エピローグ
「きゃああああああっ!」
劈くような悲鳴が、僕の混乱で回らない頭をクリアにさせ、同時に僕の左頬に痛みが走った。
「あっはははははは!浴室開けたら全裸の京がいて殴られたって!?くっきり跡ついてるー!」
「勘弁してください柊さん……。」
「葵さんって呼べってば」
ノースリーブに生足ホットパンツという5月の下旬とは思えないような真夏さながらの恰好をしたお姉さん……もとい柊葵さんは、缶チューハイを片手に、左頬にバッチリ手形をつけた僕を豪快に笑い飛ばした。昼間は前髪をあげていたが、風呂上がりだからか長い前髪を下ろしているので、幼く見える。歳は今年で20なのだそうだ。僕には女性の年齢は分からない。
「災難だったな、黒崎。今まであいつ風呂は一番最後に入ってたから、入浴中の札掛けてなかったんだろ」
僕の肩に手を乗せて庇ってくれるのは、結城亜樹さん。18歳、男性。特徴は映える赤髪。初めて会った時はヤンキーだと思って正直引いたのだが、物凄くいい人だった。この中では一番常識人である、と今のところ僕はそう認識している。
「明かりがついていたのは分かってたんで、あれっとは思ったんですけど……。僕の確認不足です」
「ま、そんな凹むな。今回は8割がた伏見が悪い。明日になったら話してくれるさ」
「だと、いいんですけど」
はあ、とため息をつく午前1時。
僕の運命が変わったあの日から、既に2週間以上が経過していた。
中心街から駅一つ分、と言っても中心街まで歩いていこうと思えば余裕で行ける距離、にあるマンション−––いや、マンションに見える、秘密基地。見た目は普通のマンションそのものだが、中に入るための扉は一つしかなく、他は全て偽物だ。そして中は全て繋がっている。3階建ての巨大な一軒家と言った方がいいかもしれない。
想像していたよりもかなり少年心を燻る基地…の食堂で、僕はホームシェア、もとい終着点の仲間である柊葵さん、結城亜紀さんに先ほどの事故について慰められていた(若干名はからかっている)。
事故。そう。あれは不慮の事故だった。
来る3Rとの戦闘に備え、昼間の体力作りに疲労し、寝過ごしてしまって起きたのが約1時間前。
鳴る腹を抑えながら、先にべたつく身体を洗おうと風呂に入ろうとして、風呂上がりの伏見と出くわしてしまったのだ。
これぞまさしくラッキースケベ。
ただし命の保証はありません。
ぶっ叩かれて、逃げるように食堂に来たら、二人がいたというわけだ。
僕は柊……葵さんに夕餉の残りを温めてもらい、真っ赤に腫れた頬について事情を説明し、今に至る。
今日の夕飯はカレーライスだった。因みに昨日もカレーライス。まだ残っているそうなので、明日もおそらくカレーライスだ。
みんなが僕に配慮してスプーンでも食べやすい食事を作ってくれているのだ。たまにはカレー以外を食べたいなどと、どうして言えるだろうか。まあ、右腕はまだ治っていないが、不幸中の幸いで神経は傷ついていなかったので、傷跡は残るが、特に後遺症もなく完治すると言われた。箸を持てるようになる日もそう遠くないだろう。
「それにしても、黒崎は怪我人だろ。伏見も容赦ねえな。腕と頬どっちが痛い?」
「頬です」
「あっはっは!だって裸見たんでしょー?仕方ないよ!てかあの子おっぱいおっきかったでしょ。まあ私には負けるけど」
「いや、あの」
「葵、飲み過ぎだって。もう酒は止めろよ」
「葵さんって呼べっつってんだろ、生意気野郎め」
「るせえ酔っ払い」
名誉のために言っておくと、あの時伏見は全裸とはいえバスタオルで前を覆っていたし、思わず硬直してしまったのだって決して邪な考えがあったからじゃないし、もしちらっと何かが見えたとしたら僕をぶっ叩いた伏見のモーションのせいでタオルが動いたからだ。
言い訳ですけど。すみません見ました。そこそこいいおっぱいでした。でも誓ってアレは不慮の事故で偶然で、故意はありませんでした。
間違っても目の前で酒を取り合う2人には言えないが。
食べ終わった後、結城さんに食器を洗ってもらって、潰れた葵さんを背負う結城さんにお礼を言って別れた。
今度こそ風呂に入って(電気は消えていたが、同じ轍は踏まないと浴室の扉をノックした)、自室に帰る。
6時間くらいトレーニングルームで寝落ちしてしまったが、明日に響くと困るので無理矢理でも眠らないといけない。
僕の部屋は2階の一番隅の部屋。自室、と言ってもベッドと小さな机と何も入っていない棚があるだけだ。僕の腕が治ったら、必要なものを買いに行こうと言われているが、正直今のままでも十分だった。
「……あれ」
「……遅いわよ」
自室の扉の前に、人影があった。
長い白髪を1つに縛り、可愛いウサギの耳がついているルームウェアを着た、伏見だった。
僕が若干身構えると、それを察したのか伏見が「別にもう殴らないわよ」と少し怒った風に言った。
「その、……えっと」
俯く伏見に、察する僕。
「ああ、さっきはごめんな伏見」
「……。先に謝らないでよ」
「え?」
しまった、偉そうに上から謝ったのが勘に触ったか?
焦って、ぼそりと呟いた伏見の言葉を聞き返そうとする前に、伏見はごめんなさい!と頭を下げた。予想外の展開に思わずたじろぐ僕。
「殴って悪かったわ。っていうか入浴中の札もかけてなかったし。ついでに言えば鍵もかけてなかったもの」
鍵、あったのか。初耳だ。
「……女の子が共同場で風呂に入る時は鍵をかけた方がいいと思うよ」
「そうね。今後気をつけるわ」
是非ともそうしてほしい。僕以外にも被害者が出る前に。
「……。」
「……。」
「じゃあ、その…。謝りたかっただけだから」
喋ることがなくなって無言になったのが耐えられなくなったのか、伏見が背を向ける。
咄嗟に僕は、去ろうとする伏見の腕を掴んだ。
「なっなに?」
「あ、いや」
用事があったわけではないんだけれど。
なんとなく。
魔が差したとでもいうのだろうか。
「おやすみ、伏見。また明日」
言っておきたかった。
言いたかった。
また、明日と。
伏見は少しだけ目を見開いて、すぐに微笑んで「おやすみなさい、また明日」と言った。
また明日。
脳裏に浮かぶのは東雲歳月。
僕が初めて殺した人。
僕のせいで、死んだ人。
あいつは僕を殺そうとしたけれど……だけど、悪い人では、なかった。
幸せは失ってから気付くと、どこかで聞いたことがあったが、失わずとも気付くことができる。
明日が来るという、シアワセ。それが例え何かの、誰かの犠牲の上に成り立っているものだとしても、明日が来るという事実は変わらない。
最低な考えなんだろう。最悪だと自分でも思う。結局自分さえよければいいのか、と自己嫌悪にもなる。
だけど言われたのだ。
自分より10歳も年下の女の子に。
「自分の未来を決める時に何かのせいにしてはいけない」と。
運命からは逃れられないと誰が決めたのだろう。
そんな筋書き通りの規則本は、僕には必要のないものだ。
きっとこれからたくさんの人に迷惑をかけて、いっぱい苦しんで、めちゃくちゃ悲しんで、もしかしたら死んだ方が良かったと思う日が来るかもしれない。
それでも僕は、今日を生きて、明日が来るというシアワセを知った僕は、あの日の僕の選択を…生きると決めた選択を選んだことを、きっと後悔することは、ないだろう。
言い忘れたが、これは、死に損ねた僕の、未来に希望を持った、僕だけの物語だ。
規則本はこれにて完結です。深夜テンションで書ききったので後日修正入ると思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!
※シリーズはまだ続きます