遭遇
「ね、お兄ちゃんあたしのお母さん知ってるでしょ?」と、未来ちゃんは可愛らしく首を傾げた。
お母さん。
不吉な予言を当てて見せた幼女の名前、正確には苗字にはひどく心当たりがあった。
「まさか、東井さんの子供」
「東井未来です」
「いや、待って。迎えに来たって何?全然状況についていけない」
「あのね、お兄ちゃんはね、今日死ぬ運命なの」
「あ、ああ」
それは3年前から知っていることだった。
改めて言われると傷つく。
「あたしと京ちゃんは、お兄ちゃんを迎えに来たんだよ」
「京ちゃん?」
「白い髪のお姉ちゃん。伏見京ちゃん」
校門のところにいた彼女は、どうやら伏見京と言うらしい。
それにしても、迎えに来たってどういうことだ?
「あたしたちは、死ぬ『運命』を『変えて』生きてるんだけど……。そういうのって、良くないんだよね。だから戦争してるんだよ」
「戦争?」
「あたし説明下手くそだし、そういうのは大人の京ちゃんに聞いた方がいいよ」
「えっと…じゃあ僕は伏見、さん?のところに行けばいいのかな」
「え?あ、うん。そうだね。そうなのかな?いや、行かないんだけど……」
言いたいことがあるが、いまいち上手く伝えられない様だった。
うーん、と唸る未来ちゃんを尻目に、僕は腕時計を見る。昼休みが終わる前に、未来ちゃんを伏見さんのところに届けた方がいいだろう。
「未来ちゃん、僕はまだ学校だからさ、学校が終わるまで伏見さんとどっかで待っててくれないかな。もうすぐ昼休みが終わっちゃうんだ」
「がっこう?」
「高校」
「こうこう…」
「うん?」
この幼女、学校を知らないとみえる。
一応日本はまだ義務教育なんだけれど。
「学校はお勉強するところだよ。未来ちゃんは6歳だろ?小学校に通ってないの?」
「勉強なら基地でしてるよ」
「基地?」
基地とは、また随分と小学生らしい響きだったが(僕も小学時代秘密基地を何度も作ったものだ)、反してどうやら小学校には通っていないようだった。
というか、今更だが今日はギリギリ平日なので、もし通っていたらこんなところにいる方がおかしいのだが。
おかしいといえば、伏見さんも、セーラー服を着ているくせに白昼堂々他校の校門にいるなんて、どういうことだろう。
勉強、勉強と呟いていた未来ちゃんが、突然ぱっと笑顔で顔を上げた。
「あたしは基地で数学と物理と化学と生物を教えてもらっています」
「理系に偏りすぎだろ!!!!!」
「勉強はばっちり!」
「全然ばっちりじゃない!」
この子の教育どうなってるんだ!
小学生は数学じゃなくて算数だろうが!
理科を分野別にしていいのは高校からだ!!
英語は兎も角、社会とか、日本人に一番大事な国語とか、もっといえば図工とか音楽とか体育とか、そういう感性を育てる授業が一番大事だと思うんだよね。
未来ちゃんがどういう理由で小学校に通ってないのか知らないが、この子の教育の仕方に不安しかない。
それにしてもいい笑顔だけど。
「お兄ちゃんは、これから学校で、忙しい予定だったってこと?」
「うん。まあそういうことかな」
「そっか。じゃあお兄ちゃんの予定は全部諦めて」
「え?どういうこと…」
言いかけながら、背後の校舎で昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
人生初の授業サボタージュである。
高校生活が始まってからまだそんなに経っていないというのに、早くも僕には汚点がついたわけだ。
いや、そんなことより目の前の幼女。
幼女の口から発せられた不穏な言葉を反芻していると、幼女…未来ちゃんは、なんの前触れもなく、ふらっと一歩、僕から離れた。
瞬間。
僕と未来ちゃんの間……正確には今まで未来ちゃんがいたところに、ナイフが頭から降ってきて、コンクリートに刺さった。
「う、わあああああああ!!」
思わず腰を抜かして、尻を強く地面に打ち付けた。
「お兄ちゃん、静かに!」
6歳の女の子に諌められつつも僕の心臓は尋常ない速度で脈を打つ。
お兄ちゃん!と再び未来ちゃんに呼ばれるより先に、今度はナイフではなく、人が、空から降ってきた。
ズダンッ!と鈍い音がして落ちてきたのは、金髪にピアスを沢山つけた青年だった。
高度からの落下だったのにも関わらず、そいつは痛がるどころかにやりと顔を上げると、両手に持った3本のナイフをぎらつかせ、声高らかに笑った。
「あっぁーあ!避けんなよ、死を告げる者!俺様の専用ナイフが一本駄目になっちまっただろお!」
右手に二本、左手に一本の投擲ナイフは、先程からコンクリートに刺さったままのそれと全く同じモノだった。
つまり、未来ちゃんを狙ってナイフを落とした……投げたのは、こいつだろう。
心臓がバクバクと煩い。
これは、相当に、ヤバイ。
「うん?うんうん?オニーチャン、屋上からじゃあ特に気にしなかったけど…鳥じゃねえな。亀でもねえ。新入りか?そんな情報は俺様のとこには入ってねーけど」
腰を抜かした僕に、ずかずかと近づくそいつは、僕の前まで来ると、顔をまじまじと見てそう言った。
銀色のピアスが鈍く光る。
情けないことに、奥歯がカチカチと鳴った。
足が震えて、力が入らない。
力の入れ方を、忘れてしまった。
「オニーチャンも『終着点』の連中か?」
「た、終着点…?」
「部外者は殺しちゃなんねーんだよ。だから俺様は判断しなきゃなんねーんだけど」
「部外者、です…!」
「そのビビリ様、演技だったらお前俳優になれるぜってところだぜ。つってもなあ。死を告げる者と接触してる以上怪しさは99点なんだよなあ」
先程から言っている死を告げる者とは、未来ちゃんのことだろうか?
終着点。聞いたこともない。
「俺は東雲歳月。オニーチャン、震えてないであんたの名前、教えてくれよ」
ぴたりと。
頸動脈に、ナイフが当てられる。
額から汗が一筋流れた。
喉がカラカラに乾いて、上手く声が発せず、鯉の様に口を開閉する。
「ぼ、僕はーー…」
間一髪。
とでもいうのだろうか。
バンッ!と軽い音がして、東雲と名乗るその青年は僕の首元に当てるナイフを引かずに、大きく離した…どころか、助走もなしに、4m弱、大きく後ろに跳躍した。
人間の動きではなかった。
少なくとも僕は生まれてからこの方、液晶越しにだって一度も見たことはない。
「邪魔しちゃ駄目じゃないか死を告げる者!」
音の原因はすぐに分かった。
首だけ後ろを向くと、投擲ナイフに対抗する様に、二丁の銃を構えた未来ちゃんが、東雲を睨んでいた。恐らく、撃ったのだろう。東雲は、そしてそれを避けるために僕から離れたのだ。
しかし、今現在も狙われている東雲は数メートル離れたところから涼しげな顔で「そんな玩具じゃ俺様は愚か兎さんだって殺せないぜ?」とクルリと器用にナイフを回転させた。
「東雲のお兄さんのナイフでだって、あたしは殺せないよ」
「ふん。投擲じゃあ確かにお前は殺せねーな。……そいつは誰だ?」
「お兄ちゃんに蔑称は、ついてません」
「ふうん?じゃあ俺様は新入生歓迎会に遭遇しちまったってワケだ。名前はまだない、黒猫ーー…さしずめ猫ってとこかな?」
ぶつぶつと独り言を零している東雲から僕を庇うように前に立った未来ちゃんは、東雲に向かってもう一発撃って牽制し、ショルダーに一丁しまってから振り向かずに僕に手を差し出した。
「お兄ちゃん、立てない?」
「え、あ、」
状況について行けず放心状態の僕を、思ったよりもかなり強い力で未来ちゃんは引っ張って立ち上がらせようとするが、足が言うことをきかなかった。立てない。
僕の醜態に未来ちゃんは焦った様子でもなく、直ぐに僕の手を離して諦めた。
右手に握った銃は相変わらず東雲を狙っているが、無駄撃ちはしないと言ったようで、撃つ気はなさそうだった。
最初に動いたのは東雲だった。
ナイフを投げたのだ。
誰に向かって?
他でもない。未だ動けずにいる、僕に向かってだ。
呆然と、真っ直ぐに僕に向かって飛んでくるナイフを見ていた。
ーー当たったら、死ぬのかな。
僕の残念なオツムは、目を瞑ることも忘れて、呑気にただそう思った。