛の術が為されている瑞穂に対して監視者を付ける必要も無いのだが、念のため一人は残しておこうということらしい。
(――気まずい。私、この人何となく苦手なんだよなぁ)
瑞穂には目もくれずひたすら愛読書を機嫌良く読んでいるユースを眺めてみる。
「……」
「……」
ふと、思い立ったかのようにユースロッテは瑞穂に喋りかけた。
「君にはこの街がどんな風に見えるのかな?」
「――どんな風に……?」
唐突な質問である。だからこそ滅多な解答は禁物だろう。ここでの一挙手一投足が、瑞穂の未来に影響するかもしれないのだ。
外でお喋りする学生風の若者達、商品を運ぶ業者、雑多に行き交う人々――……。文化文明の度合いは違えど、どこの世界でも見られる景色だ。
それが一体何だというのか?
深読みして返答せよと?
(そんなことはしないけどね)
「人が多いというのが単純な感想ですね」
(ついでにこの中で私の術を解いてくれる奇特な方はいらっしゃいませんか~?)
「……フフッ、そうだね。最初は遺跡発掘目的で作られた街だけど、すぐに商売人が観光やら貿易に目をつけてね。今ではそっち方面主体で商売している人の方が多いくらい」
ユースロッテはガイドブック通りの内容と雑多なウンチクを織り交ぜつつ、サクサクと説明してくれたが、どこかそれが真に語りたいことではないように見受けられた。
やはり瑞穂の言うような感想を求めていたわけでもないらしい。だが、彼の意図する返事を提供することに付き合う義理もないからこれで良いと瑞穂は思うことにした。
(それでも若干応答に失敗したかなと思わなくもないけどね)
「先程も言ったけれど、ここバーダフェーダは遺跡発掘都市が始まりなんだ。だから学問・研究に関係する機関も多いし、その生活基盤を整える為の商業も発展していたんだけど、百年ほど前に幻影都市が出現してからは、それ目当ての観光客やら何やらが集まりだして今では複合的要素を持った一大都市になってしまったってわけ」
「幻影都市?」
「初耳かな?天気の良い日ならここからでも拝めるんだよ。あの北の山脈の向こう側にうっすらとその外観を現してくれるのさ」
(富士山か何かかそれは?)
思わずツッコミを入れてしまう。
「都市が、ですか?」
「そうだよ。古代遺跡の一つとも言われているけど、その正体はまだ謎に包まれたままだ。幻影都市があるとされる場所へ繋がる場所付近までは調査されているけれどまだまだ全然進んでいない。ましてやその内部なんて進入すら出来ていないんだから困ったもんだよね。けれども考古学マニアや冒険家にしてみれば学術的好奇心・一攫千金のロマン溢れる素晴らしい場所ともいえる。しかも百年経っても明かされない謎だ。これだけ謎めいてくれれば、周辺でそれをネタに商売する方も万々歳ってわけだ」
「ネタは明かされない方が都合がいい?」
「そうそう、ビジネスだから♪」
「きったないなぁ……。まあ、それでも一度は拝んでみたいですね、幻影都市」
「中に入るのは無理でも、この地を拠点にすれば見える日も来るよ。どうにも大気の魔力濃度の関係で見える時と見えない時があるらしいんだ。条件が整うのを待てばいつかは見えるから。そうそう、今年はいよいよ新たな地域も解禁されるしね」
「期待しておきます」
「ああ、幻影都市には名前があってね、――リズクレイムと呼ばれているんだ」
「へぇ……。リズクレイム、ですか」
幻影都市なんて大層な……と思いながら、話に相づちをついていると、急にユースロッテが、おや、と言って馬車の窓を開けて身体を乗り出した。開いた窓口から、冷たい風が瑞穂の頬をすり抜けた。
「これはツいているかも」
「どうしたってって言うんです?」
隣に座っているユースロッテの背が邪魔で全く景色が見えない。
「君ってば運が良いよ!雲が流れて晴れたのさ!ちょうど幻影都市のお目見えだ!ほら見てみて!」
瑞穂ももう片方の車窓から身体を乗り出させてみる。前方、遙か彼方にはアルプスを連想させる山の峰々が広がっていた。しかし、問題はそのさらに後ろに控える風景であった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・、
「な……!」
(まさか、どうして……!王城が……!)
瑞穂は大声を上げたい衝動を唾と共に呑み込んだ。
――何故、アレがそこにある!?
信じられない思いで、目を限界まで開いて再確認する。
――ルーデンベルク城がどうしてここに!!??
かつて、前世で滅びた母国の王城――ルーデンベルク城――が、峰の上にレーザー投影されるような形で整然と空に透けて込んでいる。
ユースロッテは機嫌良さげに幻影都市についての講釈を始めたが、もはや瑞穂の耳をすり抜けるだけだった。
ガクガクと震える手を隠しながら、瑞穂は席に座り込んで、呆然と眼前に広がる景色を見つめ続けた。
いやあ、良いものを見たねぇというユースロッテの言葉がやけ遠くに聞こえたのだった。