銀狼、昼空に輝いて
別に、ハンターズギルドの通達を、まったく聞いていなかったわけではない。
最近、どういうわけかは知らないが、通常よりも強い個体が第二層に出現しているという情報が、ハンターズギルドから全ハンターに対して、拡散されていた。
原因は不明。現在もそれは調査中であり、さらなる進展があったのならば、情報の精査を行ったのちに、真っ先に全ハンターへと通達するといった旨のメールが、三日前ほどに私のハンターズリンクのメールの部分に届いていた。
私はこれでも第二層を主に探索するようになってから、二か月ほどの時間を過ごしている。
確かにまだ駆け出しで、ひよっこで、ベテランハンターには到底及ばないことは重々承知していたけれど、だからと言って、第二層の魔物相手に後れを取るほど、私は弱くは無いと、そう思っていたし、実際に多少活性化している程度の二層級魔物なら、私一人だったとしても対処できるくらいには、最近の仕事は順調だった。
だから少し、調子に乗ってしまったのかもしれない。
基本的にハンターというのは、常に命の危険が付きまとう仕事だ。
それゆえに、ハンター同士での助け合いというのは、決して恥ずかしい事なんかではなく、むしろ、調子に乗ってソロで突っ走った結果大けがをしたりなんかすることの方が、よっぽど恥ずかしい事なのである。
まず第一に命。利益はその次の次の次くらいに考えるべき。
ハンターになったその日、どうやらベテランらしい少女からもらった教えだ。
そして今日、失念して背いてしまった教えでもある。
第二層級の活性化魔物程度なら、私一人でもなんとかなる。
それならば、今まで行ったことのない場所に行っても、なんとかなるだろう。
調子に乗った私は、ギルドから最近の二層は危険であるという情報を受け取っているというのに、それを完全に頭の外に追いやって、能無しと蔑まれてもまったく文句は言えないような判断をしてしまった。
たとえ未踏の領域に向かうとしても、せめてソロではなく、パーティを組んでいれば、もう少し違った結末になっていたのかもしれない。
あるいは、第二層の草原地帯に出現する魔物の一覧を確認しておけば、目の前に広がる異常に、気が付いていたのかもしれない。
:なんなのあいつ
:確かプラーミアグリズリー
:五層級の魔物じゃん。なんで二層の草原地帯に
:やだよ……最近順調だったじゃん
視界の端に映るコメントが、私の現在の状況が決して私の見ている幻覚ではないんだということを突き付けてくる。
いやもしかすると、このコメントすらも幻覚で、実際の私はずっとベッドの上で夢を見ているだけなのかもしれない、なんて。
そんな現実逃避をしたところで、夢から醒めるわけでもない。
「がっ──ッ!」
なんとかギリギリ、間一髪。
濃密な殺意を纏った爪撃を、右腕に構えていた小盾を体との間に挟むことで、致命の一撃からは外す。
しかしそのたった一撃で、私の盾と防具は、使い物にならなくなってしまった。
盾に守られた結果、なんとか骨が折れる程度に収まった右腕が、力なくだらんと垂れ下がる。もう、持ち上がることはなさそうだった。
救援要請から、どれだけの時間が経っているのだろうか。
私にとってはすでに数十分が経過しているような気がするが。
しかしまあ、そんなことはないだろう。だってこの熊本県のゆるキャラ擬きと相対してから、私に振るわれた攻撃は、二桁にも満たないのだから。
マジックバッグから自然治癒力活性化のアンプルを取り出し、右腕に打つ。
気休めでしかないのは分かっている。足は動くが、利き腕が木偶の坊と化した今、攻撃を防ぐなんてことはできそうもない。
それでも、生きることをあきらめないのは、先輩が教えてくれたもう一つの言葉があったからだろうか。
『最期まで、命が消えるその時まで、足掻いて見せろ』
どこまでも根性論な、どうしようもなく感情的な教えだ。
諦めなかったからと言って、目の前の現実がどうにかなるわけじゃない。現実ってのは、そんな甘くできてないし、未来なんてものは本人の行動に付随するものだ。感情だけでどうにかなるものなんかじゃ、決してない。
けど、なるほど確かに、根性論ってのも、悪くない。
結局人間、心が折れてしまったら動けなくなる。その点この言葉は凄い。
だって、最後までとことんやってやりたくなるのだから。
「……っはは、こんなところで、死んでたまるかってんですよ」
:────
なんて書いてあるのか、よくわからない文字列が、視界の端を流れていく。
次いで気が付いたのは、浮遊感に、視線の先に見える、熊ではなく空。
何かが壊れる、甲高い金属音。
結局、諦めても諦めなくても、結果は変わらなかったじゃないか。
そんな思いを胸に抱えながら、ブラックアウトしていく意識に身を任せようとしたその瞬間。
「ごめん。待たせた」
声を出すことに慣れていないのだろう、極々小さく、それでいてどこか儚げで消えてしまいそうな、そんな声だった。
先ほどとは少し違う浮遊感。足をしっかりと付いているかのような、安定感。
草木が背をなでる感覚とともに、冷たい温かさという、どこか矛盾したような感覚がして、私の体の中に何かが流れ込む。
消えゆく命の灯が、一気に復活するような感覚。
まるで深い海の底でおぼれていたところを、一気に引き上げられたような感覚。
一体こんな絶望的な状況に現れたヒーローは、どんな人物なんだろうと、うっすらと戻った意識に任せ、閉じていた瞼を開く。
どこか超然とした雰囲気を纏う少女をこの目に映したのは、それが初めてのことだった。
薄氷のごとき瞳。そんな瞳を縁取る、少し伏せられた長い睫毛。
月明かりをそのまま宿しているかのような、白銀色の長い髪。
少女のようであり、大人の女性のようでもある、どこか掴みどころのない顔。
まるで深雪の中から生まれてきたかのような、真っ白な肌。
「安心して。すぐ終わる」
まるで時が止まってしまったかのような私の視界の先では、天使のような少女が、氷を纏いながらこちらを見下ろしていた。




