よくないこと
「見てくる」
突如十二層級のマナの出現をその身に感じて、数秒後。
今頃支部長室で忙しくしているのであろう山岡に向けて、私はそう言い放った。
『なっ……無茶だろうが!いくら白織とはいえ、連戦の直後だぞ!?』
「私以外、いるの?」
そう問えば、山岡はしばし黙り込んでしまった。
きっと、心の中でいろいろな思いがぐるぐると渦巻いているのだろう。
山岡にとって、私を偵察に向かわせるのがどれだけ酷なことなのかは、理解しているし、友人として特別に思われていることも、わかっている。
それが自惚れではないことは、今も支部長と山岡の間で揺れて指示を出せない彼を見れば明らかだった。
「…………ん」
『絶対帰ってくる』なんて、そういうことを言おうかとも思ったが、やめた。
人生に絶対はない。私がこの先で死なないことは、約束できない。
それにこの言葉は、彼にとって消えることのない深い傷だから。
彼が彼であるための戒めであり、呪いだから。
私が私であるための戒めであり、呪いだから。
指示は待たない。私はフリーランスのハンターだ。
最近はギルドからの調査依頼をこなしていたが、元来私は依頼無しにダンジョンを駆け回ることの方が多い、自由奔放な放浪者。
スポンサーも所属も断り続けた先に、今の私がある。
ダンジョンに設置されたスピーカーから、ダンジョン街への避難指示が飛ぶ。
ギルド発の、緊急事態宣言。明確に、この現状を異変であると、ギルドが公表した。
混乱だとか、そういうことは言ってられない状況だというわけだ。
:二層に規格外のマナ反応だってさ
:下層以下到達者の招集もかかってる
:レベル5マジ?
:何年ぶりだよ
『…………非常アラートのレベル別の対応は、ハンターの基礎知識だが』
「現場の人間の判断なんだけど?」
通話越し、私と山岡の声が険しくなっていく。
きっと私の怠け者の表情筋は、こんな時でもあまり仕事をしないのだろうけど。
それでも、いつもより幾許か滾る感情が、隠しようもなく外に漏れているのは、自覚できた。
きっと今、私は珍しく怒っている。
『レベル5だ。例外はない』
「フリーの私に、ギルドの強制力は働かないよ」
『十二層だぞ。お前でも死にかねん状況だろうが』
「私がここで行かなければ、人死にはさらに増えるけど」
『止まれ。足を止めろ白織藍莉。ロロテア支部長として──』
「だから、私はフリー」
千年樹の幹を、枝を伝いながら飛び降りていく。
森林地帯の地面を踏みしめた私の足は、次に氷の足場を踏み抜いた。
一気に空中に躍り出た私の視界の先に、第二層北部山岳地帯が映る。
最高速。出し惜しみはない。どうせ私のマナ運用効率は、ずば抜けている。
疲労は確かに多少あるが、ドレイク一体とフォルティア一体程度で戦えなくなるほど、やわな身体はしていない。
それに集中力は、これ以上ないほどに冴え渡っていた。
『戻れ!大規模な偵察隊を組んだのちに向かう計画でいいだろうが!』
「それ、何人死ぬ?」
『万一お前が死ねば、その方が損失は大きい!』
「人の命に価値の重さなんてない。山岡の言葉だよ」
『止まれ。止まるんだ藍莉!危険すぎる!』
「…………」
『いい加減にッ!この自己中頑固女が!』
「融通利かない過保護男」
『お前が一人で危険な独断専行してるんだろうがッ!』
「じゃないと人が死ぬ」
『お前が死ぬ可能性だって!』
「そうやって最終的に私情が来るの、やっぱり支部長向いてないよ、山岡」
『向かってるのがお前だからだろうが!』
「誰だろうが関係ないでしょ。個人のために死傷者の数を考えられない時点で、山岡はトップとしては三流もいいとこ。白織藍莉一個人のために動くな」
『…………くそ。何も言い返せん。だから嫌なんだよこういう時のお前は』
その時、通話の向こう側でドアが開かれる音がした。
あわただしく職員が動く音が、通話越しに私の耳に届く。
どこも、余裕なんてない。
端末を見れば、大量の救援要請があふれかえっていた。
『……死ぬな。帰ってこい。絶対だ。帰ってきたら三時間の正座は覚悟しておけ』
「私は山岡の部下じゃない。ってことで正座もしないし返答もしない」
『ああそうかよ…………救援要請にはギルドから精鋭を送った』
「そっか。ありがと」
そうして、山岡との通話が切れる。
耳に残るのは、ごうごうと空気を切りながら飛んでいく音だけ。
今まででも最高のレベルの速度を出しながら空を駆ける私の視界は、まるで世界が全て線でできているかのような、ブレブレの映像だった。
マナ感知に任せて、“隕鉄の窪地”に向かって駆けていく。
何度肌に突き刺さっても異質としか言いようのない感覚に、普段息をしていない恐怖心のようなものが若干なりとも湧き上がる。
それを上回る闘争心によって、即座に上塗りされたが。
急静止。慣性を無理やり抑え込んで、空中に立つ。
明確に雰囲気の違う山岳地帯のすぐ手前、森林地帯との境目で、私は一度周囲を見渡した。
遠くロロテアの門から飛び出している、いくつもの小さい影。
どうやら言った通り、救援要請は任せてもよさそうだった。
:窪地か?マナ反応の爆心地じゃね、そこ
:ギルドから召集かかったわ。二層の救援要請に向かってくれだと
:俺来てない。中層レベルだからか?
:いくん?
「もちろん、行く。私以外、いないから」
自信もある。勝算も。未知の相手だろうが、確実に通用する手札は、持っている。
極力それを使っての勝利は考えないが、少なくとも確実に相打ちには持っていけることが、私は確定している。
最良は、それを使わずに勝つこと。次点で、使っても私が死なないこと。
最悪だとしても、十二層級は始末できる。
異界収納に入れている、二丁の銃を腿のホルスターに挿しこむ。
私の制御力、運用効率ですら消費に回復が追い付かない、じゃじゃ馬だけれど。
だからって、出し惜しみしていられる状況じゃないことは、確か。
一陣、風が頬をなでた。
冷たい、冷たい風だった。
火照った体と思考を、どんどんとその風が冷やしていく。
冷えていけば冷えていくほどに、深く深く潜っていくような感覚が身を包む。
そんな吹き付ける雪風が、どこか存外心地よかった。
明日十時、六連投させていただきます。




