≪第4話≫タイムラグ
「ふぅ……」
夕食を一人で食べ終わると、自室へと戻った。
食器は棚に置いておけば自動的に洗浄されるらしい。
まったく便利なものだ。
リビングの床も汚れていなかったから、きっとルンバみたいな全自動掃除機もあるんだろう。
魔術がそれを可能にしている。
白いシーツの敷かれたベッドに仰向けになり、天井を見上げる。
白熱電球のような輝きが宙に浮いている。
あれも魔術なのだろうな。
「このせかいじゃなんでもありか……ここは、ほんとうににほんじゃないんだな……」
ん?
つぶやいて、はたと気づいた。
俺、いま何語しゃべってるんだ?
たどたどしい喋りだけど、ガルディとは普通に会話ができた。
そして俺は日本語しか話せない日本人だった。
こっちの世界で日本語が話されている可能性は低い。
だったら、どういうことだ。
この体が日本語じゃない何かを話し、聞き取っている。しかし、俺という精神は日本語として理解しているということか。
「そうかんがえるのがだとうか」
疑問が一つわくと、実験してみたくなってきた。
以前だったら、どうでもいいか、と打ち捨てていたはずなのに。
肉体が精神に作用しているんだろうな。
そうとしか考えられない。
思い立ったらまず行動だ。
☆
手始めに自室を捜索する。
必要なものは紙とペンだ。あと、あったら録音装置。
リビングに本棚らしきものはなかった。
ガルディは研究室に書類を保管しているんだろう。
だったら、残るは空き部屋ふたつか。
角部屋の自室から近い順に突入する。
「ほこりっぽいな……」
汚い上に物が散乱している。
物があると、ルンバも掃除できないだろうからな。
そういうことなんだろう。
部屋をぐるっと見回す。
この部屋もまた光球が浮いている。
馬鹿みたいにデカい、おそらく木製のキャビネット。
黒檀みたいに黒い、ヴィンテージ物のトランク。
破れた水玉模様のカーテン。
自室にもあった木製の机、三脚のイス。
水の入ってない金魚鉢っぽいもの。
真っ赤なソファ。
それに蓋のされた木箱が手のひらサイズから、洗濯機サイズのものまである。
それらすべてから埃っぽい匂いがするが、その古さとは裏腹に、まるで傷一つついていない。妙だ。違和感を覚えた。
なんだか触ると魔術が発動しそうで怖い。
「うーん」
触るんなら木箱か。
まだ他のモノに比べて安全そうだ。
なぜかというと、なんとなく、としか言えない。
その木箱の中でも、両手で持てそうな木箱は怪しげな雰囲気がある。
手のひらサイズにするかな。
大きいヤツだとゾンビとか入ってそうで怖い。
小さいヤツなら安心か。
いやそうでもないぞ?
魔術で空間拡張とかできるかもしれん。
あの小さい木箱を開けたら、ゾンビの大群が! とか。
「なんてな――お、びんご!」
小さい木箱の蓋はすんなり開いた。
中には黒い手帳? 日記? のようなものが一つだけ。
「ペンがないな……」
ボールペンでも鉛筆でも万年筆でもいいから何か書く物を。
いっそのこと手のひらを切って血で書くか?
「……いやあほだろ……」
この体になって変な発想ばかりする。
ペンが入ってそうな木箱はない。
「となりさがすか」
階段から一番近い部屋。
そこもまた物置部屋だ。
ぐるっと見回してみる。
群青色をした、悪魔の像が六体。
人が三人ほど寝そべれそうな、木製のテーブル。
真っ黄色の革靴。
いたって普通の黒い山高帽。
いたって普通の黒いシルクハット。
鈍色のステッキ。
蒼色のステッキ。
蛇の造形をした杖。
そしてまた大小さまざまな木箱たち。
宙に浮く光球に照らされて、物たちが荘厳に映し出されている。
一つの木箱の上に光の灯ってないランプもあった。
ふと気になってランプに触れてみる。
「うわっ!」
一寸先は闇だった。
急に視界が真っ暗になる。
どういうこっちゃ。
ランプを握って振ってみると、また明るくなった。
「このらんぷがすいっちなのか……?」
一度、もう一つの物置部屋に戻ってランプを振ってみる。
変化はない。
「うーん…さっぱりわからん」
また階段近くの物置部屋に戻る。
ランプを振ってみる。
「あれ……?」
光球はいまだその輝きを失っていない。
どういうことだ。
さっぱりわからん。
明日、ガルディに聞いてみるか。
「ペン……ペンと……」
部屋中を探し回っても、ペンはなかった。
よし、木箱をあけるか。
さっきと同じく、中くらいの木箱はやばそうな感じだ。
手のひらサイズなのも、なにか怪しげ。
と、なると一番大きなヤツでもあけてみるか。
「おお……」
羽ペンがあった。
それも、洗濯機サイズの木箱にぎっしりと。
この体になって運がいい。
金髪フォルムは運からして違うのか。
なんという高スペック。
さて……
☆
特大木箱から羽ペンを二本ほど拝借して、自室へと戻る。
何の変哲もない木製の机に黒い手帳を置き、羽ペンをその横に並べる。
これまた木で出来たイスに座り、腕を組む。
「ふむ」
さて、なんか書くか、と思い立って。
手帳を広げて、
羽ペンをもって、
気づいてしまった。
「いんくないじゃん……」
おそらく猛禽類のモノであろう、羽根ペンを握ったまま停止する。
羽ペンにインクを溜める機能はない。
「はぁ」
やけっぱちになって、羽根ペンを強く握ってしまう。
と。
ぽたり、と黒いシミが真っ白な紙の上に落ちた。
これぞ天の恵みか! と言わんばかりに、紙はインクを吸いまくって、広がる。
そして――すぅっと、奥に吸い込まれるように黒いシミは消えた。
「いやー、もうおどろかないぞー」
魔術だ! これぞ深遠たる魔術こそが為せる技なのだ!
そう思っておくことにした。
なにはともあれ、書けるのだ。この羽ペンは。
インクがなくとも。
それでふと思いついた文字を書く。
【R】
そう書いたつもりだった。
だが、【R】とは異なる軌道を、手が描いていく。
『―∄Ē…』
文字がぼやける。長時間パソコンの画面を見続けた時に出てくる、かすみ。
そのかすみがぼやっと広がって、やがてまた鮮明に戻っていく。
『R』
Rだった。
なんでRと書いたかというと、与えられたリメルティという名前の頭文字がたぶんRだから、Rと書いたんだろう。
特に理由はない。
しかし、さっき見た時はたしかに、というか霞んでいたが、『R』じゃなかった。
もしかして、肉体と精神で齟齬が起きてるんじゃなかろうか。
俺は【R】と書いたつもりで、何はよく分からんこの世界の文字を書き、その文字を見て、俺はまた【R】として認識しているとか。
よく頭が回るな今の俺。
【今晩は】
漢字でこんばんはと書いたつもりだった。
『今晩は』
今晩は、だった。
視界も霞まない。
……どういうことや。
もしかして最初の一回目でチューニングは終わってしまったというのか。
まさかガルディの声も、俺が意識がないだけで聞き取れていなかったんじゃなかろうか。
もうこの文字と声のタイムラグは無くなっちゃった?
「うそだろぉ……」
さっきのランプといい、文字といい、声といい、一回ぽっきりなんて難易度高すぎる。俺の溢れまくる知的好奇心をどうしてくれと。
「はあぁああ」
深々とため息を吐き出して、天井を見上げ、頭をぼりぼりと掻く。
羽ペンをペン回しの要領で回そうとして、
ビュン――
扇風機言うところの、中ぐらいの風が俺の鼻先を通過していった。
「は?」
羽ペンを振ってみる。
ビュン――
また俺の前で風が吹いていた。
窓もドアも空いていない。密閉空間だ。
まさかこの羽ペン、無限インク機能だけでなく、扇風機機能も備えていたとは。便利すぎる……便利か?
使いどころがなさすぎるだろう。
書いていた書類が意図しない風で吹き飛ぶだろこれ。
なんだかよく分からんが、この世界の物は面白いな。
これもまた明日おっさんに聞いてみよう。
もう寝るか、と手帳と羽ペンを引き出しに仕舞おうとして、気づいた。
『こんばんは!』
そこには書きおぼえのない文字があった。