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反☆ケモナーの心得  作者: 夏澄
飼育編
11/35

09情を移してみる

 深夜、ベッドの脇に明かりを置いて読書に励む。


 あれから図書室では本読みを続行できなくなったため、司書に許可を貰って歴代の乙女たちの記録本を借りてきたのだ。

 文字は読めないが、「結婚・妊娠・出産」の単語だけは覚えたので、その単語を避けて記述の分からないものをピックアップする作戦を取った。

 私が覚えた三つの単語が使われていなければ、その乙女は通常とは違う経緯を辿ったということになるはずだ。

 もしかしたら帰還への手がかりもあるかもしれない。

 乙女が存在することを善しとする神殿の記録のため、改定されている部分もあるかもしれない。くもの糸を掴むような気持ちでひとつひとつの文字を指でなぞって追っていく。


 ……が、昼間あれだけぜぇはぁさせられて、その後いかに私が嫌がっていたかということをヴェイグに説教を垂れて疲れていた私は、残す三代のところで目を閉じてしまった。

 ストンと眠りに落ちていく中で思う。


 ――もし還る方法が分かったら、ヴェイグに何て言おう……。私がいなくなったら、きっと……、泣いちゃうよね。


「泣いちゃうのは……ちょっとな――」


 私が笑うと嬉しそうにするヴェイグ。私に怒られても嬉しそうにするあの幸せそうな顔。むしろ怒ったときの方が喜んでいるよね。……変態め。

 でもピクピクと動く耳とか、可愛いとようやく思い始めたところなんだ――ふわふわもこもこのケモ耳よりずっと。

 きゅうんと子犬のように項垂れる耳が頭に浮かんで、何だか私まで哀しくなってしまう。

 これはあれかな。飼い始めたペットに愛着を覚え始めたってことなのかな――。


 やがてすうすうと寝息を立て始める私の頭を誰かが揺する。

「んっ……」

 一瞬起きようかと思ったけれど、撫で付ける動作に安心してまた眠りの世界に誘われていく。


「……愛着でもいい。もっと好きになって。離れられなくなるくらいに――。そして俺を選んで――」


 頭の上を何度も往復した手は、最後に名残惜しそうに唇に触れて離れていった。


 ※ ※ ※


「ヴェイグに洗脳される夢を見た……」


 朝の日差しが降り注ぐ。

 眩しさに目を擦りながら身を起こすと、図書室から借りてきた本を枕にしていたことに気が付いた。

 髪に寝癖が付いていたのはあれだが、本がよだれまみれになっていなかったことは幸いだった。借り物を汚してはいけないよね。

 頭をがしがしと掻くと、昨夜の夢の中の手の感触が思い起こされる。

 ヴェイグに夜中ここに来たか確認、……は止めておこう。笑顔で「行きましたけど何か?」と言われでもしたら心臓に悪い。八割の確立でありそうで怖い。


 目線を下に落とすと、昨日読みかけで終わっていたページがそのまま開かれていた。

 読み終わっていたのは四代目までの部分だ。そこに到達するまで全てに「結婚・妊娠・出産」の文字があったので嫌になる。みんな異世界に順応しすぎだ。

 とりあえずヴェイグが部屋に来るまでに残る三人に目を通しておくか、とページを手繰る。


「えっ、これって……」


 三代目の記載部分を二度見、三度見して確認する。

 私は着替えることも忘れ、本を胸に寝巻きのまま部屋を飛び出した。




 ――困った。私、ヴェイグの部屋がどこか知らない。


 しばらく廊下を進んだところで足を止める。

「ここ、……どこ?」

 いつの間にか見知らぬ廊下にやって来ている。

 私の部屋に当てられている場所は天空の乙女に対する厚遇のためか、とても光に溢れている空間だった。

 白を基調とした柱も一本一本に緻密な細工がされていて輝いている。うっかり触れると指紋が付いてしまうんじゃないかと思うくらいに。

 対して今ここに見える柱は白でもどこか質素で飾り気がない。お客様用ではない、言うなれば普段使いの場所のようだった。

 後ろを振り返るも、元来た場所がどこだったかさえ分からない。これでは部屋に戻ることもできそうにない。

「そういえば、いつも移動するときはヴェイグについて行ってたからなぁ……」

 どこへ移動するにしても常にヴェイグが一緒だったため、ろくに道を把握していなかったことを思い出す。

 いつもしつこい、うざいと思ってばかりだったけれど、思いのほか私は彼に頼りきりになっていたようだ。

 ヴェイグがいないと道も分からないなんて、

「私は幼児か」

 呟いたところで絶句した。


 ――がーん、数馬くん……、ねぇちゃんここに来てからダメ人間になっているよ。


 元いた世界では普通だと思っていたのに。道だって迷わなかったし、着替えも学校の準備も自分でしてたし、料理するのは苦手だったけどお手伝いだってちゃんとしてたのに、――小遣い目的だったけど。

 それが今はどうだ。

 着替えは毎日ヴェイグが運んでくるし、料理を並べていくことも片付けることも自分でやっていない。あまつさえ鼻をかむことさえしてもらっている。

「い、いけない……このままではいけない気がする」

 新たな真相発見に、私はさっきまでの勢いを失って床に崩れ落ちた。


「おや、乙女。このような場所でどうされたのですか」


 ふいにかかった声に顔をあげる。

 でっぷりとしたお腹にちょび髭、おっさん顔に似合わないふわふわもこもこのウサ耳――、

「ウサ耳おじさん!」

「ジルベルトです、乙女」

 よかった。こんなところでひとりさ迷うことに不安を覚えていたので、天敵のふわふわもこもこでも助かった。

「良かったぁ。丁度道に迷っていて」

「そうでしたか。ならば私が部屋までご案内をしましょう」

 いつも邪険にしているためか、ウサ耳おじさんは天空の乙女に頼られて心底嬉しそうに微笑んだ。

 ウサ耳も右に左に大きく揺れている。いやいや、ウサ耳は揺らさなくていいよ。毛が飛ぶから。

「あ、ちょっと下がってくれる? アレルギー出ちゃうから」

 手を差し出そうとしていたウサ耳おじさんがぴしりと固まる。

 いやぁ、顔見知りで良かった。そうでなければアレルギーの原理から語らないと避けてもらえないから。「あなたに触るの無理だから寄ってこないでくれる?」なんて女王様発言しなくて済むのは本当に助かる。

 ヴェイグのいない状況でアレルギーが発症するのは困るのだ。ふわふわもこもこと対峙するのにハンカチは必須だもの。


 ひとりで立ち上がったところで胸に抱えていた本のことを思い出す。

 あぁ、そういえばヴェイグにここに何が書かれているのか聞こうと思って部屋を出たんだった。丁度いいからウサ耳おじさんでもいいや。


「ねぇ、ウサ耳おじさん」

「ジルベルトです、乙女」

 私の中で彼はウサ耳おじさんで定着してしまっているので、今更名前で呼ぶつもりはない。私はウサ耳おじさんの訂正を無視して、気になっていた本のページを開いて見せた。

「それはいいから、ここ。何が書かれてあるのか読んでくれない?」

 無視する私に涙目になるウサ耳おじさんはちょっと面白い。これも愛着の一種なのだろうか。

おじさんを愛でるつもりはないけど、彼は年齢に反して愛嬌がある人なのだ。追い詰めると怯えるのが何とも愉快な気分になる。あまりやりすぎるとヴェイグが怒るのでやらないけど。


 他のケモ耳たちよりはずっと長く相手をしてきた人なので、彼に対する遠慮はすでになくなっている。  まぁ、初めからほとんど遠慮はしていないけど。

 私はいったい何を読ませようというのかと首を傾げるおじさんに、「ほら、読んで」とずいっと本を押しやった。


「これは……」


 書かれた文字を目で追って、おじさんはそれきり口を噤む。

「何が書かれてあるの」

「いや、それは……」

「読んで」

 左右に目を泳がせるおじさんは嘘が付けないタイプだ。これで神殿のお偉いさんだと言うのだから不思議だ。権力闘争が起これば真っ先に振るい落とされるに違いないと思うのに。

「読め」

「そう言われましても」

 ウサ耳おじさんの様子から、これは彼らにとって都合の悪いことが書かれてあるのだと推測する。彼らにとって都合が悪いということは、私にとっては都合の良いことに違いない。

 命令口調で再び「読め」と言えば、ウサ耳おじさんは唸って額に汗を滲ませた。


「いいじゃん、読んであげれば」


 剣呑な雰囲気を明るい口調で割ったのは、ウサ耳おじさんの後ろから顔を出した人だった。

 くりんとした瞳ににんまりと笑みの形を取る口、ふんわりと柔らかそうな髪質の可愛い系の少年。その耳についているのはこの世界ではごく一般的なのだろう、ふわふわもこもことした耳だった。

 その登場にウサ耳おじさんが驚いて「ナージャ殿っ」と振り向く。少年の名前なのだろう。けど名前よりも、私は少年の頭に付いたものに目を奪われていた。見てはいけないものを見た、と怖気が走る。

「ジルベルトが読まないならボクが読もうか?」

 ぴょんと飛び出した彼が本を手に取る。背後に見えるのはアレか? 尻尾か? し、しかも二本もあるだと!?

 ゆらゆらと意志を持つかのように揺れる二本の尻尾を見て、皮膚にまた怖気が走った。

「ほら貸してごらん。ボクが読んであげるよ」

 私と対して変わらない大きさの指が私の指とかち合った瞬間――、


「ひ、ひぎゃあぁぁっ!」


 弾かれたように私は手を離して廊下の隅までダッシュした。

「で、ででで出たぁぁぁっ」

 呆然と立ちすくむのはウサ耳おじさん。私の叫び声が耳に響いたのか五月蝿そうに耳を塞いだのは少年の方だった。

「噂には聞いていたけど、そこまで嫌がらなくてもいいじゃん」

 すねたように唇を突き出す仕草は可愛らしかったが、私は怯えて首をぶんぶんと横に振った。

「むむ、無理無理無理、絶対無理だから。近寄んないでっ」

「えぇ、そこまでぇ?」

 少年が耳から手を離す。

 ふわりとした髪の中に隠れていたのは、先っぽがつんと上を向くネコの耳だった。


「ネコ耳は私の最大の敵なのよっ!!」


 そう。各種の動物へのアレルギーを持つ私だが、最大の敵は何と言ってもネコ!

 かつて友人の家がネコ屋敷とは知らずに遊びに行った私は、そこでアレルギーを発症して病院送りになったのだ。

 玄関を入ってすぐに集ってくるネコたち。発情期だったのか、その勢いはすさまじかった。きらりと尖る爪に、「きしゃぁぁっ」と空気を振るわせる喉、全開に開けられた口の中には尖った歯が私を獲物と捉えていた。

 病院で点滴を打たれながら十匹のネコに囲まれる悪夢に何度うなされたことか。

 ニャアニャアという泣き声がその後一週間経っても離れることはなかったくらいに、ネコは私の心に爪あとを残してくれたのだ。しばらく外出できなくなるくらいにはショックな出来事だった。


「っくしょい。ふ、ふえっくしょいっ」


 ずびずびと汁を湛える鼻で連発でくしゃみをする。

 出てくる症状は鼻だけではない。途端にしょぼしょぼとかゆみを訴えてくる眼球を、私はたまらずごしごしと擦った。

 かゆくなった目を掻くと更にかゆくなるという相乗効果に、私は「うわぁぁん、ヴェイグぅ」とここにいない彼の名前を呼んだ。――早くハンカチ持ってきて。浄化の魔法かけて。今ならセクハラされても許すからぁ。


「うわぁ、本当にあれるぎぃってすごいんだね」


 間近で聞こえてきた美少年ボイスに全身に鳥肌が立つ。

「ネネ、ネコ……、ネコは真面目に無理なんだって。あっち行ってよぅ」

「仕方ないなぁ。ボクに怯えてふるふる震える女の子を見るのは好きなんだけど、このままじゃ話もできないしね。浄化してあげるよ」

 あどけない表情の中に少年の闇が一瞬垣間見えた気がしたが、つっこみを入れる間もなく、「清浄」の言葉と共にふわりと空気が揺れたかと思うと、私の体はすっと楽な状態に戻った。

「ついでに空気結界も張ってみましたぁ」

 もう大丈夫だからこっちを向いてよ、という声に浮かんでいた涙を拭いて顔を向ける。

 相変わらずその耳にはちょこんとネコ耳が乗っかっていたけれど、もうくしゃみも鼻のむずむずと出てこなかった。――おぉ、このチビネコ凄い。


「空気結界っていうのはね、瘴気に汚染された沼地とかに行くときに便利なんだ。強度はないけど空気で汚染されることもないから、そういう場所に行くときは必須の術なんだよ。でも術式が細かいから破れることも多くって。うん、見たところ穴もなく完璧にコーティングされてるから安心して。こういうことさらっと出来る人って実は少ないんだぁ。あぁ、ボクって天才」


 つまりそういう難しい術を私の周りに展開してくれたというのだが、なんだろう……、言葉のはしばしに自信がみなぎっていて頭を小突きたくなる。

 でも、それよりも聞きたいことがある。

「ねぇ、浄化ってこんなに簡単にできるものなの?」

 少年は「清浄」と唱えただけだ。ヴェイグみたいにねちっこく耳を触ったり息を吹きかけたりもしなかった。

「あぁ、あんなの基本中の基本だって。魔術をかじってる者ならそれくらい出来て当然だよ。手をかざして呪文を唱えるだけのお手軽な術だよ」

 ヴェ、ヴェイグめ……。

 後で絶対にお説教だ! と拳を握りこんで怒りでぶるぶる震える私にネコ耳少年が寄ってくる。ひっ。アレルギーは出なくてもネコ耳は苦手なんだよぅ。


「ねぇ」

「な、何よ」


 イタズラ好きの少年のようにちょんと鼻をつついてくるネコ耳少年。ショタ好きのお姉様なら一発でくらっときてしまいそうな仕草だったけど、そういった性癖のない私は「うっ」と体を仰け反らせて防御体勢を取る。


「ドラゴンに好かれてしまった可哀想なお姫様、あの本に何が書かれてあったか教えてあげようか?」


 何やら含んだ物言いに、本の中身を知りたいことよりこのまま聞いていることの方が私の身にならないんじゃないかという予感がする。

「いいよ、ヴェイグに読んでもらうから」

「まあ、そんなに遠慮しなくてもいいから」

 遠慮はしていない。

 頭を振る私に、にまっと笑う姿はまさにネコだった。


 ネコに良い思い出はない。

 尖った爪ですぐひっかいてくるし、高い声で威嚇されるし、重いアレルギー症状が出てしまうし……。

 ちょっと可愛いかもと思っても、途端に牙を剥かれてしまう。とにかくネコ関連には近づきたくないのが正直なところだ。

 ネコ嫌いの私だが、ネコの耳を持つ少年もやはり忌避すべき存在だった。


「三代目の天空の乙女はね、」


 ――いい。聞きたくない。


 耳を塞ぎたかった。はっきりとした理由はない。でも聞いちゃいけない気がする。

それなのに私は耳を塞ぐこともできず、楽しげに言葉を紡ぐ口元から目を離すことができないでいた。


「帰還したんだよ。元の世界に――」


 還れる、という言葉が胸に刺さる。でもそれは私に希望をもたらしはしなかった。


「ドラゴンの命を犠牲にして、ね」


 続く言葉に、肺にズンと重たいものを乗せられたように息が苦しくなった。

 その後、少年が本を開いて術の展開について説明し始めたが、私はそれどころじゃなくガンガンと鳴り始める頭を抱えて床に蹲った。

 ――いの、ち……。犠牲に……。それもドラゴンを。

 ドラゴンの命を犠牲にすれば還ることができる。それはつまり、ヴェイグの命を犠牲に、ということだ。


 ――私にそれをやれっていうの……?


 誰かが廊下の奥から走ってくる。足音だけで誰がやって来ているのか分かる私はきっと、もう――。


「コトハ様っ」


 遠くから響く呼び声に心が沸く。

「……ェイグ」

 涙で滲む瞳に黒い影が映る。

 迷いなく抱え上げられる体に、あぁ戻ってきたなと感じる。そう感じてしまうことが寂しくて辛い。

「どうされました。部屋にいなかったから心配したんですよ」

 優しい声掛けに我慢ができなくなって首筋に顔をうずめる。ヴェイグから香ってくる匂いも、髪をなでつける動作もこれが普通なんだと感じてしまう。


 ――数馬、どうしよう。私、もう……手遅れだ。


 咄嗟に「ヴェイグの命を使うなんてしたくない」と思えるくらいには、私はこのドラゴンに情を移してしまっている。

 気付いてしまった事実に、私は蓋をするように首を振る。

 ぎゅっと抱きつくときつく抱き返される。この相互関係が、私が乙女であるという事実だけで成り立っていることが――、とても哀しかった。





惜しい。「愛」が足りなかった。

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