天狼、夜空に瞬いて
目の前に聳え立つ黒い巨体と戦うこと、早五分ほど。
感覚としては、千年樹の樹冠にて対峙した──といっても私は対峙した瞬間に突き飛ばされているわけだが──あのドレイクよりも、強い。
つまり、私には到底かないっこない相手だ。
しかし、そんな相手に、立ち向かわないといけない理由があった。
それは私の後方。崩れた瓦礫の裏に隠れている、三人。
「お姉さん!逃げて!」
「じゃあ君たちが逃げてください!私はその後です!」
どうやら腰が抜けてしまったようで、その場から動けない少年二人と少女一人。
しかたないだろう。推定十層級以上の魔物が発するマナを受けて、たとえ二層生まれで二層育ちと言えど、魔物との戦いを経験していないだろう子供は、普通ではいられない。
ハンターとして半年弱ほど魔物と戦っている私でさえ、諦めろと本能が叫んでいるのだから。
ただそれを、最期まで足掻けという教えで誤魔化しているに過ぎない。
:ユイちゃんやばくない?流石にこれは……
:逃げても誰も責めないでしょ
:まず自分の命が最優先でしょ
「そうやって割り切れればここにはいないんですよねぇ……」
視界端、コメント欄に向けて。
なんだかんだ、どうやら自分には自己犠牲の精神というか、誰かを助けようとする使命感というか。
自覚は無かったけれど、とにかくそんな、優しさと呼ばれるものもあったらしく。
後ろでおびえる子たちを差し置いて、自分だけ逃げるというのは、どうにもできそうになかった。
保身に走れるほど、私は強くも弱くもなかったようだ。
真上から振り下ろされた竜の爪が、私の命を狙う。
避けることはできない。なぜなら私は、三人の命を背負っているから。
全力で強化した炎を纏った盾で、その爪撃を受け止める。
吹き飛ばされそう。受けれていることが奇跡のようなもの。
そもそもなぜ今こんなにも、マナが滾っているのか、よくわからない。
ただただ、全能感と高揚感。
背水の陣ゆえなのか、それとも火事場の馬鹿力ってやつなのか。
痛くて痛くて、でも誰かを守るために、そんな些末なものは感覚の外にすら追いやって。
滾るマナを全力で体中に回して、身体強化のレベルを一気に底上げする。
右手に持った盾にまとう炎は、次第に赤から青へ。
明確に、私のマナが活性化している。そんな感覚。
そのまま竜の爪を押し返した私は、顔面に一発炎弾をお見舞いしてみることにした。
ダメージは、ほぼ皆無。
かるく表面を炙った程度だろうか。
それでも、注意は引けたようだった。
それだけで、十分。
「今から全力で壁を張ります!立てないとか言わず、その間に何が何でも逃げてください!」
後ろに背負った三つの命に、そう叫ぶ。
できるだけ、覚悟が伝わるように。
この機を逃したら、次は無いとそう思わせるように。
感応の力に伝わってくる少年少女のマナは、揺れているようだったけども。
でも確かに、このまま逃げることを決意してくれたような、そんな雰囲気を感じた。
ならば精々、足掻きに足掻いて時間を稼ぎまくるとしよう。
「私、憧れてる人がいるんです」
口から、自然とこぼれた。
誰に向けてかはわからない。
後ろにいる子たちに向けてか、配信を見てるリスナーに向けてか、それとも自分自身に向けてなのか。
自然こぼれた語り。だけどそれが、私に勇気をくれる。
“ひとりきりの勇者”起動。もしもの時のために、私が買っておいたユニットだ。
まさか、こんな早くにお披露目となるとは思わなかったけど。
魔術の起動によって、マナが一気に減っていく。
もはや残っているマナは極々微量。
マナ循環不順。マナ欠乏による発症。でも、無視してしまって構わない。
なぜならこの魔術は、逆境に陥れば陥るほどに、効果を増していくのだから。
小盾に炎が集っていき、大きな青い炎の盾へと変貌する。
剣には纏わせない。守ることだけに特化した、そんな形態。
マナは枯渇して、体力は底を尽いていて、ポーションもアンプルもすべて使い切ってしまっていて。
そんな極限状態でも、私の瞳の奥に映る巨大な竜の影は、これっぽっちも恐ろしいと思えなかった。
圧倒的なまでの生物としての格の違いを突き付けられているというのに、それでも私の瞳は、彼の竜を視界の中央に映し続け、私のこの足は一切の震えもなくこのロロテアの地面を踏みしめている。
既に枯渇して久しいというのに、いつも以上に漲っているマナは、私の燃え盛る闘志をそのまま表現しているかのようだった。
「まるで真っ暗な夜を照らす星のような人なんです」
思い浮かべるのは、私が彼女に救われたその瞬間。
漠然とした思いで潜っていて、調子にも乗っていた未熟なハンターだった私に、絶対に揺るぐことがないであろう目標と情熱と、信念をくれた人。
私がハンターとして生きるための、確固たる理由をくれた人。
強くなりたいと、そう心から願わせてくれた人。
「薄氷のような瞳は、よく見れば実際にはとっても温かくて優しくて」
あの日あの時見上げたその姿は、まるで天上に煌めく星が、そのまま降ってきたかのようで。私のために神が遣わした、救いの天使のようで。
でも決して、ただ単純なヒーローってだけではない、そんな女性。
「クールなように見えて、実際はちょっとコミュニケーションが苦手なだけだったりとか、ダンジョンの中の道は完璧に覚えてるのに、外ではすぐに迷子になったりだとか」
甘いものが大好きで、店頭のケーキをほとんど全て一人で食べちゃったり。
案内役を買って出てるくせに、スマホを見ながらうろうろと目的地に向かったり。
どこか雲の上の人だと思っていたら、人間らしい部分もしっかりあって。
ダンジョン内では私の知る誰よりも強いハンターなのに、ひとたび街に出れば普通の人とはズレまくってる感性とか、超が付くほどのポンコツ加減で、どこか守ってあげないとなんだなんて。
何様なんだって思われるような気持ちも植え付けてくる、ちょっとかわいらしい少女のような女性。
のくせに、年齢で言えばしっかりとお姉さんだったりと、何かとギャップが激しくて、こっちの感情を乱高下させてくる、私の一番星。
「声はか細くて消えてしまいそうなのに、随分と小柄で華奢なのに」
一緒に並ぶと、まるで年下かとも思えるほどに、体の小さな彼女。
見かけによらず、結構な量を食べてしまう、ちょっと大食いの彼女。
人が多いと、目に見えて端っこの方で縮こまってしまう、人が苦手な彼女。
甘いものが大好きで、気が付けば何かしらのお菓子を買っている、甘党の彼女。
「とても強くて、冷たくて、よく見れば柔らかくて暖かい、そんな人なんです」
銀色で、月の様な外見とは裏腹に、放つ光はとても強くて。
その光で焼いた人々の目を、一気にかっさらっていって。
なのに本人にはまったく自覚なんてなくて、次々に光に焼かれてしまう人を増やし続けていく、そんな彼女。
本人はSNSなんてやらないから、自分から気づくことなんて一生ないんだろうけれど。
個人的に『シア』の評判を調べてみた時なんて、それはもう凄かった。
そんな彼女に、私は憧れてしまったから。
誰よりも輝く、星のようなあの人みたいに、どこまでも輝き続けるハンターになりたいと、そう思ってしまったから。
そして、どこか孤独を抱え続けるあの人の隣に、立っていたいと思ったから。
あの人の帰る場所、拠り所のひとつになりたいと、そう思ったから。
かならずあの人の隣に立ち続けると、そう決意したのだから。
ここで死んでやるわけにはいかない。だから、足掻いて足掻いて足掻きまくってやる。
みんなみんな守り抜いて、やばかったねって言いながら竜の肉を囲んでの大団円。
そんな未来のために、どこまでも踏ん張ってやる。
切っ先は震えない。視線も、足も、気持ちも。
なにもかも、全てが真っ直ぐ、目の前の竜の、その先へ。
私が憧れた彼女は、たとえどんな状況でも、たとえどんな茨の道だったとしても。
きっと、自分の後ろに立つ誰かを守るために、その小さな体で立ち塞がって見せるから。
「助けを求める人の前で膝を折るなんてこと、死んでもしてやりませんからねッ!!」
私が憧れたお星様は、きっとこうするはずだから。
直後、空。
どこまでも広がる、夜空。
「ごめん。待たせた」
そんな夜空に、またひとつ。
銀色に輝く一筋の彗星が、輝いたのだった。




