1、事の始まりは
「誰かっ、助けて!」
無人の夕暮れの路地に少女の声がむなしく響く。
必死で逃げる彼女の背後には数十体の異形の化け物が迫りつつあった。
「あ!」
何かに躓いて、転んでしまう。地面に手をついたまま、彼女は恐怖で凍り付いた。
絶体絶命――その言葉が頭を過ぎった時、
「伏せて!」
そこに若い女性の声が響いた。と、同時に彼女の手から放たれた風の衝撃波が魔物を蹴散らしていく。まさに命を失う寸前だった少女は、助けてくれた女性の顔をひと目見ようと顔を上げた。
ちょうど街灯に火が点る時間帯だった為、光に照らされて恩人の学生服姿が浮かび上がった。美しい黒髪と漆黒の瞳を備えた端正な顔立ち、スレンダーな体型という誰もが憧れてしまうような身体的特徴を兼ね備えた美人がそこに存在した。
「会長~!」
少女が見惚れてお礼を言いそびれている僅かな間に、会長と呼ばれた女性とお揃いの学生服を着た仲間達が戦闘に加わった。彼らの助力を受けて一段と戦力は強まったようで、怒濤の勢いで攻撃を開始していった。残りの化け物の数も二十体ほどだが、これならばあと十分程でカタがつくだろう。
「おお~、今回は青春伝奇路線ね。おまけに美男美女揃いだし、眼福眼福♪」
そんな言葉を紡ぎながら、一連の光景をそこそこ遠くから愛用の双眼鏡で眺めていたのは自称麗しの女子高生、安芸瑞穂であった。
彼女はまさしく今、『異変を察知した正義の味方が登場し、化け物に襲われている少女を助け出している』シーンに出くわしていた。いや、正確に説明すると、穂波市駅前第三ビルと第四ビルの狭間に設置された業務用ゴミ箱の中から覗いている小市民A、この役割が瑞穂の立ち位置だった。
当然、誰にも気取られぬように気配は絶っている。物語の良いシーンで一般人が水を差すわけにはいかないだろう。
正義の味方と称したのはこの市内に所属する魔術士協会の協会員達だ。もちろん、化け物――この世界では魔物と呼んでいる――に対抗すべく出動したのだから、彼らは魔術ランクA以上の洗練された認定魔術士である。魔術士のレベルは年齢に関係無いので、うら若き女子高生から擦れたオジサンまで顔ぶれは多種多様だが、今日来ているメンバー達は高校生の一行のようだ。瑞穂が通っている明鏡高校の学生服を着ているのだから一目瞭然で、実際、校内で見かけた顔もちらほらいるので間違いない。
(それにしても、いい加減この体勢に疲れてきたわ……。早く終わってくれないかな)
狭い空間で身をかがめ、身体に無理を強いており非常に辛い。
そんな瑞穂の不満を余所に、程なくして魔物との決着は付いてくれたようだった。
だがもう少し状況が落ち着くまでは、体勢云々以上に不満の一番の原因であるこの業務用ゴミ箱からは出ることを控えることにした。正直、とても悪臭に満ちていてそろそろメンタルがやられそうではある。
(家庭用ゴミは持ち込まないで下さいと書いてあるのに!)
通りがかりの人間が適当に放り込んだコンビニ弁当の食べ残し云々から放たれる異臭がたまらないのだ。しかし、それでも瑞穂はぐっと根性で堪えることに専念した。
自分の登場であの場を掻き乱したくないし、登場するわけにもいかない。魔術協会に何故この場にいるのか事情を話せない理由が瑞穂にはあったのだ。
「ああ、ありがとうございます!助かりました……!」
「私は魔術協会から派遣された魔術士、上島明日香よ。どうして、魔物に襲われていたか聞いても良いかしら?」
会長と呼ばれていた女性、上島は少女を探るように見つめた。少女の出で立ちは日本人からすると最近流行のコスプレに該当するような服装だった。神道を彷彿させる巫女服(のようなもの)を身に纏い、青緑の髪を左右に分けて束ねている姿で、年の頃は十代前半といったところか。
これがただのオタクであったのなら気にはしないが、魔物に襲われていたことで彼女が厄介な事情を抱えている可能性が高いことは明白であった。
彼女は意を決して言葉を紡いだ。
「私はシレーネと申します。実はこの件に関連したことでまことに恐縮なのですが、お願いしたいことがあり、やって参りました!」
「どこから?どういった事情で?」
「おいおい、後始末したらすぐに事務所へ戻れって言われてるだろ?もうじき空間遮断結界術も消えるし、退却アラームも鳴るぞ!」
現場検証を終えたのか仲間の一人の男性、結城隼人が駆け寄って来た。
「じ、実はっ、私、信じて貰えないかもしれませんがっ」
空気を読むべきか読まないべきか迷うよりも先に、その少女の言葉は先走った。
「私、"異世界"からやって参りました!」
『ええええええ!?』
『おお!?』
シレーネの爆弾発言に、周囲で作業をしながら聞き耳を立てていた数名の仲間の術士達も驚愕の声を上げる。それに対し、至って冷静なのは若くして場数を相当こなしている上島と結城だった。
「異世界の使者か~。はあっ……、久々ね」
「だな。二年ぶりくらいじゃないか?」
二人の言葉にシレーネは思わず目を見開いた。
「あなた以外にも地球ではそこそこ前例があるってこと。つまりは、慣れてるのよこの異世界転移して地球にやってくるっていう話はね。あなた、ここに来て本当にツいてるわよ?」
パチリとウインクをしてシレーネの手を取った。そして言う。
「問題解決に協力出来ると思うわ。ようこそ地球へ!シレーネさん」
ちなみに、瑞穂が悪臭漂う空間で爆笑をかみ殺すのに難儀したのは言うまでもない。