前夜祭の前夜祭
そこからの展開は、初めて迷宮災害を経験する私にとって、怒涛の一言に尽きる物だった。
ギルドから緊急事態宣言が発令され、ダンジョン内に設置されたスピーカーや個人所有の端末からアラートが鳴り、ギルド職員とベテランハンターの声が飛び交う、戦場よりも緊張が張りつめた、そんな雰囲気。
ロロテアのギルド庁舎を拠点にした作戦会議に呼ばれた私は、その最中ただそこにいるだけの存在で、参考人としての立場でありながら、私への専門家の質問は、全て山岡さんや私についてくれたギルド職員の川原さんが答えてくれる。
五か月ちょっとしかダンジョンに潜ったことのない私は、この異常事態の真っただ中で、ただただおろおろとしているだけの、駆け出しのひよっこだった。
ロロテアに『第二層迷宮災害対策本部』と名付けられた作戦本部の中で、私はとにかく、自分でも正体のわかっていない“感応”の力を使い、各地に出現したような気がする異様な気配を探り続ける。
学者先生曰く“マナ特性”の一種であろうと判断された私の能力は、この災害において、異常個体の探知が機械的に行えるようになるまでの、つなぎのようなものだった。
いきなり『本防衛作戦の要となるだろう』なんて言われても、そんな実感なんて湧くはずもなく。
しかしそんな私の心情とは裏腹に、私の特性を理解した瞬間、途端に精度と感度が今までの数倍に跳ね上がったために、否応なくそうであることを突き付けられているようで。
プレッシャーに負けそうになりながら、しかし誰かを守るためにこの力を存分に振るうことは、振り回され続ける私の支えにもなっていた。
十二層級のマナを検知してから、数十分。
なにやら言い争う山岡さんの声を聞きながら、私は次々に現れる強大な魔物の気配を受けて、参謀部への報告を絶え間なく行っていく。
明確に流れが変わったのを感じたのは、しばらくそれが続いた、そんな時だった。
「ッ!水瀬さん!」
ぞわりと、いくつもの害意を持った視線が、私のことを貫くような感覚。
いや私というよりも、目標はこの街、ロロテアだろうか。
邪魔だ。壊してやる。攻め落とせ。何重にも重なる、しかしおおむね一致する、そんな害意の交錯。
「どうしたユイ君!」
メガホンを持ち、絶え間なくハンターや市民、ギルド職員に対して指示を飛ばし続けている、参謀長の水瀬さんに対して、異常を感じたことを伝えるべく、声を張り上げる。
索敵が私頼りの現状、水瀬さんは私の呼びかけには、なにを置いてでも応えてくれる。
「大量の魔物からの敵意を感じました!一斉に向かってくる……気がします!」
「どれくらいだ!?」
その言葉に、感応能力を一気に高めていく。
私のマナ出力の限界を叩いたところで、全容がつかめたような気がした。
言いたくないけども、言うしかない。
「……全部、です!感知できるものは、全部こっちに向かってます!」
「了解した!聞いたか諸君!直ちに防衛体制を敷け!時間は無いぞ!」
その言葉が想定外だった。
もうちょっとうろたえるとか、そういうのがあると思っていた。
どうやら、私が思っているよりも、この街の人々は強いみたいだ。
緊急招集に集まったベテランハンターや、この街を拠点にしている敏腕、他にもハンターではないが、この街に暮らし生きている人が集まった実動部の人達が、一斉に外壁へと走っていく。
そのほとんどがマナ適応が進んだ人たちで、まるで人とは思えない速度を出しながらの行動は、戦闘機の一斉離陸を見ているようだった。
この街の住人も、多少こういったことに慣れているのか、庁舎のすぐそばにある広場では、早くも炊き出しなんてものをやっている主婦たちの集まりも見られる。
子供だって手伝いながら、この前代未聞の迷宮災害を乗り越えようとしていた。
「ユイ君、魔物の種類は感知できるか?」
「共通した気配はあります。おそらくは、竜種……かな、と」
そんなことを言ってみれば、水瀬さんは一瞬驚愕に顔を染めた。
確かに、第二層で竜種が大量発生するなんて、普通じゃない。最初から普通じゃない状況なので、この程度では私はもう驚かないが。
いい加減この異常事態が以上の中でも特級の異常なことに慣れてきつつあるのか、私の発言を聞いたハンターも、職員も、災害対策本部が設置されたその時と比べれば、反応は薄かった。
「第二層で竜種のスタンピードか……歴史に残る大災害だな」
スタンピード。
ハンターの資格を取る際に、座学で教えられた、迷宮災害の一種だ。
ダンジョン内のマナの濃度が規定値を超えた際に発生することがある、魔物たちの大侵攻。ダンジョン街に対して魔物が押し寄せる魔物性災害。
マナの活性化によって凶暴性と能力が増した魔物が押し寄せる、迷宮災害の中でも特に危険度の高いもので、最低でもレベル4のアラートが鳴らされる。
そんなスタンピードが、ただでさえ単体でも強力である竜種によって引き起こされるなど、前代未聞だ。
文句なしのレベル5アラート。近年稀に見る大災害。
と、未曽有の大災害を前に緊張感が高まる中で、とても嬉しい報告が技術部から上がった。
「異常個体特定用チューンアップ、完了しました!」
その報告に、参謀部から小さくない声が上がる。
私も、少しばかり気が抜けてしまい、力が抜けてふらっとしてしまった。
絶望的とも言える状況の中に、決して大きくはないが、しかしさして小さくもない希望が芽生えてくるのを感じる。
索敵が機械化できるようになったことで、幾分か楽になったことは事実だ。
これで私も、少しばかり休むことができる。
十二層級のマナを検知してから一時間も経たずにマナ測定器の改造を完了してしまった技術部の能力の高さに、驚くばかりだ。
「よし!諸君!技術部がやってのけてくれたぞ!実動部も意地を見せつけてやれ!さあ、ユイ君は存分に休め。川原君、案内を頼む」
「ユイさん、こっちです。専用のテントを用意してます」
水瀬さんの指示で、私に休憩の命令が出される。
変な汗をかきながら乱れた息を整えている私の腕をとったのは、今日から私のアシスタントとしてついてくれるようになった川原さんだった。
災害対策本部が設置されている間は、私のサポートをしてくれるらしい、ギルドに勤める結構立場のある、スーツの似合うお姉さんである。
「肩、大丈夫です。もう歩けるので」
一度深呼吸して、リセット。
休憩とはいえ、気合も入れ直し。
感応能力がマナ特性ということもあり、私は常にマナを出力し続けていた。
たった一時間だというのに、体の中のほとんどのエネルギーを使い切ってしまったのではないかなんて感覚になるほど、疲れ切ってしまっている。
同時に、ひどくお腹が空いていた。
ポーチの中からフィナンシェを取り出し口に入れる。
いつも食べるより百倍くらい美味しい。特に糖分が染み渡るよう。
感応によって多少なりとも疲弊していた精神面も、一気に疲れが飛んでいく感覚。
今までよくても二層地帯主程度のマナくらいしか感知してこなかったために、いきなり下層レベルの魔物のマナを感知し続けているという状況は、無意識的に恐怖心が募ってしまっていたようだ。
気づけば三つくらい、食べてしまっていた。
マナを出力し続けると、お腹が減るらしい。
「にしても、皆さん案外冷静ですよね」
街の様子をちらちらと見ながら川原さんにそう言葉を投げてみれば、私より少しばかり目線の低い彼女が私に返したのは、色んな事を経験してきたのであろう瞳。
どこぞのソロ専十二層到達者みたいに、日本人からかけ離れた容姿をしているわけではなく、実に日本人らしい黒髪黒目の川原さんの、凛とした雰囲気と、どこか優しい雰囲気が混じる視線が、私を貫く。
かすかに、彼女のマナが揺れているような気がした。
「私はダンジョン生まれなんですけど、私が生きてきた二十数年でも、いろいろありましたからね。スタンピードだって、私が経験した分じゃ片足まで含めないと足りません。と言っても、竜種のスタンピードなんてものは、流石に初めて経験しますけどね。下層ならあるみたいですが、ここ二層ですし」
「はえぇ……」
事実、慣れてしまっているのだろう。
いわば、たまにあるお祭りみたいなものだろうか。
お祭りというには、ちょっと物騒だけれども。
「竜巣のスタンピードってことは、乗り切ったら竜肉パーティですね……?」
「──っふふ。一時間もぶっ続けでマナ出力を続けてましたもんね。美味しいお店、行きますか?」
ふと口を出てしまった言葉を、笑われてしまった。
初対面だと厳しい印象を受けたけれども、案外川原さん、フレンドリーな人なのかもしれない。
いまだ状況は絶望的だけれど。
なんだかいつもと変わらない街は、どこかお祭りムードに包まれていて。
この街も、この人たちも、この雰囲気も。
全部全部守り切って、竜肉だらけの大騒ぎをしてみたいなんて。
漠然と頑張ろうとしていた防衛戦に、ひとつ目標ができた瞬間だった。




