人助け
「安心して。すぐ終わる」
手ごろな岩を見つけて、その陰に少女を隠す。
うっすらと瞼を開いていた彼女は、私のその言葉に、どうやら安心を覚えてくれたようで、まるで糸が切れるように気を失った。
ちょっと心配だったので脈拍を確認してみれば、しっかりと生きていることを確認できるし、胸は定期的に上下しているようだった。ひとまず安心。
治癒魔術もしっかりと施した。
どうやら自然治癒力活性化のアンプルを投与していたらしく、私の治癒魔術の効きがかなりよかったのは、嬉しい誤算と言えるだろう。
どうやら時間的余裕は、かなり存在しているらしい。
といっても、五層級の魔物に苦戦なんてするつもりはさらさらないが。
:いける?
:イレギュラーってかなり強かった気が
「余裕」
不意に視界に映ったコメントに対して、一言。
どうやらギリギリで救助が間に合ったことで、ちょっとだけテンションが上がっているのかもしれない。アドレナリンとか、そういうやつだろうか。
とにかく、私は短く断言する。
:これでもシアは十二層到達者。層ボス攻略戦の常連でもある。しかもソロ専
:忘れがちやけど、ガチの精鋭ハンターなんやで
そういうこと。
最近はギルドからの依頼で上層の調査に赴くことが多いけれど、もともと私は深層をメインに活動しているハンターであり、ハンターとしての実力のボーダーラインとも呼ばれる十層を越えている、二桁到達者。
たとえひと月ほど最前線から離れているとはいえ、五層級程度の魔物にやられるほど、実力が衰えているはずもない。
それにしても。
「これ、まずいかも……?」
異常個体の中には、越層個体と呼ばれる個体が存在する。
特に環境が近い層同士で発生しやすい現象ではあるのだが、二層でそれが起きるとしたならば、大抵は三層からなのである。
というのも、層が下がるにつれてマナ濃度が上がっていくというダンジョンの都合上、マナ濃度の低い上層では下層の魔物を作るだけのマナを用意することが困難であると、現代の魔導学ではそう考えられているのである。
よっぽどの異常が霊脈に起きているというわけじゃない限りは、三層も離れた下層の魔物が出現することなど、まずありえない。
つまりは、よっぽどの異常が起きているということだ。
:クロクマか……これやばくね
:俺一か月くらいロロテア拠点にするわ
どうやらこの配信を見ているハンターたちの中には、気づいた者もいるようだ。
まず五層級の魔物が二層に現れることはない。現れるとしたら、マナ関連に異常があるか、下層にとんでもなく強い魔物が出現した結果魔物が流れてきたか、魔物が引き寄せられる何かがここ二層に現れてしまったか。
どれにせよ、これから、かなり大きい災害が起きる可能性が高まった。
もしそこで横たわる彼女がこいつを発見してくれていなければ、何の準備もなく、魔物が引き起こす災害に対応するような状況になっていたのかもしれない。
と、そんなことを考えていた私の耳に、目の前の熊が動く足音。
どうやら様子見していたようだが、しびれを切らして攻撃をしかけてきたようだった。
目の前に迫る爪を、上体を軽く逸らすことで躱す。
少し爪に触れた前髪が、私の目の前で宙に舞った。
「──“マナドライバ”起動」
左前腕に装着している黒色の腕輪に、水色のラインが灯り始める。
それに呼応するように、右中指、右薬指、左人差し指にはめている指輪が光り始めた。
親機である腕輪と、子機である指輪が、淡く水色の光を灯し、私の視界の端に、現在スロットにインストールされている魔術演算ユニットの種類が表示される。
右中指には攻撃系、右薬指には補助系、左人差し指には治癒系。
別に詠唱法だろうが思念法だろうが術式法だろうが、私のマナドライバには発動時に物理的なアクションは必要ないので意味など無いのだが、気分的に分類している。
ちなみにすべて氷属性だ。私のマナ適性が氷のため、氷属性魔術に統一してある。
そんなユニットたちから、“氷穿”の魔術を選択し、発動。
思念法ゆえに、詠唱や魔術名の発声は無し。ノーモーションからの三連同時射出。
不意を突いた三連撃だったのだが、しかしもともと魔術の適性がよくて中の上程度の私が放つそれは、大したダメージを与えるには至らない。
特に獣系の魔物に対しては、魔術名の発声、俗にいう短縮詠唱くらいはしないと、私のそれは大したダメージソースとはならない。
ただし、攻撃魔術は何も、攻撃するためだけに使うものではない。
獣型の魔物の弱点は、私たちと同じく、認識を基本的には五感で行っているところにある。
それがただただ弱点のみの部分であるとは言わない。五感に認識を頼ることによるメリットも、大量に存在している……が、しかし。
逆もまた然り。当然デメリットだってある。
知覚範囲の外側からのアクションに、獣型の魔物はめっぽう弱いのである。
といっても、そこは野生の勘とでも言えばいいだろうか。
別に耳が悪いわけでもなければ、近くの獲物の動きを捉える感覚が弱いというわけでも、当然ない。
今こうして私が死角からの攻撃を可能としているのは、ノーモーションからの三連魔術によって、それへの対処へと熊の意識をそらしたからに他ならない。
五感を持っている魔物は、えてしてどれか一つに集中してしまうのだ。
明確な脅威が目に見えて迫ってきていると、それから目を離すことが難しくなってしまう。これは、私がハンターとして常に五感を研ぎ澄ませている状態になるために訓練していた時にも感じ続けていた、生物としての基本的構造に近いといってもいい。
ボールを避けながら、聴覚で周囲の状況を知覚するのは難しい。要はそういうことである。そもそも人間は目に頼っているので、耳で空間を把握するのが難しいというのもあるが。
とにかくここで言いたいのは、視覚に集中させると、聴覚による認知が疎かになり、意識的なウィークポイントが増えるということだ。
注意の資源分配とでも言えばいいだろうか。有限のリソースをどこにどう割くか、学習による反射的な無意識の資源分配は、どうしても目先の脅威に偏ってしまう。
それを利用した、見せたいものに注視させ、見せたくない物を意識から外す技術。
マジックにおけるミスディレクションの原理である。
マナを一気に熾して、身体中に駆け巡らせる。
魔術を行使する際にはマナドライバが必須ではあるのだが、しかし体内でマナ操作を完結させる場合は、その限りではない。
ハンターの必須技能とも呼べる、マナによる身体強化。
ダンジョンに潜ったことによってマナが体に適応したことによって自然と身体能力は向上するのだが、そのメカニズムを解析し、意識的・能動的に発動可能としたのがこの身体強化術である。
その強化幅は、どれだけ身体のマナ適応が進んでいるかにおおむね比例する。
「“氷精の舞踏”」
そしてダメ押しに、機動強化の補助魔術を発動。
足周りの強化と、氷の足場をステップと同時に出現させることができるようになる魔術である。
まるで氷を踏み破るかのような、高く澄んだ音を響かせて、私の身体が一気に空中へと躍り出る。
腕を振って虚空から取り出したのは、二本の短剣。
何度も死線を共に潜り抜けてきた、私の相棒たちのうちの一つ。
そんな私の牙とも言える二本の短剣が、未だこちらに気づくことができていない熊のうなじに突き刺さる。同時に私は、内側から肉を裂くように、突き刺さる直前に用意していた身体の捻りを利用して、うなじから外側に広げるように熊の首を抉り抜いた。
しかしそれでも、致命に至ってはいない。ただ見るからに、目の前の熊は命の灯を枯らしかけていた。
さて、手負いの獣、という風な表現がある。
私たちハンターにとっても、最後まで油断はしてはならないという教訓として、深く根付いている言葉の一つだ。
しかし私は、それに対して常日頃から思っていることがある。
それはそう、つまり『手負いならば、さっさと片付けてしまえばいいのでは』ということ。
反撃の隙を与えなければ、手負いだろうがなんだろうが、関係ないだろう。
そのための準備が整っているとしたら、変に様子見なんてしてないで、とっとと仕留めてしまった方が安全で手堅い。というのが、私の考えだ。
そして今、仕留め切れる状況は、整っている。
「“絶対零度”」
右中指の指輪にインストールされた私の切り札が、私と岩陰の少女を除く一切合切を呑み込んで、半径十五メートルほどの冰獄を顕現させたのであった。




