シンクロしてみる3
魔獣掃討作戦にはカーマインだけでなく魔導師ラージュ、そしてアーヤの警護担当であるジェスロまで駆り出されることになった。
掃討作戦は王国と他国との境界線上で行われる。
ラージュは南西の湖周辺において、ジェスロは東部の海岸線、そしてカーマインは国の北端の山脈において作戦に当たることとなる。
ラージュの指示がよく通るよう魔導師たちは南西の湖周辺に、軍の精鋭たちは東部の海岸線に配置された。カーマインが割り当てられた北端の山脈には、わずかばかりの軍の兵士たちと民から徴兵されてきた戦闘経験の浅い人員で向かうことになった。
「なんとも裏のありそうな配置だな……」
ラージュは眉をしかめながらそう言った。
くれぐれも背後には注意するようにと、特にカーマインに強く言ってラージュは南西へと出立して行った。
北端の山脈での戦闘は、カーマインのほぼ単独での戦闘となった。
共に配置された者たちはドラゴンの破壊力に巻き込まれないよう村々の住人の避難誘導を行い、ときおり零れ出る魔獣にとどめを刺した。
傍にいて無用な手出しをされても迷惑なので、カーマインは彼らがそうすることを黙って受け入れた。
カーマインは魔法による戦闘があまり得意ではない。もっぱら肉弾戦に長けている方なので、大抵の戦いはその身を以って行った。
獣人相手なら剣や槍を使って戦いもしたが、相手が魔獣となると勝手が違ってくる。剣や槍など使っても、すぐにただの棒切れと化してしまうのだ。
そのため、獣の体となって一対多数で戦う戦法をとることになった。
魔獣は一匹程度ならカーマイン独りで何の苦もなく倒せるが――それでも軍の兵士数人がかりでやっと倒せるくらいの強さがあるが――、それが群を成してかかって来られるとなるとそれなりに苦戦するものだった。
尻尾の一振りでなぎ倒しても絶命するわけではない。四肢を震わせながら魔獣たちは最後の息になるまで牙を剥き出しにした。奴らは絶命するそのときまで戦意を失わないのだ。
魔獣の牙はカーマインの硬いうろこを剥がし、肉をそぎ落とした。
美しい白銀のドラゴンの身体はあっと言う間に血の赤に染まっていった。血の大半は魔獣から噴出したものだったが――。
カーマインはドラゴンの中でも格段に肉体の再生力に優れたドラゴンだった。そがれた肉から滴り落ちる血も戦闘をしているうちに止まっていく。
白銀のうろこが赤に染まろうが、生々しい桜色の肉が露出しようが、カーマインが動きを弱めることはなかった。
傍で見ていた兵士たちは唖然とした表情をしつつ、彼を神とも化け物とも呼んだ。
戦闘は夜通し行われた。
魔獣の活性は夜が主となる。朝が明けていく頃には魔獣たちは一匹二匹とねぐらへと戻っていった。
ある程度の戦闘が終われば、そこは血と腐臭の漂う沼と化していた。
だが、これで魔獣掃討作戦が終わったわけではない。魔獣の出没地域は今回訪れた北部山脈の一画だけではないのだ。しかも魔獣たちのねぐらを探り当て潰していくこともしなければならない。作戦の決行は、予定であっても三ヶ月はかかるものだった。
休憩のために陣を張る兵士たちを置いて、カーマインは翼を広げて飛び上がった。
翼のいくつかの箇所は破れて穴が開いているようだったが、飛び上がるのに支障はない。一、二度旋回して不具合のないことを確認してカーマインは更に上へと昇った。
「カ、カーマイン様、どちらへ行かれるのですかっ」
北部戦の司令官が唾を飛ばしながら掛けてくる。
「一度アーヤの元に戻る」
「ですが今夜も作戦が……」
「夜には戻る。それまでお前たちは待っていろ」
「カーマイン様も休憩をお取りになり――、あぁ、カーマイン様っ」
追いすがる声が聞こえたような気がしたが、カーマインは構わず翼を動かした。
ここから王宮までは軍の騎馬で数日を要するが、カーマインの翼ならばあっという間に辿り着くことができる。
あいつらに付き合って、もう何日もアーヤの顔を見ていないのだ。
そう思って、カーマインは愛しい者のいる気配へと向かって空の中を舞った。
翼の骨格が歪む。風がむき出しの肉を触って痺れをもたらす。
何度かドラゴンの巨体を揺らめかせながら、カーマインは進んで行く。
浮かぶ雲は多かったが、空は青く美しかった。眼下を走る草原の緑は色鮮やかで、その中に実る果実たちは太陽の光を受けて輝いていた。
アーヤさえいれば、どんな景色だってカーマインの目には鮮やかに活き活きとして映るのだ。
世界は美しい。
カーマインはアーヤを通してそう思うのだった。
「――あまり無理をしてはダメよ」
降りてきたカーマインを一番に見つけたのはアーヤだった。
駆け寄ってきて、血に濡れることも構わずその首を抱き寄せる。頬を摺り寄せながら、「貴方が帰ってきたらすぐに分かるように、空をずっと見上げていたのよ」と涙を見せる。
あの雲の群は彼女の不安を表したものだったのかと思うと心がふるえた。
いじましい彼女の気持ちが愛しかった。
甘えるようにカーマインはドラゴンの喉で鳴いた。
小さく聞こえる「ひっ」という声。
カーマインがグルルと喉を鳴らしてもアーヤが怖がることはない。声を出したのは後ろに仕えていた侍女だった。見かけたことのない顔だ。
警護の騎士を付けていないのか。こんなひと噛みで絶命してしまいそうな侍女が何の役に立つ。
思ったが、すがり付いてくるアーヤの方に気を取られて、その侍女の存在はすぐに忘れてしまった。
そうしたのは、アーヤに害された様子がなかったからだ。肌も健康そのものだったし、着せられた服も上等なものだった。何より彼女は多少の憂いはあってもカーマインを見つめて微笑んでいる。――お前が笑っているならそれで良い。
もう一度グルルと喉を鳴らしてアーヤに擦り寄った。アーヤからは甘い花の香りを感じた。
カーマインはここが王宮であることに慢心していた。
王宮にいる限り滅多なことでアーヤが傷つけられることはないだろう。それはカーマインにとってはもちろんだが、この世界においてもアーヤの存在は欠かすことのできない存在だからだ。
カーマインにとって、他のか弱い生き物はただ言葉を解するだけの卑小な存在だった。
あまりに生き物としての差が大きすぎたため、個が寄り集まり国を形成するということがどういうことか、細部を理解することができなかったのだ。
彼が理解を示そうとするのは、アーヤとそして共に彼女を大切に扱うラージュとジェスロだけだった。それ以外の者は心がないのと同じだった。
「貴方がここまでなるなんて、大変な事態なのね……」
まだ桜の色を見せている肌を労わりながらさするアーヤにカーマインは目を細める。
誰かが傷付くことを嫌がるアーヤにこんな傷を見せてしまったという後ろめたさはあったが、戻ってきて良かったとも思った。
「お前が笑っていられるためなら何だってするさ」
「――。カーマイン、私、貴方が好きよ。どうか死なないで」
「もちろん」
互いを想い合うが故に彼らは気が付かない。
このときから決定的に彼らがすれ違い始めていたことを。
カーマインは今回の魔獣掃討作戦がアーヤのためになると信じていた。何故なら、何よりも乙女を大事にしなければならない王がそう言ったからだ。腹の内を隠すような男だが、害してはならない存在を害するほど愚かではないと思っていた。
その証拠に、カーマインたちが出兵してから多少の雲の塊はあれども空は晴れ間が続いているのだ。空はアーヤの心だ。――心が穏やかでなければ晴れ間など訪れまい。
カーマインが戦闘に出ることは良かったことなのだ。国が安定していればアーヤに怨みをぶつけようとする民も沸いてこないだろうし、王たちも満足するだろう。
その結果、アーヤが安心して暮らせているのならそれで良い。――それで良いのだ……。
一方、アーヤは今回の作戦はカーマイン自らが志願して出たのだと信じていた。
困窮する民のため、国のために志願したのだと。
アーヤは戦争が何であるかを知っていた。国のため、人々のため、誇りを持って出兵していく男たちの姿を見てきたからだ。だからカーマインもそうだと思っていた。
戦争に向かう男たちが何を思い何をしようとするのか、アーヤは過去嫌になるくらい目にしすぎてしまっていた。
ドラゴンであるカーマインが真に何を思って行動しているのかは、ただの人間であるアーヤには測り知れないことだった。
通常の人のように、カーマインも世のためと動く心を持っているのだと思い込んでしまっていたのだ。
ドラゴンの情はただただ己の唯一のためだけに存在するのだということを、アーヤは知らなかった。
アーヤにとって、カーマインたちを送り出すことはとても辛いことだった。出兵して傷付いて帰ってきた父の姿が思い出されるからだ。
でも、今は不思議と父を送り出した後よりも気持ちは落ち着いている。どこまでも心が凪いでいると言えば良いのだろうか。
それは戦闘の合間に負傷しながらもカーマインが姿を見せに戻ってきてくれたからかもしれない。
もしくは王が大丈夫だと宣言したからかもしれない。
新しく来た侍女も、不安に空を見上げるアーヤの横で常に明るい希望を口にした。そんな彼女はいつも甘い匂いのある香を焚いてくれる。合わせて出される飲み物はとろみがあって美味しいのだ。――あぁ、なんだか喉が渇いてきたわ……。
目の前に傷付いたドラゴンがいるというのに、仕様もないことを考えてしまう自分はどこかおかしい。おかしいと思うのに、どこがどうおかしいのか分からなくて、アーヤはカーマインの太い首筋にしがみ付いた。
「カーマイン、貴方が大好きなの。本当は傷付いてなんてほしくない。……こんな戦い、早く終わってしまえばいいのに――」
搾り取るような声で言う。
「私は貴方が好きなの……」
それはカーマインに向けて言ったというよりも、自分に向けて言っているようだった。彼を想う心だけは確かなものだと確認するように――。
空はいつの間にか大量の分厚い白雲で覆われていた。隙間に見える空の色はどこまでも青く澄んでいる。
時折雲が切れて太陽が地上を照らしつける。そうかと思えば雲が太陽を覆い隠して薄暗さを地上にもたらした。明るさと薄暗さの二つが目まぐるしく地上を通り過ぎていく。
ドラゴンにしがみ付くアーヤを、新参の侍女は厳しい目で見つめていた――。




