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≪第14話≫肉体には暴力を、精神には幻影を

 セルゲイ。

 のちの俺の人生に多大な影響を与えた男。

 彼はペンキ屋の息子だった。

 祖母、父と母、三人の妹がおり、仕事の少なくなった父に代わり、彼はガルスの片隅にある神学校で教鞭をとり、家族を養っていた。

 彼は優れた頭脳を持っていた。

 そしてまた他の追随を許さないほどの勤勉だった。

 11という若さで教師になったのだ。

 だが、彼の少ない給料ではまかなえるはずがなく、彼と彼の両親は少しずつ財産を売り、少しばかりの畑を耕して何とか成り立っていた。

 とくに祖母の介護という負担が大きかった。

 彼の祖母は体を悪くし、ほぼ寝たきりの状態が続いていた。


 余命わずか、というときに、当代の神族が理から死を外した。

 

 治癒魔術、治癒魔法も使うことができない。

 魔術師に頼むお金もない。

 だが少しずつ老いていく両親、生きながらの死を味わう祖母。

 腹を空かせる妹たち。

 

 そこから永遠の苦難が待っていた。

 彼が決意したのはおそらくこのときだろう。



  ☆


聖寵(せいちょう)にいては真の救済は行えない」


 彼はそう、まるで政治的指導者のような口ぶりでそう言った。

 年もそう離れていないであろう少年の言葉だった。

 聖寵神殿。

 神族の住まいだ。


「今までの神族と比べてか?」


 いいや、とセルゲイは首を横に振る。

 満天の星空が覆う、一枚岩の上で二人は語り合う。


「先代の神族は観察者に過ぎなかった。だが、リニエラは傲慢だ。全ての種族の救済を行おうとしている。それは越権行為だ。いくら神族といえど烏滸(おこ)がましいにもほどがある」

「リニエラが理想主義者だと?」

「そうでもない。あの女は傲慢であることを自覚しているだろう。それほどまでに愚かではない。だが、そこが恐ろしい。人間に崇高あれ、と求め続ける。そのストイックさに人はついていけない」


 セルゲイは語る。

 人は愚かだと。民衆はさらに愚かだと。

 人は忘れ、現状に満足する生き物だ。

 ”死”がない世界にも慣れ、現状に満足する。


「死をなくしてはいけなかった。あれが全ての始まりだ。死はもとより平等であり安らぎであるはずだった。困窮する者にとっては救済であり、富める者にとっては恐るべきものだった」


 だが、それはなくなった。

 弱者にとっての救済が、強者にとっての恐怖が。

 

 経済的格差が、身分的格差が、戦力的格差が、永遠となる。

 リニエラはその格差を埋めることができなくした。

 貧困階級を下層労働者を永遠の奴隷にしたのだ。


「リニエラは人やその他亜人種に対して希望を持っている。死をなくし、現状に抗わせようとしている。我々とは正反対に、人を信じているのだ」 


 セルゲイは空を見上げる。


「――だが、それは過信だ。人はそこまで優れていない。とても愚かだ」


 あきらきったようなセルゲイの瞳。

 まるでこの世全ての絶望全てを見てきたような言葉だった。

 俺は口を開いた。


「神族は全種族を一応把握していると思うがな。その性質や特徴は頭に入れているはずだろう」

「そうだろうな」

「見解の相違か」

「そうなるな」


 リニエラは希望を通して人を見ている。

 セルゲイは絶望を通して人を見ている。


 そこから、どうするか。

 神様は間違っているとするとして、俺は、俺らはどうするべきか。


「慢性的な危機に人はすぐ慣れてしまう。どうにでもなると、一時的に考えてしまうんだ。だから、圧倒的な危機を人々は受け入れなければならない」

「つまりはマッチポンプか」

「妙な言葉を使うんだな君は」


 笑われてしまった。

 だが、そういうことだろう。

 セルゲイは自ら危機的状況をつくり、人々に考えさせると言っている。

 

「じわじわと窮地に陥っていくのは最も危険だ。人はそれに気づかず、楽観視する。人々は進化しなければならない。思考的進化だ。愚物ではなく、考える愚物になる必要がある。そのために絶望的状況をスピーディーに演出する」


 まるで悲劇のような出来事を起こす。演出するんだ、とセルゲイは言う。

 リニエラもセルゲイも人を思っての行動だ。

 だが、両者は対極的な位置にいる。

 

「具体的にどうするかは決めているのか?」

「資金を集め、組織をつくる。民衆の手本となるべき書物を発行する。文化的産物の保護を行う。経済的侵略を行う。そして、悲劇を実行する」

「どうにもお前の話は抽象的でいかんね」

「だな。よく言われる」


 少年は苦笑いだ。

 大層な物言いをしているが、少年には実行力がない。

 引き付ける魅力とその弁の立つ口が唯一の武器だ。


「でも、そうだな。組織……秘密結社か。いいな。おもしろい。資金は援助してやろう」

「あるのか?」

「お前は運がいい。不運に見舞われた俺に出会えたことに感謝するんだな。ちょっと人の役に立つことをしたくなったんだ」

「ありがとう、リメルティ」


 一枚岩の上で立ち上がって、セルゲイが手を差し伸べてくる。

 寝っ転がる俺を引き起こして、二人は向かい合う。

 東の空が少しずつ明るみつつあった。


「まだまだ話したいことがある。俺の家に来ないか? 今は親戚の家にいてな。そろそろ帰る頃だったんだ。レナドへ来てくれ、お前に現実を見てほしい」

「ああ、ちょうどいい。レナドは行く予定だった」


 レナドという農耕地域。

 セルゲイの故郷。

 そこに何があるのか。


「ありがとう嬉しいよ」

「くくっ、それは惨劇を起こす男の顔じゃないな」

「俺は破壊主義者ではない。演出家だ。演出家は喜怒哀楽を表現しなければならない」

「ああ、そうかい。そんあお堅い口調の演出家さんは人々にどのような悲劇を与えるんですかい?」


 それは決めているとばかりに、セルゲイはまた抽象的な物言いをする。


「肉体には暴力を、精神には幻影を与える。そんな悲劇さ」


 セルゲイは薄笑いを浮かべていた。

 そしてその後、秘密結社「暁の星」は創設される。

 創設メンバーである二人は、空を見上げた。

 

 夜明けの空を。

 その片隅で輝く、星たちを。

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