15、グラノーツ峡谷1
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グラノーツ峡谷。ルバニア王国民なら言わずと知れた、アランガルド大陸にあるルバニア王国東部国境沿いの自然要塞である。
ルバニア王国の東の隣国、イーディー部族連合国との国境の壁として大いに役割を果たし、国境警備隊としても恩恵に預かれる有り難い存在ともいえた。
イレナド砦からグラノーツ峡谷とされる始まり地点までは、馬を走らせると三十分強かかる。
そんな峡谷入り口手前には、通称"グラノーツ監視塔"が設置されている。正式名称はルバニア王国グラノーツ国境監視塔という。
監視塔は複数あり、国交を持たない隣国の情勢を伺い、下手をすれば国境を侵して領土拡大を図ろうとするイーディー部族連合国側への圧力として機能していた。関所ではなく、監視塔と称したのは旅人の出入りや荷物の検閲をするほどの仕事は請け負っていないからである。あくまでも近隣情勢を監視し、最寄りの砦や都に流すことを第一としているのだ。
一年前のイーディー部族連合国との小競り合いの時も、監視塔は大いに役割を果たしたのだ。
また、ルバニア王国五大都市への通行許可手形を得るのに必要な簡易な手続きも、監視塔横に設置された事務所で可能だ。関所ではないから、検閲などはしない。ただ手形を手に入れるのに必要な書類や事務処理を行うだけである。
これは五大都市で通行検閲を行う際に、肥大する混雑を解消する為に配慮されたもので、この一年で少しずつ広まっているサービスだった。何でも自称アイデアマンであるルバニア王国の第一王子の発案らしい。
このグラノーツ監視塔は辺鄙な場所にある。しかも名前まで付いている峡谷近くだから当然魔物も強く、ちょいと休む場所の確保ついでに寄るような旅人には人気が無い。大抵の人々はここからもう少し北にある、平原地帯に位置する風土穏やかなエイデン監視塔の方に立ち寄る。そいうわけでグラノーツ監視塔の旅人の利用者は、一月に数人かそこららしい。それでも監視の役割として地理的に外すことが出来ないので、設置は継続されている。
しかし、今日ばかりはいつもの長閑な雰囲気とは様子が違った。
「ああ、あちらです!」
「ジンク隊とザイデン隊は峡谷の東西の入り口を防衛しろ!イーディーの奴等を峡谷からルバニア領土への侵入を許すな!急げ!」
『了解!!』
「アーノルド隊とオスカー隊は俺と共に中心を叩く!付いて来い!!」
「「はっ!!」」
ルバニア王国の紋章を刻んだ騎士服を身に纏った国境警備隊は、ディアスの一声で三手に分かれ、あっという間にそれぞれの目的地へと向かって行く。
――時は瑞穂が砦で騒動に出くわす三時間ほど前に遡る。
盗掘を働いた野盗達と瑞穂を捕えた日の夜遅く、国境へイーディー部族連合国の侵入する動きを察知したとディアスの元へ一報が届いた。
急使に驚いたイレナド砦の騎士団員はすぐに出立の用意をし、侵入騒ぎ近くのグラノーツ監視塔へと向かったのである。
馬を走らせながら騎士アーノルドは上司のディアスに話しかけた。
「峡谷を逆に利用して侵入とは、地理に詳しい者が中にいるのでしょうか」
「それよりも前回の小競り合いから、ルバニア王国とイーディー部族連合国は国交を結ばないにしても、両者の長が友好関係を結ぶ方向で動いていると聞いていたからな。それが気になるな」
「確かに腑に落ちないね。でもあれこれ考えているのは後だよ!間違い無く、集団でイーディー部族連合国の旗を掲げて僕たち(ルバニア人)の領土へ侵入する体勢だ」
体術はからきしだが、魔術の覚えはあるユースロッテはディアスの馬に相乗りし、同行させてもらっている。
ディアスもユースロッテの魔術の実力は本物であると認めているからこそ、騎士団員では無い彼の同乗を渋々許した背景がある。
「とにかく、頭を落とす。伝令の情報によると、大規模ではないから、集団の頭を欠けば後は散り散りになる可能性が高い」
「頭は捕虜にしますか?」
「状況次第だ。俺が判断するから、それまで殺すな。――行くぞ、皆、俺に続けっ」
「承知しました!」
伝令の案内を元に、ディアス達がグラノーツ峡谷の中層に辿り着くと、イーディー部族連合国の旗を掲げた武装集団が陣を広げて前進を始めていた。
とはいえ、小規模なもので四十名前後である。陣も規律ある軍隊のそれとは違い、烏合の衆のような雰囲気だ。しかし問題は別にあった。その武装集団に襲われ、逃げ惑う人々の姿があったのだ。逃げているのは紛れもなく一般人だ。
入り組んだ岩陰から様子を伺っていたディアスは怪訝な顔を隣のユースロッテに向ける。
「どういうことだ?何故一般人がいる!?」
これでは戦いの仕方を大幅に変えねばならない。一般人の命を優先しながらも他国の侵入者を鎮圧する。非常に面倒な事態となってしまった。
「ははは!頭~!大漁ですぜぃ!!」
「おうおうおう!まだこんな国境沿いにまともな村が残ってたとはなぁ!一年前の小競り合いで壊滅したかと思っていたが、放っておけば芽吹くもんだな、おい!」
「ケンデスの村は土着信仰の強い民が多いと聞いてましたんで、いずれは戻ってくると踏んでやした!ですが、こんなに早くも戻って復興しているとは、俺達にとっちゃ好都合ですぜ!!」
「実ったら収穫はきっちりしてやらねーとな!それにしても情報を持ち込んだキャスティには後で褒美をやらねーとな、ガハハッ」
視線の先にある武装集団の首謀者と思しき男と部下のやりとりに、
「だ、そうーだよ?」
とユースロッテは呆れ顔で振った。
「イーディー部族連合国というよりは、ゴロツキが集まったただの野盗集団の色が強いな。あのイーディー部族連合国の国旗は……」
「大義名分だよ。何か母国から問われた時に、国を掲げて憎き隣国へ攻め入っただけだと言われたら、押し黙る者もまだまだあの国には多いからね。そこが連合国と言う割には実質"部族の集まりレベル"である、あの国の特徴さ」
ルバニア王国とイーディー部族連合国の軋轢は長年に渡る。それが一般人を蹂躙するだけと分かっていても、積もった怨みを晴らすなら対象がルバニア王国民であれば誰でも良いと考える者も多いというのが現実だ。そこにケンデスの村の住人は打ってつけだったのだ。
「峡谷の東西に侵入している奴等は囮か」
「賊にしては珍しく頭が回るよね。要は東西の侵入者を囮にしている間に、この中層の村民から財を奪おうってとこでしょ」
賊と言い切ったユースロッテの中で、もはやイーディー部族連合国という枠組みの軍ではなくなったようだ。ディアスもそれに異論はない。
「下らないな。こんな馬鹿ばかりだから国境警備隊の仕事は減らないんだ」
浅い筋書きに苛立ちを隠せないディアスは部下の隊を率いて突入を決心した。
「志願してそんな面倒な国境警備隊やっている君も相当な物好きだとは思うけど?」
「……行くぞ。奴等を制圧する」
ディアスはユースロッテの呟やきをアッサリ無視して馬の綱を取ったのだった。