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反☆ケモナーの心得  作者: 夏澄
飼育編
17/35

幕間~王様とドラゴン

 たとえば、長い孤独の中にいたとして――。

 たとえば、誰とも深く触れ合うことなく過ごしていたとして――。

 たとえば、欲しいと思える者もなく、永久に独りきりなのだと諦めていたとして――。


 欲しいと、欠片でも思ってしまうことは仕方のないことなのではないだろうか……。


 『運命』を。


 それは「ささやかな願い」。そう呼ぶことはできないだろうか――。


 ※ ※ ※


 ドラゴンに与えられた居室は、その気質を警戒して幾重にも魔法障壁を掛けられることになった。


 ――こんなもの、奴を止めるのに幾許のものにもなりはしないのに。老害どもめ。過去、ドラゴンの怒りを買った者がどういう末路を辿ったのか知らぬわけでもないだろうに。


 元老院の老いぼれたちは何も分かっていない。恐ればかりが先行して正しい対策を理解できていない。恐れを持っているはずなのに、強大な力を配下に置きたがる。――なんとも愚かなことだ。

 ドラゴンを封じることに意味はないのだ。ドラゴンに対する正しい策は怒らせないこと。この一点に尽きる。国一番の使い手であるナージャであっても、彼を本気にさせては塵芥と同じなのだ。


 特別に入り口を開けさせて、友のいる部屋へと入っていく。

 馴染みのあるぴりりとした空気が漂ってくる。守りの騎士が入り口で本能から身を硬くするのを見て「待っていろ」とひとりで奥へと向かった。


「今回は俺のしがらみにつき合わせて悪かったな」

 手枷を嵌められた状態で椅子に座る友を見る。

「これで良かったのか?」

 枷を嵌められた状態でも悲壮感を匂わせない様はまさしくドラゴンと呼べよう。

 虚ろな目はそれでも優美ささえ感じさせる。

 枷どころか幾重にも重ねた魔法障壁でさえ、ひと払いで消し去ることができるというのに大人しく収まってくれているのは、彼が己の友であるからだ。


「ああ。俺も迷惑をかけたからな」


 この謝罪は、無意識化で行われた陣の書き換えによるもの。

 だが――、

「それでも後悔はしていないんだ」

「……お前らしいな」

 続く独白に苦笑する。

 彼は世界にとって必要な天空の乙女を呼ぶ代わりに、自分の唯一を呼び出してしまったのだ。――幾年も自分の唯一を選ばなかったのに、まさか外にあるとは。それが結果として良かったのかどうかは別として……。


「泣かせてしまった……。そんなつもりじゃなかったのに」


 怒りならばまだ冷静に受け止められたと言う。

 一見気の強そうな娘だった。年端もいかないような小娘だ。それでも見えた顔つきは女のするものだった。

 泣き顔ばかりに気を取られて、ヴェイグは気づいていないのだろう。あの涙の意味を。あれは呼ばれたことを恨む涙ではなかった。


 ――涙くらい拭いてやれば良かったのに。あれでは完全に誤解しただろう。もう触れることすら厭うのかと。


 親切に教えてやるつもりはない。男女の間のことには首を突っ込むだけ野暮だ。

 大方、軽蔑されるとでも思ったか。あの娘は元の世界に戻りたがっていたらしいから。熱心に世話をしてきた者が自分を呼んだ張本人だと知って、触れられることを嫌がると。


――くだらない気遣いだ。……あぁ、本当に男女の間のことはやっかいで仕方がない。


 過ぎる女の残像にため息を吐く姿は完全に恋に入れ込んでいる男のものだ。

 噂通りの入れ込みようであることは二人の様子を見た瞬間に分かってはいたが――。

 女と縁がなかったわけではない。過去にはドラゴン相手に怯えを見せないで近づいてくる者もいたように思う。どれだけ言い寄られようとすげなくあしらっていたようだが。

 初心とまではいかない程度には女に慣れているはずのヴェイグが、泣き顔ひとつで動揺している様には驚きが隠せない。


 ――あのヴェイグがな……。


 長い間、空虚な孤独の中に生きてきたような男だ。

 行き場を持てないというならしばしの間王国で飼われてみないかという提案に虚ろに答えたのはほんの数年前のこと。

 よく仕えてくれたと思う。真からの忠誠を示されたことなどないが、友情は深めてこられたのではないだろうか。それでも、言いようのないその孤独が癒される日は訪れなかったが――。


 ――今がそのときだと言うのだろうか……。なんと皮肉なことか。


「今すぐ会いにいきたいところだろうが、十日の間は我慢してくれよ。俺にも王としての体面がある」

「分かっている。それに彼女を傷つけた、これは報いだ」

 こういう男だっただろうか。誰が何をしようが、関せずを貫き通してきた男が――。だが「不甲斐ない」と誰が言えようか――。


「感謝している」


 こちらの都合で縛り付けた男は陶然とした面持ちで礼を述べた。

「何が?」

 片眉を上げてみせたが、言いたいことは何となく分かる気がした。分からないほど短い付き合いでもない。

「彼女がこの世界にとっての乙女でなかったことを明かしてくれて」

 分かるよ。皆で共有してたまるか、とそう言いたいのだろう。――俺には理解できない思考だがな。

「怒るだろうな。でも……、嬉しいんだ。彼女は俺のためだけにこちらに来たんだ。……俺だけの唯一、絶対の人――」


 ――あのとき、乙女の召喚を任せたとき、ナージャを除いてそれができる者はヴェイグしかいなかった。

 ナージャでさえ補助に三人は付けなければならないところを、ドラゴンである彼は一人でやってのけたのだ。

 すでに用意された陣を発動させるくらい、彼にとっては息をするのと同じくらい簡単だったに違いない。片手間に思考を散らしてしまうくらいに。


『運命を』


 ささやかな願いが隙間を付いてしまったのは仕方のないことだったかもしれない。それほど彼は浅くはない孤独の中にいたのだ。


 これから訪れるのは、世界の運命を握る乙女。彼女はきっと慈愛を以ってして世界を安寧に導くだろう。世界が唯一と必要とし、またそれに愛を返す乙女。目が眩んでしまうほどの正の循環。


 ――俺の安寧はどこにある……?


 陣の発動時、彼は心の隙間に思ったに違いない。

 喉から手が出るほどに羨ましいと、妬ましいと思うほどではない、表出させるまでもない願いがふと心をよぎってしまっても誰も責めることはできないだろう。本当にそれはささやかな願いだったのだ。


 ――俺にもいればいいのに。俺の、……俺だけの唯一が。


 誰だって一度は求めるものだろう。自分にとっての唯一を。

 歪みに気付く間もなく、陣は発動してしまう。

 通常ならばそこに陣がある場合、発動には十分な魔力を注ぐことだけが必要とされる。間違いようのない術。歪みなど、術者の気の迷い程度で発動するはずもないこと。

 だが彼はドラゴンだった。それを無意識に叶えられるほどの力を持っていたのだ。

 結果、異界からこちらが求めていない条件の娘が呼び出されてしまった。

しかも運の悪いことに――彼にとっては運の良いことに――、訪れた娘はヴェイグの願いに重なってしまった。


 ――これが顛末。

 ささやかな願いが叶ってしまったという、話好きの侍女の舌にも乗せられないほどのつまらない話の。


「あの場では言わなかったが、ナージャの調査で分かった事実がもうひとつある。お前の唯一が現れた地点は、陣が正しく発動した場合の位置から若干ずれていたそうだ。これはもう少し突っ込んだ調査が必要となってくることだがな」


 歪められた陣がそれでも発動したのは理由があったのではないかとナージャは考えているらしい。

 陣が吸収した魔力量は、ナージャが試算した魔力量よりも多かったという。たとえ陣が歪められていたとしてもそれほどの魔力量が必要だったとは思えないとナージャは言っていた。

 位相の位置からして、他にも何か来たのではないか。まだ実証段階ではないため、公には出来ない報告だ。そのため秘密裏に調査を続けさせているところだ。


「その事実、彼女に伝えるのはまだ待ってもらえないか」


 可能性については、ヴェイグもおそらく薄っすらとは思っていたのではないだろうか。さして動揺することなく言いのけたことから察する。

「いいだろう。こちらとしても、老害どもに勝手に動き回られても迷惑なので伝えるつもりはなかったが」

 どこから情報が漏れるか分からないのだ。真実を知っている人間は少ないほど動きがとりやすい。

 他の何か。それを乙女と関連付けることは容易いことだ。

 真実がどうあれ、天候に影響を与える存在であるというこの状態であることが、今はこのドラゴンの唯一を助けることになるだろう。万一のための控えは取っておかなければならない。


 だがこいつが杞憂していることはそのことではないのだろう。

 娘の身柄はなりふり構わず守られる。王宮の名にかけてそうされる。立場が微妙であれ、異界から訪れた娘。その娘を大切にしているのが王個人の友人であること以上に、怒りを買ってはならないドラゴンであるためだ。身の安全に関して憂慮することは何もないのだ。


「代わりがいると知れば帰還への想いが強くなってしまうかもしれない、か?」


 首は振らない。でもそう思っていることは明確なことだった。――馬鹿だな、お前は。

「ヴェイグ、お前はもう少し女心というものを勉強したほうがいいぞ」

「俺が彼女を唯一と定めても、彼女もまたそうだとは限らないだろ」

「同じ想いを返してもらえるとは思っていない、か。まだそれくらいの理性は残しているんだな。随分と心酔しているように見えたが」

「心酔しているよ。還したくないと思うほどには。でも俺は彼女の自由な心が好きなんだ。彼女が願うことのすべてを叶えたい。その半分で、たとえ泣かれたとしてもそばに縛り付けたいと願っている……」


 パラパラと雨の降る音が鳴る。

 まるであの娘が落とした涙のようだ。

 真なる乙女が来訪した場合ではありえない天気に、つい感傷的になる。

「できれば最後までそう思っていてくれ。愚か者のドラゴンの二の舞はごめんだ」

 そういえばナージャが彼の唯一をして「ドラゴンに好かれた可哀想なお姫様」と称していたな、と思い出す。


 ――哀れな姫君。悪いな。俺はお前よりは友の方が大切なんだ。


 返事なく苦笑するに留めた友人を置いて部屋を潜り抜ける。

 パタンと閉じた扉を背に「悪いな」と呟いたのは、肩に圧し掛かる圧が少しばかり重かったからだ。


 ――哀れな姫君と比べればお前の方がずっと分が勝つけどな、それよりも俺はお前との友情よりも……国の方が大切なんだ。


「すまん」


 個の欲よりも王としての責を取る。

 王座にこれまで君臨し続けてきたのは、そこに重圧以上の誇りを見出してきたからだ。

 この地位を守るためなら綺麗なだけではいられない。ときには人の心も利用しなければならない場面にも出くわしてしまう。

 初恋を知ったばかりの初心なドラゴンよりも、余程女心の機微というものは理解しているつもりだ。事実を知った娘が何を感じどう動くか。二手、三手先までを見据えて友を切ることを選ぶ。

 謝るのはこの一度だけ。

 扉へ向けていた視線を戻し、行くべき方向を見定めて歩き出した。




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