シンクロしてみる8
※いきなり場面が飛びます。
――殺してやる。呪ってやる。恨んでやる。…………………この世のすべてを滅ぼしてやる!!!
神殿の崩れた天井から覗く空からは陽が失われ、夜のような曇天が空を覆いつくしていた。雲が雲を呼び、重なり合って天を低くする。夜闇を思わせる一面の雲の天幕――。
雷鳴が轟き、激しい雨が降り注ぐ中にカーマインはいた。
獣体となった身体に鎖が幾重にも巻かれている。ジャラジャラと鳴る重たい鎖の音。引き倒される体。
尻尾を揺らすと何かが砕ける音がした。卑小な生物の叫び声が不快な重奏をかき鳴らす。骨が砕けたとかどうとか言っていたが、そんなことはどうでも良いことだ。
「くそっ、もっと鎖を引けっ」
「魔導師は何をやっているんだ。早く雷撃を落とせ」
鎖を通して魔力の篭った雷撃が伝わってくる。ビリビリとした振動が瞬間、身を麻痺させるが、すぐに回復するので咆哮を起こす。
悠々と風と一体化となることのできた翼はもうない。きらめく白銀の翼が生えていた場所には、赤黒い血で染まった骨が生えていた。
四肢が切断され、近くで燃え残った煤となって黒い煙を上げている。
かつてドラゴンの姿をしていたものは、地に這う大蛇のごとく凶悪な牙を振りかざして吼えた。
――呪われろ、呪われろ、呪われろ、呪われろ。
断片的な記憶が脳を焼く。
起きろ、と叫ぶラージュの声――。ぎりぎりの淵で注ぎ込まれた魔力――。蘇生、浅い呼吸、限界のわずか手前に置かれた二人――。
召還の間に雪崩れ込んできた兵たち――。
整然と並んだ兵たちの中心を抜けて厳かな足取りでやって来る王の姿――。
途切れる記憶。……飛ぶ。………ぶつ切りの光景――。
武装した王――。
ジェスロの髪を掴んで引きずる手――。
体中を刻まれた火トカゲ――。生気の失われた顔――。
滴る血が床にどす黒い線を描く――。
『この者たちに神聖なる裁きをっ』
抑えきれない怒りを露わに発される命令――。
『乙女を呼び戻すのだ。この国に、我に汚点など残してはならぬ。子を成し、聖なる国母とするのだ。さすればアレとて不具を詫び泣いて我に感謝することだろう』
酷薄な笑みを浮かべる王の姿――。
そしてそれに追従して笑い声を上げる側近たち――。嘲笑、嘲笑、嘲笑……――。
『これが神聖なる裁きだとでも言うのかっ!!』
兵に取り押さえられ絶望の表情を浮かべるラージュの顔――。
助けなければ……。身体を変える――。獣の咆哮を鳴らす――。
また途切れる。……飛ぶ。……記憶を掘り起こす――。
『この愚かなドラゴンに裁きをくだしてやるのだっ。翼をもげ! 地を歩むことも許すな! 手足をそぎ落とし、地を這うことしかできなくしてしまえ!!』
身体に打ち込まれる銛――。
崩れる神殿の壁――、崩落する天井――。
返しのついた銛――、鎖の繋がれた銛――。太く長い鎖――。幾重にも、幾重にも巻かれていく鎖――。
剣――、悪意――、槍――、嫌悪――、矢尻――、害意――、銛――、憎悪――、鎖――。
多くのものが突き刺さる。何度も突き刺さっては落ち、突き刺さっては剥ぎ――。繰り返す悪意の波――。
――あぁ、そうか。これがアーヤを包んでいた世界か――。なんと醜い世界だ。なんて腐った世界だ。こんなものなど、こんな世界など…………………………必要ないだろう?
グアアァァァァァッッッ
喉から血が出るほどに吼える。
これは滅びの呼び声だ。
恨め! 憎め! 恐れろ! 慄け! 呪われろ!! 絶望しろ!!
きれいなものなどこの世界には存在しない。美しいものなどどこにもないのだ。何の価値もないのだ!
むき出しの肌に槍が突き刺さる。
視界が鈍い。片目に剣が突き刺さっている。
邪魔だと思った次のときには、眼球が盛り上がって剣がずぶずぶと抜けていく。あっけなく地面に落ちて砕ける剣。
心臓が異常なまでに拍動する。
これまでにない回復力を発揮しているのが分かる。周囲の魔力を薄く感じる。薄まる分、体内の魔力量が増えていく。そのほとんどは肉体の回復にまわされているようだ。
幾日、ものを食べていない? 幾日、水を口にしていない?
気にならない。気にする必要がない。回復に必要なものはそこら中にある。
都合の良いことだ。
笑って首を振る。
周囲を取り囲んでいた兵の数人が、その動作で弾け飛んだ。空いた空間にまた補充の兵が加わる。
みな一様に身体のどこかを負傷していた。
胸部に頭部、全身に包帯を巻いた兵たち。腕を、足を、目を。傷付いても尚、彼らは戦意を失わない。
周囲を取り囲む兵たちの背後には、死体を引きずる者たちの姿が見えた。死んだばかりなのだろう。血の匂いは濃いが腐臭はなかった。
死体を引きずる者たちが向かうのは小高い山。死体の詰みあがってできた山だった。
片付けるのも間に合わないくらいの死者の山は、カーマインが作り出したものなのだろう。だが、少しも心が晴れる気がしない。
――すべてだ。すべて無くなってしまえ。すべて失われてしまえ。すべて滅んでしまえ。
心のままに暴れる。
兵たちの肩を吹き飛ばし、頭を噛み切り、胴を飛ばした。
血が噴出し、少しの合間、透明な雨が赤いものに変わる。幾度も降り注ぐ血の雨――。
止まぬ剣戟。うろこに弾き飛ばされる剣もあれば、肉を突き刺し奥へと侵入する剣もあった。だがどれも致命傷にはならない。
「雷撃、用意っ」
訪れる雷撃に身を焼かれる。
続けざまの衝撃に、またぷつりと意識が消失した――。
※ ※ ※
雨――、咆哮――、雨――、慟哭――、雨――、あめ――、アメ――……。
光を纏う九本の尾。
地面に放り出された王の首。恐怖に見開かれた瞳に、もはや感じるものはない。
華美な装飾を好んだ男の頭部は、すべてを剥ぎ取られて泥に塗れた。やはり何も感じるものはない。
この首ひとつで収めてくれないかと、金の光を纏った男が言った。
――そんなことは知らぬ。滅べ、滅べ、滅べ。お前たちは生きている限り、同じことを考えるだろう。またアーヤを苦しめるのだろう。また彼女を汚すのだろう。希望などない。期待などない。少しでも懸念を残すのならいっそ滅んでしまえ。未来など望んでも無駄だ。吾がすべて滅ぼしてやる。
「――お前は……た。俺は………国……、許す………ない」
男が、ジンライが何かを長々と語っていた。得意の演説でもかましているのだろう。だが、破けた鼓膜は音を正確に拾わない。半分砕けた頭は言葉の意図することを汲み取れない。
――呪われてしまえ。絶望に暮れろ。アーヤを傷つけたこの世界に暮らす者に光など与えるものか。この世のすべては滅びるがよい。
「もはや……、正常……判断は……ないみたいだな」
ジンライの背後に控える者たちに目を向ける。彼らは暗い瞳をしてカーマインを見下ろしていた。
――ラージュ……。ジェスロ……。お前たち、王国側に寝返ったのか!? くっ、ははははっ。やはりそうだ。この世にある者はすべからく自身の欲に弱い。お前も、お前も。みんな死んでしまえ。滅んでしまえ。
ジェスロがジンライに剣を渡す。
ラージュが手を組み、何かの呪文を唱え始めた。
――死ね、死ね、死ね。許さぬ。彼女を傷つけた者も、これから傷つけようとする者も、裏切った者も、裏切ろうとする者も皆、すべて許さぬ! 祈りなど、懇願など無駄だ。アーヤの願いを踏みにじる者たち、そしてそれに従う者たち、その系譜にあたるすべての者たちを吾は恨んでやる。
喉が焼ききれても、すべてを呪う言葉は止まない。
そしてジンライが剣を振り上げる。よく磨がれた剣だった。その切っ先までもが輝きを放っているような剣。
――死ね、滅べ、呪われろ、消えてしまえ、無くなってしまえ、失われてしまえ。
振り下ろされるその瞬間まで、呪いの言葉を吐き続けることを止めない。
「カーマイン……――った……」
ジンライが口を開く。だが正確な音を耳が拾わない。
「――から。お前たちの罪も悲しみも、すべて俺が背負ってやる」
最後のジンライの言葉だけは、はっきりと耳に届いた。
極限まで落ちた体温に、頬に当たる雨の雫がやけに熱く感じられた――。
………………後に続くのは、深く長い眠りの時間――。
※ ※ ※
はっとして手を胸に抱える。
降り続ける雨が私を素通りして地面に落ちていく。
今見たものは何だったのだろう。
あまりにも激しい記憶だった。特に最後の場面。痛くて苦しくて悲しくて――、でもそれらの苦しみを超えるほどの世界への憎しみに満ちていた嵐のような記憶――。
同調――、シンクロしていたと言えばいいのか。感情が重なっていた分、自分の痛みのように感じてしまう。
でも私は私だ。カーマインじゃない。
胸のうちで自分に言い聞かせる。そうでもしないと、自分という境界線があやふやになってしまいそうだった。
ふんと鼻を鳴らして私の顔をしたカーマインが面を上げる。
「何か悪い夢でも見たか」
見られたことを不快に思うでもない、感情の抜けた顔。
見ていないと答えても良かったのだろうけど、私はそうすることはしなかった。
――同情はしないから。
カーマインのしようとしていることは間違っている。
だって、あれが起こったのは今よりもずっと昔のことなのだ。当時の人たちはみんないなくなっているというのに、世界に対する憎しみだけを持続させて事に及ぼうなんてひどい。今の人たちには関係のないことのはずだ。
「そんなもの必要ない」
立ち上がって頭を振るカーマイン。髪から雫を飛ばすと、一度だけ村の人たちのほうに視線を向けて私の方を見た。
「さぁ、今代の乙女。お前を呼んだ理不尽な世界に鉄槌を下すときが来たぞ」
出立の準備を。
背後に佇むリューゴ君にそう命じて、カーマインはにやりと笑みを浮かべた。
――だから私は鉄槌を下したいなんて思ってないからっ!!
そう言って地団駄を踏んでいると、ふいにカーマインの手が伸びてきた。
触れることのできない指先が私の黒髪を掠めて通り過ぎていく。
まるで大好きな人を見つめるような目で私を見てくる。――ううん、私を通してアーヤを見ている。
『吾の……唯一』
記憶の中で聞いたカーマインの声が蘇る。愛おしいと口にするよりも多く口にされてきた言葉。
唯一。
感情を共有したことで私にも理解ができるようになった言葉。魂の底から湧き出る甘い、甘い、とろけるような渇望すると表現するのが正しいくらいの――。
『――貴女は俺の唯一……』
今なら分かるよ。どういう気持ちでヴェイグが私にそう言っていたのか――。
疑ってごめん。信じてなくてごめん。
私がこの世界に来てから、ヴェイグはずっと私の味方だったし、寄り添い続けようとしてくれた。
王様の前での別れ際、触れてこなかったのは触れたくなくなったからじゃない。私に拒否されることが怖かったんだよね。
うぬぼれとかじゃなくそれが事実なのだと、かつてひとりの女性を愛したドラゴンの過去を見た私の心が証明する。
そして同時に思う。
カーマインが唯一と定めたアーヤが、彼の記憶通りの人なのであれば、カーマインが今こうしてしようとしていることを絶対に悲しむと。
アーヤは世界を憎んでなどいなかった。ただカーマインのことだけを必死に想い続けていた。
それはドラゴンが自分の唯一を愛する様に似ている。彼女はただ自分の大切なものに傷付いて欲しくなかったのだ。自分を傷つけようとする他の何も、彼女は気に留めていなかった。
またカーマインの視点を介して得た情報を、私という他者の視点に切り替えてみると見えてくるものがある。
カーマインの記憶の欠落だ。
彼は友人である魔導師ラージュと火トカゲのジェスロに裏切られたと思っている。
あれだけ仲が良かったのに。それも命を掛けるほどの絆を持っていたはずの彼らなのに、カーマインは裏切られたことを当然のことのように受け入れていた。矛盾を矛盾と感じていなかった。
多分、憎しみが強くなりすぎて正しい判断ができなくなったんだと思うけど――。
アーヤの帰還後の彼らに何があったのか。
王様がカーマインの心に世界への憎しみを植えつけたのは分かる。
結局ジンライはどういう人だったのだろう。傭兵だと名乗ったけれど、かなり王国内での地位のある人でもあるような言い方もしていたし――。
ジンライが最後にカーマインを断罪するときに言ったのは、「お前たちの」という言葉だ。
あれはカーマインだけに向けられた言葉じゃないはずだ。カーマインもそうだけど、ラージュにもジェスロにも向けて言っていたように私には感じられた。
王国側の人間だとしても、ジンライは王様とは立ち位置を別にしていたんじゃないのかな。……推測でしかないけど。
カーマインの欠けた記憶は取り戻すべきなんじゃないだろうか。――でも、どうやって?
私が言ったって、カーマインは頷かないだろう。最悪、邪魔だと消されてしまうかもしれない。この姿のままじゃ何も出来ない。見ているだけしか出来ないのがすごく悔しい。
――今、すごくヴェイグに会いたい……。
脳裏に浮かぶ私を呼ぶヴェイグの声に、なんだかとても泣きたい気持ちになった。
……これにて過去編終了。もう1話加えて、この章は終わりにします。




