≪第18話≫ルミエール=ラ=オミュルフィ
「…………アール……」
ラ=オミュルフィ家は二十六師の一角に名を連ねる魔術師の名家である。
席次は十八。
使用系統は主に水系統と倍加系統。
さらに、水系統高位をダブルに相続効果で派生した氷結系統を得意としている。
基礎系統を一本に絞り徹底強化させていく家系だ。
私はラ=オミュルフィ家の一員として誇りを持っていた。
二女だから家督を継ぐことがなくとも、いずれは望まぬ相手と結ばれることになろうとも、それがラ=オミュルフィ家の二女の責務だと考えていた。
「もう……なんで返事をくれないの……」
でも、この頃その考えが揺れ動いていた。
父がこっそり私にプレゼントしてくれた魔術のかかった本。
自動筆記で三年ほど前から毎日のように会話していた。
その相手。
アールという人物。
粗忽な文字、言葉づかい。
建前も何もなしに、私にぶつかってくるアール。
惹かれていた。
会ってみたかった。
どんな人物なんんだろうか。
私の予想では、もちろん男で、メルティアの領域に住んでいて、文字の習熟度が上だったから、たぶん年上で。
貴族社会のことを何にも知らなかった。
アールは庶民の男性。
たいして私は、ラ=オミュルフィ家の息女。
どうなるかわからない。
もし襲い掛かられたとしても、私には魔術がある。
倍加系統の高位と氷結系統の中位を習得している。
アールは魔術の知識は多いけど、庶民の使う魔術じゃ私が勝てないはずがない。だから、負けるから怖いわけじゃない。
アールという話し相手を失うことが怖かった。
もうこの関係に戻れないことが嫌だった。
本音で話せる相手なんて、私には極わずかしかいない。
メイドのリリアと、お父様。
兄と姉も年が離れすぎていてそういう機会はない。
母親なんてもってのほかだ。
あの母に私が庶民に惚れたと言った日には家の中はめちゃくちゃになるだろう。
「惚れた……のかしら……。でも、こんなに」
こんなに落ち着かないのは、きっと少なからずアールのことを大事に思っているから。
アールは今、旅をしている。しかも一人でだ。
仕事をしているのかとか、何歳なのかもう大人なのかとか、詮索したかった。
でも聞いて、その後に聞き返されるのが怖かった。
私の中のアールが崩れてしまいそうだった。
アール。
ぶっきらぼうで、ちょっと口が悪くて、でもきっと直接話すと静かで繊細で。
根暗で寂しがり屋の甘えん坊で、
もっと深い付き合いをすれば色んな面が見えてきて。
ウィットに富んでいて向こう見ずで。
でも恋人になったら、情熱的で優しくて、私だけを愛してくれる誠実な人。
そんな気がするのだ。
いとおしい。
悩んでいるあの人を癒してあげたい。
でも、今の私には何の力もない。外に出ていくこともできない。
初等部も一年生でずっと学園にいる。
今年の夏は休暇でも出ることができなかった。
だから、来年の夏、外に出よう。
休暇に家に帰って、お父様にお願いして、プリンシペラにもレナドにも、ガルスにだって。
レッドラークにアールがいるというなら、無理を言ってそこまで行こう。
自分ひとりじゃいけない。
私はそこまで強くない。今は頼るしかないのだ。
「はぁ……」
ため息を吐く。
一人部屋でよかった。相部屋だったら、きっと悩みを根掘り葉掘り聞かれては馬鹿にされていたにちがいないのだ。
隣のクラスのあの庶民、アンリといったか。あの娘なら「これが乙女のため息なのねププッ」とか何とかのたまいそうだ。
少しほてってしまった頬を覚ましたくて、わずかに窓を開ける。
ヒュゥ~と冷たい風が窓の隙間からもれた。
秋の夜の風がここちいい。
机に向かって、光もつけず何をしているんだろう。
開かれた赤色の手帳を見るのが嫌になって、上を見上げる。
半分にかけたお月様。
その月光に照らされて、自分のプラチナブロンドがきらきらと輝く。
白いに近い金髪。そして両親から受け継いだ真っ青な瞳。
そばに置いた手鏡を覗けば、そこには美しい少女がいるだろう。
「ゼレーナより私の方がかわいい……よね……?」
二十六師の一角、ゼレティウス家の長女、ゼレーナ=ゼレティウス。
隣のクラスなのに私に何かとちょっかいをかけてくる女だ。
目を引くようなライトブルーの髪と瞳、そして攻撃的な眉毛。
美少女だ。
でも、私もそれに劣らぬ美貌があると思う。
ゼレーナが自分の容姿鼻にかけまくるナルシストなので、反面教師として抑えているが、私にだって己惚れる時がある。
この美貌ならアールを絶対に惚れさせられる。そんな自信があった。
なんでこんな美少女が悩んでいるのに返事を変えさせないアールを憎いとさえ思ってしまう。この私が想っているのだから必死に縋り付きなさいよ、と。
でも、これも無理はない。
アールは私の容姿を知らないのだ。知らないままに接してくれている。
本音のままで語り合えた。
顔も合わさずに話し合うと、いつも自分に課している丁寧な言葉づかいがどっかいってしまうのだ。
意外なことに、私はとても幼くなってしまう。
同い年庶民の子らが無邪気を話すように話してしまう。
特に私は意地っ張りのようで、すぐに拗ねてしまう。
そんな自分がおかしくて、よく笑ったものだ。
「もし違う人生なら、無邪気なままアールと会ってみたいものですね」
月を見上げながら少女は微笑む。
このとき、彼女の自動筆記は切られていなかった。
彼女の言葉は余すことなく、本に書きこまれていたが、その言葉がアールの目に触れることはなかった。
欝々とした気分だったアールは手帳を一切見ていなかった。
そのすれ違いが何を生むのか、まだ、誰も知らない。




