隙間語り4~ナージャ
真実の乙女とは何者であるか――。
それを問うならば、問いかける側は一定の前提を設けなければならないことを知る者は案外少ない。
コトハという名前のあの娘が天空の乙女であるかと問われれば、ボクはあいまいに「どうかな?」と答えるだろう。
前提条件その一。
この国にとって彼女は真なる乙女であるか――?
それを問われればボクはにやりと笑いつつ「あの娘は正しい乙女じゃないよ」と答えるだろう。
この国にとっての真なる乙女。
それは魂から孤独であって、あちらの世界に縋るものが極端に少ない者のことを指す。あちらの世界に家族がいて友人がいて、平和に生きてきた何の憂いも持っていないあの娘は真にこの国が求める乙女ではないと言えるだろう。
しかもあの娘は「あれるぎぃ」なる症状持ちで、毛のある者に対して抵抗を示す。到底この世界の獣人たちを受け入れるはずのない肉体を持つ者が現れること事態が異常なことなのだ。そんな条件を持つ乙女を国は求めていないのだから。
だから、ボクは「この国にとって」という前提条件を付けられたなら「彼女は偽物である」と断定せざるをえなくなる。
では前提条件その二。
この世界にとって彼女は真なる乙女であるか――?
そう言って問いかけられたならば、ボクは「もちろんそうだよ」と白旗を振って降参してしまうことになる。
乙女という存在名はただの耳触りの良い言い回しなだけで、異界の生物であるなら何だって構わないのだ。
それを言っては、天空の乙女に対する神格化が薄れて困った事態になるから公表されないだけなんだけども。
たとえば、訪れる者は赤子でも良い。もちろん歳を取った婦人でも、男でも。生きている者であるなら誰だって構わない。
要は身の内に魔素を取り込んで消化できるかどうか。重要なのはそこだけだ。
この世界の生物は魔素を消化できない。だが、異界の生物ならそれができる。
長年の研究から浮かび上がった事実。
これまでご先祖様たちが色々と条件を付けてみたけれど、結局呼びやすいのが獣人と同じような姿をしている存在だということで、呼び出すのは異界の少女となってしまったのだ。
魔導師は自分が想像できるものは術を掛けやすいが、想像できないものには掛けにくい。異界の愛玩動物を呼び出そうにも、その姿が想像できないから術が及ばない。無垢な赤子を呼ぼうにも、獣人の赤子のように生まれたばかりの状態を知らないから呼ぶことができない。
そんな取るに足りない想像力の欠如という事実から事は複雑になってしまうのだけども。
まぁ、我の強い男よりも女の子の方が御しやすいというのも多分にあったんだろうね。前例もあったし。
そんなこんなで、呼び出されるのは女の子だ。
異界の生物であり、生きて呼吸をしているだけで世界に満ちる魔素を減らすのだという事実を踏まえるならば、彼女は真実「この世界にとっての乙女である」と断言できる。
あれだけ機嫌の良し悪しで天候を変化させることができるのだから、力の強さで判じるなら彼女は力の強い乙女であると言えるのだろう。
コトハという少女は、「この国にとって偽者の乙女」であり、「世界にとって真なる乙女」である、というのが真実だ。
色々な事情はあるのだけれど、最も大切なのは、この国を怨み世界を憎み呪い続けるカーマインが彼女をたったひとりの本物であると思っていることだ。
彼は乙女を使いこの国を揺さぶろうとしているらしい。それを知ったときには高笑いが出そうになった。 だって、どうやらこの国にはもうひとりの乙女らしい存在が訪れているようなのだから。
もしコトハが損なわれても、もうひとりが存在しているかもしれないのなら、彼女は使いようによっては本物にもなれるし予備にもなれる。――使わないわけにはいかないだろう?
そして天空の乙女を研究していくにつれて分かってきたことは他にもある。
乙女の血はわずかながらその性質を子孫に伝えていくということだ。彼女たちの残した子供たちを後追い調査して分かったことだ。
乙女の性質――、魔素を消化し無害化するという性質。
その子供に受け継がれる性質は乙女と比べればほんとうにわずかなものだ。二十分の一とも三十分の一とも言えるだろう。
だが、それらが数を増やせばどうなるだろうか。子に孫に継がれ、いずれ乙女の血は獣人たちの間に巡り、異界から乙女を呼ばなくても魔素が天候を悪化させることもなくなっていくだろう。
現に、乙女の死後増えていく魔素の量は代を経るごとに減少していっている。
魔素が減ることで魔獣による被害も圧倒的に少なくなっている。
あと数代もあれば、彼女たちの残す子たちに受け継がれた血によって、世界は安定の方向性に向かっていくだろう。
これはカーマインも知らない真実だ。乙女を害そうが、世界が受ける被害は以前の比ではないのだ。
ならば使わないわけにはいかないのだ。
だって、あの娘はヴェイグの「唯一」となってしまった。
始祖であるミアジュに継ぐ実力を持っていたラージュをしても滅することのできなかったドラゴン。当然ボクにもできないだろうそれをヴェイグはその怒りを以ってして滅することができるかもしれないのだ。
――いや……、本当はそう決めるずっと前から期待していたんだ。乙女の召還をさせられたヴェイグがその娘のことを気に入ってくれたらいいなって――。
幼い頃より傍にあったラージュの記憶。
幾度も幾度も見せ付けられた罪と悲しみの記憶はボクの胸の奥底まで染み渡ってしまっている。
かつてラージュの友であったカーマインをボクは身近に感じているのだ。
孤独のドラゴン。孤高のドラゴン。強く美しく、そしてどこまでも独りだったきみがついに自分の唯一を見つけたというのに――。
ラージュは悲しかった、――ボクは悲しかった。
ラージュは憎み、そして決意した、――ボクは憎み、そして決意した。
ラージュはきみを救いたいと思った――、ボクも救いたいと思っている。
あるいは、ラージュは記憶だけでなくその意思まで後世に伝わるよう、思考の刷り込みを術に起こしているのかもしれない。
けれどその術を解き明かし、解除する術をボクは持たない。しようとも思っていない。
ヴェイグに対し、ボクは最悪の時代の王たちと同じ事を仕掛けようとしているのだろう。
憎まれるだろう。怨まれるだろう。
――ヴェイグが彼女を好きになったりしなければ良かったのに……。
でも彼は、あの娘に親しみを覚えるどころか己の唯一と定めてしまった。
獣体になれる獣人が存在しない現代、その中で翼だけとは言っても獣体を現すことのできるドラゴン。それが他者にどれだけの畏怖を感じさせるか――、知らない彼ではなかった。
ヴェイグに対し、畏怖以外の感情を示してしまった彼女――。
孤独を感じていた彼が得てしまった思慕は、きっとただの人である彼女には計り知れないものだ。
可哀想な――僕に利用されてしまう――ドラゴンに愛されたお姫様……。
何で好きになっちゃうかな――。本当に願っていたことが何なのか分からなくなる。
でも、だからと言ってボクは彼を利用することを止めることはしないだろう。ボクはその怒りを素直に受けようと思っている。それは今の王も同じだろう。動機は異なっていてもボクたちが目的とするものは同じだから。
王都西部・東部に耳無したちの進行が始まったと連絡が入る。
深く深く息を吐く。
すべてを捨ててボクはすべきことをしに行く。
――でも、油断すると浮かんでしまうんだ。あの娘の顔が。
使用人らしい、せわしなく働く後ろ姿。頬に付いた食べカスに気付かないままお菓子をほおばる愛らしい姿。
みんなが恐れるドラゴンに憧れていて、時々挙動不審で、文通友達が多くて、ボクのことをちょっと苦手としているきみ。
傍にいたら捨てられるものも捨てられなくなるから――。
「ごめんね。ボクの勝手をきみは許してくれるかな……」
ふと見上げた空から、冷たい雨粒が落ちてきて頬を伝った――。
ナージャ。色々と囚われている人。




