シンクロしてみる1
私の体が奪われてから四日が経った。
村の中ではせっせと火が起こされ、槌で金属を打ち付ける音が鳴っている。剣に槍、弓などの武器を作っているのだ。彼らは黙々と作業を進めていた。手を休めることもなく、ただひたすらに――。私はどうすることもできず、ただその様子を眺め続けるのだった。
この透き通った体になって四日だ。
眠る必要もなく、食べ物も水も摂取しなくていい。無粋な話だけどトイレを催すこともないよ。省エネだね! ……でも人としての大事な何かは確実に失われているよ。あうぅ。
霊体?――と言っていいのだろうか、精神体と今は呼ぼう。だってまだ死んでないもの!……多分――になってからできるようになったのは、空中を浮遊することだ。
浮遊とは言っても、たかだか地面から数十センチを浮かぶのが精一杯なのだけども。
肉体が重力というものを認識しなくなったみたいで、歩くたびにふよふよと浮いてしまうのだ。私に歩くという意識はあっても、足が地面を認識しない。なんということか……。
――数馬くん、ねぇちゃんはますます人間から離れていっているよ。
私のことを知覚できているのは、体を奪ったカーマイン、それにリューゴ君とその弟のプラネスだ。
カーマインは奴の邪魔さえしなければ、私が村の中をうろうろと歩き回ることを許容してくれている。どうせほとんどの人たちには見えないし、見えたとしても彼らが私のために動くことはないと踏んでいるのだろう。――無力な自分が辛い。
村の人たちはおそらくカーマインに操られているのだろう。その表情はリューゴ君と同じく虚ろで変化が見られない。
出来ることなら王宮に取って返してこの状況を誰かに知らせたい。
でも哀しいかな、転移魔法で移動してきたこの場所から王宮まで行こうにも、距離も方角も分からないのだ。
王宮に召還されるまでは乙女であることを拒否って神殿でほぼ引きこもり生活を送っていた私は、当然この国のことを知る気もなく地図だって見ようともしていなかった。村を出たって、迷子になっておしまいだ。――もっと賢く生活しておくべきだった。私のバカ。
プラネスは長くカーマインに行動を操られていたためか、体調を崩して動けなくなってしまっている。高熱を出した彼を村の女の人たちが世話をしているのを見た。
カーマインの中にも仏心があったのかと少しだけ感心したけど、すぐに後悔した。
「村の男たち以外の者たちには奴らの生活の補助を言い渡している。生物は寝食なしには動けなくなるからな」
ということらしい。やっぱり鬼畜野郎だった。
体力を失って動くことができなくなったプラネスは、駒として使えないと判断されたためか逆にカーマインの呪縛が弱まっているようだ。
荒い息の中でうわごとのように「ごめんなさい」と私を見つめてくるので、「良いんだよ」と手を握ってみた。
何が良いというのか――。何も良くはないのだけど、操られていただけのプラネスはきっと悪くない。汗で張り付く髪をそっと拭った。
カーマインの呪縛からほぼ解けた状態のプラネスは、年齢相応のあどけない少年のようだった。どこかの腹黒ネコ耳少年とは雲泥の差だ。こっちの方が数万倍可愛げがある。
悪いのは鬼畜野郎のカーマインだ。こんないたいけな少年を操るなんて、何て外道だ。天罰が下ってしまえ!
リューゴ君は私の傍にいて、私がカーマインに喰ってかかって吹き飛ばされないように見張っている。どうにか意識を取り戻してほしいと声をかけ続けているけれど、その気配はまったく訪れていない。
リューゴ君は私を見張っているのではなく見守ってくれているのだと信じたい。信じることしか今はできない――。
たくさんの剣や槍、弓が粛々と集まっていく。
そして耳無しと呼ばれる種族の獣人も――。どこから集まったのか、村には多くの男の人たちが集結しつつあった。入りきらない男の人たちは村の周囲に野営の陣地を張っている。
武器を持ち集まっていく耳無したち、――静かに、でも確実に何らかの準備が始まっていた。
――俺たちの土地を取り返すんだ……。
――……のうのうと豊かさを享受する者たちに鉄槌を。
――………あいつらは俺たちが貧しいのは当然だと思っている。同じ生き物なのに虐げられるのはもう嫌だ。
村の中や野営地を周る中で耳に入る音たち――。
呪う言葉はひとつ起これば共鳴するように広がっていく。深く浸透していく呪いの言葉は、全員に一致している意見のように、もう誰が最初に発したのかも分からなくなってしまっているようだった。――……戦いが始まるんだ。
目に見えて整っていく戦闘の準備に心が震える。
――どうしてこんなことに……。
思っても答えるものはなく、時間だけが過ぎていっていた。
※ ※ ※
カーマインは岩を削り取った家のひとつを当然のように自分用に使っている。
けれど、ずっと篭っているのかといえばそうでもない。悪の親玉って室内で偉そうにふんぞり返っているようなイメージがあるのだけど、カーマインはそうじゃなかった。
昼のうちは家の外へ出て、高台にのぼって着々と進んでいく戦いの準備をつまらなそうに見下ろしている。
これから始まる戦闘に高揚するでもなく、ただつまらなそうに見下ろす姿は、本当に戦いを望んでいる人のする顔つきなのだろうか――。
朝のうちは村の様子が気になってうろうろする私だったけど、ある程度村を周った後はすることもなくて、岩場に腰掛けるカーマインの横に並ぶ。
こちらが何も言わなければ、カーマインは私の存在をないものとして扱った。要は好きにしろということなのだろう。勝手に解釈しておく。
リューゴ君はそんな私たちの後ろに立つ。姿勢の良い姿は、警護を専門にしている人のようだ。感情の見えない警護者は静かに背後に佇んでいる。――彼の意識はまだ捕らわれたままだった。
――雨が降ってきたよ。
ぽつぽつと降り出す雨の粒を見上げる。
精神体となった私の体が濡れることはないけど、肉体を持つカーマインの体は濡れてしまう。
「そうだな」
だというのに、カーマインの方は微動だにすることなく岩場に腰を下ろしたままだった。
――雨宿りしなよ。
「吾の心配か?」
何が面白いのか、にやついた顔は意地悪なものでムカっ腹が立つ。私の顔でそんな顔をするな。私がいじめっ子みたいじゃないか。
――そんなわけないじゃん。私の体が風邪引いちゃう。あんたの心配なんて誰がするか。
つい反論してしまって、あっと口を閉ざしたけれど、今回においてはカーマインの怒りを買うことはなかった。彼の沸点はよく分からない。
「あいつらは不安がっているだろうな」
村を見下ろしてカーマインが笑う。どこか遠くを見るような視線に不安が募る。
こいつの言う「あいつら」というのは、ここに集まっている獣人たちのことではないのだろう。ここにいる獣人たちをカーマインは良くも悪くも何とも思っていない。きっと遠い地にいる他の者たちのことを示してそう言っているのだ。
「肝心の乙女は不在。天候はますます悪くなっている。今頃、出来の悪い乙女でもいないよりは良かったと慌てふためいているのだろうな」
笑えることだ、と醜悪に唇を歪めるカーマイン。――だから私の顔をして悪の幹部の顔をするのはやめて。
「こいつらは多少の気候の悪化などものともしない連中だ。雨が続こうが日照りが続こうが、一定の数を保ち続けてきた歴史がある。毛無しだとバカにするがな、あいつらに比べればずっと上等な生き物だろう」
カーマインは自分自身蛇のくせして、仲間である耳無したちをある種一線を引いたところから眺める。自分だけは別格だと思っているのかもしれない。ムカつく奴だ。
――戦いになるのは嫌だよ。
今日は随分と寛大な気持ちらしいので、私の思いを口にしてみる。カーマインの見えない圧力で飛ばされそうになったらなったで、リューゴ君が助けてくれると信じている。非力な私は他人を頼るしかないのだ。あぁ、無情。
「戦うことは吾の意思ではない。こいつらの意思だ」
何だ、それ。思いっきり誘導しているようにしか見えないんだけど。
――原因はあんたじゃないの。
「火種はいつでもくすぶっているものだ。多少の風を送ってやれば簡単に燃え広がる」
ほら、結局はカーマインのせいじゃん。煽って戦いを誘導するって、それだけで十分な責任はあると思う。
――痛いのは嫌だよ。
自分がそうなるのも、他人がそうなるのも。その想いに毛のあるなしは関係ない。
「嫌なら目を瞑っていろ。閉じていれば直に終わる」
――なにそれっ。
反論して掴みかかってやろうとしたけど、カーマインの体を掴むことはできなかった。何となく触れた感触はあるのに、がしっと掴むことができなくてストレスが溜まる。
私が触れられるものは限定されるらしい。
――うー、もうっ。もうっ。
ムキーっとサルみたいに地団太を踏む私をよそに、カーマインは小雨の降り注ぐ中、膝を抱えて目を閉じた。
沈黙。……そして、沈黙。――ん? こいつ寝てる?
規則正しい寝息が耳に届く。
神経が図太いことに、カーマインはすこやかな眠りについてしまったらしい。
――ムカぁぁっ。何なの、こいつ。もうっ。
置いてけぼりにされた恨みが私の拳を持ち上げる。
触れることはできないので意味はないのに、私は持ち上げた拳を「えいっ」と振り下ろした。カーマインは意識を閉じている。――はずだった。
私の拳がカーマインの頭に触れた直後、衝撃が私を包み込んだ。
それはたくさんの色鮮やかな景色の暴力だった。……緑。深い森。太陽。明るい日差し。地を駆ける獣たち、海を泳ぐ魚の群れ――。
ぶわっ、と全身に鳥肌が立つ。まるで電撃を受けたかのように。
目の前が開けるというのは、実際にはこういうことなのかもしれない。その瞬間まで見えていたものがすり替わって、たくさんの景色が私の脳内に巡っていく。
……草原。花。空。青空。雲。風、心地よい風――。
肌に当たる風を感じた。耳元で空を斬る音が鳴る。通り過ぎる風を身に受けて、私はそれを気持ち良いと感じる。
背中を伝う振動。
慣れた振動は風を受けて私の身体を空へ浮かばせる。自由自在に動かすことができる。
飛んでいく景色はどれも色鮮やかで美しい。
丘を越えて山を横切り、河に沿って空を泳いでいく。
やがて身体は地面へと滑空していく。
恐れは無かった。
私の翼は飛び方を知っている。
横目に見えた翼は白銀。太陽にきらめく新雪の色の私の翼。
軽やかに足が地面に付く。
――……―ヤ。
私の喉が誰かの名を刻む。
こちらに背を向ける長い髪を持つ人に呼びかける。真っ黒な髪が風にそよいでいた。
私はその人を見て喜びを感じていた。身を震わせるほどの歓喜が私を包んでいた。
――愛しい人。誰よりもまばゆく見える魂の色を持っている人。世界の唯一。そして……の唯一の人。
魂の底から歓喜していた。
その人がそこにいることが嬉しい。そこにあるというだけで胸に熱いものがこみ上げてくる。
――当然だ。……が「唯一」と言い現すのはそれだけ……な存在なのだから。愛している。愛している。愛している。愛している。愛している。愛している。…………………………………………………………………………………………愛している。
ゆっくりとこちらを振り返る人。
髪が風にそよいで流れ、毛のない丸みを帯びた耳が現れた。
『……カーマイン』
耳触りの良い穏やかで柔らかな口調で、微笑みながらその人は私のことをそう呼んだ。




