2、転移
西暦二〇三〇年、現代日本――いや、世界において魔術の存在はまだ表には公表されてはいない。だが、一般人の気づかない所で魔術世界、社会というものはごく当たり前に存在し、そこで起こる様々な事件や事象に対処する機関が構築されているのもまた然りであった。近年目覚ましく魔術機関ネットワークも整備され、ますます魔術社会は活発になってきている。そもそも魔術世界をしっかりと構築する必要に迫られたのは西暦一九五〇年、星道が大きく変化してからであった。
星道とは文字通り、科学的に観測出来る星の動きではない。星が発する目に見えない亜空間に干渉する力のことを言う。この力の流れには法則があり、地球に及ぼす影響も様々だ。一定の期間ごとに力の流れも変わり、各々の期間ごとに名付けられている。
現在は『水』の期間の星道に入ったことにより、地球の亜空間干渉能力が増大している。その結果、異世界への入り口を開く交差点に地球が引き寄せられてしまったのである。
これにより、地球では異世界人が時折迷い込んだり、魔物が活性化して暴れたり、地球人がやって来た異世界人の争いに巻き込まれることが増え、その対応をせねばならなくなった。その時、前面に出たのが各国の魔術機関で、現在日本では『日本魔術協会』が頂点に立って諸問題に魔術士派遣して対処している体制をとっている。国家を揺るがす大事件から小さな街の魔術事件解決に至るまで、何でもござれと事件を引き受けているのである。実は日本魔術協会の他にも小さな魔術機関は山ほどあるのだが、それはまた別の話なのでここでは割愛しよう。
実力さえあれば高校生魔術士達が正義感と実益(バイト代)を兼ねて、魔物退治をするのも日常茶飯事な光景である。さすがに異世界人の登場はあの高校生魔術士達も想定外であっただろうが。
正直、地球という世界は例外だ。魔物に対応する力も認識も他世界よりずっと進んでいる方だろう。だが、どこの世界でも共通していることもある。例えば魔族や魔物に対する認識だ。これらは、どうしても残虐な行いをする者も多かった過去があることから、厳しく警戒されることが多い。
異種が入り乱れていることに寛容な状態の地球でさえこうなのだから、他の世界ではもっと扱いが厳しい例もあるはずだ。例えば、あの異世界少女が魔族に対して怯えて助けを求めているのなら、彼女の世界での魔族は『悪』という認識となる。
以上が、現代地球の現状である。
「…ふうっ」
瑞穂は燃えるゴミと書かれた蓋を中から勢いよく開けた。そして、手にした学生鞄を外へ放り出し、自らも飛び出した。くんくんと身体中を臭う。
「うっ……」
やはり生ゴミの臭いがこびりついていた。制服は後で洗濯しなければならないだろう。
とりあえず、外に出て、一呼吸。そして、自らの茶色の瞳を左右に走らせ、最後に異世界少女と魔術士一行がいた場所を見やる。一六〇センチという日本女子の平均よりやや高めの身体で思いっきり伸びをする。長いこと狭い空間にいたものだから、外の空気が非常に美味しい。肩に降ろしているセミロングの焦げ茶色の髪はそろそろ切りそろえるか迷っている微妙な長さである。これからの作業を考えると若干邪魔かもしれないと思った瑞穂は、そそくさとゴムをポケットから取りだし手早く髪を一纏めにした。
あれから少しして、何やら壮大な物語が幕開けしそうな雰囲気で魔術士一行は姿を消した。が、今の瑞穂には関係ない。自身の案件はまだ片付いていないからだ。
「さて、やりますかね~」
念のためにと用心に用心を重ねて十分後、魔物が討伐された路上に立った。
もうお分かりだろうが、瑞穂は彼らが完全にいなくなるのを待っていたのだ。
時はもう午後六時半を過ぎている。ビルの狭間から見える空は既に闇に覆われていた。
スカートのポケットに手を差し込み、魔術薬が入った小瓶と術符を取り出す。砂粒状の薬を適量手に取り、地面に魔術陣を描いて術符を手に挟み、短く詠唱してやる。すると、符は燃えて灰になり、陣が白く光り出し周囲一帯に魔術の帯が広がり始めた。
「……来た!」
間もなく一際輝く明滅ポイントが生み出され、瑞穂は駆け寄った。
そこには魔力の帯に捕われじたばたしている蝙蝠のような魔物が一匹引っ掛かっていた。瑞穂は躊躇無くそれを踏みつぶした。ぐしゃり、と嫌な音がする。
「大暴れして襲い掛かった魔物の方が擬態だとはね。なかなか小賢しいマネをするじゃない。でもまあ、気づかない方も気づかない方ね。まだまだ修練が足りないぞ若人達」
誰も居ない路上で瑞穂は小声で漏らした。
あの時討伐されたかに見えた魔物のうちの一匹は、最後の力を振り絞って核の身体を隠すことに専念したのだろう。恐らく一週間もすれば元の巨体でおどろおどろしい姿を取り戻すところだったはずだ。
「最後の詰めが甘い」
呆れた素振りを見せはするが、彼女としてはそれを必ずしも非難するつもりは無かった。こういった事は相当の戦闘経験が無ければ気づきにくいケースもある。
偶然、高校生魔術士一行と瑞穂の標的が今回は被った。だから瑞穂は対処しただけである。伐ち漏らしが放置されればまた別の被害が出ていたかもしれない。他の誰かが二度手間の使命を果たすことなく済んだわけで、感謝して欲しいものだ。まあ、十分に痛めつけられた後の魔物だったので、瑞穂でも楽に倒すことが出来たわけでその点は胸を撫で下ろしてもいた。
瑞穂は魔力自体は大して強くも無く、魔術協会ランクで言えば『ランクC』の最下位に当たる。
だからこそ、戦闘では昔の経験と勘を生かして動くことにしている。
魔術薬の小瓶を再度振りまき、もう一枚の術符を使用して自らの魔術の痕跡も断っておく。
そうして本来の標的である魔物の死体や、周囲一帯に飛び散った(高校生魔術士一行の回収漏れ分の)魔物の残骸をありがたく頂戴して調理用透明ビニール袋にそそくさと詰め込んでいった。
(うっふっふ♪五体満足に残っている分は利用価値が高いから良い値で売れるわ~!)
実は、『魔術士達が成敗した魔物の死骸を手に入れること』が目的で瑞穂はこの場所に来ていたのだ。魔力の低い魔術士がよくやるアルバイトの一つに上級魔術士が捨てていった魔物の残骸を回収させてもらい、それを魔術媒体として転化してネット通販で売りさばくというものがある。
但し、個人でやると魔術士同士の縄張り争いで揉めることが増えた為、昨今では特定機関が代表として一括で取り扱うことが増えている。その中に魔女協会が存在し、瑞穂もここを通して仕事をこなしていた。
仕入れた原料は魔女協会が責任もって売りさばいてくれる。売れた金額のうちの何割かが仕入者の懐に利益として入ってくる仕組みだ。魔女協会と仕入者の利益配分については当事者達の交渉による。
ただ、この魔女協会は色々曰わく付きの団体だった。そもそも女性で特に色々個人的に詮索されたくない事情を持つ者同士の互助組合という形で作られたのである。よって魔女協会は別名の団体名で表向きは活動しており、その本来の姿は秘匿されている。もちろん、魔術協会にも存在は把握されていない。
だからこそ、魔術協会の派遣者に出来るだけ遭遇したくないのだ。バレたら事情を説明するのが面倒だからである。
(ネット社会とはかくも便利な世界だわ)
ちなみに、素材集めで成り行き上、戦闘となったらそれなりに用意をしている魔道具を駆使して切り抜ける算段ではあるが、なるべくは避けたい。
「う~ん!素材も手に入ったし、魔物再生も阻止して良いことしたし。まさしくWIN-WINね!満足満足!」
思いっきり背伸びして、深呼吸を一つ。
気がつけば完全に周囲は闇に落ちていた。時計の針は午後八時を指している。
「さて、そろそろお暇し……」
その時だった。
放置していた鞄を急いで拾い上げ、ゆっくり歩いて帰ろうとしたまさにその時である。
ちょうど異世界少女が現れた路上地点辺りが、急に明滅しだした。
「へ?」
抵抗する暇など無かった。
瞬間的に瑞穂はアスファルトに出現した穴へ引き込まれた。
「へええええええええ!!!!!!!???????」
暗闇に吸い込まれる中、一つだけ分かったことがある。
瑞穂は他者の事件のとばっちりを食らったのだ。