戦闘
東雲が指定したそこは、僕の通っている高校の第二グラウンドだった。
立地条件の悪さからか、水はけが悪い。普段使っているのは運動部の…確かラグビー部で、一般生徒が体育をするときは校舎真ん前の第一グラウンドなので、足を踏み入れたのは初めてだった。
時間は午後11時45分―――。
電気のついていないグラウンドの照明灯にもたれながら、東雲歳月は僕らを待っていた。
挨拶代わりに投擲ナイフを投げ、伏見にそれをはじき返される。東雲の投げる動作も伏見の居合も、僕には見えなかった。刃物の交わる音に、身を固くする。動じたのは、僕だけだった。
「あら。東雲さんは…お一人ですか?」
「さあな。死を告げる者に訊けば分かるんじゃねえの」
ちらりと僕が未来ちゃんを見ると、何も言わず、無表情のままで東雲を見ていた。
伏見も、未来ちゃんに尋ねたりはしなかった。
僕は黙って二人の会話を見守る。
「そんなことより、解毒薬、頂けるんですよね?」
「ああ、あれな」
ただの水だぜ。
と、至極おかしそうに東雲は笑った。
「え、え――――?」
「大体そんな都合のいい毒薬を、そう都合よく持ってるわけねえだろ。昔3Rで雇ってたっつー闇医者だったら、持ち歩いてるかもしんねーけどな」
「信じ、られません。そうやって、自分だけあの後解毒薬を飲んで、私たちを殺そうと…、」
「毒じゃ、ないよ」
未来ちゃんの声がグラウンドに響く。
「あれは毒じゃないよ」
はっきりと、毒じゃないと言い切った。気休めではなく、確信をもって。
「……。」
「あれが水だったかどうかは分かんないけど、あれでは死なないよ」
「どっちでもいい、そんなこと!いいから早く、はじめようぜ―――。俺様だって……好きでお前らを殺してるわけじゃねえんだから!!」
「お兄ちゃん!!!」
未来ちゃんの台詞に食い込み気味にそう言った東雲は、大きく跳躍して、昼間とは逆に、一歩で、接近してきた。
白髪が月光に反射した。
深夜の明るさを、一体どの程度の人が知っているだろうか。最近は夜中でも電灯がついていたりして、多くの人が、深夜は暗いと判断するが、本来、電気の光などいらないくらい、深夜は明るい。人工的な明かりがない場所では、月や星の光だけでも、十分に影ができる。そして第二グラウンドは経費節減のためか、人口的な明るさはなかった。
だからむしろ、目の前で何が起こっているのか、はっきりと目にすることができた。
投擲ナイフを左右に一本ずつ握りしめた東雲が僕らに向かって襲いかかってきた時、伏見もワンテンポ遅れて東雲を迎え撃った。
僕と未来ちゃんからやや離れた位置で、刀を交える。
普通に考えれば、二本よりも一本の方が不利だろうし、それを抜きにしても、伏見が劣勢だというのは見れば分かった。
「あ、あ……」
がくがくと、足が震える。
目の前で繰り広げられる死闘に、身震いした。
―――二人の殺気に、中てられたのだ。
一本、後ろに後退しかけたとき、チリ、とした痛みが右ほおに走った。
震える右手で恐る恐る拭うと、手のひらに、血がついていた。
斬撃で、頬が切れた、のか。
「お兄ちゃん」
「み、未来ちゃん」
「お兄ちゃん危ないから、このまま下がった方が…」
その時を待っていたのだろうか。
第二グラウンドに入ってきてから、初めて未来ちゃんが東雲から目を離し、僕を見た。
思えば昼休みに襲われた時にだって、未来ちゃんは東雲から頑なに目を離さなかった。
そんな未来ちゃんの気を、僕が二人の戦闘によって少しの被害を受けというだけで、散らせてしまった。
そしてその一瞬を、東雲は見逃さなかった。
ぼくらに背を向けている伏見の向こうにいる東雲と、はっきりと目が合う。
その目は決して、笑っては、いなかった。
「――――っ!!」
どうするのが一番得策なのかを、考える余裕はなかった。
未来ちゃんを狙ったナイフが真っ直ぐに飛んでくるのを理解するよりも先に、
僕は未来ちゃんに被さる。
ぶすり、と。
丁度未来ちゃんの心臓の上を覆った右腕に、ナイフが深々と、突き刺さった。
視界の隅で―――ナイフの飛んできたその先で、腕が一本、空中に飛ぶのを見た。
「あ、がッ……」
衝撃で今まで出したこともないようなうめき声が上がるのを、意識の外で、まるで僕ではない誰かのものであるかのように聞いていた。
例えば、片手をなくした、東雲の声であるかのような。
「は、はははは――――!!!」
どさり、と高く舞った右腕が1メートルも離れてずに落ちたその先で、ぼたぼたと、血を垂れ流して東雲は笑う。
痛みなど感じていないかのように、高らかに笑う。
「腕一本無駄にしちまっただけかよ、猫ぉ!!!」
「……か、」
怒鳴る東雲に何かを言い返そうとして、声が出ないことに気付いた。
喉が痛いくらい乾いているのに気付いた。
右腕が、尋常じゃない痛みを訴えていることに気付いた。
動かせない。
動かせないどころじゃ、ない。
みるみる内に血がブレザーを染めていく。血を流しているのは、東雲だけではなかった。
「おにいちゃん!」
未来ちゃんが、痛みを無視して無理矢理立ち上がろうとする僕を抑える。少し強引にその手を放した。
痛みに体がふらつく。
畜生、すっげー痛い。
僕よりもひどい怪我…腕を一本失った東雲はふらつくどころか、薄ら笑いすら浮かべて残った左手に握るナイフで伏見と互角に渡り合う。
視界の隅で、心配そうに僕の制服を握りしめる未来ちゃんの胸の中心が、わずかに血で染まっているのに気付いた。Tシャツも、その部分が切れている。貫通した刃先で、切れたのだろう。
本人が痛がっていないということは、そんなに深くはないのか。
それとも痛いのを我慢して、かばった僕を心配しているのか。
ああ、なんて。
6歳なのに、かっこいいやつだ。
今日は思えば昼休みから情けなかった、と痛みにゆがむ顔で、無理矢理笑った。
「……み、未来、ちゃん。きみのソレ…僕に、貸してくれないかな」
「え?」
「ショルダーに入っている――玩具の、銃だ」
痛みとともに、僕は無意識に、この戦闘が僕は関係ないと思っていたことに気付いてしまった。昼間のように、伏見と未来ちゃんと、東雲の間で、僕には一切他人事だと、どこかで。
左手で銃を構える。
いち早くそれに気づいた東雲が、初めて伏見から距離をとった。
「ふん。1対1…もしくは2対1だと思ってたけど……3対1か?」
「女の子にばっかり任せるのも、格好つかないんで」
「ははは、そのわりには、足が震えてるけどな」
「…………。」
うるさい。生憎こちとら声を出すのもしんどいくらいなんだ――――。
僕は無言で東雲を睨み付け、照準を合わせる。
玩具とはいえ、銃を人に向けるのは初めてだった。
「悪いけど、素人の弾にあたってやるほど俺様はお人好しじゃねえぜ」
「そうですね。素人の僕が撃った弾なんて当たらないと思います。でも、当たるかもしれませんよね」
「気を散らそうって分けか?それなら兎にだって同じ条件じゃ……。」
「3対1って言いましたよね。こっちには伏見と僕と、未来ちゃんがいます」
「お前の弾に避けたところを死を告げる者が撃つってわけか---!」
パンッ!と、軽い音がして、ゴム弾が発射された。案の定、東雲はそれを避ける。
避けて、僕に向かって、踏み出した。
「それならお前から殺らなきゃな、猫!」
「---!!」
「黒崎くんっ!」
一歩で。
昼休みも。ここで襲いかかってきた時も。
東雲は人間離れしたバネで一歩で間合いを詰めてきた。
今も、例に漏れず。
左手のナイフを逆手に持ち、それは僕の頭を狙って、速度に任せて裂くよりもむしろ刺そうそうとしたが、
突撃してくる東雲は、僕とすれ違った。
僕から、避けざるを得なかったのだ。
左手に持つナイフで僕を裂こうとする東雲は、
右手に持ったナイフを突き出した僕から。
避けざるを、得なかったのだ。
「……は、」
「僕がどんなに素人でも……、この距離じゃ、外しませんよ」
一歩後ろで背を向けた東雲に向かって、僕はゴム弾を撃った。