隙間語り1
長く続く世襲制の王宮において、不必要なものとはなんだろうか――。
驕り、怠慢、怠惰、そして倦怠。
続くことが当然であると思う慢心。
それらを防ぐために何ができるだろうか。
かつて愚王のために滅びかけた王国を、始祖は記録を残すことで崩壊への楔にすることにした。
王の私室、部屋の主よりも主然として鎮座する始祖の残したもの――始祖の頭蓋。骨の白。空虚を感じさせる穴の開いた眼窩。歴史上最悪の事件を記憶する九尾のキツネの王の記憶を封じたもの。
始祖の頭蓋には、当時最高の技術を誇っていた魔導師ラージュの術がかけられている。
触れることで彼が成したこと、彼らが成した記録を読み取ることができる。
歴代の王たちはこの記録を読み取ることで賢王であり続けることを選び取ってきた。
そう決意させざるを得ないほどの生々しい煉獄の記憶――。
頭部を撫で付けるように触れる。
目を閉じれば浮かんでくる記憶の渦――。
始まりはいつも曇り空の記憶から――。
※ ※ ※
「――晴れたかと思えばまた曇りか」
剣を振り払い血を落とす。
国を出て傭兵として暮らすようになって、もう二年が経つ。
遠い噂で巫女があの国に降り立ったと聞いたが、さして効果はないようだ。
「まぁ、長雨が続くよりはマシか……」
見上げる空は、地平のように境界線などない。続く先には生まれ故郷があるのだろう。見えない故郷に思いを馳せてジンライは剣を鞘に収めた。
「おーい、ジンライ。そっちは無事か?」
離れた場所から仲間の傭兵が声をかけてくる。
「あぁ、問題は無い」
今回の依頼は商隊の警護だ。この旅で仲間となった奴らは気の良い奴ばかりで助かった。
中には自分が警護する商隊の荷物を狙う馬鹿もいるので、気を張らなくて済むこの旅路は本当に気楽で良かった。しかも金払いが良い。
襲ってきた盗賊もとても弱かった。――あぁ、本当に楽な仕事だったな。
仲間が聞けば、楽だと感じているのはお前だけだと抗議されそうなことを考えながら、目的地で飲む酒の種類を思い浮かべて悦に入る。
ジンライにとっては、王宮にいようが傭兵として各地を周ろうが大差ないことだった。
どちらかと言えば傭兵の仕事の方が好ましいと答えるくらいか。
王宮で生きて行くには、自由を好むジンライにとっては息が詰まりすぎる。それも父親が宰相という位に就いていれば特に――。
商隊と別れ、報酬を握り締めて仲間と酒場へと繰り出す。
思い思いの酒を片手に、道程では口にできなかった温かい料理を注文する。
さっそく酔って歌い出す仲間を横目に、ジンライは酒場の店主から預かった手紙を広げた。
「何だよ、ジンライ。もう次の仕事か?」
空になった酒をジンライに注いで仲間がもたれかかってくる。すでに相当な量を飲んでいるらしい。息に含まれた酒の匂いが臭い。
「あぁ、仕事っていうかご機嫌伺い? 超過保護な親父殿がどうしているかってうるさいんだよ」
手紙をたたんで懐に仕舞う。
「さぁて、今夜はめいいっぱい呑むぞ!!」
しばらくは気楽に酒を呑んでもいられなくなるだろう。最後の無礼講だとばかり、ジンライは注がれた酒をあおった。
※ ※ ※
泥と血しぶきの中にドラゴンが吼えている。
――アーヤ、アーヤ、アーヤ……――
気が狂うほどにひとりの女の名を叫び続けている。それがあのドラゴンの鳴き声であるかのように。
手紙で指示されたのは白銀のドラゴン・カーマインの抹殺だ。
『己の責務を果たせ』
そう綴られた手紙はその日に焼き捨てた。
国のためになるというのならやってやっても構わないかと思ったが、果たしてあれは殺していいものか?
やってできないことはないだろう。毒の魔獣を相手にドラゴンは相当に弱っている。今ならジンライの太刀ひとつで絶命させることも簡単なはずだ。
「うーん、どうしようかなぁ……」
気が狂うほどの叫びに、周囲を取り囲んでいる兵たちは引いている。次は自分たちがやられるのではないかと危機感を抱いている様子だ。
傭兵たちの間でしきりに囁かれるある情報。
「世界がまた閉じ始めているらしい」
世界が閉じる、というのは傭兵たちの隠語だ。最初の乙女が亡くなるときにどこかの傭兵が発したのが始まりだと言われている。つまり乙女が亡くなり、世界がまた荒れ始めるということだ。
乙女が死んだなら、親父殿がすぐ戻ってくるようにと連絡を入れてくるはずだ。
そんなものはなかったが、だが確実に世界は再び荒れ始めている。
王都近辺の傭兵たちに連絡を取って情報は仕入れるようにしている。王宮内にもジンライ独自の伝手は作っている。
結果、分けられた情報は二つだった。
乙女をドラゴンがかどわかして世界を荒れさせているというもの。
もうひとつは王宮の内部で、ある派閥が乙女を操っているというもの。しかも悪いことにその派閥は獅子王擁護派だ。
因みにジンライの父はかちかちの獅子王擁護派だ。建国の時代から王に仕える家柄のためか、宰相である彼は王を疑おうとすることをしない。王のためなら政敵の暗殺さえ眉を動かさずにできるのだ。
「これは、まぁアレだよな。愚者が愚者を伝播させているってやつだよな……」
あぁ、頭が痛い。
これから巻き起こるであろう状況を素早く判断できる自分の頭脳が嫌だ。しかもどれほど嫌がってもその中心に寄らなくてはすまなくなる自分が想像できる。
「仕方ないか。これもまた運命っていうものだ」
地面を蹴って空を舞う。
振り下ろす先はすでに決めた。
ダンッと剣を落としながら、着地する。すでに世界から失われた風が数瞬起こり、旅装束に包まれた髪がなびいた――。
※ ※ ※
「誰が否定しようとその無駄なあがきをしようとする愚かさを俺は否定しない」
そう言った言葉に嘘はない。
生きる者の愚かしさ。
それを思うとき、一番に浮かんでくるのはいつも父の顔だった。
王に心酔し、王の言葉を信じ、王のために働く彼はどこまでも側近の鏡だった。
だがそれは、付き従う王が賢王であった場合に限る。心酔する王が愚王であれば目も当てられない結果となるだろう。実際、もう手遅れに近い。
「その場で足踏みをし続けるしかないような、一歩も進むことのできないような努力しかできない愚者は所詮愚者でしかないんだよ。哀しいことに、愚者には意味のある声は届かないし愚者であるからこそその思考も支離滅裂で愚かしい」
いや、もう手遅れなのだろう。自分で放った言葉に結果を見る。――もう俺は彼らを見限っているのだ。
――悲しいなぁ……。
これからしなければならないことを思い、しばし寂寥を覚える。
間違いさえなければ、彼らは少しくらいはまともな愚者でいられたのだ。
初代、二代目と賢王を輩出してきた王家。
その王家に三代目として据えられた王は、言ってみればとても凡庸な王だった。
建国してから続いてきた国土を保持し維持するだけの力はある王のはずだった。王として厳然とした空気を持つ王だったが、変革や改革というものには弱い王だった。
だが、それで良かったのだ。
初代の王は国を造り、二代目は国土を拡大させた。あとはそれを守るだけ。
それだけで良かったのに、周囲の期待がそれを歪めてしまった。
ジンライが子供の頃から王としてあり続けた王は、元来ならとても優しい王だったのだ。かつて幼少時に頭をなでてくれた王の手は、確かに慈しみを内包していたはずなのだ。
他者に気を遣い、使用人の末端にまで心を砕いていた王は、いつの間にか自身の心を壊してしまった。
「かの王たちと比べて今の王は――」
幾度そんな言葉が降りかかっただろう――。幾度期待に添えない己に絶望しただろう――。
寄り添う側近はいたが、だが彼らはただ寄り添うしかできなかった。
王を否定する者たちを排除し、ときに暗殺し、彼らは王を愚王として造り変えていった。
彼らは、王の間違いを正すだけの言葉を持つ賢明な者さえ排除してしまったのだ。
その筆頭がジンライの父だ。
彼はその父から、祖父から王の腹心たれと教育されてきた。能力のある人物なのだ。王に傾倒しすぎさえしなければ。
王を変えた責任の一端は彼とその同僚たちにある。
彼らは止めるべきだったのだ。止めるべき点は一点のみでなく何箇所もあったはずだ。
間違いを正しく認識せず、間違えたまま進んでしまう王を何故彼らは止められなかったのだろうか。
答えは簡単だ。彼らはあまりに忠実なる臣下でありすぎたのだ。王の言うこと成すことを信じることが彼らの真価だったのだ。彼らは手足にはなれても頭にはなれなかった。
止める者のいなくなった王は己の判断だけで国政を行わなければならなくなってしまった。
歯止めの利かないまま周り続ける車輪のように、すでに止められないところまで来てしまったのだ。
ならば誰かが止めるしかないだろう。
――悲しいなぁ……。
過去を思い、自分の未練を断ち切るように面を上げる。
風のない世界に再び風を起こすべく、ジンライは歩み出すことを決意した。




