11イヌの講釈を聞いてみる
私はウサ耳おじさんの訪れも放置して、部屋に引きこもって到着点のない思考にふけっていた。
その間もヴェイグは甲斐甲斐しい世話をかかさない。たとえネコ耳少年が私を疑いの目で見てこようと、彼にとって私は天空の乙女なのだという。
ヴェイグは用事があるからとどこかへ消えている。その姿を見ないでいられる今の時間に、どこかほっとした気持ちがしていた――。
『俺にとって貴女は唯一だと言ったでしょう? だから決めるといい。コトハ様の決めたことなら俺は何だって従いますから――』
――唯一って、今のところ私の名前に「天空の乙女」が付いているからそう言っているんじゃない。それが取れたらヴェイグにとって価値なんてないでしょ。
『考えることを放棄するな、バカっ! 嫌なら嫌だって言いなさいよ。生死に関わる問題を私に投げるな』
存在を疑われている時点でおかしいと思えばいいのに、ヴェイグは変わらず私を乙女として扱う。疑いもせず命を差し出せると言う。
――バカじゃないの。バカよバカ。
そう思うのに、自分の口からはそのことを言い出せないでいる。言えばヴェイグは考える。このまま私に仕えていていいのか。私のそばにいていいのか、と。
論点はいつも帰還に関する彼の生死の問題だ。
考えることを放棄するなと言いながら、肝心の根本部分をヴェイグに考えさせる言葉を出せないでいる。
私がもし、みんなが望むような乙女じゃないならどうするの、って。
――本当のバカは私だ……。
八つ当たりぎみに何度も枕を投げつけても、ヴェイグが私に与える選択肢を変えることはなかった。
『嫌なら逃げてよ。私の声も届かないところに。そうしたらいくら私が願ったって届かないでしょ。私、根性が曲がっているから、選べって言われたら選ぶよ? そうしたらヴェイグ死んじゃうんだよ』
本当は選ぶはずがない。
帰還のためならヴェイグの命を使わなければならないということを聞いた時点で、その選択肢はないのだから。
――私は本物じゃないらしいよ。だからどこかへ行ってしまってよ。乙女じゃないただの異世界迷子なんていらないでしょ。ヴェイグなんか遠くへ行っちゃえ。
この数日、たくさんのことを考えた。偽者だって確定したらどうなるんだろうとか、ヴェイグはどうするんだろうとか、万一本物が出てきたらとか――。
そしていつも最後に出てくる本音は、それまで考えていた内容からすればずっとシンプルなことだった。
――お前なんかいらないって顔、……見せないで。
『逃げませんよ。逃げたら俺の手が届かなくなる』
癇癪を起こすと、ヴェイグは必ず最後は私を腕の中に抱えこんだ。
痛いくらい抱き込まれると涙が出そうになる。このときだけはどれだけ「痛い」と訴えかけても力が弱まることはなかった。
何度も「離れないで」という言葉が口をつきそうになる。言いかけて口を閉じて、何でそう言いたくなるのかってことはバカらしくて考えなかった。
『何でも従うって言ったくせに……』
『バカなので忘れました』
私の声は震えていて、なのにヴェイグは嬉しそうに笑う。笑って髪を撫でつけ、額にくちづける。きつい腕の中で、それを嫌だとは思えなくなっている自分がいる――。
「――バカ……」
誰に向けたか分からない台詞を呟いて、両腕を抱え込んで頭をそこにうずめた。
外に見える景色にしとしとと雨が降り出していた。
※ ※ ※
しばらくして顔を上げる。
窓の外では地面に落ちる雨がぴちゃぴちゃと跳ねる音がしていた。かなりの時間が経っていたらしい。降り出した雨が水溜りを作るほどには。
ヴェイグがこれほど長い時間いなくなることは滅多にないことだ。
日中はどれだけうざがってもそばにいるのが常だった。こちらで出来ていた日常が崩れ始めていることに不安を感じる。
「どこに行ったんだろ……」
そういえばヴェイグにどこに行くのかを聞いていなかった。どうせすぐに戻ってくるのだから、聞くこともないだろうと思っていたからだ。
いなくなってほっとしていたはずなのに、思考の切れ目に姿が見えなくてその不在を気にかけてしまうなんて、とても矛盾している。
雨雲が立ち込めているために、昼の時間なのに室内が暗い。そのことが更に不安を煽る。
少しだけ部屋を出てみようと思ったのは、廊下を歩いているうちに誰かに会わないかと思ったためだ。
例えアレルギー症状が出てしまったとしても、このまま一人でいるよりはいいと感じる。
神殿内の道順をきちんと覚えていないので、謁見室に向かって誰もいなかったら戻ってこよう。そう思って扉を開けて部屋を出た。
――結果として、誰にも遭遇することはなかったわけだけど。
基本的に私の世話はヴェイグが取り仕切っているので、この付近を出歩くメイドさんたちもほとんどいないのだ。私の部屋から謁見室までは曲がり角を二つほど行ったところの距離になる。誰かに会おうとしてもそう簡単に会えるわけでもなかったと、謁見室前まで来たところで気が付いた。
キィィっとやけに耳に当たる音を立てて謁見室の扉をくぐる。
予想はしていたが、室内には誰の気配もなかった。
ウサ耳おじさんと話をするわけでもないので、空席のほぼ私専用となっている豪勢な椅子を通り過ぎ、その背面に立つ。
ヴェイグはいつもここに立って私を見ていた。そういうことも今後はなくなるのかもしれない。――ヴェイグが今後そばに付くとすれば、それは私じゃない誰かだ……。
背もたれに手を乗せて目を閉じる。理由のつけがたい喪失感に涙が出そうだった。
「誰かいるのか?」
誰何の声にびくっと肩が反応してしまう。
アレルギーが出てもいいやと思いながら、やっぱりそれは嫌だと体が反応したためだろう。それに今はヴェイグのセクハラ込みの浄化を受ける気にはなれない。
現れたのは二人の騎士だった。
ひとりはふわふわの耳、もうひとりは耳のない騎士だった。
ふわふわ耳の方は、薄い茶色の毛が柴犬を思わせる。腰の辺りから生えた同色の尻尾からもイヌの部類なのだと思った。
もう一方の短髪の騎士の方は耳がないのかと思いきや、よく見てみると耳に当たる部分が硬質なうろこ状で覆われている。こちらの方は尻尾のようなものは生えていなかった。
「こんな場所で女の子ひとりで何をしているのかな」
優しげな物言いで近づいてきたのはイヌ耳の騎士のほうだった。もうひとりは扉付近で待機して動く様子を見せなかった。
近づいてくる騎士のにこりと笑う顔は、女子に好かれそうなタイプに思える。頼れる優しいお兄さんといった感じだ。でもイヌ耳。
「あれ? その耳、もしかして乙女――」
差し出された手を掴むことはせず、私は迷わず扉付近にいた騎士のところまで走ってその後ろに回った。
「そ、それ以上近づいちゃダメだからね」
びしぃっと一指し指を突き出して待機を命じる。
人恋しいとは思っていたけれど、やっぱりダメなものはダメだった。体は正直だ。
私の言葉に、盾にしていた騎士が離れようと動く。
「あ、きみはいいから。ここにいて」
見たところあまり私とは年が離れていなさそうだ。なんだか数馬を思い出させる容姿につい「きみ」と言ってしまった。ごめんね。
つり上がりぎみの目がかっと開く。
そんなにびっくりするような発言だっただろうか。でも盾は必要なんだ。頼むからここにいて。
服の裾をつかんで逃げ場を封じると、ぼっと火が灯ったように彼の顔が赤くなった。
つられて私の頬も熱が灯る。なんだろう、この初々しい態度。見ているこっちが恥ずかしくなる。
ヴェイグの過剰なスキンシップに慣らされて、いつの間にか人との距離感がおかしくなっていたみたいだ。気付けば汚れている自分がいる。とても哀しい。
「あ、なんかごめん……」
おずおずと手を離すと、「いえ、そんなことは」ともごもごとした口調で謝られた。
「そこにいてあげなよリューゴ。お姫様は耳無しのお前の方が良いんだってさ」
肩をすくめるお兄さん騎士が椅子のそばで待機したまま言う。近づいてほしくないという意図は通じているらしいのでちょっと安心した。
「耳無し、って何?」
ふわもこじゃない騎士の背中はキープしたままで尋ねる。
『耳無し』
――聞きなれない言葉だ。
「聞いての通り、耳が無い者のことですよ。無いって言ってもよく見ればちゃんと耳の穴があったりしますが、俺たち獣人の中ではそう呼ばれています。蔑称に近いからあんまり使わない方がいいんですけどね」
ほうほう。顔を上げて確認すれば、確かにうろこで覆われている表面に小さな穴が開いているのが見えた。
「リューゴは火トカゲなんですよ。耳無しの部類では希少種に当たります」
ひとつ括りにケモ耳とは言っても、種類は様々らしい。
私が普段目にしているのは、ウサ耳おじさんのような暢気な人だ。だからだろうか、平和でのんびりとした風土だと思っていた世界に「蔑称」という言葉は、何だか似つかわしくないように思えた。
私にとってはアレルギー症状を引き起こす毛が生えているかいないかというのが重要ポイントなので、だから何だという感覚しか沸いてこないが。世界が違えば、色々と確執の種類も違うのだろう。興味はない。
「へえ、そうなんだ」
また異世界マメ知識が増えたよ。
この返答にもリューゴ君は驚いたような顔を返した。何故そこまで私の発言に驚くのだろう。もしかして私、言葉を解さない珍獣だと思われていたのだろうか。それはそれでショックだ。
耳無しの特徴としては他にも尻尾が無いということもあげられるのだとお兄さんは教えてくれた。
つくづく豆知識の披露をしてくれるお兄さんだ。話上手なので飽きはこないけど。
大人しくリューゴ君の後ろで聞き耳を立てる私の姿に気を良くしたのか、お兄さん騎士は益々饒舌になっていった。
「尻尾が無いのは劣っている証拠だと言う者もいますが。俺としては、進化の過程が違っているだけだという論文を推奨するところですけどね」
お兄さん騎士が言うには、種族の傾向として、耳無しは力が強く持久力に優れた者が多く、反面耳のある者たちは瞬発力に優れている者が多いということだ。
「それぞれ秀でたものがあるのだから、そもそも優劣を付けること自体がバカらしいことなんですよ」
それはその通りだと思うよ。身体的特徴で人をあげつらってはいけないということは、小学生だって知っている道徳だ。
「俺の考えに賛同してくれる者もいますが、そういうことを理解していない者が多いことも事実なのが哀しいところでして。まあ、それは置いておいて。耳無しの新米ですがリューゴは将来、優秀な騎士になりますよ。毛のある者を苦手とするなら、取り立ててやってください」
「ムシャロさんっ」
お兄さん騎士は随分と彼のことを買っているらしい。余計なお節介とばかりにリューゴ君が声を上げるも、柔和な笑みでするりと交わしている。蔑称に近いという「耳無し」という言葉を気軽に使えるのも二人の仲が良いからだと思えた。
というか、お兄さん、初めて会ったのにウサ耳おじさんよりも私への配慮が出来ているね。さっきから一歩もこちらに近づいてくる様子のないのに感動する。
――爪の垢をくれないかな。後であのおじさんの口に突っ込むから。
「耳無し……、毛のない人が神殿や王宮に仕えることは少ないって聞いた」
「えぇ、王宮務めは何人かいますが、神殿では騎士を含めてもリューゴひとりだけです」
「すごいんだ」
「すごいんですよ」
普段あまり褒められることがないのだろうか。リューゴ君は私たちのやり取りに「あぁ、もう」と赤くなった頬を手で覆った。
「ねぇ、それじゃあヴェイグはどうなるの? 系統としてはリューゴ君に近いよね。でも耳はあるよ」
ドラゴンはどちらかと言うと爬虫類の部類に入るのではないだろうか。思って聞いてみる。
「近いだなんてとんでもない! ドラゴンは神獣の部類ですよ」
しがみ付いていた手を振り切ってリューゴ君が後ろを振り返る。その迫力に押されて、私はただ「はぁ、そうなんだ」と呟いた。知らなくてごめん。
「厳密には神に近い力を持つ者ということになりますが。ドラゴンは身ひとつで国を滅ぼすことができるほどの魔力を秘めているのですよ。誰かの臣下に下ることはまずありません」
基本的に気まぐれな種族ですから、とお兄さん騎士は続けた。
ドラゴンという種族はひとつの国に長く滞在することは少ないのだそうだ。それは気まぐれな性質であることと、ひとつの場所に囚われる必要性を持たないからということらしい。
ヴェイグがこの国で騎士をしているのは、たまたま王様と友人関係にあったためだと言う。誘われたから騎士になったということなのだろうか。それはそれですごいことなんじゃないだろうか。王様と友達って……。
「富も栄誉も彼らにとっては必要な事項ではないんです。ドラゴンを捕えられるのは彼らに唯一と認められた者だけです」
どこか誇らしげにリューゴ君が付け加える。
出てきた「唯一」という言葉に胸がチクリと痛んだ。――ヴェイグが認めた存在は乙女だ。乙女じゃないかもしれない私は……。
「ドラゴンは最強種ですからね。その伴侶になりたがる者は多いですよ」
ふ、ふうん……。モテるんだ、ヴェイグ。……ふうん。
「ですが纏う魔力が強すぎて恐れられる対象でもありますからね。あの方のそばで平然としていられるのはほんの一握りしかいなんじゃないでしょうか」
「お兄さん、ムシャロさんも怖いって思うの?」
あのヴェイグを? 始終にやにやしていてセクハラ三昧のあの変態を?
私の質問にお兄さん騎士はこくりと頷いた。
それと同じくリューゴ君も頷く。
「押し隠していても漏れ出る気配がありますから。魔力量の少ない者はそう簡単に近寄れるものじゃないです。尊敬はしていても恐ろしいものは恐ろしいです。一度同じ隊に配属されたことがあったけど、俺もムシャロさんも目を逸らさずに見ているのがやっとでした。騎士になってあの方の立つ場所に近づけたと思っていたけど、……己の弱さを見せ付けられただけでした」
えぇ、あんなのただのお触り好きの変態だよ、という言葉を寸前で飲み込む。
リューゴ君の目はあまりにも真剣だった。力の無さを痛感させられることはプライドを持つ騎士には辛い経験に違いない。それくらいの想像力は私にだってある。
「女性となるともっと近づける数は少なくなるでしょうね。あの気に当てられないように距離を置くメイドが多くて、ヴェイグ様は基本的に王宮内には立ち入らないようにしていますから」
伴侶とするには力の強い者は好まれるが、逆に強すぎるのも考え物ですねとムシャロさんが肩をすくめる。親が娘に薦めても、近づくことのできる娘がいないと彼は加えた。
――そっか。ヴェイグはヴェイグで大変なんだな。
以前、ヴェイグの翼を見て嫌がらなかった態度をヴェイグが喜んでいたのはそういうわけだったのだろう。彼の寂しさの欠片を見た気がした。




