職員室にて
「今回は粒ぞろいだな」
浜口大吾が、バインダーを見ながら呟いた。
この浜口、坊主頭で目は細い。体は大きく、身長百八十センチで体重は百二十キロという偉丈夫だ。着ているTシャツが、今にもはち切れそうな体格である。
彼は学生時代、柔道に打ち込んでいた。好成績を収め、オリンピック代表候補に選ばれたほどの腕前だ。もっとも、とある事情によりオリンピックには出られなかった。
その後は教員免許を取り、体育教師となる。だがタチの悪い生徒たちに挑発され、カッとなり全員に怪我を負わせてしまった。
その上、生徒たちにより一部始終をネットに晒され、浜口は暴力教師として教育界から追放されてしまう。だが、そんな彼に声をかけたのが友愛学園の関係者であった。
今では、友愛学園の教師となっている。そんな浜口が手にしているバインダーには、新入生の様々な個人情報が記載されていた。
顔写真に始まり、氏名、本籍、家族構成、中学時代の成績、所属していた部活動、身長、体重、趣味、嗜好などなど……これまでの生育歴などが、びっしり記されている。
本来なら、タブレットを支給しデータを送るのが手っ取り早い。しかし、ここではネットが使えないのだ。
午後二時の友愛学園職員室には、あとふたり教師が残っている。ふたりとも、浜口と同じバインダーを開いていた。実のところ、この三人は一年生の担当を任されるという栄誉を受けたのだ。
他の教師たちは今、授業をしているか、お気に入りの生徒を相手に憂さ晴らしをしているか、どこかでサボっているか、である。
「実に素晴らしいですね。人数こそ少ないですが、どれも素晴らしい。少数精鋭とは、このことですね」
同じく、教師である松山秀明が感嘆の声をあげる。
こちらは、浜口より若い二十八歳である。顔の造りは整っており、女性にモテそうな雰囲気である。身長百六十五センチ体重六十キロで、どちらかというと小柄な部類に入る。実際、彼にスポーツ経験はない。
松山もまた、教員免許は持っている。前の学校で問題を起こした点も同じだ。ただし、問題の内容は少々異なる。
この教師は、女子中学生に手を出したのだ。生徒と一緒にラブホテルから出てきたところを他の生徒に目撃され、スマホで隠し撮りされた後にネットに晒されてしまったのである。それがきっかけとなり、他の女生徒にも手を出していたことも明らかになってしまった。
当然、学校は松山をクビにした。淫行教師として顔と名前がネットに晒された以上、再就職は非常に難しいものとなる。今の時代、名前を検索するだけで様々な情報が得られてしまうのだ。松山の場合、どうあがいても淫行教師の烙印は消せない。
途方にくれていた彼に接触してきたのが、友愛学園の関係者だ。言葉巧みに松山を説得し、友愛学園勤務の教員へと変えてしまったのである。
今、松山が言った「少数精鋭」とは……四月から新しく入る女生徒たちのことであった。皆、どこかのアイドルグループにいても……いや、そのグループでセンターにいてもおかしくない美少女ぞろいである。これから起こることを思い、松山は舌なめずりをしていた。
彼らの勤めている『私立友愛学園』は、海に浮かぶ孤島・極楽島に設立された高等学校だ。
この極楽島なる名前の由来は、南国の色彩豊かな植物が多く生えているためだった。江戸時代に漂着した者たちが、あまりの美しさに「ここが極楽浄土か」などと言ったことから名付けられたと言われている。
特に、この島だけに咲く花『ラフィランス』は、白い花びらが特徴的であり、暗闇の中で青白く発光する不思議な性質がある。
島の面積は、東京都の八王子市とほぼ同じくらいの大きさだ。農作物は育ちにくい土壌で、そのためか長らく人の住まない島であった。
こんな孤島に校舎が建っているため、必然的に生徒たちは全て寮に入ることとなる。三年間、厳しい寮生活をしながら勉学に励む……建前は、そうなっていた。
入学試験はなく、学費は全て免除である。寮費や生活費なども一切かからない。実質的に、学校側が三年間の生活費を賄ってくれるのだ。
ただし入学の際、両親ないし後見人は、このような誓約書を書かされる。
(子供の身に何が起きようと、学園を訴えたりはしません)
そう、ここでは不慮の事故により生徒が亡くなることも珍しくない。
昨今の教育現場では、教師の体罰は禁止となっている。ところが、ここ友愛学園は違う。殴る蹴るは当たり前であり、いざとなればスタンバトン(電気ショックを与える警棒)まで用いられる。
生徒たちが反抗しようものなら、教師は壁に付いているボタンを押す。そうなれば、制服を着た警備員が集団で飛んでくるのだ。その時点で、生徒はすぐにおとなしくなる。
それでも反抗的な生徒は、ボコボコに殴られ蹴られ、反省室と呼ばれるガラス張りの独房に身ぐるみ剥がされて放り込まれる。そこで数日間、場合によっては数週間、全裸で生活することとなるのだ。
もっとも、反省室送りは罰の中でも甘い部類であった。死んだ方がマシだと思われるような目に遭わされた生徒が、ここには何人もいる。
実のところ、この友愛学園は……中学時代、下手をすれば小学校時代から問題を起こし続けていた生徒が集まる吹き溜まりだった。
薬物、売春、窃盗、暴行、強姦、恐喝、傷害などなど……あらゆる罪を犯す少年少女らの終着点が、この高校である。ランクとしては、少年院よりもさらに下であろう。
問題ばかり起こしている我が子にさじを投げ、義務教育が終了したなら、合法的手段で子供を厄介払いしたい……と願う親は少なからず存在する。
そんな親が、裏ルートを伝って友愛学園と接触するのだ。場合によっては、学園側から接触してくることもある。両親に何らかの便宜を図り、生徒を引き取るのだ。いずれにせよ、この学園に入れる時点で、両親は子供とは縁を切っている。
中には、この学園に入学することが決まった我が子に、高額の生命保険をかけた親もいたくらいだ。入学後すぐに子供は事故死し、両親と学校に保険金が支払われた。
「ところで、この灰野茂ってのは何者なんですかねえ? こいつさえいなきゃ、今年の新入生は完璧だったんですよ」
松山の残念そうな言葉に、浜口はバインダーをめくっていく。灰野茂のページを開け、眺めてみた。
写真には、黒縁メガネをかけた少年の姿が写っていた。気弱そうな表情を浮かべ、おどおどした態度でこちらを見ている。癖のある前髪はうっとおしく、見ているだけでイジメたくなるタイプなのは間違いないだろう。
この灰野茂は、今回の新入生の中でただひとりの男子生徒である。友愛学園は、一応は男女共学ということになっている。しかし、最近の友愛学園はもっぱら女子生徒だけを入学させていた。理由はというと……学園長とスポンサーたちの趣味である。
「ああ、そいつな。いわゆるヒキニートって奴だ。小学生の時からイジメられっ子で、やがて家に閉じこもり外出しなくなったそうなんだよ。中学生の時は、ほとんど通学してなかったらしい。両親は既に死亡していて、親戚も扱いに困っていたそうなんだよ」
浜口が答えると、松山は訝しげな表情になる。
「何で、こんな奴がウチに来るんですか?」
「そうなんだよな。ウチに入ったら三日で首吊りそうだけど、向こうがどうしてもって言って来てなあ。あの大泉泰道が、自ら動いたらしいんだよ」
「えっ! マジっすか!?」
松山か驚くのも、無理はなかった。
大泉泰道といえば、先ごろ二十七歳の若さで衆議院選挙に初当選し議員となった男である。身長百七十五センチ体重六十五キロのすらりとした体型に加え、外国人モデルのような整った顔立ちの持ち主だ。爽やかな雰囲気を漂わせており、弁舌にも長けていた。
選挙の際、大泉はその見た目で女性たちに注目され、話題を集めた。さらに、ネットを利用した選挙活動で若年層からの注目も集める。支持層は、瞬く間に増えていった。
結果、公職選挙に必要といわれる「地盤看板鞄」無しで当選してしまったのである。
ちなみに、選挙資金は全てクラウドファンディングで賄ったらしい。
「ああ。大泉は、灰野の遠い親戚なんだってよ。学園長に、頭を下げて頼んだって話だぜ」
浜口が言葉を返すと、松山の表情が歪む。
「凄いですね。じゃあ、ヘタに手を出せないじゃないですか」
「そうなんだよな。出来ることなら、せめて高校くらいは卒業させてあげたいんです……と言ってたらしい。その代わり、こちらも出来る限りのことはしますとも言ってたそうだ。だから、不慮の事故で消えるってパターンはマズいみたいだな」
「マジっすか? それじゃあ、こいつはVIP待遇にしないといけないんですか?」
「いや、そこまでしなくてもいいよ。死なない程度に痛めつけるのは構わないらしい。大泉も、遠慮せずにビシビシしごいてやってください。生きて卒業できれば問題ないですから……って、笑いながら言ってたそうだ。ま、今んとこはウチの用務員候補だな」
「それ聞いて安心しましたよ。にしても、あの爽やか系イケメン議員が友愛学園を知ってるとは思いませんでした。あいつ、かなりの悪党なんですね」
「当たり前だ。でなきゃ、二十七で議員になんかなれねえよ」
訳知り顔で、浜口が答えた時だった。
「この灰野だが、本当にただのヒキニートなのか?」
不意に口を挟んできたのは、谷部雅人である。
浜口と松山は、思わず顔を見合わせた。この男が、ふたりの会話に入って来るのは珍しい。
「谷部さん、どうしたんですか?」
松山が、恐る恐る聞いてみた。
この谷部雅人、三ヶ月ほど前に友愛学園にやってきた。問題児……いや犯罪者ぞろいの教師たちの中でも、異色の存在である。
なにせ大学を卒業後、海外で傭兵になり各地の戦場を転々としていたという男なのだ。当時のことはあまり語ろうとしないが、戦争経験者であるのは間違いなさそうだ。
十五年ほど傭兵として活動していたが、帰国するなり、何を思ったか教員免許を取り高校教師となる。だが、一月もしないうちにとんでもないことをやらかしてしまった。
ある日、谷部は校内でふざけていた生徒を取り押さえた。いや、取り押さえたなどという表現は適切ではないだろう。生徒は片腕をへし折られ、さらに絞め技で気絶させられたのだ。これは、もはや体罰などというレベルを超えている。学校は、谷部をクビにした。
後にわかったのだが、件の男子生徒は校内にエアガンを持ち込み、他の生徒たちを撃っていたのだ。当人にしてみれば、ウケを狙ってのイタズラだったのだろう。
ところが、それを見た谷部は気でも狂ったかのような勢いで男子生徒に襲いかかっていったという。一瞬にしてエアガンを取り上げ叩き壊し、生徒に重傷を負わせてしまったのである。
学校は、すぐさま対応した。まず、谷部に懲戒解雇という処分を降す。また、保護者会やマスコミの対策にも動いた。そのため、大事にはならなかったのだという。
その後、谷部は心療内科にてPTSDと診断された。校内でエアガンを撃つ生徒を見た瞬間、戦場の記憶が蘇ってしまったらしい。
そんな谷部に声をかけたのが、例によって学園の関係者である。やがて友愛学園の教師となったが、今も時おり奇妙な言動をとることがある。教師たちの間でも、腫れ物に触るような扱いを受けていた。
「この灰野ってガキ、おかしいぞ。何かありそうな気がするんだよな……」
低い声で、谷部は答えた。彼の顔は造りが濃く、肌は日に焼けており日本人には見えない。髪は常に短く刈り上げており、見た目から受ける印象は軍人そのものである。
その鋭い目は、じっとバインダーへと向けられていた。ひょっとしたら、灰野の写真を見ているのだろうか。アフガン人と間違われそうな濃い顔には、何やら思案するような表情が浮かんでいる。
浜口と松山は、またしても顔を見合わせる。おかしいのはお前だよ、何を言っているんだ……と、心の中でツッコミを入れていた。
だが、谷部はそれ以上は何も言わなかった。
・・・
極楽島には、あちこちに防空壕の跡地がある。第二次大戦の時、米軍との激しい戦闘が行われ、大勢の日本兵がここで自決したとも伝えられていた。
この極楽島の奥地には、かつて陸軍の生物兵器研究所があったと言われている。もっとも、日本兵の自決と共に研究所も爆破されてしまった。今では、跡形も残されていない。
その夜、極楽島の海岸にひとりの男が上陸した。ダイバースーツを着ており、背は高い。顔から見る限り、欧米人のようだ。ダイビング用の空気タンクを背負っているが、問題なさそうに歩いている。
男は、島の奥地へと歩いていく。暗闇の中、明かりもないのに迷うことなく進んでいた。
やがて男は、防空壕へと入っていった。