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≪第20話≫永遠の苦しみ

ちょっと長め。。。

 

 悪魔族の種族を得たせいで、ガルスからレナドへ徒歩で二日とかからなかった。

 飲食・睡眠・疲労が不要となり、獣人族の馬力も相まって俺は歩き続けた。

 

 セルゲイに行くとか言っておいて気が付いたらもう八か月と十日。

 だが一週間前からの俺の肉体の変化は大きかった。

 身長は10センチは伸びたし、体重も五キロは増えた。


 10歳、元の世界なら小学4年生で170センチ55キロだ。

 ホムンクルスと獣人族の特性か。


「たしか……教会だったよな……」


 レナド。

 農耕地区。

 中心にぎゅっと民家や商家が集まって、その周り麦畑、ちらほらと民家が見える。

 本当に何もなさそうだ。

 ガルスにはあった柵や城壁のようなものが何もない。ガルスも外敵から身を守るというより、風除けみたいな感じだったが。

 それすらない。

 もちろん関所もないわけで、俺はどんどん進んでいく。

 

 さびれた雰囲気だ。

 住民が暗い顔をして、ため息を吐きながら作業している。

 商家のおっちゃんもあまり元気ではない。

 通行人もまばらで、声をかけられることもなく中央広場につく。

 そこには噴水ではなく、塔。

 見張り台じゃなくて、これは単なるオブジェだな。

 

「教会……街はずれ、だったかな」


 あの商家のおっちゃんにでも聞いてみるか。

 と、その前に。

 胸ポケットから銀ケースを出して、その中の一本のマッチと真っ黒いソレを取り出す。

 火をつけ、口にふくんだソレを吸い込む。

 痺れるような感覚が脊髄から頭上に通り抜けていき、思わず空を見上げる。

 

「ぁあ……」


 酔っぱらうような感覚が終わると、急激に感覚が冴えわたってきた。

 悪魔の薔薇。

 あの岩石地帯に群生していたあの植物を乾燥させ、紙で包んだもの。

 紙たばこみたいなものか。


 前世ではタバコなんて吸わなかったが、たしかタバコって花じゃなくて茎か葉っぱか忘れたが、それらを乾燥させたものだったはずだが。

 これは花を乾燥させたものだ。

 真っ黒いタバコともいうべきものか。


 葉巻でもないし紙巻タバコと言っていいものか。

 タバコじゃなくて悪魔の薔薇だしな。しかも花。


「ふぅう」


 真っ黒い煙を吐き出す。

 まるで大型トラックが出す排気ガスのような色だ。

 これかなり健康に悪そうに見えるが、そうでもない。らしい。

 悪魔に対する抵抗値を上げるもので、煙自体は人間に害はない。

 経口摂取しても、この程度なら毒にはなりえない。

 

 さすがに乾燥させていない花ごと食べたら猛毒になるらしい。

 第三級禁制植物、悪魔の薔薇(デビル・ローズ)

 邪鬼の笛も獣人族の心臓も、たしか秘匿品という部類だったか。

 そんな呪われた魔道具的な物もあるもんなんだな。

 

 そんなに禁じられているなら神様がいち早くなくしてしまいそうなものだが。

 前世の神と、この世界の神とは別物という意味か。

 なんでもできる万能の存在でもなく、全知であるわけでもない。

 

 神族というのは、強大で特殊な能力を持つ存在ということか。

 たしかに現神族の当主は、温厚という性格分析だったしな。

 能力までは明らかにされていないらしいが。

 あの本に書いてあることが真実とも限らないし、なんともいえない。


 ちぐはぐだ。

 そう感じてしまう。

 この世界は、無理に物理法則が捻じ曲げられる一方で、近世の世界みたいにあまりにアナログなことをしている。

 貴族制やら、眷属の末裔やら。

 種の優位性やらね。

 言葉の壁も、死という概念すら消してしまえる。


「神様、か……」


 煙を吐き出して、たそがれていると。

 クイクイ、と。

 上着の袖を引っ張られる感覚があった。


「ん?」


 獣人族になって感覚は鋭くなったはずなんだが。

 いつの間に近づかれたのか、そこにいたのは小さな女の子だった。

 六歳か、いや五歳くらいか。


 知らない女の子だ。

 黒髪の、言い方は悪いかもしれないが、パッとしない顔だちの。

 そして、金髪の男が煙花を吸っているところに女の子が話しかけてくる理由も見当たらない。

 俺は何だと問いかけることもせずに、お得意のコミュニケーション不足症候群を発動させつつ、女の子をじっと見下ろしていた。


 それでも、女の子は、クイクイっと袖を引っ張るだけ何も言わない。

 何なんだこれは。

 その間も、煙花を吸っては空に向かって煙を吐き出す。

 こんな燃費の悪そうな煙みたことがないってくらい真っ黒だ。


 毒じゃなくても肺が汚れてしまいそうだ。

 ここはひとつ、プリンシペラのいったら医療魔術師に見てもらうのもいいかもしれない。

 ガルディのおっさんが害はないと言っても、いまいち信用に欠けるからな。

 実はすぐには害はないだけで、肺がんになりますとってオチもあるかもしれん。

 

「む!」

「……?」


 グイグイっと引っぱってくる。


「こっち!」


 幼女は全体重を後ろにやって、俺をグイグイ引っぱる。

 これで衣服を切り離してしまったら、幼女は尻餅をついてしまうだろう。

 トカゲのしっぽ切りのように逃げてしまいたかったが、今回だけはやめておく。


 新手の幼女詐欺なんじゃないかと疑いつつも、ついていくと待っていたのは古びた教会だった。

 今にも倒れてしまいそうなほどオンボロだ。

 十字架はない。それでも教会だとわかるのは、建築様式が前世の教会と似ているからか、それとも教会が放つ一種神聖な雰囲気か。

 それでも教会だった。


 町外れの教会。

 レナド唯一の教会、か。

 ここで待ち合わせだったか、セルゲイと。 

 じゃああの幼女はセルゲイが寄越した案内役か?

 なんの連絡も取っていないのに?

 明確な待ち合わせの日付も決めていないのに?


 そんなまさか。


「む!」


 何やら幼女が「そこで待ってろ」的なジェスチャーをしたあと、教会の観音扉を勢いよく開け放って、ずたずたと走っていく。

 俺はちょうど吸い終わった後、煙花の吸い殻を靴の裏でぐしゃぐしゃしていると、出てきたのは朴訥な顔だちの少年。


「おおっ!」

「セルゲイ……?」


 出てきたのはセルゲイだった。

 神父服みたいな恰好のセルゲイが、いつの間にかデカくなった友人を見るような目つきでこっちを見ている。


「リメルティ、だよな?」

「俺以外の誰に見えるんだ」

「本当に来てくれるとはな。来るならもっと早く来るかと思ったが」

「ちょっとガルスで手間取ってな」

「なるほど。それにしては背が伸びたな。俺より年下かと思ってたが、案外と同い年で、成長期だったということか?」

「いいや? 俺は10だぞ」

「まさか! 驚いたな、俺よりも四つも下だったのか」


 セルゲイは見たところ、160くらいだ。

 14歳だというのだから、やはり俺の成長スピードはどこかおかしい。

 まあ人間じゃなくてホムンクルスだしな。

 ネズミみたいに無限に大きくなるのかもしれない。

 それは嫌だが。


「そうか、10歳か。妹と同い年だな」

「たしか妹は三人だったな」

「そうだ。君を案内したのが一番下の妹だ」

「なんだ、やっぱりそうだったのか」

「やっぱり?」

「似ているよとてもね」

「ああ、そうかい。一番下の妹はそうだな」


 感慨深そうにうなずくセルゲイ。

 と、そこでハタと気づく。

 

「俺が来ないと思ってたのに、なんで妹さんが案内してきたんだ?」

「くくっ、まあそれは本人聞けばわかるさ」


 ほら、とセルゲイが扉の奥覗くように言うと、あの幼女が出てきた。

 兄であるセルゲイと、俺の顔を交互に見て、不審そうな顔をしている。


「ベラ、ほら、挨拶するんだ」

「……」

「どうして何も言わないんだ?」

「む!」


 人差し指を俺に向けるベラという幼女。

 挑戦的な眼差しだ。


「まじゅつし!」

「残念だがベラ、彼はけがを治せる魔術師じゃないんだ」


 そうだよな? と視線を送ってくるセルゲイ。

 そういうことか。

 ベラという幼女は俺を治癒魔術師だと思って、ここで連れてきたということか。

 でも、俺は治癒魔術なんて使えない。

 獣人族の肉体魔法に”再生”があるが、隠密系統魔術のように範囲指定ができない。


「治癒魔術、か」


 治癒魔術は希少だ。

 まだ治癒魔法の使い手の方が多い。

 治癒魔法は大半の魔法族が使えるという。しかし、俺の獲得した悪魔族と獣人族は治癒魔法が使えない方の魔法族だ。

 獣人族はその再生能力、悪魔族はその特性から必要としない。

 悪魔からしたら、疲労も睡眠も食事もいらないし、上位になれば肉体すら無くなってしまうからな。怪我なんて縁遠い。

 まあ俺は取り込んでいるだけで、悪魔族ではないし怪我はするんだが。


 それに比べて治癒魔術は、たしか、基礎四系統、火・水・土・風を全て高位まで突き詰めて得られる、白光系統の派生形だ。

 二つ以上を掛け合わせた派生形ではなく、単独の派生形。

 白光系統の一部分というべきか。

 俺の肉体魔法の一部、”再生”だけを突きつめて強化するみたいなものだろう。

 魔法でもおそらくできる。肉体魔法がどんなものかまだよく分かっていないから手を出していないが、今後それを習得していく予定だ。


 このことから分かるように、白光系統の一部、治癒魔術の使い手はあまりいないと聞く。

 こんなレナドみたいな農耕地区ならなおさらだ。

 メルティアになら探せばいるだろう。

 居場所が分かっているのはプリンシペラぐらいだ。


「治癒魔術師を探しているのか、セルゲイ」

「ああ……」


 沈鬱な表情だ。

 横にいるベラがぎゅっと自分のスカートを握りしめている。

 誰かが怪我をしているのか。

 それとも病か。

 いや、違うなこれは……。


「知り合いに治癒魔術師がいたりしないか?」

「いやいないな。プリンシペラへ行って会おうとは思っていたが」

「そうか、そうだろうな」


 セルゲイの表情、ベラの必死さから、この町に置かれた状況が薄々わかってきた。

 死がない世界。

 治癒魔術師がいない町、レナド。

 怪我、病。人間、高齢者、労働者。

 神がいるのに、アナログな世界、ちぐはぐな世界。


『当代神概論・性格分析』

――神族は全知全能ではない。


「リメルティ、君にぜひ見せたいものがある」

「……」

「ついてきてくれないか?」

「ああ」


 神妙な面持ちでいうセルゲイの後を歩く。

 教会の中には入らず、横を通って、裏手へ回る。

 教会の裏に群がるのは幾つもテント。

 大きい布の四方を木の棒で支えただけのような簡易なものだ。

 

 そこから漂うのは異臭。

 かすれたようなうめき声と、消毒液の匂い。

 魔術や魔法やら変な方向に発展したせいで、医療は進歩していないと思っていたが、白衣の男性やら看護婦らしき女性が走り回っている。


 まるで戦場の医療テントのような様相を呈している。

 その十数個のテントの奥、木々に遮られてよく見えないが黒い頭巾をかぶった集団がたむろしていた。

 異様な光景だ。

 誰もが暗い顔をしている。


「こっちだ」


 先導するセルゲイがどんどん進んでいった。

 意外と、全身が包帯ぐるぐる巻き、みたいな人はいない。

 みながみな、年を食った人ばかりだ。

 ひげを生やした爺さんや、つるっぱげの爺さん、口を開けたまま寝ているばあさん。ミイラのように干からびた爺さんだか婆さんだか分からない人。

 そんな高齢者が「うー」とか「あー」とかうめいている。

 むわっと漂ってくる異臭。

 そこらじゅうで老人たちが糞尿を漏らしたりしていた。

 

 そんな風景を横目、どんどん進んで、隔離されたテントがあった。

 ここからが重傷者、みたいな雰囲気だ。

 その遮られたカーテンをどけて、セルゲイが入る。

 俺も入ると、「あああああああああああああああああ!!!!!」と耳をつんざくような叫び声が聞こえる。

 ぎょっとしてそこを見ると、そこにいたのはやけただれた何かだった。


 白衣を着た医師たちが取り押さえながら、それがまとう包帯を替えている。

 必死なのは声だけで、それの手や足はピクリとも動かない。

 それもそのはず、それの手や足は真っ黒く、胴体のただれを通り越して、炭化していたのだ。


「彼はパトリック。俺の兄貴分だった人だ」

「どうして……」

「火事があってね……それで」


 手も足も、目も喉も焼けて、言葉を喋ることもできない。

 それでも猛烈な痛みから、何かを発していた。

 前世なら、絶対にこのパトリックは死んでいる。


「火事があったのはいつだ?」

「二日前だ」


 二日間、この苦しみに苛まれている。

 全身が焼けただれ、いまもなおその苦しみに捕らわれている。

 死ねない。

 それだけで恐ろしい。

 死ねない恐怖というものがあるのだ。

 魂が肉体に残り続け、その痛みを永遠に受け続ける。


「彼は……彼はどうなる」

「もうすぐ燃やされる」

「……」

「さっき見ただろ、黒頭巾の連中。彼らが行う」


 火事で全身を焼かれてなお、さらに燃やされる。

 肉体が灰になり、土へと還るその瞬間まで。


「もう火葬の予定は一年先まで埋まっている。火葬すらできない人もいる。金を取るんだよ、彼らは」

「火系統の魔術師か」

「ああ……」


 庶民の使う低位の魔術じゃ、完全に人を燃やし尽くすには時間がかかる。

 高位の魔術師数人ならアッという間だろう。

 そこで金銭を要求する。


 労働者は死ぬこともできずに働き、倒れ、そして金を払い燃やされる。

 その痛みは永遠だ。

 その苦しみは永遠だ。

 その肉体を失ってもなお、魂はここに残留し続ける。

 死の国にさえ行くことができない。

 でも肉体を失った方がいいのかもしれない。


 肉体を失えば、永遠の苦しみから解放される。

 自分の肉体が灰になり、土へ還るまでの、辛抱だ。



 

 

 


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