氷嵐の姫
もふもふ帝国は、界隈では名の知れた深層ハンター中心の小規模クランである。
構成人数は十六人。メンバーの全員が深層に到達しており、うち四人は現状最深層である十二層にも到達している、凄腕の集団だ。
だからこそ、油断はなかった。ダンジョンというのは軽く命が消える場所だ。それを身をもって体感して体感して、なんとか生き残り続けたからこそ、こんな深くまでもふもふ帝国は潜ってこれた。
だからだ。だからわかる。
今日この場にいるメンバーに、死人が出る。
十二人で森林地帯へと足を踏み入れた。近くにダンジョン街ができつつあることもあって、潤沢な物資を抱えて余裕の攻略が可能であると踏んでいた。
実際、順調だった。かつてないほどに、スムーズに攻略は進み、目標である風を纏う狼をカメラに収め、なんならちょっと仲良くなってきた。大量のジャーキーを頬張り幸せそうな狼の様子を見て和み、目標達成ということで帰還しようとしていた。
事態が急変したのは、帰路についてしばらくの後からだった。
もふもふ男爵は今、唇を噛んでいた。
見渡す限りの惨状。なんとか死者は出ていないが、すでに動くこともままならないメンバーも数人居て、ヒーラーの手も足りていない状況。
前衛のメンバーの顔には疲労が見えており、後衛のメンバーは身体的な疲労こそ小さく見えるものの、飛び交う魔術の勢いは確実に小さくなっている。
攻撃に被弾してしまった者の鎧はボロボロであり、もはや身を守る役目を果たすことの出来ないただの重りにしかならない。
土に汚れた装備に所々血を付着させたその姿に、余裕など見て取れるはずもない。
間違いなく、パーティ全体が疲弊している。
祝いなことに、今は森の主たる狼が戦ってくれている。
ジャーキーの恩か、縄張りを守るためか、それともただの気まぐれか。
彼は疲弊した自分たちがあわや食い殺されるというその瞬間にこの場所に現れたと思えば、即座に奴へと飛びかかった。
「援護……は足手まといか。それよりも、なんとかして撤退しなければ」
黒い紋様が浮かぶ恐竜型の魔物にもふもふ男爵は杖を向ける。しかし捉えた次の瞬間には、魔物の姿はそこには無かった。
逡巡。出した結論は、援護射撃はかえって邪魔になるというもの。
それにもふもふ男爵はすでにマナをかなり消耗している。まだアンプルやポーションは残っているが、それに頼りすぎれば拒絶反応でさらに危険な状況へと身を落とす可能性すらある。
すでに軽度のマナ欠乏状態であり、マナ循環不全を発症している今、魔術の使用は極力控えたい。
「リーダー、どうしますか」
「どうもこうもない。撤退一択だ」
「でも今なら狼も───」
「確実に犠牲が出る。欲をかいて大切な仲間を殺すわけにはいかん」
副隊長であるスモモ桃からもたらされた提案を、もふもふ男爵は却下する。
鋭い目から何かを感じ取ったのか、スモモ桃もすぐに撤退の準備を始める。
スモモ桃の号令で、狼と恐竜の戦いを遠目に見ていたメンバーが集まってきた。
「スモモもももから聞いたと思うが、これより我々は撤退作戦を開始する。目標は生存。それ以外には何も無い。はぐれてもいい、とにかく生き残り、ダンジョン街で再度顔を合わせよう」
「リーダー、『も』が一つ多いです」
「……何か連絡事項はあるか!」
スモモ桃の言葉を無視し、もふもふ男爵は集った仲間達を見回した。
彼が違和感に気がついたのは、その時だった。
自分を含め後衛が四名、前衛が七名。今回の攻略に参加したメンバーは、全員で十二名。
ひとり、足りていない。
「……っち。あのバカはどこだ!?」
「狼との交流中、予備の食料を集めると離れたっきりで……」
「ああもう世話が焼ける!」
「想像以上に食べる狼にジャーキーをあげすぎていたので、食料収集には反対しませんでした……まさかこんな事になるとは」
「狼をかわいがり過ぎた俺の責任か……! くっそ、油断はなかったはずだが」
言ってしまえば、不幸な事故だ。
想定しろと言われてできるものでも無い。イレギュラーはイレギュラーだからこそイレギュラーという言葉なのだ。
もふもふ男爵が、はぐれた探偵ライオンに向けて通信する。反応はない。
気を失っているか、それともすでに死んでいるか、はたまた出られない状況なだけなのか。
少なくとも、報せがないのはいい報せと言える訳はなかった。
「私が探偵ライオンを探します」
スモモ桃がリュックの中を最低限の物資のみにしそう告げる。目に宿っているのは、責任感と覚悟の入り交じった色。
彼女は探偵ライオンの単独行動を許可した。副隊長として必要と判断した行為であれば許可を下す権限を持っていた。
断固として単独行動を許可しなかった自分に責任があると、彼女はそう思っている。
「……俺の責任だ。だから、俺があいつを探しに出る」
「リーダーはリーダー、つまり司令塔なんです。私よりも部隊を動かす能力は高い。ここは私が向かうほうがいいかと」
「────…………」
視線が下に向く。握った手を額に当てたもふもふ男爵はこめかみを数度親指で叩いた後に、判断を下した。
彼の喉を唾液が通り抜ける。口から音がこぼれるまでに、数瞬のラグ。
「スモモも。探偵ライオンの捜索を頼む。二人で帰ってこい」
「ふふ、今度は『も』が一つ少ないです……じゃあ、行ってきます。また後で合流しましょう!」
スモモ桃の瞳を真っ直ぐ見つめ、もふもふ男爵はしっかりとその手を握り、思いを託す。
頷いたスモモ桃の目には、強い意志が燃えていた。
「健闘を──」
轟音。
木々が薙ぎ倒された森の穴に、土煙が広がった。
冷たい風とともに、土煙が霧散する。
「んぁ。ちょっとズレた」
儚く、それでいて澄み渡った鈴のような声。
風に吹かれ靡く純白。はためく淡い色の外套。
まるで祝福されているかのように、彼女は光を纏っている。それは彼女のマナが影響した結果であった。
白んだ周囲の霜は、次第に形を成していく。
「ごめん、待たせた」
ちらりと振り返る瞳は、藍色。
ただ待ち合わせに遅れただけかのように、彼女はそう溢す。
空から、一筋の光が降った。横に伸ばされた手が、柄を握る。光の正体は、氷のような刀だった。
「被害は」
「──……」
「被害は?」
「……ぁあ、すまない。死者はゼロ。全員軽傷だ」
「そっか。よかった。あとこの人」
それだけ言って、探していた探偵ライオンを地面に寝かしたすぐ後、氷のような女はまた魔物へと向かい合う。
何かを取り出したかと思えば、もふもふ帝国のメンバーの足元には、花の意匠が象られた魔術陣が広がっていた。
みるみる傷が塞がっていき、どこか力が湧いてくる気さえする。あっという間に、絶望的状況は覆されていた。
「ふぅ──……ッ!」
息を吸う。息を吐く。白から膨れ上がった殺気。旋風。直後、空に咲いた赤い華。
瞬く間も待たず、乱れ咲くは血の蓮華。
もふもふ男爵のみならず、この場にいる全ての人間の目に、彼女は留まらない。
ただただステージが違うひとりのハンターの圧倒的な力量を前に、誰もが息を飲んだ。
「っはは……なんなんですか、アレ。ほんとに同じ十二層ハンターですか……?」
「まさに別次元、だな。自信がなくなる音が聞こえる」
「リーダーは弱くないですよ。というか私たちみんな強い、はずなんですよ」
目を離す。次の瞬間には、咲いた蓮華の数は三つ増える。
大型の魔物に対して有効なのは絶え間なく傷を与え続け、血とともに生命力を垂れ流させることという定石がある。
複数人で取り囲んで、とにかく攻撃を浴びせ続けて血を流させるのだ。
そんな作戦をたったひとりで。
突如、周囲のマナ濃度が爆増した。
腕に装着しているマナ濃度測定器の針が右に振り切れる。正常値の倍以上。
燐光が舞う。霜が降りる。
彼女の手が、光った。
「タフだね」
氷の剣がその巨体を乱れ穿つ。しかしまだまだといった様子で、恐竜型の魔物は敵対者を睨んだ。
とうとう、狼から女へと標的が変更される。
魔物は地響きを伴いながらその巨躯にて空気をうならせ、標的たる白い小さな影を叩き潰さんと、しばし開いた距離を一気に詰める。
単純な突進。フィジカルにものを言わせた超質量の攻め。
だからこそ強い。強い魔物は、強いから強いのだ。
巨躯を誇る魔物は、ただただ身体をぶつけるだけで圧倒的な攻撃力を生み出す。
透き通った氷が、完全にその衝撃を受け止めた。
澄んだ高い破砕音を響かせて、氷の盾は砕け散る。刀を握る彼女に、焦りはない。
またも彼女の姿が掻き消える。
吹きすさぶ冷ややかな風はが揺らす純白の髪に、次第に赤が混じり始める。
深層の魔物特有の、膨大な生命力ゆえの超速再生を上回る速度で、その体には深い傷口が増えていく。
誰の目も追いつかない。ただ一人を除いて、この空間にいるあまねく全ての者らは、その圧倒的な力と速度を前にただ呆然とするのみ。
「これが“銀狼”か……」
知ってはいた。深層ハンターの中でも上澄みの上澄み。
最強のハンターは誰かと言った論争に必ず挙がる都市伝説的存在にして、最近になってようやく表舞台に立ち始めた──本人的には不本意であるらしいが──ことにより日に日にその存在感を増しつつある迷安所属の実力者。
十二層の最前線をソロで探索し、数々のランドマークを攻略し、数多の攻略作戦にて単独による運用がなされるほどの規格外のうちの一人。
間違いなく、現代において最上位に位置するハンター。それが目の前の少女の様な女性。
話には聞いていた。なんなら、大規模攻略作戦の際には恐らく同じ戦場に並び立っていただろう。直近で言えば、十一層階層主であるヌルの討伐作戦の折。
しかし彼女の戦っている姿を、生でこの目でしっかりと見る機会なんてものはなかった。
ただただ凄い。言葉が何も浮かばないほどに、隔絶している。
憧れやら嫉妬やら、人間らしい気持ちも浮かんでこない。あまりにも目の前の存在が現実から離れすぎていて、ただ凄いという感想しか出てこない。
それと同時に、怖い。
どれだけの鍛錬を積んだのか、どれだけの死線を潜ってきたのか、どれだけの魔物を屠ってきたのか、どれだけの現場を見てきたのか、そしてどれだけの気持ちが、彼女をここまでの強さに押し上げたのか。
そのすべてが、怖い。ステージとしては同じ場所に立っているはずなのに、彼女と自分では生きている世界そのものがかけ離れているようで、怖い。
もふもふ男爵の目の前で行われているのは、蹂躙だった。
彼の目に映るシアのそのひとつひとつは全て、戦闘と呼べるほどの気負いを感じることができなかった。
命を懸けた戦いを、彼女は演じていない。
ただまな板の上のブロック肉を切り分けるがごとく、淡々と彼女は少なくとも地帯主に近しいレベルの魔物を処理していく。
彼女にとって、これはただの作業なのだ。積みあがったタスクの一つでしかなく、煩雑な書類たちの中にまぎれた小さな想定外のうちの一つでしかない。
彼女が見ているのはこの戦いではなく、勝利の後にどう効率的にタスクをこなすかでしかない。
「……はは」
「うそ、じゃないんだよな」
「マジか…………」
「うわぁ……うわぁ……!」
銀狼のギアが上がる。乱れ咲く蓮華は、その数を増す。
恐竜型の魔物が木々をなぎ倒してできた広場に、鮮血が撒き散らされる。噴き出た血の主である魔物は、さながらスプリンクラーのようになっていた。
「……タフだね。本当に。めんどくさい」
少し顔をしかめる。頬についた返り血を軽く拭ったその顔には、なにも無い。あるのはただ言葉の通り、めんどくさいというそれのみのように見えた。
実際、めんどくさいのだろう。一撃の火力に乏しい彼女は、生命力が高く強靭な身体を持つ魔物が苦手と聞く。それが本当なのか、こうして処刑もとい解体作業を見せつけられているもふもふ男爵としては信じることはできていないが。
「まだ上がんのかよ……!?」
「えっぐぅ…………」
「トップギアじゃねぇのそれで???」
「いやほんとに、自信なくしますね……………………」
もはや蓮華と表現するのは不可能なほどに、宙に血の華が狂い咲く。
とどめとばかりにさらにもう一段速度が上がり、魔物の断末魔が響き渡ったと思えば、森に静寂が訪れた。
激しすぎる連爆の直後に、余韻を残して空に消える、花火の様。
只中に立つ氷の姫君は、ため息を一つ。
刀を振るい、なにやら魔導具を取り出してマナを流したかと思えば、体中に付着した返り血は綺麗さっぱり消え去っていく。
「ふぅ……じゃ、これで」
「待っ────」
手を伸ばしたその瞬間には、もうすでに彼女の姿はもふもふ男爵の前から消え去っていた。
力なく、ただ現実感が無いために、その腕がだらりと降りる。
呆気に取られているのは、なにも彼だけではない。もふもふ帝国のメンバーはみな、どこか夢ではないかとすら思いぽかんと彼女の消えた空へと視線を彷徨わせている。
「いっちゃい、ましたね……」
「ああ………」
「なんか、助かっちゃいましたね」
「……ああ。そうだな」
もふもふ男爵とスモモ桃は、血で汚れた広場を見ながらそう溢す。
誰もが絶望した状況をひっくり返した救世主は、言葉を告げる間もなく飛び去って行った。
彼女のおよそ戦闘とは呼ぶことができない蹂躙劇は、脳裏に焼き付いている。
それは全てのクランメンバーが、同じことであった。
彼ら彼女らの瞳に映った彼女の姿は、魔物よりも恐ろしいものであったという。




