夜の声
僕にとっての「世界」は、広大に広がる銀砂だけだった。
きっとこれからもそうだ。
ここから見渡す銀砂はいつもと同じように風に舞い、その地形を刻々と変化させていた。足跡は全く無く、ただ遺跡だけが砂に埋もれている。この世界には僕だけしか存在していないかのように錯覚してしまう。
あれが先ほどまで居た大地とは思えないほどだった。
僕の住む集落ももう見えない。
僕は窓から目を逸らし、吹き抜けになった塔の中を見上げた。
夜の声
僕たちは年に一度、朱夏にだけ現れる季節川を使い生活していた。昔から接していたから特に不思議には思わなかったけれど、前に訪れた旅人が珍しがっていたことから、その特質に気がついた。
解ってしまえば不思議でもなんでもないが、朱夏の特に暑い時期に、ここから北にずっと行ったところにあるヴァイルア山脈の氷が溶け出し、川を作っているのだ。僕らの小さな集落が玄冬――ここじゃあまり感じないが、そう呼ばれる寒い時期――を越せるだけの水はこれで確保できる。
そうして蟲や動物、また時にはあの大地を揺るがすようなサカナの鱗を採りながら、僕たちは毎日を過ごしていた。
厳しくも変わらぬ生活を、僕らは好んだ。
それでも、僕にとっては別の楽しみがあった。
定住地を持たない旅人たちは、休憩場所を求めて此処に立ち寄る事があった。僕は彼らの見てきたものを聞くのが好きだった。
僕の集落はほとんど動かない。ヴァイルア山脈からの川は滅多な事が無ければ位置が変わらなかった。数限りない幸運と、好条件な場所に集落は作られた。それが発端となり、旅人たちの地図に加わり、それが口づてに伝わっていったのだ。
それもあって、僕らの集落には、他のところにはあまり無い珍しいものもある。壊れた遺跡から石材を持ってきて作った、簡単な宿だ。交流のある集落ならいくつも知っているが、その中でも宿のあるところといえば、2つか3つほどしかない。そういったわけで、僕たちは旅人からこの近辺には無い珍しいものを交換条件に、旅人たちに寝床を提供していた。
そうして彼らがやって来た日、宿に行っては話を聞かせてもらうのが定番になっていた。
だけど僕は、話を聞くだけではない。
必ず、彼らの話が終わった後、聞く事がある。
今日も僕は旅人の宿に行き、話を聞かせてもらっていた。
「どうだい? 面白かったか?」
「うん、ありがとう、旅人さん」
僕はいつものようにお礼を言い、それは良かった、と笑う彼らを見ながら、一度だけ呼吸を置いた。
「あの……」
「何だ?」
「もう一つ……聞きたい事があるんだ。」
この話を切り出すのは、いつも慣れなかった。
「あなたは……”夜の声”を聴いた事が……ある?」
*
僕の集落から見えるものの一つに、砂の塔と呼ばれている大きな塔がある。
周囲に見える遺跡の中では一番大きく、まるで天を目指していたかのようにそびえ立っている。かなり遠くにあるように見えるのにも関わらず、その存在感は圧倒的だ。もっとも、風が激しい日には砂嵐に隠されて茫洋としているが、たとえそうであっても”そこに在る”という感覚は残っている。
不思議なのは、その塔が銀砂の中に三つあるということだった。僕たちの集落からでは一つしか見えないが、銀砂を渡る旅人の中では、地図に表して結ぶと大きな正三角形ができる、というのが常識だった。そしてその中の一つが、僕の集落から見えているらしい。
更にそれを上回る最大の特徴とも言えるものは、そこからは、毎夜――…いや、夜が訪れるたびに声が聞こえるということだった。
声と言っても、話し声とかそういうものではない。何かの鳴き声だ。人間である僕たちが到底音にできないような声が聞こえてくるのだ。それは意識しないと聞こえないし、意識しなくても聞こえてくるような、奇妙な感覚がある。おそらく気付かないと聞こえてこないのだろう。それほど、自然と紛れてしまっているのだ。
かつて聞いた「星の翼」の詩みたいだった。あの詩は、いつも傍にありながら、どこにも無い。誰もが知っているけれど、誰も知らない。きっと似たようなものに違いない。
けれども僕たちはあの声を、詩とは違って、「夜の声」と言っていた。
何処から聞こえてくるのかもわからなかったが、僕にはどうしても「夜の声」が、あの塔から聞こえてくるように思えてならなかった。
だから僕は、あの塔に行った事があるか、旅人たちに尋ね続けた。
これから行くとか、行った事はあるけれど昼間だったからとか、そういう返答ばかりだった。旅人たちにとっては、わけもわからず塔に行くより、まずは休憩所であるこの集落に寄る方が最善なんだろう。
ちらほらと噂は聞こえたが、僕の疑問は解決しなかった。
そんな時だった。
「夜の声」が、ぱったりと聞こえなくなった。
その代わり、奇妙な咆哮が響き渡った。
銀砂の中のどこかで鳴いていることは確かなのだろうけど、それは「夜の声」とは違い、不安を残すものだった。
初めは、「夜の声」の持ち主に何かあったのかと思ったが、あの咆哮はそれとは似ても似つかない鳴き声で吼えたてていた。毎夜決まった時間に狂ったように吼えたて、それは日を追うごとに長くなっていった。そして最初は集落の子供から、そして段々と大人たちの心の中へと入り込み、姿の見えない赤い咆哮に対する不安によって暗い影が落ちた。
何故赤いと思ったのかはわからない。
ただ、皆、もしあの声に色があったのなら、夕焼けのような美しい赤ではなく、不気味な泡のような赤い色だろうといったからだ。
そして、あの夜。
赤い咆哮が執拗に吼えたて、それがはっきりと聞こえてきたあの夜。子供だけでなく大人たち全員がその声に惑わされ、半ば恐慌状態、言うなれば狂乱状態に陥ったあの夜。
思えばあれが、咆哮の聞こえた最後の日でよかったと思っている。
それ以降、いくつかの集落と旅人の間で、あれは一体何だったのかという意見交換がなされたが、僕の関心はそこには無かった。
その日から数日がたったが、僕は変わらず、夜を迎える度に「夜の声」が聞こえない事に戸惑っていた。この銀砂から、あの不思議な声を持った生き物はいなくなってしまったのか。はたまた、考えたくはないが、あの赤く吼えたてる何かに殺されてしまったのか。
夜の声が無くても夜は訪れたが、その間に吼えたてていたものは、不安しか残さなかった。
僕はすぐに準備を始めて、砂の塔を目指した。
まるで、旅人のように。
集落を飛び出してから、どうして自分から行く事にしたのか、自分でも不思議に思った。でもおそらく、「夜の声」は子供の頃から聞こえていたし、親近感があったんだと思う。子供の頃からいつも聞こえているものが聞こえなくなるのは、通常とは違うものになってしまったって事だ。それに、あの真っ暗な夜に対して、怖いと思った事は一度も無い。あの赤い咆哮が響いた間を除いては。
だからこそ、あの「夜の声」をもった生き物が無事かどうか、確かめたかったのだろう。
砂の塔に「夜の声」の持ち主がいるかどうかもはっきりしなかった。けれど、結局のところ、向かわずにはいられなかったのだ。
僕は確信していたのだ。
あの塔の最上階に、彼らは住んでいると。
時折遠くで、砂が揺れた。サカナが砂の中を泳いでいるのだ。
砂漠は見慣れていたし、歩きなれていたけど、段々と集落を離れるにつれて、少しだけ不安が訪れた。
赤い咆哮がもたらした不安よりは遥かにマシだったけれど。
でも、自分の家、自分の場所を離れるという事がこんなにも不安なのかと僕は思った。ひょっとしたら――旅人が常に、誰か、あるいは何かを旅の連れに選ぶのは、そういう理由があるのかもしれない。旅の道連れは人かもしれないし、あるいは荷物かもしれない。身を守るものかもしれないし、移動が楽になるものかもしれない。
僕自身は旅人ではないから、想像に過ぎない。けれども、絶えず世界を流浪する彼らを支えているのは、案外その相棒なのかもしれない。
集落はどんどん離れていった。
視界の先には、砂の塔が見えている。
砂の塔はどんな目的で造られ、いつ、そして誰が造ったのか、全く知られていない。
僕らの間に伝わっているどんな出来事も、あの塔に関する事はほとんど無い。地図上で結ぶと三角形ができることや、全く同じ造りだという外観からして、やはり何か理由があって建てられた事には間違いなさそうだ。
でもおそらくそういうことは、今あそこに住み着いているのであろう生き物にとっては関係の無いんじゃないか。かつてがどうであれ、”今”、あの塔は、「夜の声」をあげる生き物の住処になっている。
それでいい。きっと。
砂の大地を、足をとられながらも歩いているうちに、砂の塔が少しずつ近づいてきた。砂霧の起きない時期でよかったと思う。あと少し遅かったなら、旅慣れた旅人でさえすぐに来るのは困難だと聴いている。
その外壁は簡素なもので、本当にただ単に煉瓦を積み上げただけに見えた。だが、それは見かけだけだ。いつ造られたのはわからないが、今でもしっかりとその外観を保っているというのは驚きだ。意外と年数はたっていないのかもしれない。それとも、こんなに頑健にしなければいけない理由があったかのどちらかだ。
塔の入口が見えてきた事を嬉しく思いながら、上を見上げた。何か生き物がいるという気配は、周囲に紛れてまったくわからなかった。もっとも、居たとしても見えないだろう。
そうしてようやく塔の前まで着くと、僕はなんともいえない気分になってしまった。
いつも遠くから見るだけの存在だった塔が、今目の前にある。午後の日差しが照りつける中、僕はしばらく塔を見上げていた。それからそうっと扉へと手を伸ばし、しっかりとノブを握った。
閉まっていたらどうしようと、少しだけ緊張しながらノブを回すと、扉は意外にもあっさりと開かれた。
まるで打ち捨てられたみたいだ。
ゆっくりと扉を開けると、広い塔の中に扉の音が響いた。僕は扉を開けたまま、一歩、塔の中に足を踏み入れる。
ざりざりと、少量の砂を踏む音が響いた。
塔の中はあっさりとした造りで、塔の内壁に沿って螺旋状に階段が造られていた。中は吹き抜けになっていて、上を見上げると、階段は最上階と思しき場所まで続いていた。
意外にも灯るく、そこで僕は、ランプや光石を忘れたことに気がついた。気がついたのと同時に、ほっと胸をなでおろした。これならば、日が沈まないうちにのぼってしまえるだろう。
中には少しだけだが砂漠の虫が居て、僕は彼らを踏みつけないように気をつけながら、階段へと向かった。
それでも、足もあわせれば僕の顔ぐらいあるんじゃないかという大きな蜘蛛にぶつかりそうになった時は、さすがに驚いた。とはいえ蜘蛛の巣が幾つかできていたとはいえ、それで全く通れないというわけじゃない。
僕はその度に気を取り直して、ゆっくりと階段をのぼっていった。
時折開けられた窓――というよりも煉瓦一つ分くらいの四角い穴からは、太陽の光が入ってきていた。至るところにこの穴はあったが、外を眺めるとか、風を入れるという目的で作られたのではなさそうだった。そのため、僕は穴から外を見るのを諦め、時折ある大きめのそれがあるのを楽しみにした。
3分の2ほどまでのぼったところで階段に腰を下ろし、背負ってきたナップサックの中から持ってきた食料を出した。
それは、旅人から貰った大きめの飴玉のようなものだ。名前は聞いたはずなのだが覚えていない。とはいっても飴玉ではなく、透明色で、同じく透明色の液体の入った球体だ。味は無いが、栄養もあって持ち運びに便利らしい。聞いたところによると。少し腐りかけになると甘い香りを発して、味も甘くなるのだそうだ。けれど今はそこまで待っている時間は無い。
僕はそれだけで簡単な食事を済ませると、少し休憩を取った。
それからまた、黙々と階段をのぼりはじめた。
半分くらいまでのぼってくると、ごくたまに入口のような場所があったが、中は崩れかかっていて、既にどんな目的で作られたのかすら判断できなかった。でも部屋数が極端に少ないところや、中に残っているものを見ると、少なくとも住居では無さそうだ。
本当に、一体もとはなんだったのか。推測すらできないなんて。
それからまたしばらく階段を登っていく度に、塔に作られた窓から入る光が変化していくことに気がついた。それは段々と赤くなっていっていた。太陽が地平へと近づいているのだ。地平近くへと沈んでゆく太陽が、はっきりとオレンジ色の光を放ちながらその存在を誇示していた。
そしてそれと同時に、奇妙な感覚を覚えだした。
僕が目指す、まだ見ぬ最上階にある、奇妙な気配。いつも知っている誰かが居てくれるような、覚えの無い約束をした誰かが待っているような、そんな感覚。
僕は少しだけ歩みを速め、期待を強めていった。もしかしたら、あの生き物に出会えるかもしれない。駆け上がる度に、何かの気配は強くなっていった。
もはや砂の塔は、あの生き物の為にあるのだ。僕はそう確信していた。過去、この塔がどんな目的で造られていようと、きっと世界の在り方が変わった時に、この砂の塔の在り方も変わったに違いない。
そうして僕は――最上階へと辿り着いた。
一歩足を踏み入れると、世界は薄闇に包まれて、遥か彼方で最後の太陽の光が消えうせようとしていた。
世界は藍色に染まっていた。
その中で、柔らかな月光が降り注いでいた。
まるで話に聞いた”劇場”の舞台のようだ。”舞台”を絵でしか見たことが無い僕でも、「これがそうなのだ」とわかった。いや、むしろ、各地に存在するという劇場というものは、きっとこの場所が最初なのだ。そう思わずにはいられない。
太古の劇場と名づけるに相応しいこの場所。
月の光に照らされて、おそらく風に運ばれたのであろう銀砂は淡く光っている。
その砂の真ん中で。
一匹の巨大な体躯が動いていた。
竜なのか、それとも蟲なのか――
大きな夜色の体と透明の羽を持った、金色の瞳の生き物が、招かれざる客である僕を見据えていた。細長い尾は竜のようだったけれど、節くれだっている体は蟲みたいだ。腹の辺りからしっかりと地についた六本の細い足。羽根は青色で向こう側が透けて見え、その中に葉のような筋が見える。
どちらでもあって、どちらでもない。
彼はその場にうずくまって、夜が来るのを待っているようだった。
大きな体を横たえ、背後の風景と同化してしまいそうな夜の色をした彼は、別段驚いた様子も怯える様子もなく、僕を見つめていた。
やがて彼は、僕など存在しないかのように視線を逸らした。彼にとって僕の存在など些細なものなんだろう。次第にゆっくりとその羽を動かし、僕は目を確りとこじ開けて、その動作の一つ一つを見つめていた。
ああ、夜が来た。
僕はぼんやりとそう思った。
彼がばさりと羽を広げた瞬間に、最後の太陽の残りが消えた事に気がついた。月光に照らされたこの場所では彼の姿は見えていたが、彼がここから飛び立てば、たちまち見えなくなってしまうだろう。
それが惜しいとは思わなかった。
彼は一声、鳴いた。
夜の声だった。
いつも耳に心地よく響く、夜の到来を告げる声だった。
そしてそれに呼応して、遥か向こうから同じ声が響いていた。
良かった。
ちゃんと、彼らは生きていた。
戻ってきていた。
僕はその事にとても安心した。
そして、彼と、別の場所にいる彼の仲間たちが――夜が先に来たのか彼らが呼んだのか――境目が曖昧なまま飛び去った時。そのまま闇夜と同化してしまった時。僕の意識はぷっつりと途切れたのだった。
それから僕の意識がはっきりしたのは、日の眩しさに目が覚めてからだった。辺りのどこを見ても彼はおらず、僕はまた夜まで待とうかとぐずぐずしていたが、しばらく待ってから荷物を持ち、塔を降りることにした。
僕が集落に戻ったその夜。彼らの声はちゃんと響いた。
僕は安心して、眠りについた。
うっすらとした意識の中で、僕は――…旅人も悪くないのだと、思い始めていた。




