23、バーダフェーダという街
「も、もうすぐ着く……!」
馬車越しに見える風景を覗いて瑞穂は安堵の息を漏らした。
道が剥き出しの土壌から石畳に変わった。つまり、バーダフェーダの街の入り口までもう少しということだ。
この調子だとあと三十分ほどで街の門前に到着といったところか。太陽光発電完備のアナログ腕時計の針が午前九時を指しているのを確認してみる。そして、時計基盤の下に隠れている"物"が思い出され、わずかに時計バンドをずらすして確かめた。姿を現したのはいわゆる『刻印』と呼ばれるもので、それが瑞穂の手首下辺りに見事に刻まれていた。
「……」
瑞穂は刻印を直視しながら、苦々しい表情となった。
刻印が刻まれてしまった事件は二週間ほど前に遡る。
それはディアスにバーダフェーダへ異動辞令が通達された解散となった後のこと。瑞穂は再びあの尋問室へと呼び出された。待ち構えていた面々もディアスとユースロッテという代わり映えしない面々である。ちなみにウェイドは再び伝令役で外出したらしい。
「君もバーダフェーダに連れていくことになったよ」
定位置にある作業机に身体を収めたユースは、司令官座りをバッチリと決めながらいけしゃあしゃあと言い放った。
「ディアスさんの辞令ついでに私も連れていくと?砦で監視・様子見ではなく?」
「阿呆が、おまえは俺の特別監視下にある」
瑞穂の体内にある物が"モノ"だけにこの役目を砦の部下にもおいそれと任せるわけにはいかないのだという。
「俺の目の届くところにいて貰わなくてはならないに決まっているだろう」
冷たい空気になっても構わずディアスは瑞穂に背を向けて書類を用意し始めた。
そんな中、ユースロッテが全く気にせず瑞穂の耳元へ近づく。
「本当はね、監視担当者をディアスから砦の別の人間にしても良いんだけど、彼が聞かなくてね。まあ、砦の人間としては実際君のことなんてどうでも良いのに、唯一執着しているのが彼だけなんだよ。あ、王家の宝物を体内に取り込んだ件を皆が知らないからというのもあるんだけどさ。それでももっと部下を使って仕事を効率よく進めたらいいのに、どうにも君のことが気になるらしいよ。そんなわけで君とディアスは当分一緒だよぉ、お気の毒様~」
(よし決めた。コイツはいつかギャフンと言わすどころか、タコ殴りにしてくれるわ!)
けれどもだ。ユースロッテの言からすると……。
(つまりは私、ディアス以外からはもはや大して疑われていないんじゃない……?)
ユースですら、宝物を宿しているとはいえ、瑞穂自体を悪人とは思っていない態度を取っている。
――ディアスだけが納得出来ていない。
目を付けられると一番厄介な性格を持つ人間に目を付けられてた。
ここに来てようやく自分がまたしても余計な状況に見舞われつつあると、瑞穂は理解し始めた。
(この世界に来てからの自らの不運さを呪うわ……)
異世界で出会った第一現地人がディアスでなければ、事はもう少し穏便に上手く運んでいた可能性があったのではないか。
首を硬直させたまま、ぎぎぎと擬音が出そうな動作でディアスからユースロッテへ首を動かすと、彼はご愁傷様という視線を流してきた。無償にスリッパでこの目の前の男どもの頭を叩きたくなったが、グッと我慢する。
「あのなぁ、ユースの言うことを真に受けるなよ?おまえの身体に宿った宝珠を取り出すには王家の術士に為してもらわねばならない。ところがイレナド砦は辺境もいいところだ。彼らも忙しい身でな。多忙の合間を縫って来て貰うと半年後になる。そんな非効率的な負担を砦もしているわけにはいかないから直接、王家の術士が滞在している都市へ容疑者自身を連れて行くことにしただけだ」
いつの間にか、振り返って二人の会話を聞いていたディアスが説明を追加した。
「ちょうどウェイドさんが居たから、バーダフェーダに王家の術師がいると分かったんだ。それならば君を連れて行った方が早いかもね、という話が浮上してね。ディアスも言ったけど、都市から辺境の砦に王家の術師様にお越し頂くのは大変なんだよ。時間もだけど準備やら何やらね。それでも王家の宝物に関わるとあっちゃぁ、彼らも動いてくれるとは思うけど。お互い、しんどい思いするのは省きたいじゃない?だからこその成り行きというわけさ。情報確認が早くて助かったよ。いやぁ、伝令役様々だね」
「はあ、そうですか」
もはや、どのような事情が背景にあろうと瑞穂はどうでも良い気がしてきた。
結局はバーダフェーダという都市へ連れて行かれる。これが彼女にとっての現実だから。
(しっかし、妙に私を連れて行く"前口上"が長いなぁ……)
そこへ、よし、出来たというディアスの呟きが聞こえた。
何か満足そうに書類を置いて……というよりは、部屋の四方に配置した。
「……?」
後から考えれば、ディアスやユースロッテのまどろっこしい説明的会話は全て、この後瑞穂に降りかかる災難の事前作業――前座に過ぎなかったのである。この時、そう……部屋に入った時に瞬時に気づいていれば瑞穂にも対処しようがあったかもしれないが、気づけなかったのは彼らが一枚上手の役者だったということだろう。
結論から言うと、瑞穂はまんまと騙された。
「ただ、砦でおまえを拘束のでは無く、街へ連れて行く以上、自由にさせるわけにはいかない」
「そこでね、僕、ちょうど良い物を持っていてさ」
じゃんじゃかじゃーんと某猫型ロボットを彷彿とさせる便利道具を取り出したるは、奇妙な携帯サイズの三層式石版だった。
RPGに出てきそうなキーアイテムだな、と呑気に思って見つめる。だが、それが間違いだった。古ぼけた前世知識が警告を放ったのはその後のこと。だが、そのわずかな時間の浪費が命取りとなった。
三層式の石版が何なのか思い出し、瑞穂は部屋の窓を打ち破ってでも逃げようと走り出した。
同時にディアスが先ほど配置した書類も明滅する。
(うそ!魔術アイテムだったっていうの!!??)
「遅い」
当然というべきか、残念ながらというべきか、しかしながら瑞穂はあっという間にディアスに距離を詰められ、身体を地面に押しつけられた。身体能力でディアスに叶うわけが無い。
「ディアス、君って性格に合わず役者だよね。そういう特技は素直に尊敬するよぉ」
「おまえに言われたくない」
「それでさぁ、ミズホちゃん、君、これが何なのか分かったんだ?凄いなぁ、どこで得た知識なの?ますます興味が湧いてくる」
嬉しそうにユースロッテは瑞穂を見下ろした。
「ユース!早くしろ!」
「はいはい。この研究のパトロンは騎士団だからねぇ」
スポンサーの命令には逆らえないや、とニヤニヤ笑いをしながら石版に術を唱え始めた。呪文に反応して、四方に配置された書類は燃えて消滅する。石版はというと、音を小気味良く立てて、三枚の板に別れた。そのうち一枚をディアスの肩に当て、もう一枚を瑞穂の腕に当てた。もう一枚はユースロッテ自身が持つ。
一連の作業は流れるような所作だった。あっという間とも言うべきか。
瑞穂は抗議の声を出すもディアスに完全に押さえつけられてしまっている。
(ヤバイ、あれは面倒な魔道具なのに!)
さらに呪文詠唱は続いた。最後に締めと言わんばかりに次の言葉が放たれた。
「始まりの言の葉、一葉を刻みし板に触れる者――ディアスを『主』とし、
終わりの言の葉、一葉を刻みし板に触れる者――ミズホを『従』とする。起動せよ束縛の石版よ!」
ユースロッテが言い切ると、二枚の石版はさらに輝きを増し、ディアスと瑞穂の両者の身体へと染みこんでいった。しばらくして、瑞穂の左手首下の裏側に刻印が浮かび上がった。
「――っ」
(やられた!)
屈辱の目で瑞穂は二人を睨み付けた。
「よくもやってくれたわね……!」
もはや、敬語を使うことすら忘れていた。
「これで君はディアスから指定距離範囲以内から離れることが出来ない。今は仮で半径一キロメートル以内と設定しているけど、微調整は可能だからねコレ」
ユースが持っていた残り一枚の石版をディアスに託すと、満足そうソファーへ腰を落ち着けた。
「指定範囲以内であれば自由に動ける。けれどそれ以降はこの術が行き先を阻む。捕縛者脱走防止用道具として、現在取りかかり中の遺物研究の応用品なんだ。君が良い実験体になってくれて僕は嬉しいよ」
量産化は瑞穂の状態次第だから、しばらくは経過観察させてもらうと言うと、ユースロッテは懐から取り出したメモ帳に何やら書き付けを始めてしまった。瑞穂にとっては大迷惑だが、研究者としては素晴らしい姿勢である。
「俺とておまえと強制的に繋がりが出来るなんてまっぴら御免被りたい。が、監督者である以上、誰かが負わなければならない責務だ。これも仕事だ、我慢してやるさ」
そうしてようやく瑞穂を地面とにらめっこの状態から解放してくれた。
苛立ちをなるべく抑えるようにして聞いてみる。
「術を解くにあたっての条件は何なの……?」
「王家の術師に宝珠を取り出してもらい、おまえの疑いが晴れれば解放しよう」
「くっ……約束、ですよ?」
「益にならん事は騎士団はしないからな。信じていいぞ」
信用出来ませんね、という言葉を胸中でぶちまけながら瑞穂は思いっきり地面に拳を叩きつけたのだった。
束縛の刻印が施されてしまった一件の翌日、すぐにバーダフェーダへ向けて出立となった。そして、馬車に揺られて現在バーダフェーダの門が見えるところにまで来たというわけだった。
刻まれた刻印は小さな紋様を描いていた。この大きさなら、腕時計で十分隠せたので瑞穂は四六時中腕時計を付け続けることにした。寝る時もそのままだ。いつ何時、見られるか分かったもんじゃない。どうしてそこまでして隠す必要があるのかというと、この刻印の柄がトライディア世界では共通して罪人に刻まれる紋様だったからである。結構仲の良くなった見張り番のおっちゃんが教えてくれたのだ。肝心のディアスとユースロッテからは情報は与えられなかった。この点で恨みは加算されたのは言うまでもない。
(まさかの罪人扱い……!酷すぎるわ!)
どうしてもっとかわいい柄にしてくれなかったのか。研究中ならば、刻印の柄も指定し放題だったのではなかろうか。スマホのアクセサリ的な感じで色々選べたのではなかろうかと文句は絶えない。こんなことを言っても無駄と分かっているがやるせないのだ。
もちろん作る側としては、捕縛者(ほぼ罪人)向けに作っているのだから、この紋様で行こうとするのは仕方ないのだが、瑞穂の知ったこっちゃないわけで。
――と、色々あったことを馬車の中で回想しているうちに、街道を行き交う人々の人数が増えてきていることに気付いた。人が多ければ、聞こえてくる喧噪も大きくなるものだ。
瑞穂は頭を上げて、車窓へと目をやった。
イレナド砦からバーダフェーダまでは馬車で二週間も掛かる距離であった。
が、道中魔物に襲われるわ、ウェイドが思ったよりもトラブルメーカーで騒ぎを起こすわで心休まる暇がほとんどなかったのだ。
目的地に到着したことで、ようやくこの騒々しい日々にもおさらばできると思っていた。
「結局、最後まで馬車には慣れなかったな」
ポツリと瑞穂が独白すると、耳ざとく聞いていたディアスがどこのご令嬢様だ白々しいとせせら笑い、訝しんでいたが聞かなかったことにした。
いつもなら反論する瑞穂だったが、長旅の疲れと馬車酔いを若干おこしている今、さすがにそんな気力はなかった。
そんなナーバスな様子を気遣ってか、ユースロッテは酔い止めの薬の追加分を手渡してくれた。
「朝の分で終わりだったでしょ?あと少しの道のりだけど、念のために、ね?」
「ありがとうございマス……」
刻印を刻んだ張本人であっても、瑞穂が大人しくしていれば基本、ユースロッテの人当たりは悪くない。騎士団員も然りである。むしろ、気遣われたりすることもある。災難だったなと同情してくる人もいる。それで現状がどう変わるわけでもないのだが。
「……」
(さて、これからどうしよう)
バーダフェーダの立派な街の門と外壁はもう目の前である。