太陽が沈むよりも速く
ユイ視点。しばらくユイの視点で進みます。
走って、走って、走り続けて。
今までで一番速く駆けた私がたどり着いたロロテアの街は、とても千年樹の頂点に十層級の魔物が出たという事実が存在しているとは思えないほどに、平穏だった。
門をくぐり二層のフィールドに探索に向かうハンター。
ハンターを護衛に、なにやら素材の採取でもしに行くのだろうかと見える、見るからに戦闘は不可能だろう人達。
まだ年齢にすれば十と少しとしか見えないほどの少年も、軽く装備を着込んで草原に向かって歩いていく。
まるで何も、異常なんてないよう。
しかしコネクタによって視界に映るシアさんの配信では、異常個体との戦闘が、流れ続けている。
終始圧倒しているようにも見えるその戦闘だがしかし、楽観視などできようはずもない。
私の足は、自然に以前通った裏道を進んでいた。
ローブを着込んで、ブラックバザールの細い道を進んでいく。
ラーメン屋さんの隣の細道から、魔導具ではなく自分の足で建物の上へと。
そのまま少し遠くに見えるギルド庁舎まで、猛ダッシュ。
無我夢中で走って、走って、走って。
窓からではなくエントランスから入った私は、順番なんて無視して、受付へと駆けこんだ。
私を非難する声が、右から左へと通り抜けていく。
「シアさんから伝言です!山岡支部長はいらっしゃいますか!?」
「シア……?っ。し、少々お待ちください」
わたわたと、受付のお姉さんが奥に引っ込んでいく。
普段ハンターをしている中じゃ聞いたことがないような焦った声をこちらに漏らしながら山岡さんを呼ぶ声は、どことなく恐れも含んでいるようだった。
近くのテーブルに座ること、一分もしない短時間。
どうやら他の仕事を放り出して出てきた山岡さんが、私の姿を見た瞬間小走りで駆けよってくる。
その顔に、早く要件を告げろと書いてあるような、そんな気がして。
「とにかく、彼女の配信を!」
端的に、最も素早く状況を伝えられるだろう手段を告げれば、耳に着いたコネクタを二回叩く、山岡さんの姿。
そのまま慣れた手つきでいくつかの操作をしたのちに、みるみるうちに驚愕に染まっていく、そんな顔を見れば、ありえないことが起きている実感が、私の中にもどんどんと積もっていく。
「馬鹿な……!測定器を確認しろ!二層の隅々までを見ろ!」
山岡さんが焦った声で指示を出せば、私に向けて冷ややかな視線を向けていたハンターたちも、なにか良くないことが起きていることを察したようで、庁舎の中に広がっていく、ざわめきの波紋。
ギルド職員や技術者などがせわしなく動いていく様子に驚き、固まってしまっているルーキーたち。
かく言う私も、そのうちの一人だった。
「ユイ君。こっちに」
「は?はい!」
呆気にとられる私の耳に届く、山岡さんの声。
肩に置かれた手は、どこか気遣わし気で、細かい山岡さんの配慮なのだろう。
いまだ全然回らずとも、幾分かは冷静になった頭で、何が起こったのかをどう語るかを考えながら、山岡さんの後をついていく。
その間にも続く戦闘は、シアさんが一気に形勢を逆転させたところだった。
短剣と尻尾がぶつかり合い、吹き飛んだシアさんが、騙し討ちのように特大の魔術を発動する。
「ドレイクか……何が起こっているんだ」
「あの、シアさんは──」
「負けないな。十層程度の魔物じゃ相手にならない。それよりも、今この二層に何が起きているのか不明なことの方が怖い」
勝てるのか、そう聞こうと思えば、私の言葉の先を読んだのだろう山岡さんに即答された。
その瞳には、確かな信頼が浮かんでいる。
十二層ハンターとしての実力を知っているだろう山岡さんなら、断言できるのだろう。
私の心配というのは、杞憂というものだった。
「さて、ユイ君。まだ混乱しているだろうが、何があったか話してくれるか?」
そんなことより。
口には出していないけれど、まるでそう言っているかのように、きっと視界の一部分を支配しているのであろうシアさんの戦闘映像から意識を外して、山岡さんは私に報告を促す。
何を語るか、考えていたのだけれど。
「何が、と言っても……フォルティアを倒したと思ったら、突然シアさんに突き飛ばされて、そのままここまで走ってきたので……あ、でも」
結局、私に語れることなんてなかった。
私はハンターになって、まだ五か月と半分くらいしか経っていない。
シアさんのように現場での経験が豊富でもなければ、山岡さんのように、色んな知識を蓄えているわけでもない。
けど、理屈も根拠も何もかも存在しない、報告と呼ぶにはいささか稚拙が過ぎるような直感と感覚だけは、肌が覚えている。
それは、私がハンターになったその時からずっと私を支えている、勘みたいなものだ。
私はいつも、相手する魔物のいろいろなことを、これで感じ取ってきた。
「あのドレイク、中身がありませんでした」
言っている意味がわからないのだろう。
一瞬、山岡さんはきょとんとした顔をした。
「中身……?血も肉もあるようだが……」
「はい。言葉にするのは難しいんですが、存在としての輪郭がぼやけてる、みたいな。そこにいるはずなのに、世界のどこにも存在しない、みたいな。とにかく、曖昧だったんです。マナの圧に圧し潰されそうなのに、その真ん中には核も芯もなにも無いみたいに」
そんな私の言葉を聞いた山岡さんは、とっかかりの無い私の発言に対し、真剣に思考を重ねているようだった。
情報にもならないようなものだろうに、顎に手を当て、黙り込んでしまう。
理詰めのように見えて、その実どこまでも感覚派なシアさんとの交流も深いらしいこの人のことだから、もしかしたら直感とかそういうのに、一定の信頼を持っているのかもしれない。
いつだったか一層の頃の職員さんも、ハンターの直感は過程を飛ばして正当を掴むことも多いとか、そんなことを言っていたような気もする。
ふとシアさんの配信を見てみれば、見たことのない真っ白な大太刀で、シアさんがドレイクの脳天を貫いている場面が映る。危なげのない勝利だった。
画面越しに見る彼女の動きの、一つ一つが洗練されていて。
研ぎ澄まされた刃の様な鋭さなのに、あまりに綺麗なそれは、まるで極まった舞を見ているような、そんな錯覚に陥る。
環境も相性も最悪だったはずなのに、序盤は確実に攻めあぐねていたはずなのに、少しでも目を離した隙に、怒涛の攻めから終幕へと、何をしたのか一瞬見失うかのような、そんな速度で。
戦闘開始の場面に飛ばしてみれば、戦闘時間は十分にも満たない短時間。
そんな時間で、深層一歩手前の第十層の魔物を屠ってしまう強さには、憧れるばかりだ。
と、過ぎ去った脅威に、一旦一息。
しかして、二層に立て続けに越層個体が、それも離れた層にいる魔物が出現しているという現状から、目を背けることはできない。
何かが起きている。その何かが何なのかはわからないけれど。
「…………?」
ふと違和感。肌をなでる、歪みのような、そんな違和感。
普段ダンジョンにいても感じることのない、初めて感じる感覚。
冷たくて、温かくて、浅くて、深くて、無限に広がる虚無のような、言いようも知れない謎の感覚。
流れるように、その場に留まり渦巻いている、何かの気配。
掴めるのに掴めない、不思議な触感。
「どうした、ユイ君」
「えっと……なんか、凄い不気味な何かが、現れました。多分……ですけど」
途端、ノックもなく扉が開いた。
制服を見れば、胸に着いたブローチは、技術職のもの。
そんな彼女が手に持っているのは、ダンジョン街に最低一つは配備されている、ダンジョンのマナ濃度を感知し測定し、その濃度を示すマナ測定器。
全体的に濃度が高いことは、すでに周知のとおり、だが。
「報告!マナ濃度測定値、十二層級です!」
「馬鹿なッ!?ありえないだろ!?」
見たこともないほどに振り切ったまま動かない針が、周知されている以上の異変をまざまざと突きつけていた。




