14キツネ様と対峙してみる
数馬くん、ねえちゃん異世界でとうとう王様と対面することにまでなっちゃったよ――。
「――よく来たな。まあそんなに硬くならずとも、楽にしてくれ」
いや、楽にと言われても……。
周囲に倣って頭を下げているところにかかった声に、どう反応するべきかと迷う。
二度目に促されてようやく頭を上げると、目線の先、数メートル先の壇上で肘掛に肘を付いて笑みを浮かべる顔と目が合った。
うわぁ、と声を上げそうになるのを飲み込む。
――ふわもこ、ここに極まれり。
手触りのよさそうなふんわりとした耳はぴんと立ち、背後で揺れる尻尾たちはまるで自身で光を放っているかのように照明の光を受けて輝いている。
そう。……尻尾たち、だ。
――いったい何本あるの!? いち、二、三……九本って。マジか。是非ともお近づきになりたくない!
まさかこんなところでネコ耳少年ナージャの尻尾二本を凌ぐ尻尾所有者に出くわすとは思わなかった。
ピキーンと固まる私にヴェイグが「王はキツネの獣人なんです」と囁いてくる。
キツネで尻尾が九本って……、九尾のキツネかい。
王様って言うから、ライオンみたいなのを想像していたのに、斜め上でラスボス感の強いのが来てしまった。
線の細い印象だが、その存在感は圧倒的なものだった。尻尾と同じ輝きを持つ髪の奥で神々しいまでの金の瞳が瞬いている。全体的にきらきらしい人だ。
柔和に見える顔はただ優しいだけでなく、計り知れない奥底を秘めているように見える。
対面するまでは何を言われても堂々としていようと思っていた私だったが、こういう形でラスボス臭の強いのが来るとは思っていなかった。
存在感に圧倒されるだけでなく、アレルギー持ちにはなんとも苦になりそうなふわもこの出で立ちに、開始間際から冷や汗だらだらである。――尻尾を揺らすな。毛が飛んでくる。
「近くへ」
「無理っ」
よく通る声がこっちへ来いと言っているが、生理的に無理なものは無理なので即答してしまう。
――しまった。つい……。不敬罪って乙女にも適用されるだろうか。できればしないで。特例プリーズ!
「王よ。乙女はあれるぎぃなるものなれば……」
お、おぉ。めずらしくウサ耳おじさんが仕事をした!
いつも私のアレルギーを忘れて突進してくるというのに、今日はどうした!?
気が利くウサ耳おじさんの姿に、横目で窓の外を見てしまう。空は相変わらずのうす曇りだった。――雹でも降るかと思った。
「そういえばそういう報告も受けていたな。なんだ、つまらん。せっかく噂のタヌキ顔を間近で拝んでやろうと思っていたのに」
ちょっと、待て。誰がタヌキ顔か。
――そりゃあ王様に比べればモブだよ。ドラマで言う通行人Aだよ。くそう。ちょっと綺麗な顔をしているからって人をバカにしていいなんて思うなよ。
噂の出処はどこだ! 首を絞めてやる!!
ぎっとウサ耳おじさんを睨めば、声にならない声で「わ、私ではありませんよ」と返された。
「コトハ様は十分すぎるほど可愛らしいですよ」
こそっとヴェイグが教えてくれるが、どうでもいいことだったので黙して放置しておく。煤けた乙女フィルターを装着した人に言われても嬉しくないんだよ。
人前だったので、ぷうっとふくれそうになる頬を全力で押し止めた。
「そちらは噂通りか」
本物のキツネのごとく目を細めた王様がヴェイグを見て言う。
何のことだ、と首をかしげるも説明は下りてこなかった。代わりに視線がこちらに向けられる。
「神殿での暮らしはどうだ?」
「はあ……、どうかといわれても、可もなく不可もなく? といったところですかね」
覚悟を決めてきたというのに、振られる話題は当たり障りのないもので、なんだか肩透かしをくらった気分になる。
「そうか。神殿には王宮からも心づけを出しているが、公然と不可と言われては面目が立たん。ジルベルト、乙女は多少の不満は飲み込んでくれているらしいぞ。お優しいことだな」
「はっ。そのとおりにございますれば。乙女は心の広さと優しさを兼ね備えた方でございます」
――いやいや、そんなにウサ耳おじさんに優しくした覚えはないよ。いつも冷風がびゅうびゅう吹いているよ。
これが世に言うお貴族様言語なのだろうか。うふふ、あははの会話の中で他人の粗を探すというやつか。残念でした。私は粗ばかりだよ。
「できれば迷いなく可と述べてほしかったところだがな。慣れし故郷を切り離されて連れてこられた乙女だ。たとえどのようでも扱いを間違えてはならぬ」
トゲ来たぁ。今トゲを感じたよ。
痛みを感じなくなる間もなく、チクッと肌を刺してくる絶妙なトゲはそこからも続く。
「個人としては今の現状で構いはせんのだがな、大気の安定性が保たれているだけでは満足せん奴らが多くて困る――」
あぁ、ここからが本題なんだ。
思って拳を握る。
覚悟を決めろ。何を言われても受け入れるって決めたんだ。
「ヴェイグ、お前はすでに知っていることだが、先日からナージャを筆頭に召喚陣の再調査を行わせている。昨日正式な報告が来た」
がばっとヴェイグを振り仰ぐ。
――何それ、私聞いてない。
ヴェイグは私を見ることなく表情を消して王様の声に耳を傾けていた。
ずんと胸が重たくなる。
思わずヴェイグにすがりつきたくなったけど、その表情が怖くて手が下りる。
王様は私たちの様子なんて構うことなく言葉を続けた。
「ナージャが陣の歪みを発見した。ヴェイグ、言っていることの意味は理解できるな?」
――ねぇ、どうして私じゃなくてヴェイグが糾弾されているみたいになっているの。
王様の言葉の中には、私を責める様子は微塵もなかった。トゲは確かに私を逸れてヴェイグに向かい始めていた。
「召喚時、ナージャには別の任務が与えられていた。陣は既に形成されているものだから、必要なものは召喚に耐えうる魔力だけだ。ひとりでそれを補うだけの魔力を備えているのはナージャを覗けばヴェイグ、お前だけだった――」
ネコ耳少年ナージャがいなければ、召喚には数十人の魔力を備えた人員が必要となるのだと王様は言った。
それだけの人員を集めるのは骨のいることだ。だが、今回は都合の良いことに多大な魔力を備えているドラゴンが王宮に騎士として勤めていた。
だからこそ立った白羽の矢。
それが間違いだったと王様は突きつけた。
「陣はそれと分からないほど微細に歪められていたそうだ。召喚ができなくなるまでではないほどの、だが真性とは呼べない陣に」
「私を、呼んだのが……ヴェイグ?」
それも真性な陣を歪ませていたなんて……。
あのとき、私がこの世界に呼ばれたとき一番間近にいたのはヴェイグだった。
騎士の務めを果たすだけなら、そこまで間近でなくても良かったのだ。召喚を行った主体だからこそ、ヴェイグは私を迎え入れたケモ耳たちの先頭に立っていたのだ。
「ナージャは陣の書き換えは下準備を経て出来たものではないと言っていた」
形成された陣はその直前まで入念な調べが成されるのが通例だ。陣は発動するまで正しく存在していたと、召喚に同席した魔術師の証言を基にナージャは報告に上げている。
そこまで聞いたところで、ヴェイグが「コトハ様、すみません」と謝ってきた。
なんて辛そうな顔をするんだ。
「意識してか無意識であったかは知らんが、あの瞬時でよくも緻密な陣を書き換えられたものだ。……さすがはドラゴンといったところか」
ぴくりと動く頬が、王様の言っていることが正しいことだと指していた。
呟く王様の声で合点がいく。
ヴェイグは無意識で陣を書き換えてしまった。――乙女大好きなヴェイグがあえてハズレを引こうとするわけがない。
さっきまで無表情だったのは、私が偽物だと呆れていたからじゃない。間違ったものを呼んでしまったことを知ってしまった悔いを感じていたからだ。微妙な差異。
でも決定的に正しいのは、私は天空の乙女なんかじゃなかったということだ。
――ごめん、ヴェイグ。間違って来てしまって……。辛い思いをさせてしまって……。
大好きな乙女のそば仕えになったのに、その肝心の乙女が間違っていた。それも自分のミスで、だ。
「どのような状況であれ連れてきてしまったのは我々の責任だ。か弱い少女がこの先も今の生活を崩されることがあってはならぬ。ジルベルト、国の威信にかけ今後も丁重に扱うように」
ウサ耳おじさんは「かしこまりまして」と頭をさげるばかりだ。
――ねぇ、今こそそのタイミングの悪さを発揮するべきところでしょう? 「乙女が間違っていたですとぉ!?」と突進してきなよ。それで私が逃げて、ヴェイグが止めて……。ねぇ、何でそうならないの。
いつの間にか溜まっていた涙が零れる。――やだ、止まれ。止まれってば。
零れ落ちるものにヴェイグがはっとした顔をする。
拭われようとした涙は、結局拭われることもなく落ちていった。ヴェイグが手を止めてしまったからだ。
分かって、しまった。
唐突に。
――ヴェイグはもう私のこといらないんだ。
「いらない」って言葉で直接言われるよりも、それは明らかに伝わってくる拒絶だった。
「そしてヴェイグ、お前は今より十日間の禁固処分となる。牢には繋がん。だが、それ相応の部屋にて対応させてもらう。いいな?」
「待って。ヴェイグは何も悪いことなんかしてないっ」
「悪いな。こうでもせねば周りが納得せんのだ。ドラゴンにしがらみはないが、王にはある。それはこいつも同意していることだ」
王様に掴みかかろうとした体は、ウサ耳おじさんに掴まれて動くことができなかった。
「これ以上しがらみを増やしてはいけません」
それが私のためや王様の体面のためだったら即座に拒否していたところだ。でも、囁かれた「ヴェイグ殿のためにも」という言葉に消沈する。
いつの間にか来ていたナージャが「悪いけど枷を付けさせてもらうよ」とヴェイグの手に枷を嵌める。 ヴェイグは大人しく枷が嵌められる様子を見つめていた。
連れられ方が丁寧な扱いだったことだけが救いだった。
「コトハ様……」
去る間際にヴェイグが私の目を真っ直ぐに見てくる。
「十日後、禁固が明けたときに話をしましょう」
「――ェイグ……」
「それまで泣かずに待っていてくれたら、嬉しいです……」
かがみ込んでくる顔が近づいてくる。
「俺がいなくても涙は自分で拭けますね?」
同意なんてしない。嫌がったって拭いてくれないくせに。だから首を横にも振れない。俺はこの有り様だからって、手枷なんて見せ付けなくてもいいよ。
瞼を押さえる。水分が手袋を浸食していく。
「コトハ様、俺は――」
「……ヴェイグ、もう行くよ」
ナージャの促す声で、足音が扉の外へと消えていく。去っていく姿を見る勇気は出なかった。
待っている。待ちたくない。相反する気持ちの整理の付かないまま、何も言えなかったことに気付いたけれど、時はすでに遅すぎるほどに進んでしまっていた――。




