10、宝珠
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「おねーさん。おねーさんってば!」
「……いや、ちょっと待って。あと五分……」
「いや、それは困るんだってば。せっかくのチャンスなんだから!」
「何よもう~」
瑞穂はいやいや目を開けると、自分自身の身体が妙な空間で漂っていることに気がついた。
延々と続く白く発光する世界に瑞穂は居た。
「もしかして夢の中……?」
「せいかーい!分かってるじゃん、おねーさん」
「ていうか、アンタ誰?私の貴重な睡眠を妨害してくれてるんだから、それなりの用件で現れたんだよね?」
先ほどから気安く瑞穂に語りかけている目の前の人物は、妙に霧がかっていて姿がはっきりしない。
そんなことにはおかまいなしで瑞穂はジト目で睨み付けてやる。
「ちょっと待って~。おねーさんとの接続がもう少しで完璧になるから。ほれ、五・四・三・二・一……。完了!」
それと共に、声の主の姿が明確化される。身長は一二〇センチほどの黒髪・黒目で少しふっくらした少年だった。耳が尖っている以外、日本人に近い風貌は瑞穂に妙な安心感を持たせてくれる。種族は人間とは違うかもしれないが、異世界転生に異世界転移をリアルタイムで経験中の瑞穂はもう何も突っ込まなかった。スウェット生地のパジャマのような服が可愛らしい。
人物の映像が鮮明になるにつれ、ほうほうかわいいわね~などという呑気な感想を抱いていったのだが、いよいよ顔がくっきりと映し出される段階で瑞穂はある人物を思い出した。
それは記憶の奥底に眠っていた顔写真が、一瞬にして鮮やかに甦るような感覚で、
「あ、アンタまさか……!?あの鉱石師、ティディ・ドランなの!?」
と瑞穂は大声を張り上げてしまった。
「あれ?おねーさんエンフェリーテの人?いやあ、僕も有名になったもんだなぁ」
「エンフェリーテ……。やっぱり……。ええ、そうよ」
エンフェリーテは瑞穂の前世の故郷世界の名前である。よもや、別世界でこの名を聞くことになろうとは思わなかった。
(今まで、地球であんなに血眼になって探し続けた同郷者がこんな異世界で、ホイホイ出会えるなんて……)
瑞穂は正直、胸中複雑だった。前世世界を知っている者に会えて嬉しい。だが、落胆もある。転生して最初に出会うのなら最愛の女性か親友が良かった……と、思ってしまったのだ。
(まるでずっと独り相撲していたみたいで、虚しいわね)
――でも、世の中こんなモンなんだろう。
何だかどこか張り詰めていた肩の力が少し抜けた気がしたのは、目の前の少年があまりにも気さくで温かい空気を出していたからかもしれない。
彼は目を輝かせながら、一気にしゃべり出した。
「ふああっ。嬉しいなぁ。まさか異世界に流れ着くとは思っていなかったからさぁ。僕も苦労したんだよぉ。この世界、どうにも僕らの故郷エンフェリーテと魔術の質が違うっぽくて、僕の存在に気づく人がいなかったんだよねぇ。おかげでおねーさんに会うまで、本当に誰とも話してなかったわけでさぁ。ホント、寂しかったよぉ~」
ティディはどこからか出現させた疑似ティッシュを取り出して感動の涙を拭き、そのままちーんっと盛大に音を立てて鼻をかんだ。
大げさな奴である。
けれど、どこか憎めない、そんな雰囲気が彼にはあるようだ。
古い記憶のティディと"目の前の少年"を重ねて記憶を掘り起こしていくと、確かにティディはそんな奴だったなと実感する。
(そう、コイツは私と同じリーダルハイム軍にいたんだよね……)
「アンタが"ティディ"と知っているのは、私がリーダルハイムの軍にいたから。そして所属は違えど、アンタと同じ勤務地で働いていたことがあって、かつ軍公報で取り上げられて知っていたからよ。姿絵まで載せてあったから思い出したの。今にして思えば、あの絵はかなり上手かったのねぇ……。まあ、だから世間的にアンタの有名具合がどのくらいかなんて知らないわよ?」
「あれあれ?そうなの?ま、この際、知名度なんて言ってられる状態じゃないし、気にしないや。てか、おねーさんもあの軍で働いていたんだ~」
「まあね。でもあれだけ大所帯だったから、さすがにアンタとの接点は無かったわねぇ。あと、私の名前はミズホよ、覚えてね。昔の名前とは訳あって違うけど気にしないで話を進めてちょうだい」
「りょーかい、ミズホおねーさん。それにしても、僕の名を知っている同郷の人と出会えたんだから、嬉しいよぅ」
「私も嬉しいわ」
二人は自然とハグをし合った。一見朗らかな光景であったが、瑞穂は胸中複雑でもあった。
(ごめんなさい、ティディ。私は少し嘘を吐きました。アンタの事、実は軍内に限って言えば変人という意味では有名で、よく知っていたのよね)
ティディ・ドラン、彼は鉱石に魔力を宿らせ運用する技術者として有名だった。いや、生粋の鉱石マニアだった為、『彼の理論に付き合わされて辟易させられる同僚達の話』はよく前世の瑞穂の元へも流れ込んで来ていたのだ。その上、仕事上、彼とは何回か顔を合わしたこともある。軍公報によく載っていたから知っているのは実は違うわけだ。
ただ、リヒターが今の転生した瑞穂であることを説明すると、詮索好きであるティディは絶対、今に至るまでの経緯を根掘り葉掘り聞いてくることだろう。
――それは非常に鬱陶しいし、知られたくないことも山ほどある。
(よし、『同じ軍にいた一職員』である態で押し通そう)
「私もアンタもお互い色々、紆余曲折を経てここにいるってことね」
こうして瑞穂は半ば強引に軽く話をまとめてしまうことにした。
転生してから初めての前世の同郷を持つ者と出会いに、改めて感慨深くなっていると、ふとずっと誰かに問いかけたかった質問が胸中を過ぎった。
前世瑞穂がいた世界、エンフェリーテ……、そして、最期を迎えた母国『リーダルハイム王国』はどうなっているのか。
ティディはそんな瑞穂の表情から何かを察したのか、瑞穂が質問する前に彼から話を切り出してくれた。
「もう気づいているかもしれないけど、僕はティディであってティディでない存在なんだ」
「どういうこと?ティディ本人では、無い?」
「正確にはそうなるね」
そこで彼は頭を掻きながら溜息をついた。
「僕は君の中に吸い込まれた宝珠なんだ。僕の意思は宝珠に宿らせているティディの人格プログラムということになるかな。だから僕は『ティディであってティディで無い』んだよ。本物のティディではないと言い切るには難しい存在だけど言い切ることも出来る存在。本物のティディが現れれば記憶は共有されて、一つになるはずなんだけどね。で、僕は本物のティディの実験室に安置されていて、何かの拍子に異世界へ渡ってしまった。なので、母国のことについては何も知らないんだ。僕もあの戦の最中に行方不明になったから、戦の結末はかなり気がかりだったんだけど……その様子じゃ、あまり良い結果には至らなかったみたいだね」
「私も全てを知っているわけじゃないの。お察しの通り、こうして異世界転移してる身だしね。だから、あの戦でリーダルハイムがどうなったのか気がかりで」
「ごめんよぅ、大した情報を持ってなくて。ティディ本人なら何か知ってるかもしれないけど……」
「そうなんだ……。こちらこそごめん、期待し過ぎてたみたい」
所詮、目の前の彼は魔道具の一人格に過ぎない。なのに、押さえつけていた気持ちが先走ってしまったようだ。
一生懸命慰めようとしてくれている彼に申し訳ない気持ちで一杯になる。
(いけないな、思ったより舞い上がっていたみたい)
自戒の念を込めつつ、瑞穂は話題を変えることにした。
「さてティディ、どうしてアンタが私の夢の中に現れてるの?」
「そそ、そうなんだ!時間が無いんだった!うわぁ、僕としたことが話しすぎたようっ。ああもう!ここから"巻き"でいくよ!」
「?」
「先ほど説明したけど、僕が宝珠に宿っている人格プログラムだということは分かっているよね。で、僕と意思を繋げて交流するには大抵、魔力の質が合った相手の夢の中で行うのが中心なんだ。だから、おねーさんの夢に現れて交信を図った。本当はもう少し、使用者の魔力が高いと現実世界でも具現化して会えるんだけど……。と、ここまではいい?」
瑞穂はウンウンと頷いた。
「それでね、僕自身のことなんだけど、宝珠は魔術の媒体として作られたんだ。故に、相当量の魔力が蓄えられていて、必要ならばその魔力を提供することが可能なんだよ。ところがさ、この僕は未完成な宝珠でさぁ~。魔力提供は本来の半分以下しか出来ないんだ」
厄介なもんさとティディは大げさな仕草をして見せた。
「しかも僕の意思(人格プログラム)自体が起動出来る時間が少ないし、いつまた立ち上がるか分からない状態なんだよぅ。魔力提供は自律プログラムが起動しているから随時安定供給は可能だけど……。この愛くるしいマスコット的存在の"僕"という表現がない、ただのマジックアイテムなんて、価値半減も良いとこだと思わない?思うよねぇ」
後半の下りは正直どうでも良かったが、とにかく意識が安定して覚醒出来ていないとお互い情報交換もままならない。これは瑞穂にとっても残念かもしれない。
そして、厄介な状態に陥っている彼は不安定だからこそ、瑞穂と接触出来ているこの機会を逃したくないし時間が無いと言いたいようだ。
「製作者が試作してた最中だったからね。なのに、僕はなんだか知らない内にこのトライディアとかいう世界に流れ着いててさー。いや実際、僕も結構漂流したもんだよぉ~。おかげでこの世界の知識だけは沢山吸収させて貰ったけどねぇ」
ほとんど役に立たなかったけどさ、と言って彼は一旦言葉を切った。
顔に影が降りたのは気のせいだろうか?
(あ、遠い目になってるわー。これは触れてはならない苦労があったんだろうなぁ)
宝珠姿で異世界放浪とはこれだけで一つ、話が出来上がるかもしれない。
「それでさ、巡り巡って、ルバニア王国の王族に保有されちゃったんだよね。それなのに肝心の宝珠の使い方は分かってなかったみたいで、何故かあの洞窟で奉られることになったというわけ。で、ここからが本題なんだけど、僕は製作者を探し出したい。主の元へ帰り、僕自身を完成させたい本能があるんだ。人格の統合もしたいしさ。今まではそれも叶わないと思っていたけど、そこに君が現れた」
「渡りに船というわけかしら?」
「もともと僕と接続出来る者は少なくてね。こんな世界なら一人いるか、いないかって状態だったから……。同郷者とはいえ、おねーさんはその手の才能があったんだねぇ。ホント凄いことだよ!おねーさん、同じ軍にいたんだよね?そんな希少な存在をティディが見落としてたなんて……、悔しいなぁ」
最上位魔族で力を存分に持っていたリヒターならその才能はあったのだろう。ただ、当時のリヒターはティディを面倒な相手と認定していた。
探求心に富んだ鉱石オタクに、宝珠と繋がる相性抜群です、なんて知られた暁には実験台にさせてくれor勝手にされるのどちらかだ。
そんな展開が見えていたリヒターはティディの存在を知りながらも、距離を置くことにしていたのである。
触らぬ神に祟り無し、というやつだった。
(これはますます私がリヒターだとは言えないな)
「でも、私がアンタを製作者の元へ届けるとは言ってないわ。出来ればとっとと、この身体に吸い込まれたビー玉を取り除いて欲しいくらいだし」
瑞穂は王家の宝物を盗んだ嫌疑が掛けられているのだ。迷惑極まりない。
「ビー玉扱いは酷いな!ちゃんと宝珠っていってよ!それと、一度接続しちゃうと、すぐに離すのは無理だよ。しかるべき手順を踏んで、取り外さないと、おねーさんの身体が死、あいや、ゲフンゲフンッ」
「おい、ちょっと待て」
「と、とととととにかく!僕は、ちゃんと価値があるんだよ!さっきも言ったけど、未完成だから少しだけだけど……、魔力提供の役割が可能なんだ。繋がって分かったけど、おねーさん、厄介な呪に掛かってるようじゃないか?」
瑞穂の鋭いツッコミを遮るように早口でまくし立てるティディに、上手く話の流れを変えられたような気もするが、こちらの話も大切である。
「うっ、よく気づいたわね。そうよ、色々あって、私は魔力が大幅に下がっているわ。――なるほど、ティディ、アンタが私の魔力増幅装置になるってわけ?」
「飲み込みが早くて助かるよぉ。おねーさんは僕を宿している間、少しだけど魔力を増幅出来る。その代わり、おねーさんは僕を宿している間は製作者の行方の手がかりを捜してもらう。……どうかな?」
「取引ってわけね」
――悪くない話だ。むしろ、こちらの利点が大きすぎるくらいだ。
「アンタの言う通り、この宝珠が魔術の媒体なら……外付けHDDみたいにして魔力を上げることが可能だわ」
地球では予算が足りず、必要な魔導鉱石も探し当てられず――そもそも現実的に考えて日本の高校生が世界中の鉱石を採取しに行くことは難しい――で、全く出来の良い魔力増強アイテムを作り上げる事が出来なかった。だが、これはまさしく瑞穂にとってもチャンスかもしれない。
異世界に飛ばされて初めて良かったと思えた瞬間である。長年の悩みが僅かだが、解消出来そうなのだ。
「うん、そだね。でも、エンフェリーテの魔力波に適応出来ないと効果がないよ?まあ、僕と繋がることが出来ている時点で、その質問は愚問かな?」
「大丈夫よ。私の得意技は魔力の質のコントロールだから。魔力が低くなっていても出来ることはあるのよ」
魔力の質のコントロールは技術の分野だ。前世からの技が光るというもので、ワクワク感が止められない。
熟練度は職人のそれ――いぶし銀だ!
「エンフェリーテの魔力はよく、知っている」
瑞穂は前世リヒターがそうしていたように、ニヒルな笑いを自然と浮かべる。
その様を凝視しながら、ティディはブルブルを鳥肌を立てて後ずさった。
「おねーさんを見ていて、思い出してしまった奴がいるよぅ。軍の上層部の奴で、チャラ男の癖に美形で女の子にモテまくりのいけすかない男だったよぅ~。不思議だなぁ、おねーさんとは似ても似つかないのに。おねーさんも軍に居たんなら、遠縁の親戚か何かかな?ね、関係あるの?」
「な、ななななっ。なぁに、言ってるの!?誰それ!?私はしがない下っ端職員だったから、関係ないに決まってるじゃなーい!さあさあ!時間も限られてることだし、お互い話を進めましょ」
「う、うん……?ま、じゃあ契約成立だね。何度も言うけど、僕は未完成だから全力の魔力は提供出来ない。自律機能で魔力提供は出来るけど、僕の意思は次、いつ立ち上がるか分からない。それは分かっていてね。だからもし、緊急事態や相談事があったとしても応じられない場合があるから、そこだけは勘弁してね」
「ええ。心得たわ」
「どうせ製作者の行方は一朝一夕で見つからないことは分かっているから、存分に僕を利用すると良いよ。僕もおねーさんを利用するから」
「好きにするといいわ」
「承知したよ!じゃあ魔力提供を行う契約を結ぶね!」
ティディはそう言うと、契約呪文を詠唱して消えてしまった。
恐らく、意思を立ち上げておける時間の限界が来たのだ。
「あ!王家の宝物を盗んだ疑いを晴らす案を聞いておけば良かった!宝珠が私の身体の中にあるままだと、弁明しにくいんですけどー!!」
(おーい!起きてよ~!ティディ!)
「……」
瑞穂は心の中で呼びかけたが、ティディの反応は無かった。どうやら彼が言っていた通り、意思の立ち上がり方が不安定のようである。この状況だと、次目覚めるのがいつなのか、皆目見当がつかない。
(まあ、それでもいないよりマシってもんよね、うん)
異世界に流れ着いて初めて出来た仲間だ。しかも前世世界を知る人物。これほど嬉しいことは無い。
肩の力が抜けた瑞穂は、再び睡魔の底へと身を委ねたのだった。