隙間語り3
カーマインの首を刈り取った場面で、始祖の頭蓋より手を離す。
あまりに生々しい記憶は幾度覗こうと息を切らす。
歴代の王が己の慢心を許さず最後まで任を達成してきたのは、この残された王の記憶があってこそだと感じる。
ジンライは自由でありながら苛烈な王だった。
切り捨てるべきものを知り、救うべきものを知っていた。
獅子王の時代の幕切れと共に、新たな王となった九尾の男は荒れていた国を平定しこの国の基盤となる礎を創り出していった。
短い年月で政を敷き、新たな法案を制定していった男の姿はある種独裁者のように映ったかもしれない。
反発が少なかったのは国中が疲弊していたこともあったが、彼がそれだけの才を持っていたからに他ならない。
彼はそれまで政治的立場の弱かった神殿を、ひとつの権威団体として押し上げ王宮と切り離し、天空の乙女の所属を明らかな文言として神殿のものにすると宣言した。
政治と切り離すことで乙女の神格化を上げる狙いもあったが、何よりも二度と王宮にもてあそばれないようにするための宣言であった。
そう、始祖は三人目で乙女の召還をやめることはしなかったのである。世界にはまだ乙女の存在が不可欠であったために――。
国を守るためにまず世界の安定から。
彼は正しく、しなければならないことを選んだのだ。
神殿所属の魔導師の筆頭にはラージュが据えられた。彼は乙女を守り、王宮を監視するにはうってつけの人材だった。
思うところはあっただろうが、ラージュは四人目の乙女を再来させることに同意した。そうせざるを得ない世界の事情を、賢い彼もまた理解していたのだ。
四人目を呼ぶ陣を発動させる際、ラージュは新たな効果を陣に付随させた。
新たに陣に付随させた効果は三つ。
ひとつは、呼び出される乙女の選出項目。
呼び出す条件に加えられたのは、――呼び出される者が孤独の魂を持つこと。
無理やり呼びだされた乙女が、なるべく未練なくこちらの世界を受け入れられるようにするための処置として、まずラージュはそれを行った。
そして二つ目。乙女に加護を付けること。
乙女に触れられた者が深層心理で彼女に信頼を寄せるようになる加護だ。乙女を傷つける者を減らすための処置だった。
三人目の乙女に味方のあまりに少なかったことを後悔するような加護は、その後の乙女たちの身を守ることに繋がっていく。
最後のひとつは、何者からも傷つけられないための強い守護だ。
二つ目の加護と似た理由からではあるが、これが乙女のためには重要な守りとなる。
これら三つの要素を項目として加えることで、召還の際に必要となる魔力は跳ね上がることになったのだが、ラージュは魔導士の数をそろえることで実現は可能であることを四人目の召還で証明してみせたのだった。
ラージュはその生涯を天空の乙女の研究に注いだ。
その研究は今もネコマタの家系を中心に続けられている。
乙女を呼び続けることに心の内では誰よりも反対している彼は、自身が再び乙女を呼ぶという罪を犯すことによって泥水を啜って生きる道を選んだのだ。
そしてもうひとり、泥水を啜って生きる道を選んだ者がいる。
火トカゲのジェスロだ。
彼はすべての呪いの素を持って故郷に隠遁した。
カーマインの怨嗟は、あの日で完全に止められたわけではなかった。彼の魂まで侵し続けた怨嗟は、命を絶つだけでは止められなかったのである。
絶命した後に残る魂が更に地に呪いを吐き続けることを断ち切るため、ジェスロは彼の捥がれた翼の骨から白ヘビの像を造り出した。
戦士であると共に魂の声を聞く神子の力を持っていたからこそできた業だ。
ドラゴンの像としなかったのは、カーマインの落ちた名誉を少しでも守るため。そして民に国がドラゴンの怨嗟を引き出したことを隠すためでもあった。ドラゴンの怒りを引き起こしたという事実はつまり、国の威信が地の底にまで到達してしまったことを示す。混乱する国土に今以上の絶望を与えるわけにはいかなかったのである。
ジンライたちはカーマインの魂を白ヘビの像を楔として封じ、ジェスロの故郷にある洞窟に彼の朽ちた肉体と共に封印した。
それを見守り監視し続ける役目はジェスロ自らが買って出た。
ヘビという種族は大別すれば毛の無い者たちの部類に属する。それがどういう意味を持つか知らない男ではなかったが、ジェスロは自分たちが後に「耳無し」と誹りを受けることになっても、彼を隠し、彼の魂と共に生きることを選んだのである。
国の崩壊の危機にドラゴンの影があった事実は早急に抹消していった。
噂を使い、唄や詩を使い、ジンライは危機を起こしたのが凶悪な白大蛇であったと嘘の事実を広めていった。
それと同時に三人目の乙女と白銀のドラゴンの悲恋の物語も流れてしまったのは、ジンライたちの意図するところではない。
静かに蔓延していった物語は四人目の乙女が呼びだされた喜びと交じり合い、道化の唄に変化していくこととなる。
――乙女に恋した愚か者のドラゴン。
乙女の流す涙に負けて、自分の命を差し出した。
貴女が好きだと差し出したのに、乙女は振り返ることもない。
乙女は笑って還って行った。
晴れやか過ぎて笑いが出るね。空は気持ち良いくらいの晴天だ。
明日も明後日もその先も、空の晴れ間は続いていくよ。
愚か者のドラゴンは、それでも笑って目を閉じた。
瞼の裏には乙女の笑顔。
曇りはどこにも見当たらないよ。どこもかしこも晴ればかり――。
『愚か者のドラゴン』という題名が付けられたこの唄は、今も時折酒場で流れているらしい。
混乱していた時代にあっては、何が真実で何が嘘かは判別しづらかったことであろう。歌い手も裏の意味に気付くことのできない唄は、今後も形を変えず残り続けるのだろうか――。
そして現代において、ラージュの血統はナージャに引き継がれ、ジェスロの血統は戦士ではなく正当な神子の家系として残されている。
誰も彼もが罪と悲しみを重ねていた時代――。
多くの者が友を失い、家族を失ってきた時代が再び戻ってこようとしている。
いつかは成し遂げねばならなかったことだ。
カーマインの魂は今も尚、そこに存在している。
かつて救いきれなかった魂を完全に滅する。
それが時を重ねてきた自分たちの願いだ。
図らずも時は来てしまったのだ。
カーマインを滅することのできるドラゴンが乙女を呼び出し、その乙女を唯一と定めてしまった。
それを使わないわけにはいかなかった。
禍根を残すわけにはいかなかった。カーマインの魂はいつかは復活し、再び国土に怨嗟を撒き散らしていくのだ。
国が乙女を呼び出すたびに、静かに緩む封印。その度に漏れ出た怨嗟は国に多少ならぬ被害をもたらしてきた。このまま捨て置くことは、王としてしてはならないことだった。
駒を配置し、躍らせる。
国に不信を持つ乙女。盲目的なまでに己の唯一を見つめ続けるドラゴン。間諜として使い勝手の良いイヌ耳の騎士。他者の見聞きできぬ存在を知覚する神子。そして、過去に囚われた魔導師――。
中枢にいる老害共は自分の利にならなければ邪魔なばかりだ。
最強種であるドラゴンを部屋に閉じ込めるだけで安堵できるようならば使う意味もない。下手に使おうとすれば、逆に目的の前に立ちふさがる障害となりかねない。
乙女が晴れ間をもたらさないこと。曇りや雨ばかりを呼び込むことは、今回に至っては利用価値のあることだった。
ナージャを使い乙女の真価に対する不信を生み出す。ナージャもまた祖先の記憶を継ぐ者だ。彼の家にも九尾の王の祖と同じ時代の記憶を保持する頭蓋、――ラージュの頭蓋が存在している。
かつての友を憎しみから解き放つ。世界を憎んだまま存在し続ける魂を完全に滅することによって。それが過去に囚われ続けた彼の系譜が選んだ答えだ。
己が国を守ることを選んだように、ナージャはラージュの望みを引き継ぐことを選んだのだ。
――動機は違えど目的とするものは同じに。
魔導師と王の共闘は今も続いている。
今のところ駒は上手く盤を動いている。
ひとつ懸念があるとすれば火トカゲの神子の存在だ。神子はまだ幼く経験に乏しい。彼の気配がどうもおかしい様子だったとイヌ耳から報告が入っている。
ヴェイグを引き離させ、カーマインにさしたる労もなく乙女を手に入れさせたが、果たしてカーマインは乙女をどう取り扱うだろうか。
神子の肉体を依り代にカーマインを完全に滅する、というナージャの目論見は果たして成功するのか――。
どうも上手く事が進みすぎているように思えて仕方がない。どこかで欠落したものがあるのではないか――。
「ライガ様、王都西部、東部にて敵襲あり! 耳無したちが大挙して現れています」
扉を叩き告げられる報告に身を振り返る。
終わらせるときが来た。
思考はときに動きを鈍くしてしまう。もう事は動き始めているのだ。
過去から続く因縁を終わらせよう。
たとえ今の友から失望されても、やらねばならぬ時が来てしまったのだ――。




